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「強化魔法は、使える術者が少ないのが難点だよね~。いやーでも欲しいなあ、あのまほ――うおっ⁉」
青年が声を上げ首を反らせた。また飛び道具が繰り出されたのだ。青年を頬を掠めるように飛んで来た短剣が、木に突き刺さっている。エミルが舌打ちするのが聞こえた。
「ひえ~怖い、怖い。……さて、そろそろ良い頃合いかな」
青年が真剣な声になる。エメが見上げると、青年の赤みがかった黒色の瞳が自信を湛えてエメを見つめた。
「坊ちゃん、樹の声に耳を傾けてみて」
一瞬だけ考えを逡巡させたあと、エメは静かに目を閉じた。大樹の葉が揺らめく。青年が背に当てた手が優しい温もりをエメに注ぐ。コロン、と鈴の鳴る音がした。戦場の喧騒が遠のいていく。風の音だけが耳の奥で響いていた。
「きみには、この場にいる仲間を助けるだけの力がある」
――……でも、失敗したら?
心の声がそう言った。
――うまくいかなかったら、みんなを傷付けるかもしれない。……違う。僕は癒し手だ。誰ひとり、傷付けない。
頭の中でシルフの声がこだまする。その言葉の意味が、ようやくわかった気がした。
みんなを守る。この命を懸けて。そのための力を。
――ユグドラシル――
男たちの悲痛な叫び声で、ハッと目を見開いた。地面から伸びた蔓が、男たちを次々と捕らえていく。蔓に捕らえられた男たちは、成す術もなく地面へと倒れた。
祈りは届いたのだ。
胸を撫で下ろすエメのそばで、光が輝く。風を帯びた光がおさまると、ひとりの女性が姿を現した。
「――いつ呼ばれるのかと思っていましたわ」
長いエメラルドグリーンの髪と、同じ色の瞳。すらりと背が高く、ふわりと揺れる質素なドレスを纏ったその体は、エメの前の宙に浮いている。
「……いえ。私がお待たせしてしまいましたわね」
「……あの……」
エメはハッとした。いま、声が出た。
女性は優しく微笑みかける。
「あなたの声、しかと聞き届けましたよ。精霊王ユグドラシル、主の召喚の儀のもと馳せ参じました」
ユグドラシルは恭しく辞儀をする。
「これが坊ちゃんの加護の魔法だよ」と、青年。「まさか精霊王を従えるなんてね。ま、知ってたけど」
「さて……片付いたようですよ」
穏やかなユグドラシルの声に戦場を見下ろすと、ルーヴレヒト騎士団の男たちはみな蔓に捕らえられていた。
エメは辺りを見渡す。護衛三人を除いたすべての騎士、魔法使いたちは呆然としていた。
「……ユリアーネ……」
攻撃に倒れたはずのその姿を探すが、どこにも見当たらない。エメは青年を振り向いた。
「ユリアーネのところに連れてって」
「了解」
青年がエメを抱え、軽く跳躍する。ふたりは一瞬にして倒れるユリアーネのもとに着地した。瞬間移動の魔法だ。
エルフの女性に抱きかかえられるユリアーネは、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。顔は真っ青で、いつものメイド服が血に染まっていた。
「ユリアーネ!」
エメの呼びかけに、ユリアーネは薄っすらと目を開く。
「坊ちゃま……お声が……。最期に坊ちゃまのお声を聞けるなんて……私は幸運ですね……」
エメはユリアーネの傷に手を伸ばした。ユリアーネはその手を、なりません、と優しく押し返す。
「私のために……使われる力ではございません……」
「……ユリアーネ。これは、大事な人のために使う力だよ」
ユリアーネの瞳に涙が浮かんだ。制する手の力を緩める。
ふと、ユグドラシルが彼らのそばに降り立った。手を宙に向けると、彼女の背後に絡まる蔦の壁が聳え立った。
エメは手に力を込める。パキン、という音とともに両腕にかけられた腕輪が砕け散る。スキル【捕縛解放】だ。このスキルを自覚したのは、つい最近のことだ。使うことはないだろうと思っていたのだが。
ゆっくりと深呼吸をして、ユリアーネの傷に手を当てる。手のひらから溢れた光が、傷を包み込んでいく。光はユリアーネの体内に吸い込まれ、瞬いて消えた。
