8:モサモサ眼鏡の過去
メーテルはダハトリア王国の北の辺境に位置するイレイネスという土地の出身だ。
父はそこを治める辺境伯に仕えていて、今は辺境伯家にいくつかある騎士団のうちの一つ、超熊騎士団の団長をしている。
平民だった父は近所で武功を上げまくり、途中で辺境伯という後援者を得て騎士の従者にスカウトされ、そこでも戦果を上げて騎士爵に成り上がった。
最初は反発もあったものの、危険な土地柄ゆえに実力主義がまかり通っているのと、父が武功を上げすぎて誰も文句を言えなくなってしまったこともあり、今では騎士団長として皆に認められていた。
その娘であるメーテルも、一般兵士の娘から、従騎士の娘、騎士の娘、騎士団長の娘と勝手に出世していった。
しかし母が街の食堂の娘であり、父も特にライフスタイルを変えてはいないので、メーテルは貴族令嬢のようには育っていない。
普通の騎士の娘とも違うだろう。
メーテルは五人兄弟の一番下だ。
上は全員男で、オールリンクス家唯一の女児だった。
「なんだ、女か。まあいい、鍛えれば一兵卒くらいにはなるだろう」
父は兄たちを自分と同じ道へ進ませようとした。
オールリンクス家の子どもは、領主から期待されていたからだ。
だから父も、ついでに娘のメーテルまで巻き込んできた。
頭が筋肉でできている彼は、娘の育て方がわからず、調べるのも面倒くさく、兄たちと同じく息子として育てたのだった。
大らかすぎる母は、そんな父を微笑ましく見守り……放任していた。
だからメーテルの着る服は子どもの頃から兄のお下がりの、男物の服ばかりだったし、与えられるおもちゃは木剣で、遊び場は騎士団の訓練所の隅。
同年代の遊び相手は、そこに来ている男児ばかりだった。
ある程度成長するまで、メーテルはそんな環境が当たり前だと思っていた。
そして父や兄にしごかれて、めきめきと騎士の才能を伸ばしていった。
しかし、ある程度成長すれば、さすがにメーテルも自分の置かれた環境がおかしいことに気づく。
(あれ……私の周り……女の子、誰もいない? それに、他の女の子は誰も、騎士団の訓練所で木剣を振り回していないんだけど……)
レースやリボンの付いた可愛らしいスカートを穿いて、家の中や庭でつぶらな瞳のふわふわの兎や猫のぬいぐるみで遊んでいる。
(……いいな、可愛いな……私も……あっち側に行きたい……)
メーテルは両親に訴えた。
しかし、父にあえなく却下された。
その頃には、メーテルは同年代で一番強い子どもになっていたからだ。
意外と才能のあった娘に、父は余計な期待を抱き始めたのだった。
(うう……ヒラヒラ、フワフワ……モフモフのほうが可愛くて好きなのに……)
しかし、いくら訴えても、父がメーテルの期待に応えることはなかった。
怪我で引退する者も多いので、イレイネスでは子どもでも騎士や兵士として使えるようになったら、早めに現場へ投入される。
メーテルも十歳で現場入りを果たし、着々と強くなり、十歳のときには同年代だった辺境伯の息子(七男)の従者に選ばれ、父と同じように騎士街道を爆進し続けた。
イレイネスにいる騎士の主な仕事は毒獣の退治だ。
毒獣とは、瘴状菌と呼ばれる菌類に感染した状態の鳥や獣を指す言葉だ。
瘴状菌に侵された個体は、体が巨大化し、凶暴化し、群れを組んで力尽きるまで暴れ回る。
それが人里に出た日には大災害になった。
黄色と黒が入り交じったカビのような見た目の瘴状菌は、いかにも「危険!」という色合いの菌類で、人間が触れても毒獣に変化したりしないが、鳥や獣は感染してしまう。
だから、イレイネスでは瘴状菌を見つけ次第、焼いて駆逐していた。
しかし、毒獣の侵入経路は余所の土地からで、菌に感染した獣や鳥などが運んでくる。
まだ完全に毒獣になっていない場合、普通の鳥や獣と変わらない見た目なので、気づかれないことが多いのだ。
そういうわけで、気をつけていても、不定期に森から菌に侵された毒獣が現れてきてしまう。
特にイレイネスは北側が森なので、毒獣の被害が出やすい場所だった。
だから、ここの騎士団はダハトリア王国のどの騎士団よりも猛者が揃っている。
十七歳になったある日、イレイネス領に大規模な毒獣の群れが現れた。
そこで、メーテルは仕事中に両目を負傷した。
毒獣退治で仲間の騎士を庇った際、目に僅かに毒獣の血液が入ってしまったのだ。
瘴状菌は人間に直接作用しないが、獣の体を侵して体液を毒化する。
毒によって宿主である獣もまた、暴れ回った後に力尽きるけれど、死骸を餌にして瘴状菌はまた増殖していく。
ただ、その毒は人間にとっても有毒だった。
だから、瘴状菌に侵された獣を人々は「毒獣」と呼んでいる。
そんな毒が目に入ったメーテルは失明こそ免れたが、視力が低下してしまった。
そうして、休養と瓶底眼鏡が必要になり、しばらく第一線から退くことになったのだ。
視力が悪くなった娘に父は興味をなくし、今になって「もう十七歳だし嫁に出すか?」的な動きを取るようになった。
仲間の命を救えたことをメーテルは後悔していない。
戦えなくなったわけでもない。
でも、父の変化に「なんだかなー」と思うことは増えた。
父に悪気がないのはわかっている、彼は何も考えていないだけなのだ。
幼い頃から我慢に我慢を重ねてきたのに、結末がこれだなんてあっけない。
ただ空しかった。
そんなメーテルを見かねた、幼なじみの辺境伯家の七男が、「王宮で侍女を募集している」という話を持ってきてくれた。
「メーテル、参ってるよね。ちょっと息抜きしてきたら?」
「……いいのか?」
「うん。ここにいたら、また無茶するだろ? それ以上目が悪くなることはないと思うけど、半年から一年くらい安静にしといたほうがいいよ。侍女の仕事なら、毒獣と戦うことなんてないと思うし」
メーテルは首を横に振る。
「だが、イレイネスやあなたのことが心配だ。毒獣の被害だって増えている」
今は彼がメーテルの主だ。
傍を離れるわけにはいかない。
「そういうとこ。この地にいたら、メーテルは休めないんだって。僕なら大丈夫。それなりに強いし、一年後には独立する予定だし」
「……父が反対するかもしれない」
「騎士団長は今、メーテルを嫁に出すか迷っているだろう? 侍女の仕事は花嫁修業になる。実際に貴族のご令嬢の中には、そっち目的で侍女になっている子もいる。そうやって言い訳したら通るんじゃないか?」
「なるほど。だが、私は貴族のご令嬢ではない」
「騎士団長の娘だし、僕の従者じゃん。問題ないって。駄目だったら次の手を考えよう。それとあっちの侍女の制服なんだけど、メーテルが好きそうな感じだよ。フリルがいっぱいの……」
「えっ!? フリルだとっ!?」
メーテルは身を乗り出す。可愛いものは大好きなのだ。
ずっと、ずっと憧れていた。
「……応募、してみたい。駄目元で」
幼馴染みは「言うと思った」と笑う。
「じゃあ、申し込んでおくよ。メーテルが戻ってくる頃までに、君がイレイネスで過ごしやすくなるように、いろいろ整えておくからさ。ちゃんと療養するんだよ?」
「……感謝する」
後日フリフリの可愛い侍女の制服を着られたメーテルは、心から大喜びした。




