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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第一篇 乱世黎明

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第一話 知らない空の下で

挿絵(By みてみん)

平凡な会社員として、変わり映えのしない毎日を送っていた男。

唯一の趣味は、日本の戦国時代だった。


そんな彼が次に目を覚ました場所は、見知らぬ世界。


十五歳の身体。

与えられた才能と知識。

そして、聞いたこともない国々。


これはまだ、彼がこの世界に隠された奇妙な「類似」に気づく前の物語。


その日、俺はいつも通り残業していた。

 午前0時を少し回った頃だった。

 会社の窓から見える東京の夜景は、いつもと変わらない。

 無数のビル。

 走り続ける車。

 遠くに見える赤い航空障害灯。

 そして、俺の机に積み上がった書類。

「……帰りてぇ」

 誰に聞かせるでもなく呟いた。

 俺はどこにでもいる、ごく普通のサラリーマンだった。

 三十歳。

 独身。

 特別に仕事ができるわけでもない。

 かといって、仕事ができないわけでもない。

 上司から言われた仕事をこなし、同僚と適当に付き合い、給料をもらって家に帰る。

 そんな生活を十年近く続けていた。

 趣味と呼べるものは、いくつかある。

 その中でも一番長く続いているのが、戦国時代だった。

 別に歴史学者になれるほど詳しいわけではない。

 古文書を読めるわけでもない。

 大学で歴史を専攻していたわけでもない。

 ただ、子供の頃から好きだった。

 織田信長。

 豊臣秀吉。

 徳川家康。

 武田信玄。

 上杉謙信。

 毛利元就。

 北条氏康。

 伊達政宗。

 島津義弘。

 名前を聞けば、それぞれの人物が生きた時代や、どんな戦をしたのかが頭に浮かぶ。

 日本史の本を読む。

 戦国ゲームをする。

 地図を見る。

 休日には城跡へ行く。

 そんな程度の、いわゆる「戦国オタク」だった。

 だから、時々思うことがあった。

 もし自分が戦国時代に生まれていたら、どうしていただろう。

 武将になってみたい。

 信長に仕えてみたい。

 秀吉の天下取りを間近で見てみたい。

 そんな妄想をしたことは、一度や二度ではない。

 だが――。

「……実際に行ったら、絶対嫌だな」

 俺は苦笑した。

 戦国時代なんて、現代人が行ったら一日で死ぬ。

 衛生環境。

 食料。

 病気。

 身分制度。

 戦争。

 何より、人を殺すことが日常にある。

 歴史として眺めているから面白いのであって、そこで暮らすのは別問題だ。

「さて……帰るか」

 午前一時を過ぎた。

 パソコンを落とし、鞄を持つ。

 エレベーターを待つ。

 扉が開く。

 乗り込む。

 そして――。

 そこから先の記憶がない。


 ◇


 目を開けた。

 最初に感じたのは、冷たさだった。

 頬が冷たい。

 背中も冷たい。

 土の匂いがする。

「……?」

 ゆっくり目を開く。

 青い空が見えた。

 雲が流れている。

 随分と綺麗な空だった。

「ここ……どこだ?」

 起き上がろうとして、頭痛が走った。

「っ……!」

 反射的に頭を押さえる。

 その瞬間。

 頭の中に、ありえないほど大量の情報が流れ込んできた。

 剣の扱い。

 身体の動かし方。

 足の運び。

 重心。

 間合い。

 人間の身体を斬るということがどういうことなのか。

 さらに――。

 言葉。

 文字。

 歴史。

 地理。

 科学。

 数学。

 物理。

 化学。

 医学。

 政治。

 経済。

 農業。

 建築。

 工学。

 俺が現代で知っていたこと。

 いや。

 知っていた、という言葉では足りない。

 まるで、世界中の知識を頭の中に詰め込まれたようだった。


挿絵(By みてみん)


