77 フクロドラゴン討伐
どう見ても、腹部に袋がある。
向き合っていてマイラは気付いてしまう。
(南方に似たような獣がいるって聞いたことはあるけど)
魔獣とはまた違う、独自の生態を持つ獣だという。リベイシア帝国の南端の更に南に住んでいるそうだ。マイラも聞いたことがあるだけである。
(あれは、子供を腹の袋で守って育てるためらしいけど)
こちらは魔獣であり、いかにも悪そうな竜である。人間にとって碌でもない目的の袋ではないか。
(そういえばフクロドラゴンってのがいるって、聞いたことがあるような気がする)
腹に何を入れるのかは思い出せないが、予想はできる。
(小さい別個体かしらねぇ、お腹に隠れてるのは。不意討ちとかされたら嫌だから。どうせ、してくるのよね?)
気配がしてこないのは隠れているのだから当たり前だ。
「ま、倒した後でじっくり検分すれば良いか」
マイラは呟く。そして微笑んだ。
「どうしたの?かかってこないの?あ、私のほうが強いって分かっちゃうから怖いのか。だったら逃げちゃえば?」
自分よりもはるかに大きな相手フクロドラゴンにマイラは語りかける。
「私をどうにかしないと、目当ての神竜も殺せないわよ?」
敵の目的はどうせ神竜の子ドラコである。先の反応を見ていて、マイラも理解していた。
ネブリル地方の魔獣がドラコを幼竜の内に殺しに来ている。戦略的思考などなさそうな魔獣にあって、信じられない事態だが、今、現に眼の前で起きていることだ。判断を誤るぐらいなら信じられないことでも受け入れた方が良い。
(魔獣にそんな知性があるのか、とかね。細かい疑問はいくらでもあるけど)
眼前の敵を倒してからゆっくり考えればいいことだ。
フクロドラゴンからして、愚かではないようにマイラは思う。自分を強敵と認識して迂闊には攻め込んで来ないぐらいには。
「そっちから来ないのなら」
マイラは告げて、剣を右手で構えたまま、左手だけを動かす。
「雷撃」
左の掌から雷撃を生じさせて、フクロドラゴンにぶつける。
唐突な攻撃に、敵は反応することも出来なかった。
「グギャッ」
全身を襲う電撃にフクロドラゴンが麻痺して苦悶の悲鳴をあげる。
敵の方から近寄って来ないのなら、間合いの外から魔術を叩き込み続けるだけだ。弱らせた上で有利にとどめを刺すだけで良い。
(私の魔術がまったく効かないぐらい、頑丈なら良かったのにね)
マイラはあくまで魔法剣士だ。本職の魔術師のほうがより強力な魔術を使うことが出来る。
本当に高位の魔獣には自分の単発魔術では効果が薄い。
「それならそれで、やりようはあるんだけど。あなたには必要ないのよね」
マイラは痺れて動けない敵に柔らかな笑みを向けた。
「火球」
さらに鼻先へ火炎球を撃ち込んで痛めつけてやった。
ただの嫌がらせだ。自分の思うとおり動くことも出来ないまま、一方的に弱らされていくのだぞ、と。図々しくも人間の領域に侵攻してきた。思い知らせなくてはならない。
「グゥオオオオオッ」
ひどく焼けただれたフクロドラゴンの鼻先。はげしく首を横に振って、火を消そうとしていた。
「雷撃」
そこへ再度、電撃を浴びせかける。
フクロドラゴンが力なく項垂れ、這いつくばった。
「馬鹿ね」
無防備な頭部にマイラは火炎球をもう一度、撃ち込む。
もし人間ならば、単発魔術をこうも一方的に、かつ交互に撃ち込まれれば無力感で絶望する。
「グギャアアッ」
惨めに悲鳴を上げてのた打ち回るフクロドラゴン。
黄緑色の鱗が立て続けの電撃でボロボロだ。
だが、相手の巨体を侮ることは出来ない。のたうち回るだけで、民家の壁が崩れた。
余裕のある戦いではあるが、重量、体格の差は大きい。油断することまでは出来ないのだ。
