第十一話 約束を届ける
専用工場で完成した新たな十挺を届けるため、アレクはアルヴェインへ向かいます。火縄銃の受領を通してアルベルトの本心が語られ、贈り物を身につけたエリーゼとも再会します。
朝の報告が始まる前に、俺は領主館の窓を開けた。
冷たい風が執務室へ入り込み、机の上に重ねられていた紙の端を揺らす。山の木々は少しずつ色を変え、アイヒェン村では冬へ備える仕事が本格的に始まっていた。
最初に届いたのは、各家が保管している薪の量についての報告だった。
兵三百人が新たに入ったことで、野営地の近くに設けた市では薪が以前より高く売れるようになった。領民にとって現金を得られる機会ではあるが、値段につられて冬を越すための分まで売れば、雪が降ってから領主館へ助けを求めることになる。
「各家が必要な量を先に確保する方針は変えません。余った分だけを市へ出してください」
俺が告げると、村長が帳面を開いた。
「家族の人数と、昨年使った量をもとに確認しております。ただ、新しく屋根を直した家や、老人のいる家は少し多めに残した方がよいかと」
「そうしてください。数字を一律に揃える必要はありません。足りなくなりそうな家があれば、今のうちに知らせてください」
「かしこまりました」
次は、山道の補修についてだった。
雨でぬかるんだ場所へ砕いた石を入れたことで、軽い荷車は通れるようになった。しかし、二頭立ての荷車を続けて通せば、また轍が深くなる可能性がある。
軍の荷と商会の荷を運ぶ時間を分け、重い荷車が同じ場所へ集中しないようにする案が出されていた。
「これはこちらで決めてもよろしいでしょうか」
「任せます。ただし、商会の荷車を止める場合は、ベルグハーフェン側へ前日までに知らせてください。待たせてから断ると、荷の積み替えが間に合いません」
「分かりました」
以前なら、道を通す荷車の順番まで俺が考えようとしていたかもしれない。
だが、それでは俺が領地を離れるたびに仕事が止まる。
領民同士で決められることは村長たちへ任せ、兵との調整はギルベルト、商会との調整はベルグハーフェンの担当者へ任せる。俺が判断するのは、領内だけでは解決できないことや、費用の負担を決める必要があることだ。
報告が一段落したところで、ギルベルトが執務室へ入ってきた。
「今朝の訓練は、雨具を着けたままの行進と荷の受け渡しにした」
「木製の訓練用具は使っていますか」
「最初に来た百人だけだ。残りは槍、伝令、火縄を運ぶ動きを教えている。実銃を使う者は、昨日とは別の組へ替えた」
火縄銃は六十挺。
俺の百人と、レオンハルトから預かった三百人を合わせれば、兵は四百人いる。全員へ実銃を渡すことはできないため、六十挺を交代で使わせていた。
実銃を持たない者も、ただ順番を待たせているわけではない。
射手を守る槍兵、火薬や弾を運ぶ者、火縄と火種を管理する者、命令を伝える者。戦場で必要になる役割を分け、それぞれの動きを覚えさせている。
「実銃を使った者の記録は?」
「誰が何発撃ったか、不発があったか、装填にどれだけ掛かったかを残している。今のところ、銃そのものの不発はない。ただ、一人が火縄を消してしまい、別の兵から火を分けてもらうまで射撃できなかった」
「その失敗も残してください。戦場で同じことが起きた時、どうやって火を受け取るかまで訓練に加えます」
「分かった」
ギルベルトが答えた直後、館の外で馬の足音が止まった。
窓から見ると、クレーマー商会の印を付けた使者が馬から下りるところだった。
使者が運んできたのは、ベルグハーフェンからの短い書状である。
専用工場で新たに組み上げられた十挺が、ロルフによる検査と試射を終えた。
アルベルトへ納入する準備を始めるため、俺にも確認へ来てほしいと書かれていた。
「新しい十挺ですか」
ギルベルトが尋ねる。
「はい。ただし、こちらの訓練には加えません。アルベルト様へ渡す最初の十挺です」
「なら、六十挺のままか」
「工場で作られた数としては七十挺になります。ですが、私たちが使える数は変わりません」
