10-Ⅱ +ヨネス視点
……これはしまったな。
リーヴィから書類を受け取ってしばし、書類に一通り目を通すとヨネスは考え込んだ。ワイトからヨネスが居なければサルキオスへといった類の書類だったのだが……どうみてもこの書類は参考資料を見なければ自分には厄介な代物だった。自分がこの時間に居るとは、ワイトははなから思ってもみなかったのだろう。
――――蒼の団長ならともかく、緑の団長が出した書類だ。
これは迂闊には承認印は押せない、な。
書類から目を上げると、机の前にある椅子にきちんと背筋を伸ばして座っているリーヴィを苦笑しながら見る。
「……この書類。急ぎだって言っていたな」
「は、はい」
話しかければ慌てて椅子から立ち、答えるリーヴィはやはり緊張しているようだった。
サルキオスの話題を話している時は、緊張を感じる間もなかったのだろう、幾分砕けた印象が今は無い。平の団員からしてみれば自分は偉い立場である。でもこういう態度を初々しい新人団員から何度も受けると、歳はとっても自分の中身は変わらずそんな偉いもんでもないのに……と、考えてから。ヨネスは恐ろしい事に気が付いた。
いや、よく考えれば目の前のお嬢ちゃんは――娘でもおかしくない歳だ。
「もう、帰っていいぞ」
「え?」
「少し調べ物をしないといけない案件だ。ちょっとばかし時間が掛かるんで、資料室にでも行こうと思っている。後で誰かに届けさせるよ」
「いいえ、私がワイト団長に持ち帰るようにと言われておりますから!」
「ワイトが言いそうな事だな……じゃあ俺の執務室で待ってて貰う方がいい。場所移動するか」
「は、はい」
ヨネスが椅子から立ち上がる間に、リーヴィは扉の前に控える。
新人といえど、ワイトがサルキオスに使いに出すわけだと少し納得し、団長室と副団長室は直接つながっているが、せっかくなので正面の扉から移動することにした。ヨネスが扉の前に行こうとする途中。
がちゃり。
扉が、開いた。
ノックもせずに無造作に開けるのは――勿論、この部屋の主だけ。
「……何故、私の執務室に無断で入っているのです?」
半開きになったドアの隙間から、サルキオス様に冷水を浴びせるような声をかけられた。両開きの扉……サルキオス様が開けた方とは反対のドアの……前に立っていたリーヴィは、声の主に顔を向けられず。それでも慌てて頭を下げる。
「本当にすみませんっ。そんなつもりはなかったんです!!」
「!」
思い切り頭を下げたリーヴィは、額に違和感を感じていた。
何となく柔らかい感覚が伝わってくる。
――――あれ?
「……前をきちんと見なさい」
疑問に思った途端。
リーヴィの思考を冷たく厳しい声が遮る。
慌てていた所為で、リーヴィは扉に向かって頭を下げていた。本来なら扉に頭をぶつけたはずなのだが。サルキオス様の左手がリーヴィの頭と扉の間に挟まっている。
サ、サルキオス様の手が!!!
