第21話 星の平原、小さな芽【インウィディア・南方平原】
「これで……最後の一匹!」
ロトンダが細長い針を魔物の頭蓋に突き刺すと、大きな歓声が上がる。
魔王討伐後、冒険者たちは平野全体を円陣で囲み、徐々にその範囲を狭めていく掃討戦を行った。
そして今まさに、すべての作戦が終幕したのだ。
「魔王討伐、万歳!」
「新英雄、万歳!」
すっかり日が落ちた薄暗がりの中、篝火の明かりで互いの顔を確かめながら、冒険者もギルド職員も肩を組み喜びを分かち合う。
「わぁ! みんな、お疲れ様! 万歳、バンザーイ!」
作戦に参加したリメアも両手を上げてぴょんぴょん跳ねた。
万雷の拍手が鳴り止まぬ中、ユグルタがすっと手を挙げる。
すると全体が一気に静まり返った。
「皆、よく頑張ってくれた。ギルドを代表し、全ての者に多大なる感謝を。今、この瞬間を持って、積岩の魔王討伐作戦の成功を宣言する! そして――」
ユグルタは言葉を溜め、一度周囲をぐるりと見回す。
誰もが静かに、固唾を飲んで見守っていた。
ふっとユグルタは表情を緩め、雄叫びを上げる。
「宴の席を持って、皆の労をねぎらおうではないか!」
「オオオオオオオオオオーーーッッ!!」
今日一番の盛り上がりを見せる群衆に、リメアは圧倒される。
ユグルタは「なお、今回の食事、酒、その他諸々サクスムスピナからの提供だ」と付け加えたが、その声はかき消されほとんど届いていない。
馬もどきを連れていた冒険者は先駆けて走り出し、白兵たちも大声を上げながら野営地に向かい始める。
「うわ、わわっ!」
リメアは汗に汚れた冒険者たちの大波を躱すので精一杯だった。
「ディア! また後でな!」
「あ、カイル! うん、後で!」
「あたいも先に行ってるよ! ちょっとそこのあんた、英雄を自分の足で走らせるつもり!? 誰か馬を寄越しなさいよ!」
「ロト……ンダはもう行っちゃった……」
土煙をもうもうと上げながら冒険者が去ったあとに残されたのは、後始末を行うギルド職員たちだった。
災害管理ギルドの職員は設営されていたユグルタのお立ち台の解体作業や、再利用可能な武器を荷詰めしている。
なにか手伝えることはないかと見回していると、灰色の帽子を被った報道出版ギルドのひとりが、リメアの方へ歩いてきた。
「ディア様、お疲れ様でした」
「あ、あなたは、旗を振ってたときに横にいた……!」
「はい、ディア様の記録を担当していた者です。その節はすみませんでした。どうしても記録を残すことができなくて……」
「ううん、全然気にしてないよ! 記者さんこそ大丈夫? 怪我とかしなかった?」
「気遣って頂きありがとうございます。この通り、お陰様でピンピンしてます」
「よかった!」
職員は少し気恥ずかしそうに笑ったあとで急に真剣な表情となる。
「記録は残せませんが、ディア様のご活躍はこの目にしっかりと焼き付けました……! 敵陣へ臆することなくたったひとりで立ち向かったかと思えば、その強さはまさに一騎当千。並み居る強敵の数々を鮮やかに斬り伏せ、土竜王のもとまで一直線。仲間を2度も助け、返す拳で一撃粉砕。あの技の名は? 師匠直伝の必殺技なのか!? その習得までの修業内容とは!? あぁ、文字に書き起こしたいことがどれほどあったことか!」
「お、おぉ……」
職員の熱量にたじろぐリメア。
もし今日の戦いが事細かに記されていたなら、出発前の囲み取材を街の至るところで受ける羽目になっていたかも知れない。
(あはは……、記録されてなくてよかったかも……)
お礼を述べてなんとか職員の熱弁から開放されたリメアのもとへ、ユグルタがやってきた。
ギルド職員は敬礼をし、そそくさと退散する。
「君は宴に向かわないのかね?」
尋ねてきたユグルタに、リメアは首を横に振る。
「ううん、まだ職員さんたちがお仕事してたから、お手伝いしよっかなって」
「ふ……、殊勝な心がけだ。だが、その必要はない。我々ももうじき移動を開始する。……まぁ、あれだけ急いで向かわなくとも、食料が届くまでもう少しかかるだろうがな」
ユグルタは目線をリメアから野営地へ移す。
リメアもそれに合わせてに振り返った。
