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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第五篇 乱世に広がる火

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第十六話 四百人の役目

雪解けとともに、アイヒェンタールの道と輸送の仕組みが試されます。一方、ベルグハーフェンでは新たな百挺が完成。二百二十挺と四百人を一つの部隊として動かすため、レオンハルトを迎えた合同訓練が始まります。

 朝、窓を開けると、屋根から落ちた水が石を叩く音が聞こえた。

 夜の間に薄く凍っていた雪が、朝日を受けて解け始めている。

 山の斜面にはまだ白い部分が残っていたが、村の道には黒い土が見えていた。春が近づいているというより、冬と春が一日の中で何度も入れ替わっているようだった。

 雪解け水は、季節が変わったことを知らせるだけではない。

 山から流れ落ちる水が道を削り、荷車の車輪を泥へ沈め、橋へ木の枝や石を押しつける。

 その朝、領主の館へ入ってきた村長の靴も、足首まで泥に汚れていた。

「北の山道はどうですか」

「枝を埋めたところは、荷車が通れました。ですが、その先で溝が詰まりました」

 村長は丸めていた紙を机へ広げた。

 アイヒェンタールの中心村と北の小集落を結ぶ道が、太い線で描かれている。その途中に、炭でいくつもの印が付けられていた。

「ここです。雪解け水が溝へ入りましたが、出口に土が崩れました。水が道へ戻り、今度はこちらが沈んでいます」

「枝を敷いた場所は?」

「車輪が沈む深さは半分ほどになりました。細い枝が水を通しているようです。ただ、上に置いた石が端へ寄っています」

 前世の知識を思い出して指示した方法でも、最初から完全にうまくいくわけではない。

 枝の束は水の通り道を作った。だが、その上へ置いた石が車輪に押され、道の端へ動いている。

「枝を敷いた道の両端へ、少し大きな石を置きましょう。上の小石と土が外へ逃げにくくなるはずです」

「溝の出口は、もう一度掘りますか」

「掘るだけでは、また土が崩れます。出口の左右へ石を積んでください。水を堰き止めないよう、底にも平たい石を並べます」

「石工を呼びますか」

「そこまで立派に作らなくていいです。まず一か所だけ試してください。うまくいけば、同じように崩れた場所へ広げます」

 村長がうなずき、紙へ書き加えた。

「荷車の待避場所は二か所できました。三か所目は、まだ木の根を掘り出しています」

「二か所で一度使ってみましょう。荷車が来る時刻をずらせば、三か所目が完成するまで待つ必要はありません」

 道をすべて広げようとすれば、春が終わっても工事は終わらない。

 今必要なのは、立派な街道ではない。ベルグハーフェンとアイヒェンタールの間を、荷車が止まらずに往復できることだ。

「それと、北の集落に空いている納屋があると聞きました」

「以前、羊を飼っていた家の納屋です。今は薪を少し置いているだけです」

「村で借りられますか」

「何を入れるのですか」

「荷車の予備車輪と綱、馬の飼葉です。橋板も数枚置きます」

 村長が怪訝そうに首を傾げた。

「予備の物は、館の近くへ置くのではないのですか」

「北の道で車輪が壊れてから、館まで取りに戻るのですか」

「あ……」

「必要になる場所の近くへ置きます。北の集落だけではありません。ベルグハーフェンへ向かう途中の集落にも、同じような場所を作りたいです」

 俺は地図の上へ三つの丸を付けた。

 アイヒェンタールの領内には、中心となる村のほかに、小さな集落が点在している。

 それぞれに大きな倉庫を建てる余裕はない。それでも、空いている納屋や共同の小屋へ、少量の飼葉や修理道具を置くことはできる。

「ここには予備車輪を一つと車軸へ塗る油。ここには綱と杭。北の集落には橋板と飼葉を多めに置きます。夜に荷車を動かす場合に備えて、油と灯りも必要です」

「保管する家には、どれほど負担させますか」

「無償では頼みません。山道の通行税と、クレーマー商会から受け取る輸送費の一部を使います。品物を置く場所を貸し、馬の飼葉を確かめる代わりに、毎月決めた分を支払います」

