蝶野さんがきた!
今こんな風に小さいながらも自分の場所でこんなおちゃらけたことをのたまってるが、目の前に蝶野さんがいらしたときのことは20年以上経った今でも忘れられない。
あれは2005年のメキシコ・闘龍門で私がチャンコ番をやっていたある日の事だった。
お昼ちょっと前だったと思う。その日にお見えになるというのは前々から知らされていたので、怖いようなワクワクするような不思議な緊張感をずっと持っていた。高揚するような、おっかないような、ああああ……
と思っていたらブザーが鳴った!
すわ来た!
2階のリビングから飛び跳ねるように駆け出して階段を下りて玄関のドアを……!
ドアが……!?
開かない。
2か月ほどそこで暮らして慣れ親しんだはずの玄関のドアが押しても引いてもビクともしない。
あれ!?
あれ!!?
あれれ!?
と思って焦ること数十秒。このドアを一枚隔てた向こうには蝶野さんが、あの蝶野正洋が立っているのだ。早く開けないと、粗相があっては……!
焦れば焦るほどドアが開かない。
まるで当時の事を夢で見てうなされてるような文章だろ。
けど本当に開かなかったしパニックだった。しまいにコッチからドアをドンドン叩く始末。
そしたら、押しても引いてもビクともしなかったドアが突然
バターン!
と開いた
すると目の前にはいつもの賑やかでゴミゴミした往来やぴーかん晴れの空でもなく、黒い壁があった
!?
と思ってちょっと視線を上げたら私の頭より一つ上に見慣れた顔があった。
黒い短髪、黒いサングラス、お髭。
脳内の札幌中島体育センターに鳴り響く鐘の音とN…W…O…
そして流れ出すCRUSHの旋律。
出た!!!!!!!
蝶野正洋だ!!!!
逃げろ!!!!!!
というわけにもいかない。
おはようございます!!
と深々とお辞儀をする。と、蝶野さんの隣から岩みたいな人影がヌっと出てきた
赤銅色に日焼けしてパンプアップしまくった、とんでもない肉体の持ち主だ。
それが故ブラック・キャットさんだった。
長年のプロレスマニアならすぐに合点がいく。メキシコのことならブラック・キャットさんにお任せだ、通訳やガイド、なんだったら用心棒として同行しているのだろう。
「ドア、開いたネ」
ブラック・キャットさんが私を見てニッコリ笑ってボソっと呟いた。実際は往来の騒音や緊張もあってうまく聞き取れなかった。けど、どうやら察するにブラック・キャットさんがドアノブをガッチリ掴んでいたらしい。そうじゃなければ考えられない。
本当にそうだったとしたらなんつー腕力だ。
今となっては真相は闇の中、それもこの時はみんな準備でバタバタしていたので私ひとりっきり。他に目撃者もいない。
こちらへどうぞ!
とガッチガチで足なんか棒のまま震えてたけどなんとかご案内して、ソファに腰かけて頂く。私はそのまま台所に飛び込んで買ってきたミネラルウォーターで作った氷をコップに入れて、ウォーターサーバーからお水を汲んでお出しした
蝶野さんは座っててもデカかった。
「ありがとう。このお水、大丈夫?」
しかし非常に物腰の柔らかい人だった。
「はい、買ってきたお水です!」
「そっか。ああ、氷も大丈夫?」
「はい! 同じお水で作りました!」
水だけじゃなく氷にまで気が付くとは流石は超一流だなあ……と思った他は、もう受け答えするのに必死で、正直このあとどんな話をしてどんなことになったのかもよく覚えていない。恐らく校長に何か用があっていらっしゃったのだと思われる。
ただ目の前にあの蝶野さんがいて、なんかお水の事で話をしたのだけ今日まで強烈に覚えている。
ちなみに巷間伝えられる
蝶野さんいい人説
は本当で、それは別に狙っていい人をやっているのでもなく、蝶野さんご自身の人の好さがにじみ出ていたんだと思う。
この下っ端にもならないような若造(私だ)にも丁寧に接して下さったし、立ち振る舞いから話し方から何から何までスマートでカッコ良かった。
カッコつけてしゃっちょこばってるんじゃなく、普通にしててカッコ良い。出迎えやお水をお出しすれば「ありがとう」とお礼を言ってくれるし、なにより身にまとう雰囲気が優しかった気がする。流石に体格がズバ抜けてデカいので迫力満点だが、それで周囲を無駄に威圧したり緊張させたりしないようにしてくれていたんじゃないかな、と今でも思う。
後年デイリースポーツの連載記事で蝶野さんが2005年ごろ、暗黒時代ど真ん中の新日本プロレスで社長をやらされるところだったという記事があった。
2005年といえば私がメキシコで蝶野さんにお会いしたときじゃん!
私の短い寮生活の中で、あの建物の上枠を屈んでくぐっていたのは二人だけ。
ひとりは蝶野さん。もう一人は今やアメリカAEWでも金の雨を降らせまくっているあの方です。