増えたと思った直後に手元から離れる。
惜しい気持ちはあった。
それでも、アルベルトとの取り決めを守らなければ、今後の売買も技術協力も成り立たない。
「数日、領地を離れます。四百人の訓練は任せます」
「アルヴェインへ行くのか」
「俺が扱い方を教える条件になっています。マルクとテオも連れていくつもりです」
「二人なら問題ない。こちらは俺とニクラスで続ける」
ギルベルトは当然のように答えた。
俺がいない間も、訓練は止まらない。
領地の仕事も同じだ。
俺は村長たちへ留守中の方針を伝え、昼前にベルグハーフェンへ向かった。
◇ ◇ ◇
専用工場の検査室では、十挺の火縄銃が木台へ載せられていた。
外見だけを見れば、どれも同じ形に見える。
長い鉄筒、木台、火皿、火蓋、火縄ばさみ、引金、ばね、掛け金。だが、近くで確認すると、木目も金具の表面も少しずつ違っている。
ロルフは一挺目を持ち上げ、火縄ばさみを手で動かした。
「これは角度を直した」
火縄を挟んだ金具が、火皿の中央へ落ちる。
「最初は端へ落ちた。火が届かないほどではないが、風があれば失敗する」
「ばねは替えたのですか」
「替えていない。金具を曲げ直し、火縄ばさみの位置を調整した」
続いて、別の一挺を示す。
「こちらは木台を削り直した。鉄筒との間に隙間があった」
「試射は?」
「直す前に二発、直したあとに三発だ。筒のずれはない」
ロルフの机には、十挺それぞれの記録が並んでいた。
鉄筒を作った職人、木台を削った職人、組み立てを担当した者、試射の回数、修正した場所。それぞれの銃へ付けた識別記号も記されている。
「十挺すべて、納入してよいのですね」
「撃つことはできる」
「その言い方だと、まだ何かありそうですが」
「使い続けたあとのことは分からん」
ロルフは一挺の鉄筒を布で拭いた。
「十発で壊れなくても、百発で緩むかもしれん。乾いた日に撃てても、雨の翌日は動きが変わるかもしれん。渡したあとも記録を取らせろ」
「その条件も、アルベルト様とは決めています」
「ならいい」
ロルフにとって、完成とは二度と問題が起きないという意味ではないらしい。
決めた検査を通り、今の段階で確認できる不具合を直した。それでも、使い続ければ新しい問題が見つかる。
その考え方は、俺も忘れないようにしたかった。
検査室へマティアスが入ってきた。
「見終わったか」
「はい。十挺とも納入できます」
「では、三日後に出る」
「マティアス様も同行するのですか」
「売るのはクレーマー商会だ。受け取った、受け取っていないという話をあとでされては困る。残り二十挺の納入時期も決める」
マティアスは並んだ銃へ目を向けた。
「お前には、アルヴェインの兵へ扱い方を教えてもらう」
「分かっています」
「ロルフは残れ。次の十挺を止めるな」
ロルフは返事の代わりに、記録へ新しい文字を書き加えた。
「ギルベルトもアイヒェンタールへ残します。マルクとテオを連れていきます」
「四百人の訓練を止めないためか」
「はい。三人とも連れていけば、俺がいない間に訓練を進める者が足りなくなります」
「それでいい。領地の方は?」
「村長たちへ任せました。道や市の細かな判断は、俺を待たずに進めてもらいます」
マティアスがわずかに笑った。
「少しは領主らしくなったな」
「前は違ったみたいに言わないでください」
「何でも自分で見なければ気が済まない者を、立派な領主とは呼ばん」
言い返そうとしたが、以前の自分を思い出してやめた。
十挺は一挺ずつ油を塗った布で包み、木箱へ収めることになった。
箱の内側には仕切りを入れ、鉄筒や金具が互いにぶつからないようにする。装填棒も一本ずつ固定し、移動中に抜けないよう確かめた。
火薬、弾、一発筒、携帯用弾薬箱、修理部品は、火縄銃本体とは別の荷車へ積む。
アルベルトが購入する三十挺の代金に、それらは含まれていない。今回は受領試験と最初の訓練に必要な量を別に計算し、帳簿へ記した。