満点の星空の下、遙か先の野営地でポッとひときわ大きな明かりが灯る。
「やれやれ、もう火を焚いたか……。しょうがない奴らだ」
隣で苦笑を漏らすユグルタだったが、リメアは目の前へ広がった光景に、ただただ心を奪われていた。
僅かに弧を描く地平線へ向かって、数え切れないほどの魔石が転がっている。
それぞれが野営地の明かりをたたえ、ゆらゆらと輝いていた。
虫の音響く平原で、まるで星空と地上の星が秘密の会話をしているようだった。
「きれい……」
先程までの喧騒が嘘のように静まり返り、切なさと心細さがないまぜになった感情が胸に去来する。
山や谷の起伏が少ないこの星の夜は、少し、冷え込む。
見上げれば、ひときわ強く輝く赤い星が、頭上で瞬いていた。
その光は穏やかに優しく、リメアに降り注ぐ。
(ああ、そっか……)
唇を噛み締める。
ずっと、実感がわかなかった。
どれだけ事実を並べられても、信じたくなかった。
だけど、気づいてしまった。
土竜王と戦った、あの時。
彼女から大きなものを受け取ったと悟った、あの瞬間。
他ならぬ自分自身が、認めてしまった。
(パリオネ……、もう、会えないんだなぁ……)
頬を静かに熱が伝う。
できるならば、この幻想的な景色を一緒に見たかった。
心細さを感じたときに、手をつなぎたかった。
たとえ過ごした時間が短くとも、リメアにとってパリオネは、初めてできたお姉さんのような存在だった。
(わたし忘れない。パリオネのことも、この技も。ずっと、ずっと……)
ごしごしと目をこすり、もう1度夜空を見上げる。
赤い星は先程までと変わらず、優しく瞬いていた。
*
「おう、遅かったな。結構な活躍だったそうじゃねぇか」
木製ジョッキを両手に持てるだけ持ったアーヴィが、野営地でリメアを出迎える。
「あ、アーヴィ!」
顔を上げたリメアは、ぱっと顔を綻ばせる。
「雑用、お疲れさま!」
「言い方ってもんがあるだろ!」
「お~い兄ちゃん、酒はまだか!?」
「はーい、ただ今ー!」
ぶっきらぼうな返事をしながら、忙しなく会場を動き回る少年。
リメアの戦いは終わったが、彼の戦いはまだしばらく続きそうだった。
「おーい、ディアー! こっちだ!」
「……! マッシモ!」
大樽を3つ寄せたテーブルを囲うように、冒険者たちが酒盛りをしている。
その中でもひときわ目立つ大男が、リメアの方へ手を振っていた。
ててて、と吸い寄せられるようにそちらへ向かうと、赤ら顔のマッシモに抱き上げられる。
「わっ!」
「ディア! 我が兄妹《きょうだい》よ! 戦場では満足に礼もできずすまなかった!」
「マッシモも、あれから無事で良かった!」
「おうよ。で、そっちはどうだった? こっちはな、それはもう凄かったぜ? 森がグワングワン波打ってたんだぞ!」
「あ、あぁ……、ロトンダの……」
「あいつ、キレたら昔から怖ぇからな……。加減を知らねぇんだ」
よほど骨身に刻まれた記憶があったのか、マッシモはリメアを地面に下ろしぶるっとひとつ身震いして見せる。
すると背後で酒を煽っていたカイルが、リメアに向かってウインクを飛ばしてきた。
リメアもあっ、と声を上げ、真似してウインクを返してみる。
カイルは満足気な表情を浮かべた後で、マッシモへ顔を向けた。
「おいマッシモ、ディアに会ったら渡すもんがあったんじゃねぇのか?」
「そうだ、忘れるところだった。森の塹壕でこんな物を拾ったんだ」
そう言いながらマッシモは懐から、ぼんやりと光る貝殻を取り出した。
「こ……これって!?」
リメアは驚き、目を丸くする。
「驚くのはまだ早ぇ。貝殻を持ち上げてみな」
リメアは頷き、差し出された手のひらから、1枚貝の貝殻を持ち上げる。
するとその下から見事な真珠が現れた。
後ろで見ていた取り巻きが、ヒューッと口部を吹く。
「馬鹿野郎、そんなんじゃねぇ! 相手は子供だぞ!? ……すまねぇ、あいつら完全に酔っ払っちまってて」
「そ、そんなことより、これって、蓄光アコヤ……の真珠だよね!?」
「あ? そうなのか? あんまり詳しくねぇから知らなくてよ。ただ、森で収まらねぇ地響きに怯えてたらよ、空からこいつが降ってきたんだ。こりゃきっと頑張った俺達へ、自然がくだすった贈り物だって思ってな」
