76 神竜の危機
レッサードラゴンの襲撃により負傷した人々の治療に当たりつつ、ティアは落ち着きを取り戻していた。どれだけの数が入り込んで暴れていたのか。自分の立場では知る由もないが、かなりの怪我人が出たことは間違いない。
(死んだ人とかも、いるのかな)
考えが至るとティアは自然と寒気を感じるのだった。治療院に運び込まれてくるのは治癒の見込みがある人だけなのだから。
「こっちに来てる魔獣はいないそうよ!みんな、安心して、落ち着いて、治療に専念して!」
またしてもレンファが大声で発してくれる。自分の身の安全もさることながら、治した人がまた片端から襲われて再度負傷するのではやり切れない。
窓の外に目をやると守備隊隊員の服も見えた。治療院だけは死守なのだ。
(大丈夫、私には私の、やんなきゃいけないことがある。それをしっかりやってればいいの)
まだ自分の魔力には余裕がある。早めに休もうとしていて、そのせいで出遅れたことが、逆に功を奏して魔力を残していたのだった。
つまり翌日分の魔力を使い込んでいる格好だが、明日のことなど今日のあとに考えるしか無い。まずは今日を乗り切ることだ。
(どうしよう。誰かと代わる?それとも治しきれていない人の治療に?)
余裕が出てきて周りを見る余裕もティアには生まれてきた。
悩みつつも治療院に自分の役割があると思い定めた矢先、ティアは実に久し振りの感覚に襲われる。
(ドラコ?)
腹の底から込み上げてくる不安、切迫感、焦燥感。
ティアは思わず立ち止まってしまうほどだった。
(ドラコ?襲われてるの?危ないの?怖いの?)
ティアは心の内で問いかける。だが、答えが返ってくることはないのだった。ドラコの自分への信号は、念話などとはまた別物らしく、意思の疎通までは出来ない。一方通行なのだ。
(助けてほしいっていうのは、分かるけど)
強いて言えば感覚と感情を一方的に押しつけられているというのが正確だった。
「助けに行かなきゃ」
ティアは立ち上がって、誰にともなく告げる。
今は誰も近くにいない。一番遅く来たのは自分だが、一番早く治療を終えたのも自分だった。
(本気で効率的にやろうとしたら、みんなより早く出来ちゃった)
廊下に横たえられた負傷者も自分のところにはいない。
ティアは仕事を探すふりをして、少しずつ正門へと近づいていく。一番奥の部屋で、この忙しい中、自分への注意は薄まっていた。
怪我人の名前の聴取や負傷状況の記録をとっているレンファに、未だ包帯を巻く作業など治療後の対処に忙しいライカも見える。
「ごめんなさい、院長。レンファさん」
いずれも自分の方を見る余裕が今はないようだ。
他人の忙しさにつけこんでいる自分を意識して、ティアは後ろめたくなる。
(でも、行かなくちゃ)
頭の中のどこかでピイ、ピイと警報のようなドラコのさえずりが響くようになっていた。
いよいよ危ないのだ、とティアには分かる。
誰にも見咎められてはいない。ティアは履き物を適当に引っ掛けて屋外へと飛び出す。
すでに辺りは暗くなっていた。
ところどころから、硬いものと硬いもののぶつかる音、魔獣の咆哮、人間の怒鳴り声に叫び声が聞こえてくる。
(でも、悲鳴は聞こえない)
一般人の避難を終えて、魔獣と守備隊との戦いが繰り広げられているのだろう。
魔導街灯の灯を頼りにティアは町中を進む。
「リド、街に戻ってないかな。私とドラコを助けて」
ティアは小さく呟く。リドナーなら自分を止めてくれる。その上でドラコや自分を助けてくれるだろう。
理性ではいかに無謀なことをしているか分かる。戦う力も持たないのに、戦場を独り、小さな竜を探して彷徨おうとしているのだから。
(こっち?)
引き寄せられるようにティアは街の中を彷徨う。
自分が目指している方角が不思議とわかる。
(でも)
ただ、行き先がちょこちょこ動いているのだ。
理由は分かっている。ドラコが何かから逃げ回っているからだ。
「ヒッ」
引き寄せられるまま、曲がり角に差し掛かり、ティアは声を上げた。
深緑色の大きな竜と守備隊隊員数名が睨み合っている。
あわててティアはもとの曲がり角を戻ると、しゃがみこむ。
(そうだ、どこで戦っててもおかしくない。ドラコだって自分のことしかわからない)
戦いに巻き込まれて命を落とす恐れもあれば、生身でレッサードラゴンと向き合ってしまう可能性もある。
「ドラコ、どこ?」
口に出してティアは呟く。
大声を出すことは出来ない。守備隊に見咎められるのはまだ良いが、魔獣を引き寄せてしまう可能性もあった。
見晴らしの良い場所に出ると、街の下方では守備隊隊員たちとレッサードラゴンが戦っている。数人がかりでレッサードラゴン1頭と戦っていた。守備隊隊員の対処していないレッサードラゴンはいないように見える。
(そうだ、リドの家の方だわ)
ドラコが閉じ込められていたのガウソルの家なのだ。まだ近くにいるのではないか。
ティアは頭の中で道筋を思い浮かべつつ進む。引き寄せられる感覚との矛盾もないことを確認しながら。
曲がり角や路地裏と交わる場所ではより一層の注意を払う。
「ピッ、ピイィィィッ」
不意に路地裏からドラコが飛び出してきた。木の箱が幾つも積み上げられている、何かのお店の裏のようだ。
木箱の裏にでも隠れていたのか。
ティアは飛びついてきたドラコを両腕で抱き締める。
(そうよ、ドラコは小さいの。狭いところに隠れてれば大丈夫)
自分を呼んでいたのは甘えようとしていただけではないのか。無理に安心しようとする。
だが、思っていられたのも束の間だった。
「きゃあっ」
木箱が破壊され、炎上した。
ティアは悲鳴をあげる。
路地の奥、燃え盛る木箱の向こうから小さな竜がもう1匹、姿を表した。
ゆっくりと、こちらに歩み寄ってくる。
ドラコが子猫ほどの大きさだとして、相手は大型犬ぐらいの大きさだろうか。つまり、相手も魔獣としては、かなり小型なのだった。
狭いところまでドラコを追いかけ回すことの出来る大きさだ。
「偉かったね、よく、頑張ったね」
白い鱗が黒ずんで汚れていることに気づき、ティアは優しく声をかけた。声が震えている。
自分が来たぐらいでは何も状況は好転していない。
「グギャッ」
威嚇するかのように、相手の竜が牙をむき出してきた。
「ひっ」
ティアは後ずさる。
かえって自分も窮地に飛び込んできただけであることに、ティアは気付くのであった。




