適正
「‥‥」
和彦の『独り言』に、森本も宮田も何も言えなかった。
否
言うべきではない。
そう思った。
そんな二人の気遣いを感じた和彦は「しんみりさせちゃったね」って言って微かに笑った。
「いやね。彰彦の父親であるってことは、まあ、別として、彼は『違う』んだよ」
「それは、‥素質とかそういった話で、ですか? 」
味噌汁に手を伸ばした宮田が何となく聞いた。
森本は、「お茶をいれますね」と言って席を立った。
直ぐにいれはしない。まだ、宮田も和彦も食事が終わっていない。
ここの秘書は、みんなお茶を入れるのが上手い。出すタイミング然り、お茶の味、茶葉のセレクトや温度、好み。女性がとかじゃなく、全員が同じように仕事をしている。お茶を出すのも秘書の大事な仕事だ。
プライベートでもお茶を好む森本が出すお茶は、和彦や秘書仲間の間でも好評だった。因みに茶葉は、森本の自前だ。森本曰く「私の趣味だから、別にいいんです」らしい。
今日は
「緑茶が飲みたくなったので」
と、いい香りのする温めの宇治茶だった。
三人で、はあーと思わず深い息を吐く。
「そういうのは、何か基準でもあるんですか? 適性検査、的な」
一息ついた森本が尋ねた。さっきの話の続きだ。
「いいや? ない。ただ、この子馴染まないな。って思う、そういう感じ」
「この子馴染まないな? 」
森本も宮田も和彦の言葉がちょっと理解できなかった。
‥どういう意味だろう。
「後継者候補って、幼い頃に「目を付けられた」子たちが多いわけじゃない。だから、やっぱり、自然とそれっぽい感じになるんだ。‥洗脳じゃないけど、そういう脳になるんだよ。
立場が人を育てるって言うのかな‥、武士の子でしょって育てられたら、やっぱりそう育つよね? 」
「ああ」
「だけど、どうしても「馴染まない子」ってのも、勿論いる。そういう子は、『違う』って思うね。馴染まないなって」
「本人の意志が特別強いとか、親や西遠寺に対する反感とか反抗心が強いとかって話? 」
「違うと思うよ。本人に継ぐ意思がなくっても、根っからの西遠寺って子もいるから、‥多分、適正‥って奴じゃないかな? 。本人の意思やら、そういうのは、「変わりようがある」からね」
‥変わりようがないこと‥そういうことってあるんだろうか。
やっぱりわからないな。と森本と宮田は思った。少なくとも、自分たちにその感覚は分からない。自分たちは、今まで生きて来て、自分の意志で大方のことは乗り切って来た。そんな自負がある。逆にそんな気合がないとここにはいられない。
「どんなに本人の意思が強くても、アレルギー物質は克服できない‥っていう様なレベルかな」
‥そういうレベルか。
「訓練で何とかなるものと、ならないものってのは存在するって話だね。だから、その子には‥その子がどうしてもこの仕事がしたいって言っても、‥お断りすることにしてる。その方が、その子にとってもベストだからね。
それは‥その子がどんなに、人に対して誠実で、仕事に対して熱心で、有能でも、だ」
「惜しい話ですね」
森田がしみじみと言った。優秀な人材に働いて欲しいと思うのは当然だ。
「そういう仕事なんだよ。この仕事って。まあ、そんな有能な人材だったら、この仕事以外の方が活躍できる」
和彦が「全くね」と頷く。
「西遠寺に子供の頃から馴染まされて、気が付いたら、骨の髄まで西遠寺に染まってる。
‥それが、西遠寺の後継者候補。そうなってくると、西遠寺で働くしか仕方なくなってくるよね。‥恐ろしい話だよ。ああ、そうだな‥『クイズ脳』あれに近い。いや、こんな言葉はないんだけど、なんかわからないかな‥? クイズ王とか言われてる人って、『クイズ脳』って感じする。‥そういうの。あれって八割、慣れだよね? クイズに対する適正と、知識やらクイズに対する熱意と、‥慣れ」
‥クイズ脳ならぬ、西遠寺脳。
西遠寺に対する適正と、熱意と、惰性(洗脳か? )。‥恐ろしい。
「そもそも、クイズ自体嫌いな人もいる。クイズにそこまでの情熱を燃やせない人もいる。何をしててもクイズに繋がるってほど、クイズが生活に浸透しない人もいる。
そう考えたら、クイズ脳になって、なおかつその中で頂点に立てるってのは並大抵のことじゃないよねえ」
‥それが、当主か‥。つまり、西遠寺オタクの頂点‥。
「あ、当主は、西遠寺のトップじゃないよ? 」
森本と宮田の考えを和彦は先回りして否定する。
「当主はクイズ王とは違う。別に誰がトップというわけでもなく、便宜上の代表に過ぎないと私は思っている。それに、当主も当主候補も西遠寺の仕事全体の役割の一つだしね。どの仕事が偉いとかはない‥」
ここで働いていると、それは分かる。
でも、子供を当主にしたい、ここの仕事についていない大人はそれが分からない。
当主が西遠寺にとって特別だって思っている。
だから‥。
「そんな勘違いで性に合わない仕事を押し付けられてるとしたら、本当に可哀そうな話だ‥」
「当主にとって、適正は‥才能とは違うって思われるんですか? 少なくとも、和彦さんは才能にあふれてるって私なんかは思うんですけど」
森本がふうむ。と首を捻った。
