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5-1

 エメが目を覚ますと、部屋には誰もいなかった。いつもならラースかニコライがそばにいるはずだが、ふたりの姿はない。少し心細い気持ちになって、探しに行こうとエメは靴を履いた。ニコライが選んでくれた靴だ。

 ドアを開けて廊下を見ると、やはり部屋のそばには誰もいない。みんな忙しいのだろうか、とそんなことを考えた。

 ラースとニコライが普段どこにいるのかをエメは知らない。ふたりを探して少し冒険してみてもいいかもしれない。

 とは言え、迷子になるかもしれない。しかし、廊下には多くの人が行き交っている。もし迷ったら誰かに助けを求めれば、きっと部屋まで戻って来ることができるだろう。

「エメ坊ちゃん、おはようございます」

 鎧を着た背の高い男性二人組が、エメを見つけて声を掛けて来た。エメは深々とお辞儀をして応える。

 王宮には優しい人がたくさんいる。前にいたところは最悪だった。暗いし狭いし、寒いし怖い人がたくさんいる。あの場所にどれくらいの期間いたのかは、もう覚えていない。ひたすらに長かったことだけは覚えている。

 エメを見掛けると、いろんな人が挨拶をしてきた。エメはそのひとりひとりにお辞儀をする。このたくさんの優しい人たちは、いつもエメに微笑みかけてくれた。

 たまに、声を出す練習をしている。しかし、声は出ない。なぜ出なくなってしまったのだろうかと考える。そう言えば、前にいたところではあまり人と話をしなかった。だから声が出なくなってしまったのだろうか。

 なんとなく見覚えのある辺りを、うろうろと歩き回る。食堂くらいなら自分の足で行けるかもしれない。そう考えてまた歩き出した、そのとき――

「エメ坊ちゃまがいません!」

 大きな声が聞こえてきた。その声に、エメの周りにいた人たちが大きく目を見開いて彼を見る。

「ひとりなんですか⁉」

「勝手に出て来ちゃダメですよ!」

「さ、部屋に戻りましょう!」

 鎧を着た人がエメの背中を押した。

 なぜひとりで出て来てはダメだったのだろう、とぼんやり考えながら、背中を押されるまま部屋に戻った。

 エメの部屋では、ユリアーネが泣きそうな顔をしている。

「エメ坊ちゃま! どこにいらしたのですか?」

 彼を抱きしめながら、ユリアーネが大きな声で言う。エメは廊下を指した。部屋を出てからずっと廊下でうろうろしていたのだから、間違ってはいないはずだ。

「今日はいつもより起きるのが早かったのですね……。遅くなって誠に申し訳ございません」

 ユリアーネが謝る必要はないのにな、とエメは思った。勝手に部屋を抜け出してはいけなかったのなら悪いのは自分なのに、と。それを伝えることができないのが歯痒い。

「心配したっスよ、坊ちゃん」

 ニコライがひょこっと顔を出した。その顔はいつものように笑って見えるが、少し安心したような笑みだった。

「今日はラース小隊長は国王陛下に呼ばれてるんスよ。ひとりにして、心細かったっスよね」

 優しい手つきで、ニコライがエメの頭を撫でる。ひとりで心細かったのは確かだが、ひとりで部屋から出て廊下を歩き回るのは、少し冒険したようで楽しかった。というのは、ニコライとユリアーネには内緒だ。

 それからユリアーネの手を借りて着替えを済ませ、ニコライとともに食堂へ向かう。ニコライが抱き上げようとしたので、エメは首を横に振ってそれを断った。するとニコライはにやにやしながらこう言った。

「先輩以外に抱っこされるのは嫌ってことっスね」

 ニコライの言うことは、たまに難しい。


 食堂に行くと、メイド長がふたりにお辞儀をする。

「おはようございます。今日は少し趣向を変えて、コーンスープを作ってみましたよ」

 メイド長がテーブルに置いた皿には、黄色い液体が乗っている。その名の通り、コーンの香りがする。いままで食べて来たクッキーやマドレーヌと違い温かい。

 スプーンですくって一口飲んでみると、とても甘く、少しだけしょっぱい。少し熱いのが心地良い。

「パンにつけて食べると美味しゅうございますよ」

 そう言ってメイド長が丸いパンの乗ったかごをテーブルに置いた。彼女がそう言うなら間違いないのだろう。言われるがままにパンを手に取り、千切ってスープに浸けてみる。スープが垂れないように気を付けながら食べてみると、コーンスープの甘さとパンの甘さが合わさって、とても美味しかった。いかがですか、とメイド長が覗き込んでくるので、エメはこくこくと頷いて見せる。

 エメが何かを食べているとき、ニコライとメイド長はいつもニコニコしている。なぜか嬉しそうだ。なにがそんなに嬉しいのだろう、とエメはいつもそう思っている。

 パンをひとつ食べ終えたところで、お腹がいっぱいになってしまう。メイド長に深々とお辞儀をすると、メイド長は、お粗末様でした、と微笑む。

「いっぱい食べたっスね」

 そう言ってニコライがエメの頭を撫でた。いっぱい食べることは良いことなのか、とエメはそんなことを考えた。

「今日からエミルの授業っスね。エミルは厳しいっスよ」

 エミルという青年は、表情がほとんど動かない。怖い人なのかもしれないと思ったが、本当はとても優しい人なのだろう、とエメは思った。視線を合わせてくれるし、手に触れてもいいかと訊いてくれる。ニコライが言うなら厳しい人なのかもしれないが、きっとエメが嫌がるようなことはしない優しい人なのだろう。

「エミルの授業は午後っスね。何してましょうか」

 授業というのは、おそらく勉強のことだろう、とエメは思った。いままでに勉強をしたことは一度もない。ニコライの言う通りに厳しかったとしても、少し楽しみだ。

 ニコライを連れて、エメは中庭に出た。

 中庭にはたくさんの花壇があり、花が一面に咲き誇っている。綺麗に整った木も植えられている。こんな綺麗なところは見たことがない。前のところにいたときはずっと建物の中にいたから、当然と言えば当然なのだが。

 犬の鳴き声が聞こえた。中庭の奥から、サバが駆け寄って来る。エメは腰を屈めてサバを抱き締めた。白い毛玉に顔がついたような丸っこい犬。触り心地はとてもふわふわで、思わず顔をうずめたくなる。サバは嬉しそうに尻尾を振っている。エメもサバに会えるととても嬉しい。

「坊ちゃんはサバと仲良しっスね。ちょっと妬けるっス」

 やける、とはどういう意味だろう、とエメは思った。ニコライの言うことはやはり難しい。

「エメ坊ちゃまはまだお声が出ないのね……」

「お可哀想に……」

 ふとささやく声が聞こえ、エメは廊下を見た。ふたりの侍女がこちらを見ている。エメはうつむいた。前にいたところで言われたことを思い出していた。

 ――こいつ、いくら殴っても声を上げねえんだよな。

 ――気味が悪いな。

 前にいた場所では嫌なことばかりだった。だからあまり思い出したくない。でも、こういうときにふと思い出してしまうのだ。これは、誰にも打ち明けたことがない。

 ふたりの侍女が、はあ、と息をついた。

「きっととてもお可愛らしいお声なのでしょうね!」

「それはもう鈴を転がすようなお声に違いありませんわ!」

 そう言ってまたふたりが息をつくので、エメはきょとんと目を丸くした。そばにいたニコライが笑う。

「侍女にとって妄想って娯楽なんでしょうね」

 その声には少し、呆れたような色が込められていた。

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