「馬を置くのですか」

「今すぐ馬を増やすわけではありません。ですが、途中で馬を休ませられる場所は必要です。将来、領内で使える馬が増えれば、疲れた馬を替えることもできます」

 火縄銃を運ぶためだけではない。

 木材、木炭、蜂蜜、皮革。アイヒェンタールからベルグハーフェンへ売れるものはある。

 だが、運ぶ途中で荷車が壊れ、馬が動けなくなれば、商品は町へ届かない。輸送に時間が掛かれば、それだけ荷車と人を長く使うことになる。

 小さな領地で生産量を急に何倍にもするのは難しい。

 それでも、同じ量を少ない損失で運べるようにすれば、領民の手元へ残る金は増える。

「保管を任せる家は、村長たちで決めてください。ただし、親しい者だけで選ばないように。道から近く、乾いた場所を持ち、毎日確認できる家を選びます」

「アレク様が見に行かれますか」

「最初の報告を聞いてからにします。今日はベルグハーフェンへ行かなければなりません」

 村長が苦笑した。

「最近は、領内にいらっしゃる時間より、ベルグハーフェンにいる時間の方が長いのではありませんか」

「夜には帰っています」

「日が沈んでからですが」

「だから、朝に報告を聞いているのです」

 俺は地図を村長へ返した。

「道の工事と保管場所の選定は任せます。夕方、成功した場所と失敗した場所を分けて報告してください。成功だけを書かせないように」

「失敗もですか」

「次の雪解けでも同じことをするなら、失敗した場所の方が役に立ちます」

 俺が領主の館にいなくても、道は直さなければならない。

 俺が戻るまで作業を止める領地では、何も進まない。

 村長たちを見送り、俺は簡単に朝食を済ませて馬へ乗った。

 ベルグハーフェンへ向かう道の脇では、解けた雪が細い流れになっていた。

 ところどころに泥はあるが、荷車の轍は以前ほど深くない。枝を敷き、石を重ねた場所には、すでに二台の荷車が通った跡が残っている。

 完全ではない。

 それでも、進める道にはなっていた。


◇ ◇ ◇


 ロルフの検査場へ着くと、入口の前に荷車が並んでいた。

 一台や二台ではない。

 鉄筒を入れた木箱、削り終えた木台、装填棒、引金や火縄ばさみに使う金具。それぞれ異なる荷車が、検査の順番を待っている。

「これを全部、今日見るのですか」

 俺が尋ねると、ロルフは鉄筒から目を上げずに答えた。

「俺一人で見るわけがない」

 検査場の奥では、数人の職人が部品を調べていた。

 鉄筒の長さと太さを測る者。木台へ筒を載せ、隙間がないか確かめる者。引金を動かし、火縄を挟む金具が正しく落ちるか試す者。

 以前はロルフが一つずつ手に取り、合格か不合格かを決めていた。

 今は、ロルフが選んだ検査役が最初に部品を分けている。

「一次検査を通った物だけ、こちらへ持ってこさせているのですか」

「そうだ。長さが違う物、曲がっている物、金具が動かん物まで俺の前へ並べていたら、日が暮れる」

「検査役は信用できますか」

「信用するために、不良品を見せた」

 ロルフは作業台の下から、短く切った鉄筒を取り出した。

 厚みの偏った部分が分かるよう、断面が磨かれている。

「良い物だけ見ていた者には、悪い物は分からん。破裂した筒、亀裂が入った筒、点火孔が詰まった筒を見せた。迷った物は合格にするなとも言ってある」

「不合格が増えませんか」

「増える。だが、兵の顔の横で筒が裂けるより安い」

 ロルフの言葉は相変わらず容赦がない。

 だが、そのとおりだった。

 製造数を増やすために検査を省けば、戦場へ持っていった火縄銃が兵を傷つける。

 数を揃えることと、不良品まで数へ入れることは違う。

 壁際には、完成した火縄銃が五十挺ずつ二つの列に分けて並べられていた。

「百挺、完成したのですか」

「二つ目の五十挺は、昨日の夕方に試射を終えた」

「十日余りで百挺も?」

「十日前から作り始めたわけではない」

 ロルフが不機嫌そうに俺を見た。

「前の五十挺を組み立てている間に、次の鉄筒は作られていた。鉄筒を検査している間に、木台と金具が届いた。五十挺ずつ数えているから、五十挺が終わるまで次を作っていないと思うな」