火薬の荷車は、火縄銃の荷車から離して走らせる。宿でも炊事場や焚き火の近くへ置かず、火種を持った者を近づけない。
護衛へは、アルベルトへ納める高価な武具だとだけ伝えた。
積荷の詳細を知る者は、俺、マティアス、マルク、テオ、商会の輸送責任者、それに荷車を直接管理する数人だけだ。
出立の日、俺は濃い色の上着の下へ、新しい鎧を身につけた。
マティアスから誕生日に贈られた、右肩を動かしやすくした鎧だ。
手には、エリーゼから贈られた茶色の革手袋をはめる。
馬の手綱を握ると、掌の厚い革が擦れを防いでくれた。すでに何度も使っているため、最初より指が曲げやすくなっている。
見送りに来たギルベルトが、鎧と手袋を見た。
「ずいぶん立派になったな」
「中身は変わっていません」
「領主は中身だけ見せて歩けないらしい」
「マティアス様と同じことを言わないでください」
少し離れたところで、マティアスが笑う声が聞こえた。
◇ ◇ ◇
アルヴェインへ到着すると、十挺はすぐに受領されなかった。
まず木箱の封を確認し、ベルグハーフェンを出た時の記録と照らし合わせる。箱が途中で開けられていないことを確かめてから、アルベルトの兵が見守る前で一挺ずつ取り出した。
アルベルトは、以前受け取った最初の試作品を運ばせた。
試作品と新しい十挺を並べ、鉄筒、木台、金具の形を見比べている。
「よく似ている」
アルベルトが言った。
「同じ寸法を基準にしています。ただ、職人が違うため、細かな差は残っています」
「似ているだけでは、同じように使えるとは限らんな」
「はい。ですから、実際に撃って確認していただきます」
選ばれたアルヴェイン兵が二十人、試射場へ集められた。
最初の十人へ実銃を持たせ、残る十人には動作を見せる。全員が従来型の火槍か弓を扱った経験を持つ兵だったが、新しい火縄銃へ触れるのは初めてだ。
マルクとテオが一人ずつの姿勢を確認し、俺が全体へ装填手順を説明した。
「筒内へ火薬を入れたあと、火縄を落とす金具を手で引き上げます。次に弾を入れ、装填棒で奥へ押し込んでください」
一人の兵が、筒内へ入れた弾を何度も強く押した。
「力を入れすぎないでください。奥まで届けば十分です。装填棒が曲がれば、次の装填ができなくなります」
別の兵は、火皿へ細かな火薬を置いたあと、すぐに火蓋を開こうとした。
「火蓋は閉じたままにしてください。構える前に開きます。それまでは火皿を守るために閉じておきます」
火縄を火縄ばさみへ挟む作業では、三人が手間取った。
火縄を長く出しすぎれば火皿へ強く押しつけられ、短すぎれば火へ届かない。
マルクが兵の手元を示し、適切な長さへ直していく。
「掛け金へ留めたあとは、勝手に引金へ触れないでください。火蓋を開く前でも、火縄が落ちれば火傷や事故につながります」
装填を終えるまで、予想していたより時間が掛かった。
経験のない者へ手順を説明しながら行わせれば当然だ。初日から速さを求めれば、覚えるべき動作を飛ばす者が出る。
十人が射撃位置へ並ぶ。
アルベルトとマティアスは、土を盛った壁の後ろから見ていた。
テオが周囲を確認し、赤い布を上げる。
「弾薬箱開放許可」
兵たちは携帯用弾薬箱を開く。
「一発取れ」
一発筒を一本ずつ抜き取った。
「装填」
今度は説明を減らし、自分たちで装填させた。
一人が火縄を掛け金へ留める前に構えようとしたため、マルクが止める。別の兵は木台を右肩へ強く押しつけ、身体全体へ力を入れていた。
「もう少し力を抜いてください。敵と押し合う武器ではありません。木台を肩へ当て、狙いを定めます」
十人が構え終える。
赤い布が振り下ろされた。
「撃て!」
轟音が重なり、白煙が試射場を覆った。
十挺のうち九挺がほぼ同時に発砲し、残る一挺がわずかに遅れて火を噴いた。
遅れた兵が驚いて銃口を下げかける。
「動かさないでください!」
俺が声を上げた。
兵はどうにか銃口を前へ保った。
発射後、全員に火縄を手で安全な位置へ引き上げさせる。
「今のように、引金を引いてもすぐ発砲しない場合があります。音がしないからといって、銃口を覗いたり、味方へ向けたりしないでください。遅れて火が届く可能性があります」