「なん……だ、これ……」

 吐き気がした。

 地面に手をつく。

 しばらく呼吸を整える。

 やがて頭痛が引いた。

 そして、気づく。

 自分の手が――小さい。

「……?」

 手のひらを見る。

 指が細い。

 腕も細い。

 着ている服もおかしい。

 粗末な麻布の服。

 会社員時代に着ていたワイシャツもスーツもない。

 当然、腕時計もない。

 スマートフォンもない。

 ポケットを探る。

 何もない。

「嘘だろ……」

 立ち上がる。

 ふらつく。

 視界に入ったのは、遠くまで広がる草原だった。

 道がある。

 土を固めただけの道。

 その道を、何人かの人間が歩いている。

 服装がおかしい。

 男も女も、現代の服ではない。

 遠くには木造の建物。

 さらにその向こうには、石造りの塔が見える。

「……ヨーロッパ?」

 最初にそう思った。

 中世ヨーロッパの農村。

 映画か何かで見た景色に近い。

 しかし、妙な違和感がある。

 俺は歩いていた男に声をかけた。

「すみません!」

 男が振り返る。

「――?」

 何を言っているのか分からない。

 いや。

 言葉そのものは聞き取れる。

 知らない言語のはずなのに、意味が頭に入ってくる。

 俺が今まで一度も勉強したことのない言葉なのに。

「ここは……どこですか?」

 男が怪訝そうな顔をする。

「ここはラーデン村だが?」

「ラーデン……?」

「ああ」

 男は俺を見た。

「お前、どうした?」

「いや……」

 何を聞けばいい。

 国。

 都市。

 年代。

 俺が知りたいことはいくらでもある。

 だが、そんなことを突然聞いたら怪しまれる。

「……自分が誰なのか、分からなくて」

 苦し紛れにそう言った。

 男の顔が変わった。

「記憶喪失か?」

「たぶん……」

 男はしばらく俺を見た。

 それから、ため息をついた。

「近くの教会に行け。神父様なら何とかしてくれる」

「教会……」

 その言葉に、少しだけ安心した。

 少なくとも、人間の社会ではあるらしい。


 ◇


 村の教会に連れて行かれた。

 小さな建物だった。

 木と石で作られた簡素なもの。

 中にいた初老の男が俺を見る。

「神の御加護を」

「……どうも」

 神父らしい。

 男は俺の顔を覗き込んだ。

「名前は?」

「……」

 答えられない。

 いや。

 日本での俺の名前は覚えている。

 だが、それを言っていいのか分からない。

 神父が困ったように眉を寄せた。

「自分の名前も分からないのか?」

「……はい」

「年齢は?」

「……」

 自分の年齢。

 三十歳。

 そう答えようとして――。

 違和感があった。

 身体が違う。

 この手。

 この腕。

 声。

 俺は鏡を見ていない。

 だが、明らかに三十歳の身体ではない。

 神父が言った。

「十五くらいに見えるがな」

「……十五?」

 その瞬間。

 胸の奥に、奇妙な感覚が走った。

 頭の中に、一つの言葉が浮かんだ。

 元服。

 戦国時代の男子が、一人前の男として扱われ始める年齢。

 十五歳前後。

 俺は自分の手を見る。

「まさか……」

 その時だった。

 世界が止まった。

 神父の手が止まる。

 窓から入っていた風も止まる。

 鳥の声も消えた。

 俺だけが動いている。

「……え?」

 背後から声がした。

「やあ」

 振り返る。

 そこに、一人の男が立っていた。

 年齢は分からない。

 若者にも老人にも見える。

 白い服を着ている。

 だが、神々しい感じはしなかった。

 むしろ、どこにでもいそうな穏やかな男だった。

「誰だ?」

「君をここへ連れてきた者、と言えば分かるかな」

「……神様?」

 男は笑った。

「そう呼ばれている」

「……」

 頭が追いつかない。

「じゃあ、俺は死んだのか?」

「そうだね」

「どうして?」

「事故だよ」

 あまりにも簡単に言われた。

 俺は頭を抱えた。

「……そうか」

 意外だった。

 もっと取り乱すと思った。

 家族。

 会社。

 友人。

 残してきたものはいくらでもある。

 だが、不思議なほど涙が出なかった。

 神は俺を見ている。

「君には一つ、謝らなければならない」

「何を?」

「本来なら、君がここへ来る予定はなかった」

「……は?」

「簡単に言えば、手違いだ」

「手違いで人を殺すなよ!」

