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――この、役立たず! 娘として引き取ってやったのに、私に恩を返さないつもりか!
――ごめんなさい、ごめんなさい、お父様。もっと頑張りますから、どうか蹴らないで。
痛い、痛い、痛い。傷ができても、血が出ても、リディには神聖力が効かないから、すぐには治らないのに。お父様に殴られようが蹴られようが、元が平民のリディなど、誰も助けてはくれない。使用人だって、見て見ぬ振り。
いつもお父様に折檻されるのは、背中やお腹などの見えない部分だけ。あとは、髪を引っ張って、廊下を引きずり回されることもある。
ごめんなさい、お父様。役立たずでごめんなさい。
◆
「……ディ、……リディ!」
はっとリディは目を開けた。冷や汗が額に流れている。
声の主を見ると、パパが心配そうにリディを見ていた。
ここはどこだと、リディは辺りを見回す。
パパの部屋のベッドの上だ。そうだ、夜になり、いつものようにパパと一緒に寝ていたのだ。
「うなされていたぞ。怖い夢でも見たか?」
じわじわじわと、涙が盛り上がる。よかった。ここは安心していい場所。お父様のいるところではなく、パパのいるところ。
リディは寝ているパパの上に乗って抱きついた。すると、パパがリディを落ち着かせるように、リディの背中を撫でてくれる。
安心する温度だ。優しいパパの匂い。パパはリディを殴ったり蹴ったりしない。あの怖い出来事は、過去の悪い夢だ。もう二度と、起きない出来事のはず。
パパの温もりに安心して、リディはうとうとと再び夢の中に誘われた。
次の日の朝。
パパに抱きしめられたまま目が覚めた。まだ眠たそうなパパは、いつも通りリディを抱えてベッドから体を起こすと、リディの額にキスを落とす。そして、リディを抱えてベッドを抜け、ソファーに座ると、ベルを鳴らした。
ソファーにだらっと気だるげに座るパパは、まだぼーっとしている。リディはパパに抱きつき、いつものようにパパの心臓の音を聞く。
そうしているうちに使用人がやってきて、ブリスもやってきた。
「おはようございます、兄上、リディ」
「おはよ、ブリス」
「おはよう」
ブリスはリディの頬に手を伸ばした。
「リディ、泣いたのですか? 目が少し腫れていますね。怖い夢でも見ましたか?」
「……わかんない」
怖い夢を見た。過去の回帰の夢。でも、それを言うわけにはいかないので誤魔化す。
「覚えていないですか。大丈夫、怖い夢はただの夢です。こちらが現実ですよ」
「うん……」
ブリスはリディの頬をしばらく触っていたが、離すと、今度は今日のパパの予定を口にした。そして、リディの予定も口にする。
「今日のリディの朝食後の時間は、昨日に引き続き、剣の訓練です。ですので、着替えは訓練用の服に着替えてくださいね」
「はぁい」
実は、昨日から、剣の訓練を始めた。過去の回帰の中を含めて、リディは剣を扱うのは初めてだった。
パパから離れ、スカートではなくズボンの服に着替える。髪の毛は、メイドが左右に三つ編みにしてくれた。
パパとブリスとルシアンと朝食をし、リディは一人で黒騎士団の訓練場に向かった。リディの剣の師匠は、黒騎士団の副団長アランである。
「今日もよろしくお願いします」
「はい。では、昨日のように、まずは準備体操から始めましょうか」
リディの体は、まだ剣を扱うのに適していないため、剣の訓練の前に、まずは準備体操をする。そして、筋肉トレーニングをしたり、走り込んで持久力を付けたりもする。そうして、やっと剣の訓練に入るのだ。
黒騎士団の副団長のアランは、魔獣討伐の時は怖そうに見えていたけれど、実際話をしてみると、優しくて訓練も厳しすぎない程度にしてくれる。あと、たぶん子供好き。弟妹がたくさんいると言っていた。
午前中いっぱい体を動かして、昨日の夢の後味の悪さを、やっとどこかに追いやることができた気がする。
今日の訓練を終え、着替えるために部屋へ戻りながら、お父様のことを思い出していた。
あれは二回の回帰後、三度目の人生を過ごしていた時だった。実父が五歳になる前日に亡くなり、リディは帝都の孤児院で暮らしていた。そして七歳のある日、リディを引き取りたい、と若い男がやってきた。
男はオノレ・バロー伯爵。ベルリエ公爵の弟であった。
どこで知ったのか分からないが、なぜかバロー伯爵は、リディが光の魔法が使えることを知っていた。きっと、リディがうっかり光の魔法を使っているところを見られたに違いない。
しかし、バロー伯爵がリディを引き取りたい理由はどうでもよかった。リディにとって、バロー伯爵は、初めてリディを養子にしたいと引き取ってくれた人だった。きっと、死んでしまった本当の両親の母や父のように、リディを可愛がってくれる。その時はまだ、そのように夢を抱いていた。
実際、バロー伯爵は最初は優しかった。可愛い娘ができて嬉しいと、可愛い服をリディに与え、美味しいものも食べさせてくれた。
しかし、リディの光魔法は、癒しの力しか使えず、他の光の魔法の練習をしても上手くいかないと分かると、だんだんとバロー伯爵はリディを殴るようになった。練習が足りない。もっと血のにじむ努力をしろ。バロー伯爵は、いつも苛立たし気にリディのお腹や背中を殴って蹴った。
リディはバロー伯爵の折檻を、素直に受け取った。きっとリディの努力が足りないのだ。癒しの力しか使えないなんて、お父様にせっかく引き取ってもらったのに、捨てられたくない。
この時の回帰で、リディは初めて母方の起源を知った。光の魔法が使える娘を、偶然見つけることができたのは幸運だったとバロー伯爵は言った。母はベルリエ公爵家の娘だったと、バロー伯爵が教えてくれた。それまで、両親は母がベルリエ公爵家の娘だったと教えてくれなかったから、母から受け継いだ光の精霊は、母が特別な人だから、光の精霊と契約できただけなのだと思っていたのだ。
バロー伯爵の実兄はベルリエ公爵で、バロー伯爵はベルリエ公爵にコンプレックスがあるようだった。実兄に偶然手に入ったに過ぎないベルリエ公爵という身分。バロー伯爵にも、その恩恵があってしかるべき。そのためには、光の魔法が得意な娘が必要なのだ。ベルリエ公爵の息子と結婚させたいのだと。
それなのに。光の魔法が得意どころか、聖女のように癒しの力しか使えないとは、なんて役立たずな娘のリディ。
殴られ蹴られ、きっとリディの内臓は壊されてしまった。あの時の人生は、バロー伯爵に蹴られて気を失って、それが最後だった。
あの時は、何歳で死んだんだっけ? 九歳くらいだったかな? 毎日が過酷で、日々が長かったけれど、バロー伯爵の元にいたのは、二年くらいだった気がする。
バロー伯爵で懲りて、また回帰しても、もう二度と養子にはならないと誓ったはずなのに、リディはその後も、別の貴族の養子となって、騙されて、結局その人生も自死を選んでしまった。まだ親という存在に、家族という存在に、憧れを捨てられていなかった。
そして、回帰の中で誰かの娘になるのは、今回で三回目。
パパとブリスとルシアンは、とっても優しくてリディは大好きだ。今回はきっと大丈夫。きっとずっと幸せでいられる。きっとパパは、リディを捨てない。
今回こそは、長生きするのだ。




