表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/3

その3



 ――結論から言えば、まあ、私は逃げられなかった。


 鐘の音が街に鳴り響いた。わっと歓声が上がる。素晴らしい晴天だった。この良き日に何が執り行われているかって? ……私たちの結婚式である。

「アルテリアお姉ちゃん、とっても綺麗!」

「すてき! お姫様みたい!」

「ありがとう、テネット、ティナ」

 かけられる言葉に微笑んで応える。笑顔が引きつっていないか心配だ。


(どうしてこんなことに……)

 ドレス姿を子どもたちに絶賛されながら、私は遠くの空を眺めていた。一応口元には笑顔を乗っけてはあるが、一応それなりに感慨もあるが、綺麗な衣装に一応嬉しくはあるが、それにしても微妙な気分だった。


 私の隣ではもう見慣れた笑顔が「どうした?」とこちらを窺っている。どうしたもこうしたもない。

(……ほ、ほんとに結婚しちゃってんじゃないのよ)

 こんなはずでは、という文字が脳内をぐるぐると回っていた。私はもの言いたげな顔で隣を見上げた。優しげな垂れ目が、いつものようにきゅっと細められる。声もなく彼の顔を見上げていると、その視線を受け止めて、エレミアは心底幸せそうに笑ったのだった。



 少し離れたところでは院長先生が目元を拭っていた。子どもたちはこの日の為に素敵な礼服を仕立ててもらい、エレミアの口添えにより孤児院の待遇は改善され、孤児院の経営も安定してきているらしい。何もかもが完璧だった。


 私の指や頭は、目も眩むような金額の瀟洒な装身具の数々に彩られていた。幼い頃にずっと夢見ていたような綺麗なドレスを身に纏って、まあ少し……いや、だいぶ変だが十分優しいし若いし格好いい夫が隣にいる。何もかもが完璧だった。そう、何もかもが好転していた。――ただ一人の好意と厚意によって。


 それがどうしても心苦しいのは、これら全てが、本来は私が得るもののはずではないからである。


 胸の奥にずんと重みがのしかかるような気がして、私は視線を逸らした。

(……私は違う。エレミアの好きな人ではない。人違いだと分かっていて、私は皆を騙している)

 これらは本当なら誰か別の、『本当の』妻に与えられるべき幸運だった。私は花束を持つ手に力を込める。わし、と枝葉が軋むような音を立てた。それがまるで私を批難しているかのように思えて、私は唇を噛んだ。


(私だって、結婚するなら、本当に私のことを好きでいてくれる人が良かったわよ)

 湧き上がる欲望の薄汚さに、私は歯噛みし、浮かんだ感情を飲み下すようにごくりと喉を鳴らした。



「アルテリア?」

 隣からエレミアの怪訝そうな声がする。目頭がじわりと熱くなり、ついに私は顔を伏せた。唇を歪め、私は声を押し殺して俯く。可愛らしい花束の上にぱたりと雫が落ちる。

「大丈夫?」

「……違うの、これは、そう……あんまりにも嬉しくて」

 下手な言い訳に、しかし彼は納得をしはしなかった。「アルテリア」と叱りつけるように声をかけられ、私は今度こそ声を殺し損ねて、喉から絞り出すような音を漏らす。


 背中に、優しく腕が回された。

「帰ったらゆっくり話をしよう。……もう逃げないね?」

 私は無言のまま、小さく頷いたのだった。



 ***


 それは、結婚式とその後の披露宴が終わった夜のことだった。二人きりしかいない居間には穏やかな空気が流れていた。

「アルテリア」

 夜になり光度を落とした照明の下、私は長椅子に座って子どもたちからもらった手紙を読んでいた。そんな矢先に声をかけられて顔を上げる。「おいで」と手招きされて近づけば、机の上には貰い物と思しきプリンが置いてあった。

「一緒に食べよう」

「うん」

 頷いて、私はエレミアの向かいに腰掛けようとした。と、そこで、必要なものがないことに気づく。


「プリンだけあっても食べられないじゃない」

 苦笑しながら、私は再び立ち上がり、部屋の隅の食器棚へと向かった。エレミアは机についたまま、穏やかな表情で私を眺めている。

 そうして彼は、酷く満足げな表情で、ゆったりと口火を切った。



「――僕はね、あのときの君の、物欲しげな目に惚れたんだ」



 その言葉に、私は肩越しに振り返る。彼はどこか遠くに思いを馳せるように目を閉じていた。私はぎこちなく頬に笑みを引っかけたまま、乾いた笑いを漏らす。

「え……? 何よ、一体」

「今思えば、僕はあの目に人生を狂わされたのかもしれないね。でも後悔はしていないんだ。……あの強い目に心底憧れたよ。君みたいになりたいと思ったし、君も手に入れたいと思った。冴えない三男坊が抱くには大それた願いだったかもしれない。でも僕は君の、あの切実そうな、それでいてなりふりを構わない姿がどうしても忘れられなかった」


 彼は訥々と語った。私は凍り付いたように立ち尽くしていた。……彼は一体何の話をしている?

