いちばん昔の海へ
いちばん古い海の記憶の波打ち際に触れてみる。
夏。よく晴れたみかん畑のうえに入道雲。
わんわか渦を巻いているセミの鳴き声。
深緑のみかんの葉っぱが坂道を駆け抜ける風に乗って揺れている。
場所は……静岡県湖西市。静岡と言っても広いが、その最西端。
我がふるさと豊橋市とはお隣さんで、トンネルを抜ければすぐだ。
僕は背の高い大人と手を繋いで里山の長い坂道を歩いている。子供用の麦わら帽子と幼稚園で使っている海水パンツと、ジャンパーソンかエクシードラフトのビーチサンダル。靴流通センターとかで買ってもらった記憶がある。
ブルースワットだったかもしれない。
手を繋いでいるのは母でも、当時まだ家に居た実父でもない。
痩せぎすで背が高くて、筋張った手足がヒョロリと長くて、全身こんがりと日に焼けている。おそろいの麦わら帽子をかぶって、繋いだ手をぶんぶん振り回して一緒にケラケラ笑った。見た目通りのカラっとした性格の人で、僕のことを「カズヤ!」と事あるごとに可愛がってくれた。
タダウチさん、というオジサンだった。
「カズヤ、もう4つか!よーし海つれてってやる!」
僕は子供の頃このタダウチさんによく懐いていたらしく、しょっちゅう遊びに連れてってくれとせがんでいたそうな。この時はお誕生日のすぐ後だったので、タダウチさんが僕のために果物やお肉を用意して待っていてくれた日だった。そしてタダウチさん流のお誕生日プレゼントは「カズヤくんはじめての海水浴の巻」だったというわけ。
今でも家や、海や、人となりなどタダウチさんことはなんとなく覚えている。が、実はタダウチさんが我が家とどういう関わり合いの人だったのかは未だによくわからない。
まあうちは母方の親類が多くて、とうとう会わないまま亡くなってしまった遠縁の親戚も結構いるらしいから、タダウチさんもどこか遠くの親戚のおじさんだったのかもしれないな。だってタケトヨのおばさんなんて名前だけよく聞いてたのに、ある時を境にパタっと聞かなくなったもんな。どんな人だったのか一切謎なんだよ。
小さい頃いっぺんだけ遊びに行ったらしいんだけど覚えてなくてさ。
閑話休題。
このあたりはイノシシが出るぞ、とタダウチさんが脅かしてきて、また笑う。
やがて坂道は海に辿り着いた。里山の終わりが短い路地を経て砂利の浜辺に続いている。近所の人々が子供を連れて泳ぎに来ている。
僕もタダウチさんの教えたとおり準備体操して海に駆け込んだ。ジャリに足が沈んでサンダルの中に入り込んで痛い。爪先からくるぶし、膝から肩へ潮が満ちてく。
タダウチさんには「いいかカズヤ、顎がつくまで水に入るんだゾ」と言われていたから、その通りにザブザブ入って行った。
後で聞いたら流石に物怖じするだろうと思って言ったらしく、本当に怖がらずに入って行ったのでみんな驚いていたという。
たぶん浜名湖の奥の方、入江のような場所だったのだろう。さほどの波もなく、そう大して深いわけでもない。子供の水遊びには最適な場所だったと思う。
僕の海開きは、そんな風に始まった。
その後もタダウチさんとは年に数回、遊びに行っては可愛がってもらった記憶が残っている。タダウチさんの家は件の里山のてっぺん近くにあり、周りは畑と果樹園ばかりだった。そこを犬コロのように走り回って、葉っぱについたカタツムリや枝についたカミキリムシを捕まえたり、垣根の根元にいるジグモを取って見せたりした。
ジグモの撮り方はおじいちゃんに習った。木の幹と地面の境目辺りに、細長い袋状の巣がある。コイツの周りの土をそっと掘って、素袋の上を優しくつまんでそーっと引っ張るとスルスル抜けて、中に小さくて焦げ茶色のジグモちゃんが入っているのだ。
お尻がふかふかで可愛いので、よく捕まえていた。ジグモちゃんにしては迷惑なガキだったろう。勘弁してつかあさい。
タダウチさん家のお庭は広くて、棕櫚の木の下でバーベキューをしてくれたこともあった。奥さんがスイカを切ってくれて、そいつを縁側で食べた。
青い瓦屋根で、平屋づくりだが家も広々としていた。畳の青い匂いが吹き抜ける風とともに涼しくて心地よかった。
テレビで野球のデーゲームが流れていたのを、よくわからないなりに見ていた。野球のルールは知らなくてもホームランぐらいはわかるから、デカいホームランを打つデストラーデが好きだった。
遊びに行けなくても、年賀状や暑中見舞いを出してくれていた。
僕も喜んでお返事を書いた。タダウチさんからの文面はいつもシンプルで、はがきの裏面に毛筆で
和哉、元気か?
とだけ書かれていた。
だから僕も真似をして、元気?と聞くようになった。
プロレスが好きだもんでアントニオ猪木さんの元気があれば何でもできる、の真似かと思われることもあるけど、それよりももっと前に僕に元気という言葉を刷り込んでくれた人が居たのだ。
あれから35年ぐらい経った。
タダウチさんの消息もパタっと聞かなくなった。ご存命なら幾つになるんだろう。
もしもう会えないのだとしたら、最後にお礼を言いたかった。
どちらにしても、確かめるすべがない。
だから今こうして書き残しておく。
タダウチさん、ありがとう。
元気?