遅れて発砲した銃を確認すると、火縄と火皿の位置に異常はなかった。兵が引金を最後まで引き切らず、火縄が火皿へ触れるまで一瞬掛かったようだ。
銃の不具合ではない。
だが、扱う者が慣れていなければ、それも戦場では同じ失敗になる。
「弾薬箱閉め」
命令を受け、兵たちが箱の蓋を閉じる。
最初の十人が三発ずつ撃ったあと、残る十人へ交代した。銃を渡す前に、鉄筒の熱、火皿の汚れ、火縄の長さを確認させる。
二十人の試射が終わるまで、二挺で点火が遅れたが、不発は一度もなかった。
標的へ命中した数は、弓兵のように多くない。
それでも、最初に持った兵が狙った方向へ弾を飛ばし、命中しなくても音と煙を発生させられた。
アルベルトは標的だけでなく、兵が装填する様子も見ていた。
「武器を十挺買えば、十人がすぐに使えると思う者は多いだろうな」
「俺も、最初は武器が完成すれば戦えると思っていました」
「実際は違ったか」
「火縄、火薬、弾、一発筒、携帯用弾薬箱、号令、射手を守る槍兵。どれか一つが欠けても、火縄銃だけでは戦えません」
アルベルトが量産品の一挺を持ち上げた。
「試作品一挺を写せば、同じものを何本でも作れると思っていた。だが、これを十挺揃えるまでにも、相当な数の失敗があったのだろう」
「はい。直して使えたものもあれば、部品そのものを捨てたものもあります」
「残る二十挺も、同じように十挺ずつか」
「その予定です。次の十挺が検査を通った時点で、納入日をお知らせします」
「急がせて粗悪なものを受け取るつもりはない。今日と同じ記録を付けて持ってこい」
それを聞いたロルフなら、短くうなずくだろう。
十挺は受領を認められ、アルヴェイン兵の管理する倉へ運ばれていった。
◇ ◇ ◇
受領試験のあと、マティアスは納入帳簿を確認するため別室へ向かった。
マルクとテオも、先ほどの兵たちへ手入れを教えるため試射場へ残った。
俺はアルベルトに呼ばれ、二人だけで執務室へ入った。
机の上には、最初の試作品だけが残されている。
アルベルトは試作品の木台へ手を置いた。
「お前が私の小姓になった時、家臣の中には反対する者もいた」
突然の言葉に、俺はアルベルトの顔を見た。
「身元の確かでない十五歳の少年を、一兵士や下働きではなく、大公の近くで働く小姓にする。普通に考えれば、危険な話だ」
「……はい」
それは俺自身も、何度か疑問に思ったことがある。
マルセル神父に保護されたとはいえ、俺がどこから来たのかを証明する者はいなかった。剣を扱えることや、多少の知識があることだけで、大公の近くへ置かれるのは異例だったはずだ。
「拾われた村の名と、神父の言葉だけでは、お前のすべてを保証できなかった。それでも、私はお前を近くへ置いた」
「なぜですか」
「お前が何を知っているかより、知らないものを前にした時、どう考えるのかを見たかったからだ」
アルベルトは椅子へ腰掛け、俺にも座るよう示した。
「お前は分からないことを知ったふりはしなかった。周囲の者へ尋ね、見たものを比べ、それでも分からなければ考え続けた。誰かに言われたことを、そのまま信じるわけでもなかった」
「それだけで、小姓にしたのですか」
「それだけではない。剣の才能もあった。人の顔を見る目も、言葉を選ぶ力もあった。だが、最も興味を持ったのは、お前がこれから何になるのか分からなかったことだ」
火縄銃を作ることまで見抜いていたわけではない。
アルベルトは未来を知っていたのではなく、何になるか分からない俺へ賭けたのだ。
「それなのに、俺はすぐにマティアス様について行きたいと言いました」
「ああ。腹が立たなかったと言えば嘘になる」
アルベルトはあっさり認めた。
「身元も分からなかったお前を小姓にし、剣も戦も統治も教えた。ようやくこれからという時に、お前は現れたばかりの商人について行きたいと言ったのだからな」
「申し訳ありません。あの時の俺は――」
「謝罪を聞きたいのではない。最後まで聞け」