「分かっています」

「分かっていない顔をしていた」

「最近、その言い方をする人が増えましたね」

「誰のことだ」

「気にしないでください」

 マティアスとロルフが似ているとは言わない方がいい。

 どちらも否定しながら、不機嫌になる姿が目に浮かぶ。

「百挺すべて、試射は終わったのですね」

「三発ずつ撃った。点火しなかった物は部品を替え、最初からやり直した。ここに並んでいる物は撃てる」

 俺は二列の間を歩いた。

 同じ長さの鉄筒。同じ位置に付いた火皿と火蓋。同じように削られた木台。

 細かく見れば職人ごとの差は残っている。

 木台の色も、金具の表面も完全には揃っていない。

 それでも、最初の一挺をロルフと何度も作り直していた頃を考えれば、百挺が同時に並んでいる光景は信じられないものだった。

 これで完成した火縄銃は累計二百五十挺。

 アルベルトへ渡した三十挺を除けば、俺たちが使えるのは二百二十挺になる。

「残り八十挺は」

「部品は来ている」

 ロルフが入口の荷車を顎で示した。

「鉄筒は百本近く届く。全部が使えるとは思うな。木台も多めに作らせている。組み立てるだけなら八十挺を超えるが、検査を通るかは別だ」

「十日で揃いますか」

「分からん」

「出陣の日が決まれば、待ってもらえません」

「だから何だ」

 ロルフは作業台へ鉄筒を置いた。

「急げと言われれば、手は急がせる。検査を減らせと言われても減らさん。十日後に七十九挺しかできなければ、七十九挺を持っていけ。八十挺目に兵を殺させるよりましだ」

「検査を減らすつもりはありません」

「なら、完成日を聞くな。完成させるために必要な物を聞け」

 痛いところを突かれた。

「足りない物はありますか」

「検査役が足りん。鉄筒の試射に使う火薬と弾もいる。試射場へ運ぶ荷車が一台壊れた」

「荷車は用意します。火薬と弾は、訓練用とは別に確保します。検査役は増やせますか」

「今いる者に、さらに二人ずつ付ける。測り方と不良品の見分け方だけを教えろ。合否を決めるのは今の検査役だ」

「分かりました。クレーマー商会へ頼みます」

「それと、次の鉄を止めるな」

「三百挺の後も作るのですか」

「壊れん火縄銃を作った覚えはない」

 戦場へ三百挺を持ち込んでも、すべてが最後まで使えるとは限らない。

 前回は十挺のうち二挺が不発になり、最後まで使えたのは八挺だった。

 三百挺になれば、不発や故障の数も増える。

 修理中の交換分や、破損した部品の代わりも必要になる。

「鉄の注文は止めません。三百挺が揃った後は、交換分と予備を作ります」

「最初からそう言え」

 ロルフは次の鉄筒を手に取った。

 話は終わりらしい。

 百挺の完成を喜ぶ暇もなく、次の八十挺の検査が始まっている。

 俺も完成品を訓練場へ運ばなければならなかった。

 検査場の外へ出ると、クレーマー商会の荷車が待っていた。

 火縄銃を運ぶ箱には、外から中身が分からない印が付けられている。

 百挺を一度に運ばず、数台へ分ける。

 先に出た荷車が街道で止められても、すべてを失わないためだ。

 マティアスが敵に近い場所から戻って以来、火縄銃そのものだけでなく、運び方まで以前より慎重になっていた。


◇ ◇ ◇


 訓練場へ到着した時、すでにレオンハルトの旗が見えていた。

 ユリウスと数人の将兵を連れ、火槍隊の整列を見ている。

 その後方には、合同訓練へ参加する槍兵と騎兵が待っていた。

 俺は馬を降り、レオンハルトの前へ進んだ。

「お待たせしました、レオンハルト殿下」

「俺が早く来ただけだ。マティアスから、今日なら二百挺を超えると聞いた」

「新たに百挺が完成しました。こちらで使えるのは二百二十挺です」

「ようやく戦で使える数に見えてきたな」

 レオンハルトは、荷車から降ろされる木箱へ目を向けた。

 十挺を初めて実戦へ出した時も、レオンハルトはその価値を認めていた。

 だが、十挺でできたのは、敵の指揮官を倒し、判断を誤らせることだった。

 二百二十挺なら、敵の一部隊そのものを止められるかもしれない。

「三百挺まで、あと八十挺です」

「間に合うか」

「ロルフは断言しませんでした」

「職人らしい答えだ」

「検査を省けば揃えられるとは言いませんでした」

「それでいい。三百挺を並べて、一斉に破裂されては困る」

 レオンハルトは、後方に並ぶ四百人へ視線を移した。

「銃がない者は、まだ木の棒を持っているのか」

「はい。ただし、今日届いた百挺を渡せば、実銃を扱える者は二百二十人になります。残る八十人も、装填と号令は覚えています」

「後ろの百人は?」

「支援役です。一発筒と火薬、火縄、修理道具を運びます。負傷者の搬送と伝令も担当します」

「撃てないのか」

「基本操作は全員に教えています。射手が倒れた場合や、使える火縄銃が余った場合には交代できます。ただ、戦場で全員へ銃を持たせれば、弾薬を運ぶ者がいなくなります」

「四百挺を作れとは言わんのか」

「今は三百挺を戦場へ運び、撃ち続けることが先です」

 レオンハルトがわずかに笑った。

「以前のお前なら、兵の数だけ作るべきだと言ったかもしれんな」

「以前の私は、十挺を作るだけで五か月も掛かるとは思っていませんでした」

「それを知っただけでも進歩だ」

 四百人を訓練場の中央へ集めた。

 三百人の射手は、百人ずつ三つの隊へ分けている。

 第一の百人は、俺が領地とともに与えられた直轄の兵だ。

 前回のシュヴァルツ伯軍との戦いを経験した十人も、この百人の中へ置いている。

 第二、第三の百人は、レオンハルトから預かった兵だった。

 最初は、既存の十人を各隊へ分けることも考えた。

 だが、いつまでも十人だけを教官にしていては、人数が増えるたびに訓練が止まる。

 これまでの訓練で、装填手順や安全確認をほかの兵へ教えられる者が育っている。第二、第三の百人には、そうした兵を班の中核として配置した。

 支援の百人も、一つの塊にはしていない。

 一発筒を運ぶ者、腰箱へ入れる火皿用火薬を補充する者、予備の火縄を管理する者、点火孔を掃除する道具や修理部品を運ぶ者。それぞれの役目ごとに分け、三つの射撃隊へ付けている。