接待スキルが高くって、機転が利いて、部下を纏める能力に優れてるって、才能だと思うんだけどなあ。
と呟く。
「努力が出来るとか、そういうのは才能だと思いますけどね。それでいうなら、私の才能は、知識欲が旺盛だってことと、気力とか体力があるってことくらいかなあ」
和彦は、自分のことを過小評価も過剰評価もしない。
自分が、知識欲は旺盛だが、気力と体力が人より少し優れただけの凡人だってことは自覚している。そして、だからこそ、この仕事が続けられているということも重々承知している。自分の『才能』とやらに慢心していたら、努力を怠る。
自分の、『そこまで美形ではない顔』も『凡人』であることも、この仕事にとっては『向いている』って思っている。
自分の中の『当主像』は、これで『まあまあベスト』なのだ。
「凄い麗人も、凄い天才も、接待業には向かないよね。凄い麗人は‥人を緊張させるし、記憶に残っちゃって、依頼主にまあ‥迷惑をかけるよね。それに、偏見かもしれないけど、天才には変人が多い」
これが、和彦の持論。
「偏見ですね。だけど、なんとなくわかります」
森本の同意。
「同調って能力に‥かけてそう」
「それも、偏見ですね。でも、なんとなくわかります」
宮田の同意。
和彦は、プライベート以外は、ずっと、ホントに自然に西遠寺的な考え方をしている。
この子は、西遠寺で将来やっていけるなって、正月の挨拶に連れられて挨拶する子供を見ながら思ったり、依頼人の悩みの『原因』を正しく見極めるために、いろいろな知識に目を通したり。
「彰彦君が不適切な理由の‥記憶力が良すぎるってのは、『凄い天才は接待業には向かない』からですか? 」
「記憶力がいいってのは、天才じゃないよ? 天才ってそうじゃないじゃない? 天才の人に会ったらさ、‥ああ、考え方そのものが違う。って感心するよ会ったね? 」
森本は首を傾げる。
「そういう体験はしたことないです。会ってても気づかなかったんですかね」
「う~ん私がザ・凡人だからそう思ったのかもなあ‥。‥ホント、わあ、凡人とは違うわあ。って思ったんだ。
だけどね、記憶力がいいってのは、「あ、この辞書いっぱい載ってる」ってのと一緒で、普通に評価できるよね。
記憶力が悪くたって、辞書の調べ方が分かればいいんだ。別に、全部覚えていなくてもいい。もし記憶があるってことが、先入観に繋がるとしたら、そのほうが‥この仕事にとって良くない。
人に頼らない‥頼り方を知らないって言うのも、人が信じ切れていない証拠だ。効率だって確実に悪くなるし、視野も狭くなる。人と一緒に何かをするってことは、衝突して切磋琢磨して成長していくってことだ。
まあ、人の話が聞けない程狭量じゃないと思うけど、‥人に頼れないってのは、一緒に仕事をしている人間にとってももどかしいしね」
情報が共有されない事の不満・不便さ。頼られないことに対する不満。自分で抱え込むことに対する本人のストレス。
いいことは何もない。
「人に丸投げする・人任せにするってのは、論外だけど、ね」
チームワークは、難しい。
正直、絶対自分にも向いてない。
森本も宮田も思った。
「というか‥この仕事、通常の精神した人間には、ちょっと向いてない。そもそも、通常の精神した人間は、西遠寺に染まらない」
「通常じゃないって‥」
くすくすと森本が笑う。
和彦が頷く。
「ちょっと、痛い奴。「俺なら出来る」組のもっと、痛い奴。そういうのじゃないと、無理」
「というと? 」
今まで来た「俺なら出来る」組を思い出し、宮田はちょっと苦笑いになった。
あれより、更に痛い奴って‥。
「いうならば「俺、神」ってタイプだね」
「‥それは痛いですね」
和彦の言葉に、宮田と森本がドン引きした顔になったのを見て
「私もそうだった」
和彦はニヤッと、悪戯っぽい笑いを浮かべた。
「ええ! 」
「西遠寺の適正テストで昔は、鏡に囲まれて「本当の自分を証明しなさい」っていう試験があたんだ。‥簡単な仕掛けなんだけど、真っ暗な部屋で『自分』に囲まれるのって地味に怖いのか、‥皆泣き叫んでた」
「ああ、私の時にもありましたね」
そういって頷いたのは、宮田。それどころか、自分を見つめろだの、やたら鏡の間に閉じ込められたものだ。
‥あれは、本当に嫌だった。
「私の時にはなかったです」
と、森本。
和彦は小さく頷いた。
「私の代で、消えた。私が血だらけになったから」
「え? 」
「何したんですか? 」
「周りの鏡を全部割って、音に慌てて駆け寄って来た大人に、「これが私です」って言った」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
‥想像したくはないが、きっと部屋中血だらけだったんだろう。なんせ、その年以来あの課題がなくなったわけだから‥。まさか、大人もそんなことになるとは思わないわなあ。‥そして、なぜそんな危険人物を後継者候補に選んだ‥当時の選考員大丈夫か‥。いや、結果和彦は立派な当主になってるわけだから‥先見の明って奴かな‥?
「それ位の変人じゃなきゃ、この仕事は無理」
依然悪戯っぽい笑いを浮かべる和彦に、何となく、この仕事に不適切って言われるのは、悪いことではないって思った宮田と森本だった。