「これ……、わたしがもらっちゃっていいの?」
「ああ。ディアがあの時助けてくれなかったら、今頃俺は医療用テントで酒も飲めずに唸ってたところさ。もらってくれ」
「ありがとう! これずっと探してたの!! すっごくきれ……ん?」
綺麗、と言いかけたリメアは、つまんだ真珠の裏側に、大きな切り傷があることに気がつく。
「だー! やっぱり気づいちまったか!」
「はっはっはっは! 賭けは俺の勝ちだ! ほら、飲め、飲め!」
マッシモは仲間たちから囃し立てられ、手持ちの酒を一息に飲み干す。
「だはぁ! これで文句はねぇだろ! ったく。悪いな、ディア。貝のなかでコリコリしてる部分があったんでもしやと思いナイフを入れたんだが、慣れねえ作業だったからか真珠を傷つけちまった。多分売値は付かねぇだろうが、記念にはなるだろうってな」
バツが悪そうなマッシモに、リメアは首を大きく横に振る。
「ううん、いいの! この真珠さえあれば……! マッシモ、本当にありがとう! 大好き!」
そう言い切ると、飲んだくれ共がおお、とどよめく。
マッシモは少し照れながら振り向き、胸を張る。
「どうだ、聞いたか? 今の! 真珠を受け取ってくれたぞ! こっちの賭けは俺の勝ちだ! ほらお前ら、全員飲め!」
マッシモはじゃあな、と笑い、のっしのっしと仲間の元へと帰っていく。
リメアはもらった真珠を覗き込む。
小ぶりな真珠は間違いなく自ら発光しており、その特徴はロトンダの言っていたものと違わない。
「は、早くロトンダに知らせなきゃ! ロトンダは……ロトンダは……、あそこだ!」
あたりを見回したリメアは、大きなテントの下で気持ちよさそうにキセルを吸うロトンダを視界に捉える。
寝転がっている人を踏まないように気をつけながら、駆け寄った。
「ロトンダ! お疲れさま!」
「ああ、ディアかい。そっちもご苦労さん。あんたが土竜王どかしてくれたんだって? 大手柄じゃないか」
ふうっと紫煙を吐き出しながら、妙齢の女性は艶やかな笑みを浮かべる。
「そんなことより、ロトンダ、これっ! これ見てっ!」
リメアは先ほど受け取った真珠をロトンダの目の前へ突き出す。
ロトンダは受け取った真珠をまじまじと眺めると、にっこり笑顔になる。
戦いが始まる前と同じように、ぽんぽんと自分の隣を叩き、座るようにと合図する。
リメアはコクンと頷き、喜んで隣りに座った。
するとすっと後ろから伸びてきた手が、リメアの頭を優しく撫でた。
「よく見つけたじゃない。戦いながらこれを拾ったっていうの?」
「ううん、マッシモが森で拾って、わたしにくれたの!」
「ああ、あいつね。知り合いだったんだ」
「うん、秘密を隠している関係!」
「なにそれ、意味深ね。嫌いじゃないわ」
「傷が入ってるけど、大丈夫かな?」
「問題ないよ。チェーンの先に取り付けて首にぶら下げるわけじゃないからね」
ロトンダは酒を軽く口にすると「ちょっと待ちな」と言いながらゴソゴソと荷物をあさり、よく研がれたナイフを取り出した。
くるりと回した小刀を逆手に持ち、もう片方の袖をまくる。
その物々しさに、リメアは思わずギョッとした。
「ろ、ロトンダ、それで何をするの……?」
「見てな、これはこうするのさ」
そう言うと、ロトンダはぺろりと口の端を舐め、自分の腕にナイフの切っ先を押し当てた。
リメアの喉がひゅっと鳴ると同時に、裂けた腕の皮膚から赤い血がこぼれだす。
「な、なにやって……!」
ロトンダは血の滴るナイフを持つ手で人差し指を立て、傷つけられた腕の先で握りしめていた真珠を傷口に押し込んだ。
「んっ……!」
流石に痛みが走ったのか、ロトンダの眉間にシワが寄る。
彼女は胸元から白濁した液の入った試験管を取り出すと、傷口に振りかける。
すると傷口の皮膚が癒着し、僅かな膨らみを残して完全に塞がった。
「驚いた?」
額に薄っすらと汗を浮かべたロトンダに、リメアはぶんぶんと首を縦に振る。