「金持ちが次々に狙われていると聞いたとき、すぐに君だと分かったよ。『これだ』と思った。それで分かったんだ、――君を手に入れるためには、金がなくちゃいけない」

 出会ってから、もう何度も見てきたはずの笑顔だった。それなのに、その穏やかな双眸に、今まで見たことのないような凄みのある光が宿っている気がした。指先が冷えてゆく感覚が忍び寄る。


「だから周囲を蹴落とし、どんな手を使ってでものし上がり、地位と財産を手に入れた。君の好きそうな宝石も揃えた。その甲斐があったね。……君が声をかけてくれたとき、僕は本当に嬉しかった」

 彼は微笑みを絶やすことなく、机の上に緩く組んだ十指を乗せ、私を見つめて語った。明らかに雲行きが怪しい。私は呆然とその言葉を咀嚼する。しかしどうやったって飲み込めない。釈然としない。訳の分からない話だった。


「本当に僕はずっと君のことが好きだったんだよ。君が満たされているときってのは、一体どんな顔をして笑うんだろうと、十年も前から何度も思い描いてさ」

「ねえ、これはなに、……何の話?」

「君の願いは全部叶えたはずなのに、それなのに君は、まだ何か悲しそうな顔をしている。一体どうしてだ?」


 エレミアの眼差しが、真っ直ぐに私を射貫いていた。私は脈拍が急激に早まるのを感じていた。


 動揺していたせいか、引き出しから取り出したはずの『それ』が私の手からこぼれ落ちる。からん、と高い音が部屋に響く。慌てて拾おうと視線を床に向けた私は、そこで、息を止めた。




 部屋の隅にまでは光は届かなかった。だから私の足下は薄暗かった。暗く冷え冷えとした床の上に、それは静かに転がっていた。

 私は屈み、手を伸ばしてそれを拾い上げる。――優美な曲線を描く、床に落ちた、銀色のスプーン。脳裏でかつての記憶が閃くように蘇った。


(ああ、)

 私は全て合点がいって、薄く開いた唇から吐息を漏らす。

(……あのとき、あの場にいたのは、私だけではなかったのだ)



「――十年前、あなたは、見ていたのね?」

「うん」

 絞り出した声は情けなくも震えていた。彼は立ち上がり、私に向かって片腕を差し伸べる。その手から逃げるように一歩後ろに下がりながら、私は呆然と彼の目を見上げていた。


 ……この人は、『私』のことを、昔から、知っているのだ。


「わ、たし、子どものときから、盗みを繰り返すような、人間で、」

 彼は艶然と微笑んでいた。「そんなの最初から分かっている」と言いながら、その指先がするりと肩に触れた。

「君はどうしようもなく一途な人だと……僕はそう思っている。折れるってことを知らない。手段も選ばない。僕は君のそういうところが一番好きだ」


 目を見開いた私の背に手を滑らせ、彼は静かな声で私に迫った。

「君は、目的のものは盗んででも手に入れるような女だろう? 僕に言ってごらんよ、いったい何が足りないっていうんだい」

 私は、冷えたスプーンに指先の熱が広がるのを感じながら、ゆっくりと顔を上げる。



(私は、私のことを本当に好きでいてくれる人と、結婚したかったのだ)

 まるで胸の内に火でも灯ったように全身が熱くなっていた。頬が紅潮する。私は銀のスプーンを握りしめ、そしてこれまでにないくらいに満ち足りた気持ちで、にっこりと破顔した。



「ううん、私、もうこれ以上は何もいらないわ」











「あのときはああ言った割に、やっぱり君は欲深い人間だね。こんなに経営規模が拡大して忙しくなるくらいなら、『貿易がしたいから港を買収して欲しい』辺りで制止しておいた方が良かったかな」

「あら、自分のことは棚に上げて結構な言い方じゃない。四回目に『もう一人くらい子どもが欲しいな』とか言い出した辺りで見放してやれば良かったわ」


 机に広げた海図を前に、私たちは顔を見合わせて笑ったのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 仲良く軽口叩きながら笑顔で海図見ている関係 きっと孤児院の子達就職してここで沢山働いていそうです [気になる点] 一家の結婚子育て商売を長編で見たいですね! ヤンデレ?商人夫と元義賊妻は商…
[良い点] ちょいと、ごめんよ! なんだい、なんだい、小悪党だの泥棒だのと触れ回るもんだから、どんな女狐が拝めるのかときてみりゃぁ、ええ、なんとも慎ましい娘さんじゃぁないかい。 人を人とも思わねぇ鬼畜…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