#いいねの数だけ好きな映画を言う見た人もやりましょう拒否権はない
1.
メジャーリーグ
これは鉄板。もうベッタベタにベタなチョイスだけど本当に譲れない。
あの映画大好きなんだよ。鳥肌が立っちゃう。
基本的には万年ダメダメ球団が一念発起して頑張るけど、何しろ上手くいかないしジャマもされる。だけど最後は…!っていうこれまたベタな
アメリカばんじゃい!!!
野球サイコー!!
っていう映画。だけど、それがいい。そこがいい。
面白おかしい映画でありながら実は余計なものが入ってない。
チームメイトのドラマがあって、球団の事情があって、悪のオーナーがいて。
何も考えずに見てられて、ちゃんと面白くて、クライマックスはググーっと盛り上がる。
主題歌(WILD THING)の音源が欲しくて通販で買ったらThe Troggsの元曲のほうのレコードが来ちゃって…
母さん、あのCDどうしちゃったんでしょうね(おっ?人間の証明?)
プロレスが好きになって大仁田厚さんにハマってから猶更あの歌が好きになって。
結局映画のコンピレーションに入ってたのをCD-Rに焼いて、それをガンガン聞きながら筋トレしてたっけな。
今でもあの曲が流れるとテンション上がっちゃうもん。
革ジャン羽織ってマナベー!って。
2.
香港国際警察
これもベタだけど大好き。水曜ロードショーであの主題歌を聞いて、あのパンチとキックの効果音を浴びて、次の日に学校でマネするなという方が無理な話。
淀川長治さんの解説によると、あの映画の中にはバスター・キートンやチャップリンなんかの喜劇の要素が沢山入っているそうな。
派手なアクションと過激な見せ場の影に、映画という文化が生み出した名シーンも息づいている。これがいわゆる文化的な素養というやつで、それがない作品には何かが足りなく感じるものなのだろう。それが何か、はフツーに映画見てるだけだと中々気づけないんだけど、映画を見ることのプロから言わせるとそういうところなんだろうな。
キックボクシングやオートバイアクションならいざ知らず、誰もジャッキー・チェンがバスター・キートンの動きを取り入れてるなんて思わないもんな。
バスター・キートンを知らなくても、ジャッキー・チェンがバスにカサを引っかけてつま先で
ツツーー
って引きずられてくシーンは覚えてる。あの
ツツーー
って滑るシーンこそがそうなんだってさ。で実際あるんだよ。
ポリス・ストーリーだけじゃなくそれはどこのどんな名作映画にも通じる部分なんだろうけど、ミスマッチが面白いな、と思ったのはコレだった。
わかりやすい例と対比だしな。何かお話を考える、場面を考えるにあたって今から新しいものを生み出すのは難しいけど、切り口を変えることは出来ると思うんだ。そのために色んな名作、名画と言われるものを要素ごとに分解して組みなおすにあたって、やっぱりそこは素養とセンスが必要で。
ポリス・ストーリーはセンスの塊みたいな映画だった、ともいえるのではないだろうか。
3.
背徳令嬢
イタリアンエロスの巨匠、ティント・ブラス監督作品。
イタリア人女性をどういう風に思わせたいんだ?ってぐらい、イタリア美女のおっぱいとお尻が満載の映画。だけど、このティント・ブラスって人の凄いのはただ単にエロスへのあくなき探求をしている、エロいことを映すだけじゃなく、その画とかシチュエーションに対する拘りだと思う。本当に描きたいエロス、感じてほしい匂いや音まで非常に質量の濃い映像として残している。
背徳令嬢は私が
おかっぱ
美人
腋毛
派手な髪色
という性癖を植え付けられた挙句に真っすぐねじれた記念すべき映画でもある。
モイラという女性がそうだった。バイセクシャルで奔放で、でもカッコいいし美人。一般的にイタリアンエロスで性に奔放で、って言うと、すーぐ
じゃあ、一発ヤらせて欲しいですね
とか無粋なこと言うバカ野郎が沸いて出るから同じに思われるのは凄えヤなんだけど、そうじゃないんだ。奔放であり自らの性を楽しみ謳歌する一方で持て余してて、自分でもよくわからなくなってる部分もある。
つまり誰でもいいと言っているようであって、実は物凄く敷居が高い人。
それがモイラであって、その足元にも及ぶことが出来ない己というものの小ささを思い知ることさえもモイラの魅力なんだ。私が、絶対自分なんか相手にされないだろうなーって思うくらいカッコいい女性に惹かれちゃうのは、このモイラのせいだと思う。
逆に相手を選んで、メイドさんとかお店の人にぐいぐい絡んだり上から目線で迷惑な説教垂れたりする奴は、そういう
己の小ささ
を認められずに相手にそれをかぶせて自己逃避してるんだと思う。
己の小ささを知れ!
そしてちんちんの小ささも知れ!
それは私か。
やかましいわ!!!!!!!!!!!




