三十八話
緊急防衛指定地域に指定された17地区、それと奪還命令が出されたラブホ建設予定地を除き、他地区の主な交通機関は増援として送られる兵士で溢れかえっていた。
彼等の顔は、一様に堪えがたい焦燥で酷くゆがみ、もはやどちらが鬼なのか区別がつかない。
その血みどろの戦闘状況は、インターネット上のブログ、SNS、電子掲示板、Twitterなどを通し、先遣として向かった増援住民によってすべての住人に伝えられ、これからその場所に向かおうと考えていた全ての住民達も、この戦いが容易には決着がつかないことを肌で感じていた。
16地区の駅ホームでは、近隣地区の駅ホームとさほど変わらない光景が出来て
おり、乗客率はすでに100%を突破している。
すでに電車のドアは閉じることも出来ず、中は鮨詰めというよりは無理詰めとでも表現したほうがふさわしいほどの乗客で埋め尽くされていた。
そして次の駅にたどり着くや否や、乗客たちはホームから階段までを埋め尽くし、人、人、人――――それだけで視認が出来そうなほどの人の津波となって外へと押し寄せるのだ。
もし、この場に露店で働く彼がこの光景を見たら、ただ呆然と見送りながら自分の頬を抓るぐらいしかできないだろう。
なにもその人の数が珍しいわけではない。
東京の新宿にでも遊びにゆけば、同じような光景が毎朝繰り返されていたの
だから。
ただ、その全ての乗客が迷彩服を着込み、重火器類を手に持っているというのなら話は別である。
というより、重火器類や打撃武器 、斬撃武器を持ち歩いて、周りにけが人が出ないのはどういう理屈だろうか?
もし、この場に彼がいれば、間違いなく露店で働く店員に尋ねる事だろう。
しかし、その返答が彼が納得出来るかはわからないが。
そして、この光景は次の列車が到着すれば、また同じ光景が繰り返されるのだ。
おそらく、この騒動が終わるまで延々と。
そんなミリタリー百鬼夜行と化した利用客に向かって、駅構内に繰り返しアナウンスが流れる。
『……17地区全域には、現在、局地的鬼獣警報が出されております。
隔絶地域奪還の目処は、まったく立っておりません。
運転本数を平常より七本程度増やして運行しておりますが、****までの運転となっております』
そのアナウンスに、利用客から口々に不満げな呟きが漏れる。
「おいおい、途中から歩けって?」
RPG7を担いでいる男性住民が怒りの孕んだ声で呟く。
「そんなチンタラしていたら、戦闘終わった頃にしかたどり着けねぇだろ!!」
PGM ヘカートIIを担いでいた男性住民が叫ぶ。
どうやら、駅構内の全ての客が、激戦が続く17地区に向かうつもりらしく、
現場までの移動手段を求めて近くの駅員の胸倉をつかみ上げる者まで現れ始めた。
そんな客の反応を見越したのか、騒然とする駅構内に、再びアナウンスの声が
流れる。
『17地区中心部付近に向かわれるお客様は、重火器類、手榴弾、打撃武器、斬撃武器などをご用意ください。
なお、17地区座標位置********まで、直通の輸送装甲車両もご用意いたしております。
御乗車の際は、17地区座標位置********までの乗車券を運転手に御提示ください』
男性の落ち着いた声でそう告げられると、ようやく駅の中が静かになり始める。
「おい、バスあるじゃねぇか!? 早く言えよな」
どことなく疲労感を漂わせた声で、草臥れた干物のような男性住民が隣で携帯を弄っているチャラい雰囲気の男性住民に愚痴をこぼす。
「みたいだな。
けど、全員乗れるだけバスが用意されているとは限らないだろ。
乗れなかったら座標位置********まで歩行だってよ。
さっき班長殿が言ってた」
弄っているチャラい雰囲気の男性住民が応える。
「信じられねぇ……現場までどんだけ距離があるとおもってんだよ!!」
草臥れた干物のような男性住民が苛ついた声で告げる。
「俺に文句言うなよな」
憤懣やるかたないといわんばかりの干物のような男性住民に、携帯を弄っていた
チャラい雰囲気の男性住民は近づきたくないとばかりに若干距離をとる。
そしてチャラい雰囲気の男性住民は幾つか端末で掲示板を検索した後に、
「おいおい、この記事見てみろよ」
やや興奮しながら干物のような男性住民に携帯の画面を突きつけた。
すると、干物のような男性住民もまた目を見開く。
「うわ、いくら交通が麻痺しているからって川泳いだとか……マジかよ!?」
何か信じ難いものを見たといわんばかりの感想を述べる。
「マジ受けるだろ! こいつらパネェわ!!」
チャラい雰囲気の男性住民が、興奮した声で応える。
「だよなぁ。 交通機関に金使うのが嫌だったのか?」
干物のような男性住民が、頸を傾げながら告げる。
「えーっと、何々? うわ、こいつら絶対ぇおかしい!」
チャラい雰囲気の男性住民が開いた掲示板には、以下のような感想がいくつも記されていた。
曰く……
『川泳がされた、水泳に来たんじゃねぇぇぇっ』
『何の軍事行事だっ!』
『川を泳いで渡るとか、金輪際やるもんか!』
その他、下のスレッドにも延々と悲痛なネタ……もとい、悲鳴が記されている。
「それ、やってないけどソレっぽいこと書いているだけじゃね?」
干物のような男性住民は、その内容をしばらく読んだ後に懐疑的な言葉を零す。
むしろそんなチャレンジを試みる根性があるのなら、他の手段を探せよといわんばかりだ。
「そうでもないっぽいぞ、さすがに動画はアップされてはいないが、これだけ掲示板とかに書き込みされているとなると、本当に川泳いで交戦しているんじゃないのか?」
チャラい雰囲気の男性住民が、掲示板を見ながら応える。
「だからと言って、ちゃんとした交通機関あるのになにでそんな馬鹿なまねを?
どう考えたって、歩いたほうがマシだろ」
自分だったら歩くのもゴメンだけどな……と干物のような男性住民が感想を
述べると、チャラい雰囲気の男性住民は小さく首をかしげた。
「いや、歩けるっしょ。 これくらいの距離なら、ポットのお湯を使うために
台所に向かうのと変わんねぇし」
チャラい雰囲気の男性住民そう応えた。
「お前と一緒にするな。 ……その座標位置って、ここから歩いたら、ざっと
四十分以上かかるだろうが」
干物のような男性住民は、呆れた様な表情を浮かべながら応える。
「いや、俺ってば、この間、足のサイボーグ化終わってるし。 100m3秒って、
すごくね?」
チャラい雰囲気の男性住民が、真剣な表情を浮かべながら告げる。
「黙れ、この半メカ野郎!!」
干物のような男性住民は、そう短く応えた。
そんな二人の会話を聞いた住民は、ただ微笑ましいものをみたとばがり
笑うもの、 そして、少し苛ついた表情を浮かべるものと分かれていた。
もう一度告げよう。
ここにいる全ての人間は、全員が迷彩服+重火器で武装している。
非戦闘民や避難民は存在しない。
『グランド・ゼロ』以降、彼等にとって、これがあくまで日常になったのだ。