10.導かれる者
「……ん」
少し肌寒さを感じて目を覚ませば、見慣れない白い壁。
(……あ、私、殿下と……)
そんなことを考え、ふと隣を見れば、殿下が硬く目を瞑って眠っていた。
外を見やれば、まだ暗闇に包まれている。
まだ夜明け前のようだった。
(もう少しだけ、寝てても良いかな……)
と目を瞑ろうとしたその時。
「……うっ……」
「?」
硬く目を瞑った殿下の口から呻き声が漏れた。
私は驚いて殿下を見れば、眉を顰め、苦しげな表情を浮かべている殿下の姿だった。
(! 魘されているの……?)
そう驚いた矢先、殿下は小さく呟いた。
「……ロー、ラ……」
「!!!」
それは間違いなく、私の名前で。
それだけではなく、その名前を呼ばれた時、私の鼓動が早鐘を打つ。
(っ、私、何か、大事なことを……)
キーンと、頭の中で金属音が鳴り響く。 何かを思い出せそうで、思い出せない、そんな衝動に囚われる。
(……ううん、今はそれより、エルマー殿下を起こさないと……!)
彼が目の前で苦しんでいるのに、放っては置けない。
……それに、もしその原因が私なのであるとしたら、尚更。
私は殿下の肩をそっと揺する。
「エルマー殿下、エルマー殿下」
「……っ……」
殿下の瞳にはうっすらと、涙が滲んでいた。
そして、いつもの殿下とは違い、何処か弱々しく、小さな声で問われる。
「……ローラ、姫……?」
「っ、はい」
そんな殿下の悲痛な顔を見ているだけで心が抉られるようで、私はそんな殿下を少しでも安心させられたら、とはっきりと返事をして頷いて見せれば、殿下は安堵したような表情をしたのも束の間、ギュッと私を抱き締めた。
「え……?」
「っ、ごめん、ローラ姫、ごめん……!」
ごめん、と何度も謝り続ける殿下に、どうしたら良いか分からなくて固まってしまう。
(っ、どうして、殿下が私に謝るの……?)
……私はやはり、何か大切なことを、忘れているんだわ。
そうして考えて、ある一つの憶測に辿り着く。
(……私と殿下は、私の消えた記憶の中で……、私が10歳の時より前に、出会っているとしたら……?)
そうすれば、殿下が私の呪いの“元凶”だと言い張ることにも、今こうして私に謝っていることにも、説明がつく……。
(……でも一体、私は何を忘れているの……?)
抱き締められた殿下の肩は、今もなお震えていて。
私はそんな彼に対する言葉が見つけられず、ただ、彼の背中に腕を回して、ギュッと抱き締め返したのだった。
☆
その後、殿下はそのまま眠ってしまい、朝方殿下が目を覚まして簡単に朝食をとったところで、二人だけで目的地へと、歩みを進めた。
(……あれから、殿下は何事もなかったように振舞っているけど……)
夜明け前に何故魘されていたのか、何故私の名を呼んだのか、そして、私が導き出した憶測の答えがあっているのか。
何一つ聞こうにも聞けなかった。
(……きっと聞いても、教えてくれない)
殿下は、私の記憶がリセットされてしまうのを危惧している。
……それは私も同じ。
もしこのまま、あの10年前と同じように記憶がなくなってしまったら……――
(っ、え?)
私の頭の中で再度、キーンと音がこだまする。
だけどさっきとは違い、誰かの声が頭の中で響き渡る。
―――……時は満ちた。 君は運命を、選ばなければならない。
マクルーア王国第一王女、ローラ・マクルーア。 君をここまで、導こう。
(……誰、誰なの? 私を呼ぶ、貴方は……)
「……ら、ローラっ!!!」
「え……!?」
ハッと気が付いた時には、私の体が傾く。
見れば、私の足元には地面がなかった。 その代わり、ぽっかりと穴が空いたその遥か下には、白い雪と氷に覆われた地面が続いている。
(あ……)
落ちる、そうボーッとする頭の中で思ったのも束の間、私の体がぐいっと引っ張られ、気がつけば私は殿下の腕の中にいた。
「っ、エルマー殿下!!!」
私を庇うように私の体を包み込む殿下と二人、何処までも続く穴に落ちていく……―――
私が彼の名を呼び謝ろうとしたのを遮って一言、殿下は独り言のように呟いた。
―――……もう君を、失いたくない。
と。
そんな殿下と共に、私は真っ暗な暗闇へと落ちていくのだった。
☆
「う……」
目を開ければ、私は雪の上にいた。
……落ちている間に、気絶してしまったらしい。
「っ、エルマー殿下は……!!」
慌てて辺りを見回すが、何処にも殿下の姿がない。
「……っ、ど、どうして……!」
間違い無く、一緒に落ちたはず。 それも、殿下は私を庇って。
(どうして、殿下がいないの……!?)
体が震える。 寒さからではない震えが止まらない。
「で、殿下を、探さなきゃ……!」
ヨロヨロと立ち上がるけど、体が言うことを聞かない。
何故だかとても重くて、体に力が入らない。
(っ、私が落ちなければ、こんなことにならなかったのに……!)
……やっぱり、私には無理だったんだ。
呪いを解くなんて。
“君がこの呪いを解くことが出来ると、そう信じてる”
(……殿下が、そう言ってくれたのに)
……いや、最初からエルマー殿下がいなければ、私は何も出来なかった。
何もしようとしなかった。
自分は“呪われ姫”だから。
その一言で片付けて、諦めていた。 ……けど。
(……違う)
私は、変わったんだ。
19歳の誕生日に、エルマー殿下と出会って。
『ローラ・マクルーア姫。 君にこの場で、結婚を申し込みたい』
『……君になら、何度だって言おう。
私は、貴女が好きだ。 どうか、この気持ちを受け止めてはくれないだろうか』
そう言って私を真っ直ぐと見る、曇りひとつない澄んだ、青空を模した瞳。
今考えれば、私はその瞳に出会ったその日から心を奪われていた。
(っ、私は……!)
……私だって、貴方を失いたくない……!
ふらふらと立ち上がる。
……目の前には、何処までも続く一本道。
その光景を、私は“知っている”気がする……。
暫く見つめていると、私の後ろから冷たい冷気が頬を撫でる。
(……まるで、導かれているよう……)
そこでハッとして、さっきの私の頭の中で聞こえてきた声を思い出す。
(……この道を、進めと言うの……?)
さっきまで広がっていた殿下の瞳の色と同じ色の青空は、いつの間にかどんよりとした雲に覆われている。
……それでも。
(……この先に、殿下がいる)
そう確信した私は、一歩ずつゆっくりと、雪と氷に覆われた地面を歩き出したのだった。