すっとユリアーネの呼吸が落ち着きを見せる。メイド服に滲み出ていた血も、傷も跡形もなく消え去っていた。
「……ありがとうございます、坊ちゃま」
エメは微笑みかけ、ユリアーネのひたいの汗を拭った。
「エメ!」
ユグドラシルが解いた蔦の壁の向こうから、ラースが駆け寄って来た。辺りではルーヴレヒト騎士団が次々と騎士隊によって捕らえられている。すべて片付いたのだ。
エメの腕を見たラースが、顔をしかめる。
「力を使ったのか」
「……ごめんなさい」
「……! お前、声が……!」
目を剥くラースに、エメは弱々しく笑って見せた。
で、と言いながら赤髪の青年がエメの肩に手を置いた。
「俺が体を張った成果は?」
「……」ラースは肩をすくめる。「上々だ」
「もっと褒めてくれていいのに~」
エメはラースと青年を交互に見遣る。それから青年の顔をつくづくと見つめて、あ、と声を上げた。
「お祭りのときの」
「お、やっと気付いた~?」
それは収穫祭に行ったときのこと、ラースたちからはぐれてしまったエメを助けてくれた青年だ。なぜいままで気付かなかったのだろう。おそらく、戦場に対する恐怖でそれどころではなかったのだろう。
「自分、殺されるところだったんスからね?」
「死ななくてよかったな」
「もっと言うことあるでしょ~?」
そのとき、ふたりが顔を引きつらせた。ゆらりと立ち上がったユリアーネを、ゆっくりと振り返る。
「ラース様、ご説明いただけますね?」
「……王宮に戻ったらな」
ラースには珍しく口角を引きつらせている。気を取り直したようにユグドラシルを見遣り、エメの頭を撫でた。
「よく頑張ったな」
懐かしいな、と思いエメは微笑んだ。
この日、アーデルトラウト王国国王直属騎士団はまたひとつ功績を立てた。国と脅かす可能性のあった「ルーヴレヒト騎士団」を、ひとりの欠落もなく捕らえたのである。それは、ベルンハルトが団長になってからの最高位の功績と言える。癒し手がユグドラシルの召喚に成功したことは、功績には含まれていない。彼の存在を公にすることは、彼にとって不都合なことだからである。
ルーヴレヒト騎士団、その総勢およそ三十余名。アーデルトラウト王国国王直属騎士団及び国王直属魔法隊を合わせると、ルーヴレヒト騎士団とほぼ同じ勢力となる。しかし、戦力という点に関してはまったく異なる。ルーヴレヒト騎士団はごろつきの集まりでしかなく、精鋭の騎士、魔法使いたちに敵うはずもなかったのだ。しかしそれも、騎士隊と魔法隊がルーヴレヒト騎士団のごろつきたちを傷付けることが許されていた場合の話だ。
殲滅命令であったなら、騎士隊も魔法隊も苦せずして任務を終えるころができただろう。そもそも、捕縛命令でなければ、総勢およそ三十余名のごろつきに、騎士二十余名、魔法使い十数名も必要ないのだ。
ルーヴレヒト騎士団を一網打尽にした魔法をエメが発動させたことは、アーデルトラウト王国国王直属騎士団及び国王直属魔法隊にとって僥倖であった。ただし、それを口外することはできない。箝口令が敷かれており、軽々とそれを破れば、犯人捜しが始まるからだ。犯人捜しは巻き込まれた人間の恨みを買う。不要な物を買う必要はないのだ。
ルーヴレヒト騎士団を傷付けずに捕らえること、それは王令である。これは、前回の作戦時に発覚した事実を基にしている。それは、傷の回復の遅さである。
前回の作戦で捕らえた盗賊団は、騎士隊により受けた傷の回復が異様に遅かった。これは、エメの力を利用していたためと思われる。スキルに頼って傷の回復を繰り返した結果、自身の治癒力が衰えたのではないか、と。それはルーヴレヒト騎士団とて同じ可能性がある。要は、捕虜の傷を癒すために手間をかけていられないのだ。
その結果、苦戦することにはなったが、騎士隊及び魔法隊にはほぼ被害はない。厳しい任務であっても遂行できるのが国王直属騎士隊及び魔法隊である。
だが、その事実を知るのはラース、ニコライ、エミルだけだ。エメのスキル【癒し手】を知る者は多いが、大々的に公表することはできない。無傷で捕らえよという命令の意味を、明確に伝えることはできないのだ。それでも任務をこなすのが、国王直属騎士隊及び魔法隊の役目である。




