タイトル未定2026/05/27 22:07
SGスプリント、三日目の朝。
あかりが測定器を光の右手に当てた。
ゼロ。
二人とも、何も言わなかった。あかりはデータを開いた。光は平和島の水面を見た。風が、今日も複数の方向から来ていた。
「マブイがなくても、昨日より風のパターンが体に入ってきてる気がする」
「はいっすよ」あかりは言った。「データにも出てるっすよ。光くんの物理入力の精度が、二日間で〇・〇一ミリ単位で上がってるっすよ」
「静止点は、まだ作れていない」
「でも——」あかりはタブレットを光に向けた。「昨日の第十一レース、バックストレッチの後半。ここだけ見てくださいっすよ」
波形の一点に、微かな変化があった。風の乱流の中で、朱雀の航跡が一瞬だけ乱れなかった区間だ。
「〇・八秒っすよ。光くんが静止点を作りかけた痕跡っすよ」
「〇・八秒か」
「今日はそれを、一秒にするっすよ」
第五レース。光は三コースから入った。
一マーク。読もうとしなかった。探そうともしなかった。ただ、右指と足の裏を同時に使いながら——風が来る前の、水面のわずかな変化を感じようとした。
来た。
ビル風が方向を変える直前の、一瞬の静けさ。朱雀の機首をそこへ刺した。滑らかに回り切った。
「二号艇か三号艇か——速水光、抜け出したぁ!!」
バックストレッチへ出た。二着でゴールした。
ピットに戻った。あかりがデータを確認した。
「一・二秒っすよ、光くん」
「一・二か」
「昨日の〇・八より伸びたっすよ」あかりは続けた。「でも——」
「まだ短い」
「はいっすよ」
第九レース。三コースから。
一マーク。また静けさを待った。しかし今度は来なかった。風のパターンが昨日と違った。朱雀が外へ流された。揺りかごの形で受け止めた。押し出した。
三着。
ピットに戻った。光は平和島の水面を見た。
「風は毎回違う」
「はいっすよ」あかりは言った。「だから静止点を『待つ』んじゃなくて、光くんが『作る』必要があるっすよ」
「作るとは——風が来る前に、自分が動くということか」
あかりは一秒だけ光を見た。それからデータを閉じた。
「……明日の予選最終日、答えが出るっすよ」
夜、整備室。光は一号機のカウルに右指の傷跡を当てた。師匠の温かみはない。平和島の底が、わずかに足の裏に届いた。
「ネ、明日も行くぞ」
ネが低く一声鳴いた。平和島の夜風が、ビル群の隙間を静かに抜けていた。