以前と変わらない口調に、俺は口を閉じた。
「お前はマティアスの地位や金に惹かれたのではない。あの男のやり方に惚れたのだろう」
兵を動かす前に道を作る。
戦が始まる前に食料と荷車を集める。
商人、職人、兵、領主、それぞれの利益を結びつけ、敵が動く前から勝てる形を作る。
俺がマティアスのもとで見たいと思ったものを、アルベルトは理解していた。
「お前の顔には、あの男の隣で学びたいと書いてあった」
「そこまで分かりやすかったですか」
「分かりやすかった。私のもとへ残れと命じれば、お前は残っただろう。恩を理由にすれば、なおさら断れなかったはずだ」
そのとおりだった。
アルベルトに残れと言われれば、俺はマティアスへの思いを諦めていたかもしれない。
「だが、それではお前を拾った意味がない」
アルベルトの声は静かだった。
「私が見たかったのは、私の命令だけを守る小姓ではない。自分で考え、自分で選ぶお前だった。私の命令でその選択を奪えば、最初に面白いと思ったものを、私自身が潰すことになる」
俺は膝の上で手を握った。
革手袋が小さく鳴る。
「私は、お前を捨てたのでも、マティアスへくれてやったのでもない。お前が選んだ道へ進むことを許したのだ」
胸の奥に残っていたものが、わずかに動いた。
今の主君はマティアスだ。
そのことを後悔したことはない。
それでも、自分を拾い上げ、小姓として育ててくれたアルベルトのもとを離れたことに、後ろめたさがなかったわけではない。
「もし、お前が私を裏切ったのなら、私の許しなど求めずに逃げている」
アルベルトは俺の考えを読んだように続けた。
「手紙も送らず、試作品も開発記録も渡さず、こうして自ら納入へ来ることもなかった」
「ですが、今の俺の主君はマティアス様です」
「それでよい。今さら私の小姓へ戻れと言うつもりはない」
アルベルトは少し笑った。
「お前はマティアスの配下として働け。あの男が誤れば、お前が考えろ。支えると決めたなら、最後まで支えろ。ただし、それと私との縁が消えることは別の話だ」
俺はアルベルトの臣下ではない。
だが、恩人であることは変わらない。
手紙を送り、会えば以前と同じように話せる。その関係は、主君を選び直したことで失われたわけではなかった。
「お前を送り出した時、何を持ち帰ってくるかは分からなかった」
アルベルトが試作品を持ち上げる。
「まさか、このような武器を十挺も並べるとは思わなかったがな」
「これは俺一人が作ったものではありません」
「分かっている。だからこそ、お前らしい」
「どういう意味ですか」
「お前一人で鉄筒を鍛え、木台を削り、火薬を作ったのなら、それはお前一人の手柄だ。だが、実際は違う」
アルベルトは指を折るように挙げていく。
「職人たちが作り、マティアスとクレーマー商会が金と材料と人を集め、レオンハルトが製作と実戦投入を認め、火槍兵たちが訓練した。お前は違う力を持つ者たちの間へ入り、一つの形にした」
俺一人では、最初の一挺すら作れなかった。
火縄銃の形を思い出しても、鉄を鍛えることはできない。部品を作る職人を雇う金も、火薬や弾を運ぶ荷車もなかった。
「お前がもたらしたのは、火縄銃だけではない」
アルベルトは試作品を机へ戻した。
「お前がマティアスを選んだから、私はあの男と取引する理由を得た。レオンハルトとも、国同士の同盟ではないにせよ、条件を定めて話せるようになった。お前は居場所を変えながら、人と人の間に道を残した」
アルベルトとレオンハルトは同盟を結んだわけではない。
俺が間へいるからといって、互いの戦争へ無条件に兵を出す関係でもない。
それでも、火縄銃の購入や技術協力について、書状や会談で条件を決められる関係にはなった。
「送り出した判断が正しかったのか、あの時の私には分からなかった」
アルベルトが窓の外へ目を向けた。
「お前が二度と戻らず、私が愚かな投資をしただけで終わる可能性もあった」
「それでも、送り出してくださったのですか」
「正しかったかどうかは、あとから決まる」