リーヴィはかなり混乱しながら、おそるおそる顔を上げて……そして今度は間髪入れずにサルキオス様に向かってまた頭を下げる。怖くて頭が上げられない。相手の顔が見れない。
「す、すみません!!……ありがとうございます」
「まぁまぁ、サルキオス、俺が入れたんだからそんなに警戒するな。それにしてもお早いお帰りだったな」
「ヨネス、貴方はまだここに居たんですか?」
謝罪と感謝を……何度でも繰り返しそうなリーヴィの言葉を遮って、ヨネス団長はサルキオス様に声を掛けた。案の定、サルキオス様にはヨネス団長の姿が見えなかったらしい。半開きのままだった扉を通れる程度に開けると、ヨネス団長の姿を確認し、幾分と和らいだというか呆れたような口調になる。覚えのない侵入者がここにいる『元凶』が十分にわかったからだろう。
「厩舎の入り口で紅の団員に会いまして、ラジェール団長は外出されていると聞き帰ってきたのですよ。彼女の要望は直に会ってという事でしたから、それなのに外出されるのは困ったものです」
紅の騎士団長ラジェールも、他の団長に負けず劣らず個性的である。
冷たく見えてもヨネスの目線では、真面目で他人に敬意を払うことを忘れない……こと特に女性に対しては……なサルキオスでさえも、ため息を吐きたくなるほどの女性だ。
しかし、業務に関してはそう無責任なことはしないはずだが……何か有ったのだろうか。ヨネスは少し興味をそそられたが、それよりも目下優先すべきなのはリーヴィの事。
ヨネスの悪戯の所為で侵入者と勘違いされて、サルキオスの厳しい叱責を受けてしまったのだ。
このままでは、流石に後味が悪い。
「俺の方は丁度出ようと思ったら、そこの彼女が書類を持ってきたもんだから、自分の部屋に戻るのも面倒くさくてここで書類を見てたんだよ。だからそんな風に彼女を睨むな……俺が全面的に悪い悪い」
「そうでしたか。……勘ぐってしまって申し訳ありませんね、君」
状況を説明すると、思った通り素直にサルキオスはリーヴィへ謝罪した。
こういうところをきちっとしているのが、この部下のいいところだ。
「い、いいえっ! その……私こそ本当にすみませんでした、失礼いたします」
「え? おい」
ヨネスは思わず声を上げた。
リーヴィは、サルキオスが部屋に少し入り込んだ事によって出来た隙間から、するりと出て行く。
ヨネスは見ていた。
こちらを向いていたサルキオス……いや上から見下ろしていた角度からは気づかなかっただろうが、リーヴィの顔が蒼白になっていたのを。
それにしても、低姿勢のまま部屋から出てって……またどっかにぶつからなきゃいいけどな。
「はぁ……お前、もうちょっと言い様あるだろう」
「誰だって本人不在の室内に侵入者が居れば、詰問しても仕方がないと思いますが?」
「まぁそうだろう……けどなぁ」
ヨネスはそう言いながら、サルキオスが左手を少し気にしているそぶりを見せるのに気がついていた。表情には全く出ていないが。確かに、ああまで勢いよくぶつかろうとした頭と扉の間に緩衝材として入って、痛くないわけがない。
――分かり難い、でも分かるといい奴なんだが。
そう思いながらも色々とリーヴィの事で、言いたい事はあったが、手の中にある厄介な書類の事を思い出し自重する。帰ってきてもらえて良かった。資料室で自分で本を掘り返すの作業は、想像するだけでもうんざりする。
「サルキオス」
「何ですか?」
「これワイトから。緑薬園の警備の強化案の承認の草稿だ、一応目を通したが頼む。アイツが作った書類だと何か盲点がありそうで、お前にも見てもらうのが最適と思ってな」
ワイトの作る書類には上辺には絶対不備がないように見えるのだが、作られた書類には、よく見るとところどころ引っ掛け問題のように巧妙に抜け道がある。そんな書類を提出するのは、わざとでもこちらを試しているのではなく、基本明敏な性格と商家出身という出自故に、ワイトが製作する書類は自然とそういう書類になってしまうようだ。つまり、合理的かつ自身に有利になるように、だ。
自分が責任のない立場であれば、流石だと面白がっている事ができるのだろうが。生憎と今の自分は責任のある立場だ。気が抜けない。
サルキオスはヨネスから書類を受け取ると、視線を左上から右下に上下させて次のページ、次のページへと移っていく。普通の人間なら内容まで頭に入らないような速度。
「……特に、おかしい所は見受けられませんね、しかし」
「やっぱり、お前もここ引っかかるか」
「ここに注意書きを添えて、再提出を。この場合は……」
「お前にそう言ってもらえて、自信がついた。じゃ行って来るわ」
「?」
ヨネスの笑顔を受けて、てっきり自分に書類を押し付けてくるものだと思っていたサルキオスは、怪訝な顔をしてヨネスが部屋を慌てて出て行くのを見ていた。
「珍しい事もあるものですね」