「蓄光アコヤはね、ただの貝じゃないの。あたいらの先祖が宇宙を旅していた大昔の話よ。コロニーで流行った病気を治療するため、禁忌とされている遺伝子改良を施されたのが、この生体ナノマシンを有する蓄光アコヤなの」
「ほへえ……。でもなんで、わざわざロトンダの腕に?」
「この生体ナノマシンは、自然界では機能しないよう設定してあるの。一度人体に入れた後、数日かけて人間用に同期される。健康な状態の人の身体をスキャンするの。これでわかったでしょ? お金を積まれたって、ホイホイ受けられるような仕事じゃないのよ、これは」
「そう、だったんだ……」
「それに、あたいの治療はどうしても自然に反した技術を使う。なんていうか、その、受け入れがたい頭の固い連中も、いっぱい……いるんだよ」
生々しく残る傷跡を見つめたまま、リメアは言葉を失う。
カリネを助けたい一心で、ロトンダの薬舗へ押しかけた。
ロトンダの事情や、その治療法について何ひとつ、その時のリメアは思い至らなかった。
「ごめんなさい、わたし、知らなくって……」
俯くリメアの頭を、ロトンダは再びゆっくり撫でる。
「いいのさ、こういうのは慣れっこだ。それよりね、あんたの気概には驚かされたよ。あと、このプレゼントも、嬉しかったよ。……見事に壊れちゃったけどね」
ロトンダは足を伸ばして金属のすね当てを外してみせる。
足の指先に取り付けられていたカエルのネイルチップは、いくつかは外れ、またいくつかはヒビ割れてしまっていた。
「ごめんよ、こんなことになるなんて思ってなかったんだ……」
「気にしないで! それより、付けてくれてたんだ」
「そりゃそうよ、だってかわいいじゃない」
「ま、また買ってくるから!」
リメアが息巻くと、ロトンダは困ったように笑って首を横に振る。
「ありがとね、気持ちだけは受け取っておくよ。でも、付けてみて思ったの。ちょっと子供っぽいかなって」
「えっ? でも好きなんじゃないの?」
「ああ、好きだよ。でもさ、ほら。こういうの付けてるって知られたら、その、さ。幻滅されちゃうかも、知れないだろ?」
ロトンダは柄にもなく、頬を赤らめてそっぽを向く。
まるで、恋をする、乙女のように。
リメアは狐につままれたような気分になりながらも、身を乗り出し尋ねてみる。
「その……もしよければだけどさ、そのお相手さんって、聞いてもいいの?」
「ディアも知ってる人だよ。……はぁ、なんでこんなことになっちゃったんだろうね。あたいらしくもない」
ロトンダは膝を抱え、両腕の上に顎を乗せる。
そして徐ろに口を開いた。
「……ディアも、聞いたことあるだろ。英雄は魔王を倒すと、長くないって」
「……っ!? なに、それ……!?」
「おや? 知らなかったのかい? 英雄は魔王を倒した段階で星から与えられた役割を終える、ってね。今までの英雄たちもそうだっただじゃない。魔王が現れた時点で、あたいのタイムリミットは決まってた。あんたの師匠だって、そうだっただろうに」
「そん、な……」
あまりの衝撃に、リメアは目を見張る。
見ないようにしていたが、ロトンダの足は、不自然なほど浮き上がった血管に覆われていた。
それはドクン、ドクンと不気味に脈動している。
かつて、パリオネの腕に見た症状と同じだった。
「でもさ――」
ロトンダはそんなリメアを横目に、熱のこもった息を吐き目を潤ませる。
「そんなあたいの命を終わらせに来る死神を、あの人は倒すって言うんだ。絶対に守るって。あたいさ……こんな性格だからさ、そんな真っ直ぐな言葉を、生まれてこのかた言われた経験がなくってね。馬鹿だってのは分かってるんだけど、その、クラっと来ちゃったのよ」
ニシシ、とロトンダは白い歯を見せて笑う。
リメアが戸惑っていると、すっと目の前にピンと立てた小指が差し出される。
「……?」
「ほら、あんたも小指出しな」
「こう?」
揺らめく炎に照らされながら、ふたりは互いの小指を絡め合う。
「指切りだよ、約束を交わす時の古いおまじないさ。このことは誰にも内緒にしておくれ。秘密の約束、絶対だかんね?」
「う、うん……」
上気した顔で満足そうな表情を浮かべたロトンダに対し、リメアの胸には計り知れない大きな不安が押し寄せたのだった。