マイラは気を引き締め直す。
(それに、あの袋。いかにも何かがいるぞって感じなのよね)
未だ袋の中に潜んでいる竜のことも考慮に入れなくてはならない。
有利でいよいよ、という段階になって、後ろや横合いから不意を打たれる懸念があった。
「でも、頭の中に可能性がある限り、私は無防備じゃない」
不意討ちは不意を討つから有効なのだ。
マイラは声に出して呟く。やはり今、危険なのはドラコの方だ。
(それなのに、あのおチビちゃんは)
勝手にどこかへ消えてしまった。
これでは守りようがないではないか。探すのも大きな手間だろう。
「とっとと、勝負を決めようかしら」
思い、マイラは剣に魔力を籠める。
自分が本当に得意なのは魔力を放出することではなく、刃に属性魔術を纏わせることだ。斬撃の威力を格段に上げることにもなり、相手によっては切れないはずの相手も斬ることが出来る。
「氷刃」
冷気を刃に乗せる。
散々、火球と電撃を浴びせてやったのだが、現に耐え抜かれていた。本当に効果があったのは冷気だった、とマイラは見ている。
マイラは弱らせたフクロドラゴンに斬りかかろうとし、その姿を見失った。
「後ろっ?」
とっさにマイラは地を転がる。
熱気が肌を撃つ。背後から火球を吐かれたのだ。
回避に成功したマイラは立ち上がり、相手と向き合おうとして、また姿を見失った。
(なんなのよ、もうっ!)
背後を取られ続けている。実力差があるから回避できているが戦況としては由々しき事態だ。
後ろからの突進を見向きもせずにマイラは大きく飛び退いて躱す。
攻撃しようと思って向き直ると、眼の前にまたいない。
「上ね」
マイラは理解していた。
先程から見失って背後を取られているのは、跳躍により飛び越えられているからだ。強靭な相手の後ろ脚がそれを可能にしている。
「跳ねているんだって分かれば。氷槍」
マイラは真上に氷の槍を放つ。
「グギャアアア」
やはり氷が一番よく効くようだ。
甲高い悲鳴とともにフクロドラゴンの巨体が落下してくる。
難なくマイラは避けて、片刃剣を上段に振りかぶった。
(じゃあ、とどめ)
最後の最後で抵抗されたが、マイラは勝利を確信する。
影が視界をよぎった。一瞬後、土煙とともに衝撃が地を揺らす。
「きゃっ」
らしくない可愛らしい悲鳴を上げてマイラはよろける。
誰かはわかっていた。自分に気づかれず、間合いを一瞬で侵略できる男など、この世に一人しかいない。
「無事か、マイラ」
ガウソルが眼の前にいる。
駆けてきた勢いそのままに踏みつけたフクロドラゴンの頭部が潰されていた。
「シグッ」
思わずマイラは歓喜の声をあげてしまう。
フクロドラゴンなど物の数ではないのだが、単純に戦っていた自分をガウソルが気にかけてくれたことが嬉しい。
「余計な気遣いだったか。マイラの腕前ならこんなぐらいの魔獣は大した相手じゃない。戦ってるのを見て、頭に血が上った」
自分には素直に嬉しいことをガウソルがすまなそうに言う。
先の守備隊などとは、違ってきちんと気にかけてくれるのだ。
「ううん、助かったわ。とにかくよく跳ねるのよ、こいつ」
ガウソルの襲来に気付いていれば、もっと苦戦するふりをしたのだが。
マイラは身を寄せて告げる。ほのかに臭い。どこかでまた魔獣との乱闘を楽しんでいたのだろう。いかにもガウソルらしくて、ついマイラは微笑んでしまった。
「変な竜だな。誰か詳しいのが見れば、分かるんだろうが」
ガウソルが言い、自分を見つめる。
「とにかく、無事で何より」
短い言葉の中にガウソルの思いやりが籠められていて、あまりの嬉しさに、マイラは肝心な何かを忘れてしまうのであった。