潜入工作員たち
次のターゲットはヘレニア・スコロビッチだ。実はこいつもルスデニアにいたことがあるらしい。
ヘレニア・スコロビッチ 19歳。親は現在無職。シリア難民の申請が何故かすんなり通り、家族を呼び寄せて3人で暮らしている。つまりルスデニアの内乱を避け色々な国を渡り歩いていたらシリアでまた難民となったらしい。なんとも運のない家族である。
僕はやつが放課後毎日ひとりで自習している学習教室へ向かう。日常会話はなんとかこなせるそうだが、漢字がまだ読めないため勉強しているそうだ。設定としては妥当だが、この設定はボロが出やすい。ふとした弾みで漢字を読んでしまうと設定がばれてしまう。まぁ、それもやつが情報提供者だった場合ならの話だ。
「よう、君がヘレニア・スコロビッチだね。僕は大和 武 (やまと たける)だ。最近転校してきた者同士として仲良くして貰えたら嬉しいな。」
僕からの突然の申し出にやつは少し首を傾げている。
「あっ、もしかしてまだ日本語が判らないのかい?」
「いいえ。判るます。私、あなた、でも、知るないです。」
やつはカタコトの日本で答える。うんっ、上手な日本語だ。いや、これは文法の事じゃなくてイントネーションとしてだ。言葉とは仮に外国語を話せたとしてもネイタィブな発音を習得するのは難しい。座学だけで勉強した場合、文字は読めても聞き取れない事が多いのだ。
しかし、ヘレニアは文法は駄目だが発音だけはきれいだった。つまりこいつは日本語が達者に喋れるのだ。もしもこいつが諜報員なら失格だな。単語をぶつ切りに話すことで違和感を醸し出しているが、その筋の人間が聞けば丸分かりである。
はい、決定!こいつはどっかの組織の潜入諜報員だ。こんなに面倒な設定を敢えてするのは一体どこの組織だ?この設定にメリットなんかないと思うけど。そもそもシリア難民に偽装するなんて目立ちすぎる。確証はないがこいつはリストの一番下にしておこう。
「ああ、すまない。唐突だったね。いや、僕は君の隣のクラスに転校してきたんだ。君も最近転校して来たんだろう?だから挨拶しておきたいと思ってね。クラスは違うけど仲良くしてくれ。」
そう言って僕は握手をすべく手を差し出した。
「判ります、私、ヘレニア・スコロビッチ言います。私、よろしく、お願いする。」
ヘレニアは自分の名前だけはきれいな露語で発音した。しかし、やつの指にはある特徴があった。それは引き金タコである。寒い国のある種の銃は手袋をしていても引き金を引けるようにしてあるのだが安全対策として少し引き金が重くしてある。そんな銃を調整しないで素手で撃ち続けるとあんなタコが指にできるのだ。
「今日はちょっと別の用事があるから付き合えないけど、時間がある時は日本語の相手になるよ。それじゃね。」
「スパシーボ。」
ヘレニアは多分僕が単なる日本人の転校生と判断したのだろう。思わず自国語で挨拶を返してきた。指のタコといい、マヌケな設定といいこいつは情報提供者ではない。多分、潜入工作員だ。それも2流の。こいつが何をターゲットにしているのか判らないが、気をつけよう。もしかしたら情報提供者を狙っているのかも知れないからな。
次は3年の佐賀 玲二 (さが れいじ)18歳だ。こいつは国内からの転入だが親父さんが例のガスプラントの本当の関係者だったりする。こうしてめでたくルスデニア関係者が揃った訳だ。単なる偶然にしては出来すぎている。ルスデニアってこの国では9割の人が知らないような国なのに、その関係者が3人立て続けに転校してきた。いや、僕も混ぜれば4人だな。
やつは今部活動に勤しんでいた。僕は柔道部の道場を覗き込む。そこにはやつを含め十数人の部員がいて、それぞれ組みになって乱取りをしている。その中で一番体格のいいやつが佐賀だ。やつは前の学校で全国大会の団体戦で決勝に残るほどの実力を持っていたらしい。