 ただ百人ずつ四つへ分ければいいわけではない。

 誰が倒れても、何が足りないか分かる形にしなければならなかった。

「始めます」

 俺の言葉を受け、火槍兵長が前へ出た。

「第一の百人、前へ!」

 俺の直轄隊が進む。

 その後ろへ、第二、第三の百人が間隔を空けて並んだ。

 二百二十挺しかないため、全員が実銃を持っているわけではない。

 第一の百人には百挺。

 第二の百人には七十挺。

 第三の百人には五十挺を持たせた。

 火縄銃を持たない兵は、同じ重さになるよう調整した木製の訓練道具を持つ。

 まずは火薬を使わない合同訓練から始めた。

 前方にはレオンハルトの槍兵が二列で並ぶ。

 敵役の騎兵が、訓練場の端からゆっくり近づいてきた。

「槍兵、射線を開け!」

 号令を受け、槍兵が左右へ分かれる。

 その後ろから第一の百人が進み、火縄銃を構えた。

 騎兵が接近する。

 実際の敵なら、馬蹄の音と地面の震えが兵の恐怖を煽る。訓練だと分かっていても、馬が正面から迫れば、銃口が揺れる者がいた。

「正面を見ろ! 横へ逃げる馬を追うな!」

 敵役の騎兵が左右へ分かれた。

 数人の射手が、無意識に銃口を騎兵へ向けて動かす。

 隣の兵と筒が触れ、隊列が崩れかけた。

「撃つ動作!」

 火槍兵長の号令が飛ぶ。

 火薬は入っていない。

 兵たちは引金を引き、火縄を落とす動作をした。

「第一の百人、下がれ! 槍兵、前へ!」

 射手が後方へ下がり、槍兵が中央へ戻る。

 その途中で、下がる射手と前へ出る槍兵が肩をぶつけた。

 槍の柄が火縄銃の筒へ当たり、甲高い音を立てる。

「止めろ!」

 俺は手を上げた。

 騎兵が離れ、兵たちが動きを止める。

「槍兵が悪いのではありません。火槍隊が前へ出すぎています」

 地面に付けた印を見る。

 射手の先頭は、決めていた位置より数歩前へ出ていた。

 敵役の騎兵へ弾を当てようと考え、無意識に距離を縮めたのだろう。

「ここから前へ出ないでください。近づけば当たりやすくなると考える気持ちは分かります。ですが、装填中に槍兵が前へ戻れなくなります」

 一人の兵が騎兵の去った方向を見ていた。

「横へ回られた場合は、向きを変えなくてよろしいのですか」

「自分の判断で列全体を曲げないでください。左右を守る槍兵と、敵の動きを伝える者を置きます。正面を撃てと命じられた者が横を向けば、隣の兵へ弾を撃ち込みます」

「ですが、横から来た敵は」

「横を守る兵が戦います。すべての敵を自分で倒そうとしないでください」

 俺自身にも言えることだった。

 自分に見えた問題を、すべて自分で解決しようとすれば、本来の役目を見失う。

 射手は命令された方向へ弾を飛ばす。

 槍兵は装填中の射手を守る。

 伝令は敵の動きを指揮官へ届ける。

 支援兵は射撃を続けるための弾薬と火縄を運ぶ。

 それぞれが自分の役目を果たした時、初めて四百人が一つの部隊になる。

「もう一度行います」

 槍兵と火槍隊を最初の位置へ戻した。

 二度目は、射手が決められた線で止まった。

 槍兵も、射手が下がる道を空けて前へ出る。

 三度目には第二の百人、四度目には第三の百人を使った。

 百人の隊が変われば、同じ号令でも動きが変わる。

 第一の百人は火縄銃を扱った期間が長く、下がる動きも速い。

 第二の百人は列を保つことを意識しすぎ、射撃位置へ着くまでに時間が掛かった。

 第三の百人は速く動こうとして、列の端が前へ出すぎる。

 同じ訓練を受けても、同じ百人にはならない。

 それを揃えるのが、各隊を率いる者の役目だった。

「ここからは実弾を使います」

 敵役の騎兵と槍兵を射線から退かせた。

 訓練場の奥には、古い盾と厚い板、それに藁束が並べられている。後方の土手と周囲の見張りも確認した。

 二百二十挺を、七十、七十、八十の三組へ組み替える。

 実銃を持たない者は後方で同じ装填動作を行い、組が移動する時には一緒に動く。

「弾薬箱開放許可!」

 火槍兵長の声が響いた。

 兵たちが携帯用弾薬箱の留め具へ手を掛ける。

「一発取れ!」

 一発筒が取り出される。

「装填!」

 木栓を外し、火薬と弾を銃口へ入れる。

 装填棒で押し込み、火皿へ細かな火薬を置く。

 火蓋を閉じ、火縄を火縄ばさみへ挟み、掛け金へ留める。

 七十人が同じ動作をするだけで、訓練場の空気が変わった。

 レオンハルトもユリウスも、何も言わずに兵たちを見ている。

「第一組、前へ!」

 七十挺が射撃位置へ進んだ。

 赤い布が上がる。

「構え!」

 火蓋が開かれ、銃口が標的へ向く。

 角笛が鳴ると同時に、赤い布が振り下ろされた。

