本音
「ええと‥山中様‥でしたか‥? 」
「違う。山内様だ」
さっきまでクライアントに応対していた『優しい』完全完璧な麗人は、『身内』である若者を前に、一転無表情なお役人みたいな表情になっている。
「‥‥‥」
言葉を失った若者に和彦は、心の中でため息をついた。
‥向いてるか、向いてないかの前に、メンタルが弱すぎる。
そして‥記憶力が悪い。
表情が豊かすぎる。
‥そもそも、学生感覚が抜けてないし、母親の影が行動のちょっとした仕草に見える。‥そういう親離れしてないとこも、ダメっ!
「いい。今日はもう。お疲れ様」
「はい! 」
‥なんでそこで、元気よく挨拶できるか!
ふう‥。
さっき気付いた『悪い点』を評価表に書き記しながら、表の西遠寺家当主・西遠寺 和彦はため息をつくと秘書室を訪ね、そこにいた秘書に評価表を渡した。
「当主。どうですか。今日の子は、見込みがありそうですか? 」
穏やかに微笑んでそれを受け取ったのは、秘書の一人である宮田という男だ。
白髪が混じる髪を、しかしながら見苦しくないように整えた穏やかな老紳士の風貌の男だ。和彦が当主としてここに来て以来の付き合いで、‥そうは見えないのだが、実は和彦と2つ3つしか年齢が違わない。
少し年上位は、もうこの年になってくると同年代でくくられる。2つ3つの年の差が気になるのは若い内だけだ。
和彦にとって宮田は、もっとも信用ができる秘書であると同時に、もっとも気心の知れた友人だった。
二人がそれでもお互いに敬語なのは、今が仕事中だからだ。
公私の区別の付け方は、お互い鮮やかなものだ。
因みに宮田は、苗字は違うが西遠寺のそう遠くない親戚だ。西遠寺では、親戚の数を固定するために、嫡子と決まった一人以外は家名を継ぐことは許されていない。苗字の違う『親戚』は、つまり嫡子以外の男子が他家に婿にいったり、女子が婚姻により苗字が変わった者たちである。因みに、親戚と認識されるのは、本人及び配偶者とその子供までで、その孫は親戚とはみなされない。
だから、古図は和彦の家に養子に入っても、そのまま古図なのである。
「仕事のスキルなんてものは、これから先覚えていくもので、‥寧ろ今変に意識して真似しようしているのであったら、‥かえってよくない。仕事の適正ってのは、後から覚えていくことも含めての事だから、今この地点では何とも言えない。
私が見ているのは、そういうものの根っこにある『人間性』なんですよねえ‥」
「そうですね? 」
宮田が首を傾げた。
何を今更?
といったような顔だ。
「人間性から‥教えるってことは出来ない」
言い淀んだ和彦に、宮田が苦笑する。
「ああ。‥難航しているようですねぇ」
夏休み。
小中学校の西遠寺の子息は、「西遠寺の基礎」を叩き込まれる合宿があり、その中で「素質在り」とみなされたり、他から特に推薦されたり、特に自分から主張があったりする若者が、当主の傍で『お仕事体験』をする。その評価が、次期当主選びの参考になるとあって、本人より寧ろ親の方が真剣になる。特に、親戚筋からの他薦だったり、自薦という名を取った親の押し付けだったりする場合、本人のやる気より周りからの熱が強すぎて、如何にも『言われたから来ました』な子供が体験に来たりする。
これが、本当に困る。
こういう、『親の影が行動の節々に見える』甘ちゃんは、「出直してこい」と言いたくなる。
その親にも「ここは託児所じゃないぞ」と言いたくなる。
「さっきの子は、いつまでですか? 」
「明日まで。でも、別に今日で結構分かったから、もういいって感じ‥」
「あはははは」
宮田が朗らかに笑って、明らかに疲労の見える和彦をいたわった。
「何々‥。
記憶力が悪かったんですね。さっきの子。
‥人の名前だとか、個人情報が瞬時に出ないと話になりませんからね。これは痛いですね。
ええと、
表情が豊かすぎる。
確かにそんな感じでしたね。
‥表情一つで、クライアント様を不機嫌にさせ、不安にさせますからねえ。これは一番の欠点ですね。
人の好さそうな笑顔が美徳って仕事ではありませんからね。
学生感覚が抜けてない。
‥この子、もう28でしょう? ‥一般企業でも問題あるでしょう」
宮田がさっきの評価表を和彦から受け取る。
「言われたから来ました組ですか? 」
「いいや。‥多分、「俺なら出来る」自信満々組」
「‥舐められたもんですねえ」
そう。『言われたから来ました』パターンに続き、困るパターンその二。『俺なら出来る』自信満々・勘違い組。こういう、お山の大将タイプは、プライドばっかり高くて、正直‥使いにくい。それに、親から「お前は特別だ」とか言って甘やかされて育ってる子が多いから、マザコンかファザコンが多い。