うちの学校も県内では有数の実力校らしいが全国大会レベルでは下位に沈んでいる。そんな学校にトップレベルの学生が転入してくれば部活動にも熱が入るのだろう。みんな佐賀を中心に熱心に稽古をしていた。
「もしかして入部希望者かい?」
突然後ろから僕は話しかけられる。いや、近付いて来たのは判っていたんだがそこは敢えてスルーだ。僕は普通の高校生を演じなくてはならないからね。
「いえ、僕は転校生なんですけど、3年の佐賀も最近転入して来たと聞いて挨拶だけでもしておこうかなと思って。」
僕に声を掛けたのは柔道部の顧問教師だった。担当教科は体育だったっけ。ジャージに竹刀を持った如何にもな格好である。
「ほうっ、それはまた珍しいやつだな。いいだろう、呼んでやるよ。おいっ、佐賀!ちょっと来い!」
顧問教師に呼ばれてやつがこちらに来る。
「何でしょう?先生。」
「あっ、こいつは最近転校してきたそうだ。それでお前に挨拶しておきたいらしくてな。ちょっと話を聞いてやれ。後、出来れば勧誘しておけ。」
「へぇ、何とも律儀なことですね。判りました、君、クラスは?」
顧問教師が道場内へ行ってしまうとやつが僕に話しかける。
「あっ、2年の大和 武 (やまと たける)です。でもすいませんが柔道はちょっと・・。」
「はははっ、気にしなくていいよ。僕は3年の佐賀 玲二 (さが れいじ)だ。でも転校して来ただけで挨拶廻りとは君も変わっているな。」
「いえ、先輩は全国レベルだと聞いたんでちょっと会って見たいなと思いまして。」
「柔道に興味があるのかい?」
「いえ、すいません。ただのミーハーです。」
「はははっ、そりゃまた正直だな。君はどこから転校して来たんだい?」
「あっ、言っても判らないかもしれないけど僕は帰国子女なんです。ルスデニアって知ってます?」
僕の問い掛けにやつは数拍間を開けて答えた。
「ああ、名前だけはね。そうか、帰国子女ね。まっ、色々大変だろうげと僕に出来る事があれば遠慮なく言ってくれ。微力ながら助力するよ。」
そう言ってやつは僕に手を伸ばす。その指にはやはり独特なタコがあった。
「ありがとうございます。稽古の邪魔をしてすいませんでした。」
僕は軽く会釈をしその場を離れた。これで該当する3人全てに渡りを付けた事になる。しかし、全員がグレーとはちょっと驚きだ。しかも全てにルスデニアが絡んでいる。何なんだ?もしかして情報提供者が失敗した事案とはルスデニアの内乱に関わることなのか?くそっ、本部め!これくらい事前に調査して判らなかったのかよ。うちの調査部もこの頃適当だな。直に危険を背負い込むこっちの身にもなれって言うもんだ。
まぁいい。こっちの正体はそれとなく匂わせた。次は情報提供者の方から接触してくるだろう。そして情報を受け取ったら本部に送って終了である。後は目立たぬように半年ほど学生生活を満喫するだけだ。案件が終了した途端消えるのはバレバレだからな。ちゃんとした企業戦士は最後まで気を抜かないものだ。
僕はひとり学校を後にする。しかし、そんな僕を追跡する影があった。ほうっ、早速引っかかったか。こりゃ、思ったより大掛かりに動いているのかもしれないな。僕を追跡する影は中々なやつだ。何度かそれとなく撒こうとしたがぴったりと付いて来た。まぁ、やつは情報提供者ではないだろう。なら捕まえて正体を暴いてもあまり利はない。精々泳がせておこう。こっちも準備は万端なんだ。偽情報のひとつでもくれてやれば納得するかも知れないしな。
しかし、翌日事態は急展開することになる。なんとこの学校がテロの襲撃を受けたのだ!