「撃て!」

 七十挺の火縄銃が火を噴いた。

 音が重なり、空気を叩く。

 前回の四十挺よりもさらに大きな白煙が、兵たちの姿を隠した。

「第一組、下がれ! 第二組、前へ!」

 左右へ分かれて下がる兵の間を、次の七十人が進む。

 白煙の中から、七十の銃口が現れた。

 二度目の銃声。

 煙が訓練場の中央を覆い、奥に並べた標的が見えにくくなる。

「第三組、前へ!」

 八十人が射撃位置へ入る。

 列の端からは、火槍兵長の赤い布がほとんど見えない。

 それでも角笛は聞こえた。

 三度目の一斉射撃が響く。

 合計二百二十発。

 土手へ弾が当たり、乾いた土が跳ねた。

 板が割れ、古い盾が後ろへ倒れる。

 馬から降りて見ていた将兵の一人が、無意識に息を吐いた。

「止めます」

 俺は次の装填を行わせず、弾薬箱を閉めさせた。

 今日の目的は、火薬を使い切ることではない。

 二百二十挺を三組に分け、槍兵と合わせて動かせるかを確かめることだ。

 煙が流れた後、レオンハルトが標的の前まで歩いた。

 盾の表面には穴が開き、板の一枚は二つに割れている。

「十挺とは別の武器に見えるな」

 レオンハルトが割れた板を足先で起こした。

「構造は同じです」

「数が変われば、同じ武器でも役目が変わる。十挺なら敵の指揮官を狙わせる。二百挺なら、敵の前列を消せる」

「すべてが当たるわけではありません」

「分かっている。だが、敵がこの板より広く並べば、外れた弾も別の兵へ飛ぶ」

 レオンハルトは土手に残った弾痕を見た。

「三百挺なら、百挺ずつ三組か」

「はい。第一の百人が装填している間に、第二、第三の百人が撃ちます」

「三組目が撃った後、最初の百人は間に合うのか」

「まだ完全ではありません。装填の速い兵と遅い兵がいます。射撃の間隔を少し広げ、槍兵と弓兵に時間を作ってもらう必要があります」

「火縄銃だけで、途切れさせずに撃つのではないのか」

「無理に急がせれば、火薬をこぼし、弾を入れ忘れ、装填棒を抜かずに撃つ者が出ます。火縄銃の射撃が止まる短い間を、ほかの兵で埋めます」

 レオンハルトはしばらく俺を見た後、笑った。

「少し前なら、できると言い張ったのではないか」

「最近、周りに無理だと言う人が多いのです」

「ロルフとマティアスか」

「主にその二人です」

「ならば、聞いておけ。あの二人は、できないと言った後に、どうすればできるかを考える」

 レオンハルトは兵たちの前へ戻った。

 三百人の射手と、支援役の百人が整列する。

「聞け」

 レオンハルトの声で、訓練場が静かになった。

「お前たちが扱う武器は、まだ戦場の誰も正しい使い方を知らん。敵も知らんが、味方の将も知らん」

 兵たちの顔へ緊張が走る。

「三百挺を作れと命じたのは俺だ。だが、三百挺を並べただけでは軍にならん。職人が作り、商人が材料を運び、お前たちが訓練して、初めて戦で使える」

 レオンハルトが俺へ顔を向けた。

「アレク」

「はい」

「今回の戦では、三百人の射手全体の運用をお前へ任せる」

 一瞬、意味を理解するのが遅れた。

「私が、三百人を?」

「第二、第三の百人には俺の指揮官を付ける。百人の列を整え、兵を動かすのはそいつらの仕事だ。だが、どの組から撃たせ、どれほど間隔を空け、いつ射撃を止めるかはお前が決めろ」

「私はマティアス様の配下です」

「知っている。お前を俺の臣下にすると言ったのではない。火縄銃を最も知る者へ、火縄銃の運用を任せると言っている」

 レオンハルトは当然のことのように言った。

「三百挺を同時に使える軍へ変えたのは、お前と火槍兵たちだ。戦場で、その価値を証明しろ」

 断れる命令ではない。

 だが、三百人すべての命を預かると考えた瞬間、喉が乾いた。

 前回は十人だった。

 今度は三百人の射手に、支援の百人。さらに前を守る槍兵や弓兵、左右から動く騎兵もいる。

 俺の命令が遅れれば、射撃の機会を失う。

 早すぎれば、敵が遠いうちに弾薬を使い切る。

 煙で見えないまま撃たせれば、味方へ弾が飛ぶかもしれない。

「承知しました」

 そう答えるしかなかった。

 訓練を見ていたマティアスが、俺の横へ来た。

「今、お前一人で三百人を動かそうと考えたな」

「全体の運用を任されましたから」

「一人で三百人へ号令を届けられると思うか」

「思いません」

「ならば、百人を動かせる者を三人使え」

 マティアスは第一から第三までの百人を順に指した。

「お前が決めるのは、誰が、いつ、どこへ向けて撃つかだ。その命令を百人へ伝え、列を動かすのは、それぞれの指揮官にやらせろ。火縄が外れた兵まで、お前が走って直すつもりか」