アルベルトは再び俺を見る。
「今、ここに十挺がある。お前は領地を持ち、兵を育て、マティアスの隣で働いている。ならば、少なくとも間違いではなかったのだろう」
十五歳だった俺を小姓へ迎えたことも、マティアスのもとへ送り出したことも、最初から結果が見えていたわけではない。
アルベルトは、俺が何をするか分からないまま、選ぶ機会を与えてくれた。
「火縄銃も、マティアスやレオンハルトとの関係も、お前が運んできたものの一つなのだろう。だが、これで終わりとは思っていない」
「まだ何か作れと?」
「武器だけの話ではない。お前はこれからも、私の予想しない何かを運んでくる。面倒事も一緒にな」
「面倒事まで期待しないでください」
「それは無理だ。お前が十五歳で私の前へ現れた時から、面倒事を運んでくる顔をしていた」
「どんな顔ですか、それは」
「今のような顔だ」
真面目な話をしていたはずなのに、最後にはいつものようにからかわれている。
だが、その軽口が少しだけ嬉しかった。
アルベルトが扉へ目を向けた。
「それに、今日お前が運んできたものは、火縄銃だけではないらしい」
「何のことですか」
「自分で確かめろ」
扉が開いた。
そこに立っていたエリーゼを見て、俺は本当に言葉を失った。
◇ ◇ ◇
エリーゼは、以前会った時より少し大人びて見えた。
髪には林檎の花の髪飾りがあり、胸元には深紅の石を留めた銀の首飾りがある。
手紙には、次に会う時、二つを一緒に身につけると書かれていた。
それでも、実際に目にするのは違った。
「お久しぶりです、アレク様」
「はい。お久しぶりです、エリーゼ様」
それだけ答えるのに、妙な間ができた。
エリーゼも少し恥ずかしそうに視線を落としたが、すぐに俺の手元へ気づいた。
「その手袋……」
近づいてきたエリーゼが、俺の右手を取った。
「本当に使ってくださっているのですね」
「もちろんです。もう何度も馬の手綱を握りました。今日も、ここまでずっと使っています」
エリーゼは手袋の掌を確かめるように、俺の手を返した。
厚く作られた革には、手綱と擦れた跡が少し残っている。
「傷んでしまいましたね」
「使うためにもらったものですから。それに、革が手に馴染んで、最初より動かしやすくなりました」
「手に合わなければ教えてほしいと書きましたのに、何もおっしゃらなかったので、少し心配していました」
「合っていたから書かなかったんです」
「合っているとも書いてください」
「次からは、そうします」
答えてから、俺はエリーゼに手を取られたままだと気づいた。
エリーゼも同じ時に気づいたらしい。
二人とも一度手元を見たが、慌てて振り払うのもおかしい気がして、そのままになった。
「エリーゼ様も、髪飾りと首飾りを……」
「次にお会いする時は、両方を身につけると書きましたから」
「覚えています」
「似合っていますか?」
「はい。とても」
首飾りの深紅の石は、以前、商人の卓上で見た時より明るく見えた。
エリーゼの衣服の色と、髪に飾られた白い花の間で、小さな赤い実のように光っている。
「思っていたより、よく似合っています」
「思っていたより、ですか?」
エリーゼの眉がわずかに上がる。
「違います。似合うと思って選びましたが、実際に見ると、それ以上に……」
「それ以上に?」
「……よく似合っています」
結局、同じ言葉を繰り返してしまった。
エリーゼが声を立てずに笑う。
「アレク様らしい答えですね」
「もっと気の利いた言い方を考えておけばよかったです」
「今のままで構いません」
エリーゼは俺の手を離すと、今度は鎧へ視線を向けた。
「それが、マティアス様から贈られた鎧ですか?」
「はい。上着の下に鉄板が入っています」
「見せていただいても?」
俺は上着の前を少し開き、胸と腹を守る鉄板を見せた。
エリーゼが近づき、左胸の部分へ指先で触れる。
「思っていたより薄いのですね」
「板金鎧ほど重くありません。走ったり、火縄銃を構えたりできるように作られています」
「右肩だけ形が違います」
