表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「疲れたら異世界キャンプ ~秘密の焚き火で心をリセット~」  作者: 新米オッさん兵士


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/39

第9話 現代のキッチンで、異世界の香り

土曜の午後、佐藤悠真はアパートの小さなキッチンに立っていた。

 インスタ投稿を止めてから一週間が経ち、フォロワーからの「新作は?」「また秘境写真が見たい」というコメント通知は徐々に減ってきた。

 寂しさはあったが、秘密が守られている安心感の方が大きかった。

 テーブルの上には、異世界から持ち帰ったものが並んでいる。

 赤紫色の小さな実が十個ほどと、淡い黄色の花が乾燥させたものが一握り。

 雨の森で摘んだ花は、キッチンの換気扇の下で二日間自然乾燥させていた。

 「まずは、これをお茶にしてみようか」

 悠真はヤカンに水を入れ、火にかけた。

 現代の普通の鍋と、100均で買った小さな茶こしを用意する。

 異世界の花を丁寧に茶こしに入れ、沸騰したお湯を注いだ。

 湯気が立ち上る瞬間、ほのかに甘い蜂蜜のような香りがキッチンに広がった。

 現代のハーブティーとは違う、優しくて少し森の土の匂いも混じった不思議な香りだ。

 三分ほど蒸らしてから、カップに注ぐ。

 色は薄い黄金色。

 恐る恐る一口飲んでみると——

 「……うわ、すごい」

 甘さが自然で、後味にほんのりとした爽やかさがある。

 現代のどんなハーブティーより、飲んだ後に体がすっと軽くなるような感覚があった。

 胸の奥が温かくなり、肩の凝りが少し和らいだ気がした。

 異世界の空気と一緒に飲んだ時のあの癒しが、現代のキッチンでも再現されている。

 次に、赤紫の実を試してみる。

 実を軽く洗い、包丁で半分に切って種を取り除く。

 同じヤカンで煮出してみた。

 煮ている間、甘酸っぱいベリーのような香りが漂い、キッチンが異世界の森の匂いで満たされた。

 出来上がったのは、薄い赤紫色の液体。

 砂糖を少し加えて飲んでみると、酸味と甘みのバランスが絶妙だった。

 まるで高級なフルーツティーのようだが、どこか「森の恵み」らしい野性味がある。

 悠真は二杯目を飲みながら、思わず微笑んだ。

 「これ、現代で売ったら絶対人気出るよな……でも、絶対に売れない」

 異世界の素材を現代で活かす喜びと、誰にも言えない秘密のジレンマが同時に訪れた。

 インスタに写真を上げたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えた。

 「まだ投稿は控えよう。落ち着くまで」

 午後三時を過ぎ、悠真はキッチンの窓から外を眺めた。

 秋の陽が優しく差し込み、アパートのベランダに干した洗濯物がかすかに揺れている。

 異世界のお茶をもう一杯淹れ直し、リビングのソファに座った。

 テレビをつけずに、ただカップを両手で包み、香りを楽しむ。

 飲むたびに、雨の森の朝や星空の下のコーヒータイムが思い出され、心がふわっと軽くなった。

 夕方になり、悠真は軽自動車に荷物を積み始めた。

 今夜はまたキャンプ場へ行くつもりだった。

 異世界のお茶の効果か、今週の疲れが思ったより軽かった。

 「今日は焚き火を囲んで、ゆっくり門を開けよう」

 キャンプ場に着いたのは夜七時半。

 空は晴れ渡り、星がちらほらと見え始めていた。

 いつもの場所にテントを設営し、焚き火台に火を起こす。

 炎が育っていくのを眺めながら、持ってきた異世界のお茶の材料を少し取り出した。

 現代のマグカップに花を入れ、焚き火の近くで温めたお湯を注ぐ。

 焚き火の炎がパチパチと音を立て、煙が夜空へ昇っていく。

 お茶の甘い香りが焚き火の煙と混じり、なんとも言えない心地よい匂いになった。

 悠真はマグカップを両手で包み、一口飲んだ。

 異世界の森の香りが、現代のキャンプサイトにまで広がっているような気がした。

 その瞬間——

 焚き火の炎が青白く輝き始め、煙がゆっくり渦を巻いた。

 光の門がはっきりと開く。

 向こう側には、いつもの湖と森。

 今日は特に星が綺麗に見え、湖面が星明かりを鏡のように反射していた。

 「行こう」

 バックパックにコーヒーセットと、残りの異世界の花と実を少し詰め、門をくぐった。

 異世界に着いた瞬間、冷たい夜風と甘い草の香りが全身を包んだ。

 肩の力がするっと抜け、現代のキッチンで飲んだお茶の余韻がさらに深まるような感覚があった。

 湖畔ではなく、今日は先週の清流の淵へ向かった。

 ランタンの光を頼りに歩きながら、胸の中で思う。

 「このお茶、異世界で淹れたらもっと美味しいかもしれない」

 淵に着き、シートを広げて簡易キャンプを設営。

 クッカーで清流の水を沸かし、持ってきた異世界の花でお茶を淹れる。

 現代のマグカップではなく、異世界の澄んだ水と空気の中で淹れたお茶は、香りが一段と濃く、味わいが深かった。

 甘さが自然で、後味に森全体の優しさが残る。

 スマホで撮影はしたものの、投稿はしない。

 ただ、下書きに丁寧に保存した。

 「いつか、安心して上げられる日が来たら……」

 夜が更け、シュラフに包まって星空を眺める。

 天の川が太く輝き、無数の星が瞬いている。

 異世界のお茶をもう一口飲むと、心が完全に溶けていくような心地よさだった。

 インスタの特定班の影も、会社の小さなストレスも、ここではただの遠い記憶。

 朝が来た。

 異世界の森の朝は、今日も穏やかだった。

 朝陽が木々の隙間から差し込み、霧が湖と清流を優しく覆っている。

 悠真は起き上がり、深呼吸しながら残りのお茶を淹れた。

 朝の光の中で飲むお茶は、夜とはまた違う爽やかさがあった。

 持ってきた食パンとチーズで簡単な朝食を済ませ、異世界の赤紫の実を添える。

 甘酸っぱい実の風味が、朝の空気にぴったり合った。

 「この組み合わせ、現代でも試してみたいな」

 朝食を終え、悠真は淵のほとりに座ってしばらく景色を眺めた。

 心が、完全にリセットされていた。

 現代のキッチンで感じた喜びと、異世界で得た癒しが重なり、胸がいっぱいになった。

 午前十時頃、門がゆっくりと薄れ始めた。

 悠真は名残惜しそうに清流と森を振り返り、光の門をくぐった。

 現代のキャンプサイトに戻り、撤収作業をしながら悠真は小さく微笑んだ。

 「インスタはもう少し我慢しよう。

 でも、このお茶は……少しずつ現代で楽しむことにする」

 アパートへ帰る車の中で、異世界のお茶の残りをマグカップに注いで飲んだ。

 甘い香りが車内に広がり、週明けの仕事への気持ちを優しく整えてくれた。

 秘密の焚き火と異世界の森は、今日も俺の心を静かに癒し続けてくれている。

 現代のキッチンで感じる小さな喜びも、すべてこの秘密から生まれているのだ。

(第9話 終わり)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