勝利至上主義の部活で
連休明けの教室。卓人から手渡された大学ノートを開き、内容を確認していた初音に、前の席の小野寺一葉が興味津々といった様子で声をかけてきた。
「それってさ、もしかして交換日記?」
「い、いや、違うの! 卓人君に勉強を教えてもらっているだけで……」
「早っ! もう日下部くんのこと『卓人くん』って名前呼びしてるんだ!」
「そ、それは……っ」
赤面して言葉に詰まる初音の様子を見て、小野寺はにやりと笑いながら隣の列に座る卓人へと詰め寄った。
「二人は付き合ってるの? 日下部くん、実際のところはどうなの?」
「そのノートは勉強のために準備したものだよ。それに例え、付き合ってなくても交換日記はアリでしょ」
淡々と返す卓人に、小野寺は「このSNS時代に、なぜ!?」と言わんばかりの顔で食い下がる。
「付き合ってないなら、メールかLINEで十分じゃん!」
「メールは連絡の手段、交換日記はコミュニケーションの手段でしょ。それに書くコミュニケーションは頭を整理できるし、何よりリアルタイムで返信を強要されないから時と場所を選ばない。忙しい高校生にはぴったりのツールだと思わないか?」
あまりにも整然と諭され、小野寺は「う……確かに」と妙に納得させられてしまった。
卓人はそんな小野寺の様子を見て、ふと思いついたように油性マジックを手に取ると、そのノートの表紙にさらさらと文字を書き加えた。
――『めくるチャット』。
「……めくるチャット?」
怪訝そうに呟く小野寺をよそに、卓人は我ながら名案だと言わんばかりの涼しい顔で、そのノートのページをめくって見せる。
「えっ、この数式は……?」
てっきり交換日記だと思い込んでいた小野寺は、ノートに並ぶ数字の羅列に目を丸くした。
そこへ、通りかかった犬飼将馬が、小野寺の背後からひょっこりと中身を覗き込んできた。
「へえ、そのノートを使って柏原さんに勉強を教えてるんだ。日下部くんって数学が得意なんだね」
「部活があると、放課後にそうそう教えてあげる時間が作れないからね」
卓人はノートを初音に戻しながら言葉を続ける。
「文字にする手間はあるけど、これならお互いの時間を有効に使えると思ってさ」
「あ、ありがとう、卓人君……」
返されたノートを胸に抱きしめる初音は、からかわれた恥ずかしさを残しつつも、どこか嬉しそうに目を細めた。
実はこの『めくるチャット』は、バドミントン部の活動日誌から着想を得たものだった。
勉強の疑問を解消するだけでなく、これからの高校生活への不安を文字にして共有できれば、初音の心の負担も少しでも和らげられるのではないか。卓人はそう考えたのだ。
「面白そうなことやってるじゃない。俺も、国語が苦手だから教えてくれよ」
卓人と犬飼のやり取りを横で聞いていた藤本が、興味深そうに首を突っ込んできた。
「あいにく、国語は人に教えるほど得意じゃないんだ」
卓人があっさりと断りを入れると、今度は犬飼がニヤリと笑って口を開いた。
「俺なら文系科目はバッチリだけど……。でもなー、可愛い女子相手ならモチベーションも上がるけど、ヤローに教えるのはちょっと勘弁」
その露骨な態度に、藤本が分かりやすく眉をひそめた。
「えっ!? 犬飼君、ホントに教えてくれるの?」
自分をしっかり『可愛い女子』枠にカウントした小野寺の声が、嬉しそうに跳ね上がる。
彼女が色めき立つのも無理はない。犬飼は入学式の新入生総代に選ばれた、文句なしの学年トップの秀才だ。
さらに高身長と端正な甘いマスクまで持ち合わせているのだから、周囲の女子たちが放っておくはずがなかった。
「でも、いきなりマンツーマンっていうのはちょっと……ね」
犬飼がやんわりと断りのニュアンスを入れると、初音が助け舟を出すように声を弾ませた。
「だったら、五人のグループで一緒に勉強しようよ!」
「賛成! 犬飼君、それだったら大丈夫でしょ?」
小野寺は初音の提案に背中を押されるようにして、期待の眼差しを犬飼に向けた。