「そこまでは考えていません」

「本当か?」

「少しだけ考えました」

「捨てろ、その考えは」

 即座に言われた。

 レオンハルトが笑っている。

「マティアス。お前の部下は、随分と手が掛かるな」

「殿下が仕事を増やすからです」

「それを動かせると思ったから増やした」

「動かせなければ?」

「次は減らす」

 兵を減らすという意味ではないだろう。

 任せる仕事を減らすという意味だ。

 それでも、俺には十分な脅しだった。

「各百人の指揮官と、命令の順序を決めます。私は全体の射撃開始と停止、攻撃する方向を決めます。装填や移動の遅れは各隊から報告させます」

「それでいい」

 マティアスがうなずいた。

「ただし、もう一つ試す」

「何をですか」

「第一の百人を抜け」

 俺はマティアスを見た。

「私の百人を?」

「お前の直轄隊だけ、正面の戦列から外す。残る二百人で射撃を続けさせろ」

「三組ではなくなります」

「敵に、こちらの都合へ合わせて待ってもらうのか」

 マティアスは第二、第三の百人へ向き直った。

「百挺ずつ交互に撃たせろ。装填が終わるまでの間は、槍兵と弓兵を前へ出す」

 レオンハルトも命令を止めなかった。

 むしろ、当然のように槍兵の指揮官へ新しい配置を指示している。

「なぜ、私の百人だけを抜く必要があるのですか」

「正面の敵が崩れた後、別の場所で百人が必要になるかもしれん」

「別の場所とは?」

「まだ決めていない」

「決めていないのに、訓練するのですか」

「決まってから始めて、間に合うのか」

 何かを隠している。

 敵に近い場所へ商人の姿で出かけ、戻った後に古い街道と森を調べた。

 その直後、俺の百人へ森を抜ける移動訓練を命じた。

 今度は、その百人だけが正面から抜けても、残る二百人が戦えるようにすると言う。

 マティアスの中では、使う場面まで考えているのだろう。

 だが、それを俺へ話すつもりはまだない。

「分かりました。第一の百人を外します」

 俺の直轄隊を、訓練場の左後方へ移動させた。

 残る第二、第三の百人には、百挺ずつ持たせる。

 余った二十挺は第一の百人へ持たせたままにした。

「第二の百人、前へ!」

 火薬は使わず、動作だけを行う。

 第二の百人が撃つ動作をした後、後方へ下がる。

 すぐに第三の百人が前へ出る。

 第三の百人が撃ち終えて下がっても、第二の百人の装填はまだ終わっていない。

「槍兵、前へ!」

 火縄銃の射線を閉じるように、槍兵が中央へ進んだ。

 弓兵がその後方から矢を放つ動作を行う。

 第二の百人の装填が終わると、角笛が鳴り、槍兵が左右へ分かれた。

 再び百挺が前へ出る。

 三組で撃つ時ほど、銃声の間隔は短くならない。

 だが、火縄銃が装填している間にも、槍兵と弓兵が敵を止める。

 敵が混乱し、前列を崩しているなら、十分に時間を作れるかもしれない。

「最初から、これを考えていたのですか」

 俺が尋ねると、マティアスは第一の百人へ目を向けた。

「三百挺すべてが、最後まで同じ場所で撃てるとは考えていない」

「故障するからですか」

「それもある。だが、戦場は動く。敵が崩れれば、勝つために必要な場所も変わる」

「私の百人を、どこへ動かすつもりですか」

「その時が来たら教える」

 また同じ答えだった。


◇ ◇ ◇


 合同訓練が終わり、クレーマー商会へ戻ったのは日が傾き始めた頃だった。

 マティアスの執務室には、各地から届いた報告と注文書が積まれている。

 俺が完成した百挺の輸送記録を整理していると、商会の使用人が一通の手紙を持ってきた。

「南から来た葡萄酒商人が、こちらを」

「誰宛てだ」

「マティアス様です。商品の注文書だと」

 封筒には、見覚えのない小さな商会の印が押されていた。

 マティアスは封を切り、中の紙を読む。

 俺の位置から内容は見えない。

 だが、商品名を追っていたらしいマティアスの指が、途中で止まった。

「何の注文ですか」

「麦四袋、葡萄酒一樽、若い馬二頭、壊れた車輪四枚」

「壊れた車輪を注文するのですか」

「そう書いてある」

「変な商人ですね」

「世の中には、変な物を欲しがる者もいる」

 マティアスはもう一度紙を読んだ。

 その表情から、単なる商品注文ではないことは分かる。

 麦や葡萄酒の数に意味があるのか。商品を並べた順番が言葉の代わりなのか。

 以前の俺なら、何を隠しているのか問い詰めていたかもしれない。

 だが、マティアスが行き先を知らせなかった理由は聞いている。

 知らなければ、話すこともできない。

 マティアスは卓上の灯りへ紙の端を近づけた。

 火が紙へ移り、注文の文字を黒く変えていく。

「注文を断るのですか」

「いや」

 燃え残った部分も火へ入れ、灰になるまで見届ける。

「品物は、約束の日に届くらしい」

「こちらが届けるのではなく?」

「届く物もある」

 マティアスは立ち上がり、棚から地図を取り出した。