「ここへ木台を当てるので、大きな肩当てがあると邪魔になるんです」
右腕を上げ、火縄銃を構える動きをして見せる。
エリーゼは肩当てと上着の隙間を確かめ、今度は俺の右肩へ手を置いた。
「動かしやすそうですが、守りが薄くなっていませんか」
「その分、左側を少し厚くしてあります。それに、射手は最前列で敵と斬り合う役ではありません」
「アレク様は、そう言いながら前へ出そうです」
「出ません」
「本当ですか?」
「できるだけ出ません」
「答えが変わりました」
俺たちは鎧と手袋について話しているだけだった。
ところが、ふと周囲が静かなことに気づく。
振り返ると、少し離れた場所にアルベルトとマティアスが立っていた。その後ろでは侍女と護衛が、見ていないふりをしながら明らかにこちらを見ている。
アルベルトが口を開いた。
「火縄銃の説明より、ずいぶん丁寧だな」
「何がですか」
「いや、続けろ。受領試験の邪魔をしたつもりはない」
「もう試験は終わっています」
「なら、今は何の試験だ?」
答えに詰まる。
隣で、エリーゼも顔を赤くしていた。
マティアスが笑いを堪えながら言う。
「本人たちは、どちらも真面目に確認しているつもりなのでしょう」
「マティアス様まで何を言っているんですか」
「俺は何も悪いとは言っていない」
以前、首飾りを選んだ時と同じ返しだった。
エリーゼが小さな声で俺へ尋ねる。
「私たち、何かおかしなことをしていましたか?」
「贈り物を見せ合っていただけです」
「そうですよね」
二人でうなずくと、アルベルトが額へ手を当てた。
「分かっていないところまで似てきたか」
「叔父上」
エリーゼが少し不満そうに呼ぶ。
「分かった。これ以上は言わん。庭でも歩いてこい。火縄銃の帳簿よりは、話すことがあるだろう」
アルベルトに促され、俺とエリーゼは二人で庭へ出た。
◇ ◇ ◇
庭の木々にも秋の色が混じっていた。
並んで歩き始めたものの、先ほど周囲から見られていたことを意識すると、急に何を話せばよいのか分からなくなる。
先に口を開いたのはエリーゼだった。
「お手紙で鎧のことを読んだ時、本当は少し安心したのです」
「安心したのですか?」
「マティアス様が、アレク様の身を守ることを考えてくださっていると分かりましたから。ただ、今日見たら、やはり心配になりました」
エリーゼは俺の右肩を見た。
「鎧が必要になる場所へ、また行くのでしょう?」
「行かずに済むとは約束できません」
軽く大丈夫だと言えば、彼女は安心するかもしれない。
だが、戦が続く世界で、二度と危険な場所へ行かないとは言えなかった。
「火縄銃の訓練も、領地を守ることも、戦と無関係ではありません。ですが、自分から死にに行くつもりはありません」
「本当ですね?」
「はい。鎧も手袋も、無事に帰るために使います」
エリーゼはしばらく俺の顔を見たあと、静かにうなずいた。
「では、信じます」
「エリーゼ様の方は、最近どうですか」
「首飾りをいただいてから、侍女たちが少し騒がしくなりました」
「何か問題があったのですか」
「誰からいただいたのか、何度も聞かれただけです」
その話は手紙にも書かれていた。
「アレク様からいただいたと答えました」
「隠さなかったのですか」
「隠さなければならない贈り物なのですか?」
「いいえ。そうではありません」
「なら、隠す理由はありません」
エリーゼは当然のことのように言った。
俺から贈られたと知られることを、恥じたり嫌がったりしなかった。
その事実が、胸の奥へ静かに残る。
「叔父上も、最初から分かっていたような顔をしていました」
「アルベルト様には、首飾りを買う前から知られていた気がします」
「マティアス様がお話ししたのですか?」
「いえ。あの二人なら、何も聞かなくても気づきそうです」
二人で顔を見合わせ、同時に笑った。
「次に会えるのは、またしばらく先でしょうか」
エリーゼの声が少し小さくなる。
「残る二十挺を、十挺ずつ納入します。次も俺が来ることになるかもしれません」
