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「なによ」
「う、ううん、聞くからにキケンな香りがしたものだから」
「刺激臭があるものは使っていないわよ。この<びりびり玉>はね、触れるとびりっとする粉が飛び散るのよ!」
驚いた相手の注意を逸らす効能がある。
ソウタはうへえと思ったが、ユリの視線が突き刺さるので努めて平静を装った。
「怯えればいいが、逆上されたらやっかいかもな」
ワンダフルさんの言葉に、ソウタはそういうこともあるのか、と感心する。
「ううん、ワンダフルさんに冒険者のことを教えてもらうお礼に持ってきたアイテム玉なのに、すっかりアドバイスをもらっちゃったわ」
ユリがソウタになにか報酬がわりになりそうなものはあるかと視線を向ける。
え、この流れでぼくに振るの、とソウタは目を白黒させた。
「ははは。いや、十分に有用なアイテム玉だよ。これ、ふたつとももらってもいいのか?」
「もちろん。もし村にいる間に使ったら、どんなだったか教えて!」
ちゃっかりと言うユリにワンダフルさんは鷹揚に頷いた。
「ユリはアイテム玉作りが得意なんだな」
ワンダフルさんに褒められたユリは両前足を背中に回して握り合せて照れる。
「まあね。ソウタは道具いじりが得意なの。魔道具とかも扱うのよ」
だから、どうしてぼくのことに話題を逸らすのだ、とソウタは内心あわてる。
「うん、そうらしいな。聞いたぞ。中古のプロペラ飛行機を修繕して飛んだんだって? すごいじゃないか」
「ありがとう。でも、そんなに長い間飛べなかったんだよ。再修理をするのに必要部品が集まらなくてさ」
「それで、ソウタはこの村にはない素材に関心を向けているの」
「なるほどね」
それで冒険者について知りたいのかとワンダフルさんは得心がいった様子だ。
「だいたいね、アイテム玉なんかメじゃないくらいに魔道具はぶっそうなものが多いじゃない。ほら、ベッツィシリーズとか」
ユリは先ほどソウタがせっかく初めて作ったばかりのアイテムに、好ましからぬ態度を取ったのにちょっぴり腹を立てていた。
「ああ、ベッツィな。血のりとか地割れとかいかずちとか地獄の炎とかやたらに不穏な形容がつくよな。あれ、誰が考えるんだ?」
ワンダフルさんも知っていたらしく、そして疑問に思っていたらしい。それに応えたのはソウタだ。
「発明者だよ」
「ベッツィさんか」
「ううん、ベッツィさんの旦那さん」
つまりは発明者は妻の名前を冠した魔道具をシリーズと言われるくらいに次々に打ち出したのだ。
「奥さん、よく怒らないな」
ワンダフルさんがなんとも言えない表情になる。精悍な顔つき、ぴんと立った三角耳は健在だが、少しばかり尾がしょんぼりしている。
「なんかね、「地震・かみなり・火事・奥さん」なんだって」
「ちょっと待て、奥さん、なんで災害に並べられているんだ。うん? あれ? 血のりはどこから出て来るんだ?」
ソウタの言にワンダフルさんは重要なことに気づいてしまった。
「ええと?」
ソウタもそこまでは分からないらしく首を傾げる。するとユリがとんでもないことを言い出した。
「夫婦喧嘩かなあ?」
夫婦喧嘩で血のりが登場するのか。どちらの? そんなの、災害に並べられる妻のものであるはずがない。
ソウタの耳は恐怖のあまり、へにょんと垂れた。ワンダフルさんはさすがの貫録で耳をぴんと立てたままだ。しかし、ふさふさの尾はそっと腿の間に挟まれていた。
「そうか、ソウタの同年代の子供たちは猫又になりたいんだな」
ふたりの話を聞きながら、なんてことない風にワンダフルさんが言う。
もしかすると、ワンダフルさんは猫又に会ったことがあるのかもしれないと思わせるほど淡々としていた。あるいは、猫又になる方法を知っているかも?! なに、それ、すごい!
ふたり顔を見合わせる。ユリの青みがかった紫色の目はきらきらしていた。
しかし。
「いや、猫又に会ったことはない。ただ、ケット・シーにはあるよ」
「「ケット・シー?!」」
「そう、猫の妖精だ」
ケット・シーはふたつ尾を持ち、魔力と知力が高い猫の姿をした妖精である。彼らは獣人ではなく妖精なのだという。
「「妖精!」」
妖精は聞いたことや本で読んだことはあるが、一生のうち会えるかどうか分からないような存在だ。しかも、猫の姿をした妖精がいるという。
ソウタとユリの高揚は絶頂に届かんばかりだった。ぴんと耳が立ちあがるのを感じる。
だが。
「ケット・シーはクセが強いからなあ」
ワンダフルさんは渋面になる。
「なにかあったの?」
「ああ。さんざんな目に遭った」
ワンダフルさんは妖精の国へ行くためにケット・シーに会いに行ったのだという。
「妖精の国!」
多種多様な妖精が住み、妖精の国王夫妻が統治する国だとワンダフルさんは説明する。
「ケット・シーたちの集落が別にあって、そっちへまず行ったんだ」
ケット・シーは猫らしく好奇心旺盛で、気まぐれであるのだそうだ。結局、ワンダフルさんはケット・シーによって妖精の国へ通じる紋を作ってらうことはできなかったのだそうだ。
「それでもぼくはいつか妖精の国へ行ってみたいな」
「妖精の国! すてきだね!」
ソウタもユリもすっかり妖精や妖精の国に魅了されていた。妖精に実際に会って、妖精の国へ行こうとした人から話を聞くことができて、急激に身近に感じたせいだ。
「ケット・シーかあ。猫又とどうちがうんだろうな?」
「ケット・シーは猫獣人が妖精になったもので、猫又は猫が妖怪になったものだそうだ」
誰にともなく疑問を口にしたソウタに、ワンダフルさんが答える。
「へえ、そうなんだ!」
「じゃあ、あいつら、結局猫又にはなれないじゃないか」
ユリが感心し、ソウタが同級生たちの願いが潰えたのに気づく。教えてやるべきかどうかと頭を悩ませていると、ユリが「ケット・シーになればいいじゃない」と言う。
「ケット・シーを目指すのは、彼らと一度会ってから決めた方が良いと思うぞ。なろうと思ってなれるものじゃない」
ソウタとユリはワンダフルさんの言わんとすることを、後に知ることになる。彼がなぜ渋面になっていたのかも。
「やっぱりいろんな素材があるんだな」
「妖精の植物かあ。それを使ったアイテムならどんな効果があるのかしら」
暮れなずむ村の通りを、ワンダフルさんにたくさん話を聞いて大満足のソウタとユリは足取りも軽く歩いていた。
「妖精の国へ行ったら、きっと妖精の植物を取り扱ったレシピがあるよ」
「そうだね」
たった今まではうきうきと弾む調子で話していたユリの声のトーンが下がった。スキップを踏むように歩いていた足取りもゆるやかになり、やがて止まる。
「ユリ?」
一歩二歩先に進んだソウタが足を止めて振り返る。夕日を浴びて両耳が濃い影を作るユリの表情は読み取りづらい。思わず近づこうとしたら口を開いた。
「ねえ、ソウタはさ、」
いつも率直なユリが言いにくそうにする。
「うん?」
「この村を出たいの?」
初フライトを成功させた日からずっとソウタの心に沈殿することを言い当てられた。
ざあ、と風が吹き、道端の草を大きく揺らした。