 ベルグハーフェンの東側、シュヴァルツ伯の領地へ続く一帯が描かれている。

 敵に近い場所から戻った日に集めた地図だ。

 マティアスはシュヴァルツ伯軍が集まると予想される場所へ一つ、その南の街道へ一つ、炭で印を付けた。

 さらに、森を抜けた先の古い街道へ短い線を引く。

「シュヴァルツ伯軍の集結場所が分かったのですか」

「まだ変わる」

「先ほどの注文書に書かれていたのですか」

「注文書には麦と葡萄酒と馬と車輪しか書かれていない」

「それは見なくても聞きました」

「なら、それで十分だ」

 これ以上は話さないということだ。

 マティアスは地図を畳まず、別の報告書をその横へ置いた。

「シュヴァルツ伯は、どれほどの兵を集めると思いますか」

「前回より多いでしょう。敗れたままでは、離れる諸侯が出ます」

「だからこそ、力を見せる必要がある。一万に届くかもしれん」

「こちらは?」

「レオンハルト殿下が集められるのは、六千から七千だ」

 こちらの方が少ない。

 火縄銃が三百挺あっても、兵力差をすべて埋められるわけではない。

 だが、敵の三千が密集して正面から攻めてくれば、三百挺の弾を集中できる。

 重要なのは、敵がこちらの望む場所へ来るかどうかだ。

「戦う場所は決まっていますか」

「候補はある。だが、シュヴァルツ伯がどの道を使うかで変わる」

 マティアスは先ほど印を付けた地図を見た。

 麦四袋。葡萄酒一樽。若い馬二頭。壊れた車輪四枚。

 数字が部隊や日付を示しているのかもしれない。

 だが、推測しても確かめられない。

「お前は残り八十挺と四百人を見ろ」

「マティアス様は?」

「一万の兵が、どこで飯を食い、どの道を通り、どこへ逃げるかを見る」

 逃げる場所まで、すでに考えている。

 勝てるかどうかも分からないうちから、敵が敗れた後を考えている。

 それがマティアスのやり方だった。

 俺はその夜、アイヒェンタールへ戻った。

 領主の館では、朝に命じた道と保管場所についての報告が待っていた。

 溝の出口へ石を置いた場所は、水が道へ戻らなくなった。

 一方、待避場所の一つでは、荷車が向きを変えようとして車輪を溝へ落としたらしい。

 待避場所を広げるのではなく、荷車がまっすぐ入ってまっすぐ出られるよう、入口と出口を分けることにした。

 北の集落では、空いた納屋を貸す家が決まった。

 ベルグハーフェンへ向かう途中の集落からも、保管場所を引き受けたいという家が二軒出ている。

 輸送の仕事が増えれば、飼葉や修理で金を得られると理解したのだろう。

 領内の報告を聞き終え、自室へ戻る。

 机の上には、エリーゼへの手紙を書きかけた紙が置いてあった。

 戦が近いことを、どこまで書くか迷っていた。

 以前なら、詳しいことは何も書かず、心配しなくていいとだけ伝えたかもしれない。

 だが、倉庫襲撃で負傷したことを書いた時、エリーゼは心配しなくなると思ったのかと手紙に書いてきた。

 危険を小さく書いても、危険そのものが消えるわけではない。

 俺は椅子へ座り、続きを書いた。

『シュヴァルツ伯が兵を集めているそうです。まだ出陣の日は決まっていませんが、私も戦へ行くことになると思います』

 一度筆を止める。

『危険がないとは言えません。心配しないでほしいとも書きません。ですが、出立するまでは手紙を書きます。帰った時には、傷ついた手袋を持って会いに行きます』

 帰ると約束することと、絶対に死なないと断言することは違う。

 未来を知っているわけではない。

 それでも、帰るためにできることはすべてする。

 エリーゼからもらった手袋は、布に包んで箱へ入れている。

 次に会う時、直してもらう。

 その約束を果たすためにも、戦場から戻らなければならなかった。

 手紙を封じた翌朝、レオンハルトのもとからユリウスが来た。

 いつもの冷静な表情だったが、手には封蝋を押した命令書を持っている。

「シュヴァルツ伯が動きます」

 領主の館の執務室で、ユリウスは地図を広げた。

「集まる兵は、周辺諸侯を含めて一万前後。すべてが同時に動くとは限りませんが、前回より大きな軍になるのは確実です」

「こちらは六千から七千と聞いています」

「はい。殿下は十二日後、ベルグハーフェン東方へ向けて出陣します」

「十二日後……」

 ロルフが示した見込みは十日ほど。

 順調にいけば、残り八十挺は出陣前に揃う。

 だが、検査で不合格になる鉄筒が多ければ遅れる。荷車が泥へ沈んでも遅れる。火薬や弾を試射へ回せなければ、完成品として認められない。

「火槍隊四百人は、出陣二日前までにベルグハーフェンへ集結してください」

「承知しました」

「三百挺が間に合わない場合は、完成した分だけでも連れていきます」

「間に合わせます」

 思わず言った後、ロルフの顔が頭へ浮かんだ。

「いえ、検査は省きません。それでも、できる限り三百挺を揃えます」

「殿下も同じお考えです。数だけを揃えた火縄銃で兵を失う必要はありません」