「では、次の十挺が早く完成するよう願ってもよいですか?」
「急がせるとロルフに怒られます」
「それは困りますね」
「ですが、俺も次が早く完成してほしいと思っています」
火縄銃を届けるためだけではない。
その意味まで伝わったのか、エリーゼは首飾りへ指先で触れた。
「私もです」
それ以上は言わなかった。
けれど、言わなくても十分だった。
◇ ◇ ◇
その後の三日間、俺たちはアルヴェイン兵へ基礎訓練を行った。
初日に銃を持った二十人を中心に、装填、射撃、手入れ、不発時の待機、弾薬箱の管理を繰り返す。
速さより、手順を飛ばさないことを優先した。
火縄を挟む前に火皿へ顔を近づけない。発射後は火縄を手で引き上げる。点火しなくても、すぐに銃口を味方へ向けない。火薬を補充する場所へ火種を持ち込まない。
最初は装填の順番を間違えていた兵も、三日目には号令へ合わせて動けるようになった。
十挺の識別記号は、アルベルト側の帳簿へ書き写された。
使用回数、不発、事故、修理、部品交換。アルヴェイン側で新しく試作品や完成品を作った場合も、数を記録して報告する。
第三者へ売却や譲渡を行う場合は、相手と数量を事前に知らせる。
これは同盟軍の武器を共同で管理するためではない。
火縄銃を購入し、技術協力を受ける条件として、誰が何挺を持っているのかを互いに見失わないための取り決めだ。
帰る日の朝、十挺は正式にアルベルトへ引き渡された。
「残る二十挺も、今回と同じように持ってこい」
アルベルトが言う。
「次の十挺が検査を通り次第、書状を送ります」
「ロルフへ、急がせるつもりはないと伝えろ。ただし、待っているとは伝えてよい」
「それでも急かしているように聞こえます」
「待っていることまで隠す必要はない」
アルベルトの隣には、エリーゼが立っていた。
今日も林檎の花の髪飾りと、深紅の首飾りを身につけている。
「道中、お気をつけください」
「ありがとうございます。エリーゼ様も、お元気で」
俺は革手袋をはめた手を上げた。
エリーゼも小さく手を上げて応える。
馬を進めたあとも、一度だけ振り返った。
エリーゼはまだ同じ場所に立っていた。
アルヴェインから離れ、ベルグハーフェンへ続く街道へ入った日の午後だった。
後方から、蹄の音が近づいてきた。
護衛が槍へ手を掛けたが、見えてきた騎手はレオンハルトの印を掲げている。
使者は俺たちの前で馬を止め、息を切らしながら書状を差し出した。
「レオンハルト殿下より、マティアス・クレーマー殿とアレク・ハルトマン殿へ。ベルグハーフェンへ戻り次第、出頭せよとの命令です」
マティアスが封を切る。
書状を読む目から、先ほどまでの穏やかさが消えた。
「何があったのですか」
「シュヴァルツ伯が動いている」
敗走したシュヴァルツ伯は、捕らえられていない。
主力のすべてを失ったわけでもなかった。
「周辺の諸侯へ使者を送り、兵を集めているという報告が入った。まだ戦になると決まったわけではないが、レオンハルト殿下は準備を始める」
俺は書状へ目を落とした。
アルベルトへ十挺を渡した。
俺たちの手元に残る火縄銃は六十挺。兵は四百人。
訓練を始めたばかりの者も多く、全員が実銃を扱えるわけではない。
それでも、次の戦は俺たちの準備が終わるまで待ってはくれない。
革手袋をはめた手で、馬の手綱を握り直す。
「急いで戻りましょう」
マティアスがうなずいた。
街道の先にはベルグハーフェンがあり、その向こうでは、六十挺の火縄銃と四百人の兵が俺の帰りを待っていた。
第十一話を読んでいただき、ありがとうございました。
アルベルトへ最初の十挺が納入され、アレクが小姓からマティアスの配下へ進むことを許された理由も明らかになりました。主君は変わっても、アルベルトとの縁や信頼は今も失われていません。
そして、互いの贈り物を身につけたアレクとエリーゼは、周囲が呆れるほど自然に距離を縮めました。しかし帰路ではシュヴァルツ伯の動きが伝えられ、六十挺の火縄銃と四百人の兵が、次の戦へ向けて動き始めます。