「あら、当主。宮田さんと立ち話ですか? 座られたらいいのに」
軽いノックの後、女性の秘書、森本が書類を片手に入って来た。
40代の彼女は、大学卒業後、1年間の研修期間を経て秘書課に配属された。語学が堪能な帰国子女である。
秘書課には、何人もの秘書がいて、その内和彦専任の秘書は3人であり、大きな仕事が入った場合や、何か行事がある際には、他の秘書も手伝いに回る。
因みに、森本も和彦の専任秘書である。交代で休みを取るので、最低でも二人の専任秘書が和彦には常についている。
「もうお昼ですわね。お昼に何の予定も入っていない珍しい日ですから、こちらで昼食にしましょう。食堂から三人前の定食を取り寄せますね」
書類を手際よく片付けながら、森本が内線電話を手に取った。
「食堂に行くけど? 」
和彦が首を傾げる。
「‥ここぞとばかり取り囲まれてもよろしければ」
ふふ
森本が悪戯っぽく微笑んだ。
当主に用事がある者も多いし、仕事熱心な者も多い。それこそ、昼食時だろうと構わないだろう。
宮田が苦笑いをした。
「ここでお願いします」
ふう、とオーバーに肩をすくめて和彦も苦笑した。
「また、中村君に怒られるね‥」
宮田は、今日は休んでいる潔癖症な専任秘書の名前を出した。口調が砕けたものになっているのは、昼休みに入ったからだ。
「「ここでは飲食禁止です! ネズミやゴキブリが出たらどうするんですか! そんなところで仕事はできません!! 」って言われるよね」
中村の口調を真似ると、あはは、と森本が笑う。宮田も「似てるね」と笑う。年も経歴も性格も違うが、三人の秘書は仲が良かった。仲がいいというより、みんな大人だし、仕事熱心なのが共通しているからだろう。そんな三人を和彦は深く信頼していた。
「中村君は若いけどしっかりしてるよね。あ、森本さん。今日の定食って何? 」
満足そうに微笑んで和彦が昼食のメニューを森本に確認した。
「ええと。『生姜焼き定食』ですね。お嫌いでしたら、別のものを頼みますが」
「好きです」
「私も問題ないです」
和彦と宮田が頷くと、森本が食堂に内線電話を掛けた。
当主の適性。
それを考えた時、宮田は自然とある人物が頭に浮かんだ。
「彰彦さんはお元気ですか? 」
「息子さんですね。もう随分会われていないんじゃないですか? 」
森本が首をちょっと傾げる。
和彦が頷いて
「二年ほど前に会いましたよ。用事であっちに行った際、一日泊まった」
微かに微笑んだ。
「和彦さんは以前、「彰彦は当主には向いていない」っておっしゃったのですが、‥私にはそうは思えないんです。私は、彰彦さんが生まれた時から知っていますし、それこそ彰彦さんが京都におられた時には何度もお会いしました」
森本が「へえ」という顔をする。そして、頭の中で「私が秘書になる前かな? 」と瞬時に逆算する。
「彰彦さんは記憶力もずば抜けてますし、顔も声もいい。性格も穏やかで、人間も出来てる。まさに適任って気がします」
宮田の彰彦に対する評価は、決してお世辞でも過剰でもない。宮田はそういった『無駄なこと』は言わない。
和彦が小さく首を振る。
「向かないよ。彼はね、記憶力が良すぎるし‥人を頼らなさすぎる」
馬鹿だとも思わないし、マザコンでもファザコンでもない。息子がファザコンになる程自分が彼の生活に影響を与えているとはどうしても思えなかったし(事実それ程関われていない)人間性についても、‥同様だろう。父親らしいことはしたことは無い。
房子は、母親としてきちんと彰彦を育てて来た。だけど、房子も子供にべったりってタイプでもなかった。マザコンになる程の干渉を多分彰彦は‥房子から受けていないだろう。房子は和彦が小学生の時に身体を壊したから、世話も‥最小限にも正直満たなかったかもしれない。‥それは自分のせいでもあるだろう。房子が苦しい時、自分は傍にはいてあげられなかった。房子の力になろうとしてこなかった。
正直、古図に任せっきりだった。古図には本当に感謝している。
(古図のお陰は大きいだろう)それでも、小学生の頃の彰彦は素直な子供らしい子供に育った。
そんな真っ直ぐな子供を‥。
中学生時代の彼が、自分の殻に閉じこもってしまったのは、彼の性格では西遠寺の当主プログラムに耐えられなかったから。‥耐えられないっていうのは、やっぱり適性がないってことだ。それと‥なにより‥自分のせいだ。
妻だけではなく、子供の苦しみにも、自分は寄り添ってこなかった。
西遠寺の為に。
それだけを強いられてきた。そして、それだけに従って来た。
「西遠寺の当主になりたいなんて言う奴の気が‥私には分からないな」
ぽつり、呟いたのは、
きっと、本音だ。