 ユリウスは命令書を俺へ渡した。

 出陣日。集結場所。四百人分の食料。火縄銃、火薬、弾、一発筒を運ぶ荷車の数。

 必要なものが細かく書かれている。

 敵が一万集まるという話より、その命令書の方が戦を現実に感じさせた。

 十二日後には、この館を離れる。

 俺がいない間も、道の工事は続く。木炭を焼く窯も止められない。保管場所へ置いた飼葉や車輪が、荷車を支える。

「領地の留守は誰へ任せますか」

 ユリウスに尋ねられ、俺は村長たちの顔を思い浮かべた。

「村長と、各集落の担当者へ任せます。毎日の判断は彼らにさせ、ベルグハーフェンのクレーマー商会へ報告を送らせます」

「アレク殿が戻るまで、工事を止めるのではないのですね」

「止めたら、帰ってくる道がなくなるかもしれません」

 ユリウスはわずかに口元を緩めた。

「では、その道を使って帰ってきてください」

「はい」

 ユリウスを見送った後、俺は命令書を持ってベルグハーフェンへ向かった。

 マティアスはすでに出陣日を知っていたらしく、執務室には大量の帳簿と輸送予定が広げられていた。

「十二日後だそうです」

「聞いている」

「残り八十挺は十日ほど。間に合うと思いますか」

「火縄銃だけなら、ロルフに聞け」

「聞きました。分からないと言われました」

「なら、分からん」

「マティアス様まで同じことを言わないでください」

「間に合わせなければならないのは八十挺だけではない」

 マティアスは別の紙を俺の前へ置いた。

「三百挺を運ぶ荷車。一人十本なら三千本の一発筒。追加の火薬と弾。予備の火縄。腰箱の中身。装填棒。点火孔を掃除する道具。壊れた金具を替える部品。四百人が食う麦と干し肉。馬の飼葉」

 紙には、それぞれの必要量と、現在用意できている量が記されている。

 三千本の一発筒は、すでにかなりの数が揃っていた。

 獣角を加工する職人を増やし、空筒を回収して再利用する仕組みを作った成果だ。

 だが、三千本すべてへ火薬と弾を詰める作業は、火種を持ち込めない専用の場所で行わなければならない。

 火縄銃が完成しても、一発筒が空なら撃てない。

「十二日で、すべて揃いますか」

「揃える」

「ロルフには、完成日を聞くなと言われました」

「俺は職人ではない。売ると決めた物を、約束の日までに届ける商人だ」

「まだ売ってはいません」

「レオンハルト殿下に、金より高い物を売る。勝利だ」

 マティアスは、アイヒェンタールから届いた道の報告へ目を通した。

 溝を直した場所。荷車の待避場所。予備車輪や飼葉を置く納屋。橋板を分散して保管する集落。

「これなら、荷車を一度に送らずに済む」

「アイヒェンタールで揃った物から、途中の集落へ置かせます。出陣前にベルグハーフェンへ集めます」

「火薬と火縄は最後まで分けろ。一発筒の補充場所へ火種を入れるな」

「分かっています」

「兵の食料は二日前から集める。早く集めすぎれば、四百人が出陣前に食う」

「火縄銃は?」

「完成した分から訓練場へ。出陣前日に検査記録と番号を照合する」

 俺は帳簿の上に並ぶ数字を見た。

 領地で道を直す者。

 木を切り、木炭を焼く者。

 鉄筒を鍛える者。

 木台を削る者。

 一発筒を作る者。

 荷車を動かす者。

 火縄銃を撃つ兵。

 槍で射手を守る兵。

 四百人へ食料を運ぶ者。

 誰か一人が欠けても、三百挺は戦場で撃てない。

「間に合いますか」

 もう一度尋ねた。

 マティアスは顔を上げた。

「間に合う」

 今度は迷わず答えた。

「お前が道を作り、村の者が使えるようにした。職人が銃を作り、兵が撃つ方法を覚えた。クレーマー商会が必要な物を集める」

 マティアスは地図の上に、ベルグハーフェンから東へ延びる線を引いた。

「俺たちが、全部まとめて戦場まで運ぶ」

 出陣まで十二日。

 火縄銃は残り八十挺。

 敵は一万。

 こちらは六千から七千。

 数字だけを見れば、不安になる材料はいくらでもあった。

 それでも、ここまで積み上げてきたものは数字だけではない。

 俺は窓の外を見た。

 ベルグハーフェンの街道では、鉄を積んだ荷車と、食料を積んだ荷車が行き交っている。

 その先には、雪解け水を逃がし、枝と石で支えたアイヒェンタールの道が続いている。

 戦はまだ始まっていない。

 だが、戦場へ向かうすべてのものは、すでに動き始めていた。

第十六話を読んでいただき、ありがとうございました。

火縄銃は二百二十挺まで増え、アレクは三百人の射手全体を運用する役目を任されました。さらに、アレク直轄の百人が戦列を離れた後も、残る二百人が戦い続けるための訓練が始まります。

出陣まで十二日。残る八十挺だけでなく、一発筒、火薬、食料、荷車、修理道具も戦場へ運ばなければなりません。その裏でマティアスへ届いた奇妙な注文書が、まだアレクの知らない策を動かし始めています。

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