「そうだね。日下部くんと柏原さん、二人のお邪魔にならないなら俺は構わないよ」
犬飼が爽やかに微笑んで了解すると、小野寺は「やった!」と喜び、確認するように卓人へと視線を移した。
卓人もまた、自分に異論はないと静かに頷いて同意する。
「小野寺さんって、意外と強引っていうか力技使うよね……」
藤本が苦笑いを浮かべ、主導権を握る小野寺に半ば呆れたように言った。
「私、せっかちだから。何でもちゃちゃっと片付けちゃいたいタイプなのよね」
チクリと指摘されても小野寺は全く意に介さず、さらなる提案を重ねる。
「これから、この学校で苦楽を共にする仲間だし、お近づきの印にお互い名前で呼び合わない? 柏原さんたちみたいにさ」
その直球で前向きな提案に、その場の全員が笑顔で頷いた。
◇ ◇ ◇
バドミントン部顧問の播磨義輝は、鋭い眼光が印象的な、三十歳手前の痩身の体育教師だ。
指導は絵に描いたようなスパルタ方式。校内でも指折りの激しい練習を課すことで知られている。
強豪校出身の彼自身、コートに入れば誰よりも鋭く無駄のない動きを見せ、そのアグレッシブなプレーは衰えを知らない。
人を威圧するようなオーラを放つ彼は、そこにいるだけで周囲に強いプレッシャーを与えていた。
体育の授業中こそ多少は加減しているようだが、部活での威圧感は別格である。
対峙するだけで息が詰まるほどの緊張感が走るため、部員にとって気軽に声をかけられるような存在ではなかった。
体育館全体を一望できる二階の体育準備室は、体育教師たちが陣取る一種の聖域である。
播磨は校務の合間、その窓辺からコートの練習風景を値踏みするように見つめることがあった。
部員たちは、彼の姿を視界に捉えるだけで自然と背筋が伸び、フロアの空気がピリッと引き締まるほどである。
ちなみに、彼の苗字をもじって生徒間では「ハリマオ」というあだ名で呼ばれていた。
だが、播磨が放つその威圧感は、部員たちにとって決してデメリットばかりではなかった。
そもそもバドミントン部というものは、体育館を共有する他の部活から敬遠されやすい宿命を背負っている。
シャトルが風に影響されやすいという特性上、たとえ真夏であっても窓を完全に閉め切らねばならず、館内を灼熱のサウナ状態にしてしまうからだ。
隣で活動するバスケットボール部やバレーボール部からすれば迷惑極まりない話だが、それでも一切の苦情が出ないのは、ひとえに播磨という睨みの利く存在がいるからにほかならなかった。
その一方で、生徒の前を離れた職員室では厚い人望を集めていた。
学級担任としての業務をそつなくこなしながら、学校全体の生徒指導責任者を務め、さらには体育系部活の風紀統括までを一手に引き受けている。
その高い実務能力と圧倒的な存在感ゆえに、同僚の教師たちからは深く敬意を払われ、生徒たちからは絶対的な存在として畏怖されていた。
「勝負にこだわり、頂点を目指す」――それこそが、播磨が掲げる部活動の揺るぎない信念だった。
たとえ勝敗が全てではないとしても、全力で競い合った先にしか到達できない境地がある。その苛烈な思想は、チーム作りの隅々にまで色濃く反映されていた。
彼の指導の軸は、あくまで「経験者の強化」に絞られている。播磨にその可能性を認められた一握りの者だけが期待をかけられ、直接技術を叩き込まれるのだ。
経験者が互いにスキルを磨き合ってさらなる高みへ登る一方で、初心者はそれなりにしか上達できない構造。いわゆる勝利至上主義の冷徹な側面が、この部活にも色濃く存在していた。
事実、近年の四つ星高校バドミントン部は部員減少によって低迷気味であったが、播磨の赴任を境に状況は一変する。少数精鋭で挑む個人戦において、強豪校とも互角に渡り合うほどの結果を叩き出し始めていた。
だが、その播磨の部活動の指導方針に、敢然と異を唱える者がいた。
前年の夏、キャプテンの座に就いた斎藤である。