 思わず怒鳴った。

 神は苦笑した。

「その通りだね」

「……」

「だから、君には選択肢を与える」

「選択肢?」

「この世界で生きるか。あるいは――」

 神が指を上げる。

 白い光が広がった。

「元の世界とは異なる、別の生を受けるか」

「……もう死んでるんだろ?」

「そうだね」

「じゃあ、戻れないのか」

「戻せない」

 即答だった。

 俺は目を閉じる。

 そして長く息を吐いた。

「……分かった」

「いいのかい?」

「いいも何も、選択肢ないだろ」

 神が少しだけ笑う。

「君は強いね」

「普通だよ」

「では、君に贈り物をしよう」

「贈り物?」

「君がこの世界で生き延びられるように」

 そう言った瞬間。

 再び頭の中に何かが流れ込んだ。

 剣。

 剣士としての身体能力。

 人と話すための能力。

 人の感情を読み取る力。

 そして――。

「これは……」

「君が前の世界で得た知識だ」

「知識?」

「君が学んだこと。読んだこと。見たこと。経験したこと」

「全部?」

「全部だ」

 俺は黙った。

「……じゃあ、戦国時代の知識も?」

「もちろん」

「日本史も?」

「もちろん」

 俺の胸が、初めて大きく鼓動した。

「この世界は……?」

 神は答えなかった。

 代わりに、こう言った。

「一つだけ覚えておいてほしい」

「何を?」

「君が知っている知識は、君を勝たせるとは限らない」

「……」

「知識は道具だ。道具を使える人間がいなければ、何の意味もない」

 神の姿が少しずつ遠ざかる。

「それと――」

「まだあるのか?」

「剣の才能も与えた」

「剣?」

「君は戦国時代が好きだっただろう?」

「……まさか」

「なら、少しくらい夢を見てもいいじゃないか」

 俺は思わず笑った。

「随分と都合のいい神様だな」

「君を殺したのはこちらだからね」

「それを言われると何も言えない……」

 世界が白くなる。

 最後に神の声が聞こえた。

「アレク」

「……?」

「それが君の新しい名前だ」

「アレク……」

「生きてみなさい」

 そして――。

 世界が戻った。


 ◇


「……大丈夫か?」

 目の前に神父がいた。

 風が吹いている。

 鳥が鳴いている。

 時間が動き出していた。

「……はい」

 俺は答えた。

 自分でも驚くほど自然に、この世界の言葉が出た。

「名前は?」

「……アレク」

 そう答えた瞬間。

 胸の奥で何かが定まった。

 俺はもう、

 日本のサラリーマンではない。

 十五歳の少年。

 アレク。

 それが今の俺だ。

「姓は?」

「……」

 神父が待っている。

 俺は適当に言った。

「ハルトマン」

「アレク・ハルトマンか」

「……はい」

 自分で決めた名前なのに、不思議と馴染んだ。

 神父は何か書き留める。

「では、アレク。君はラーデン村の外れで倒れていた。近くには荷馬車の残骸があった。盗賊に襲われたのかもしれない」

「盗賊……」

 俺は外を見る。

 平和そうな村。

 だが――。

 遠くから馬の蹄の音が聞こえた。

 窓から外を見る。

 馬に乗った兵士が数人、村へ入ってくる。

 革の鎧。

 腰に剣。

 槍。

 盾。

 そして、その胸には見慣れない紋章。

 神父が呟いた。

「アルヴェイン大公家の兵だ」

「アルヴェイン……」

「知らないか?」

「……はい」

 俺は兵士を見る。

 その瞬間。

 背筋に、奇妙な感覚が走った。

 馬。

 鎧。

 槍。

 城。

 農村。

 そして、領主の兵。

 中世ヨーロッパ風の世界。

 俺はそう思っていた。

 だが。

 兵士たちの一人が、村人に声をかける。

「今年の麦の収穫量はどうだ?」

「去年より二割ほど少ないです」

「領主様に報告しておく」

 税の徴収。

 領主。

 農村。

 兵士。

 俺は腕を組む。

「……」

 何かがおかしい。

 中世ヨーロッパなら、こういう制度がないとは言わない。

 だが、俺の知っているヨーロッパの封建社会とは少し違う。

 もっと――。

 日本の中世に近い。

「アレク?」

「……いや」

 俺は窓から外を眺める。

 遠くに山がある。

 山の形。

 村の位置。

 街道。

 農地。

 頭の中に、現代日本の地図が浮かぶ。

 そして戦国時代の地図。

 尾張。

 美濃。

 近江。

 山城。

 俺は首を振った。

「そんなわけない」

 ここは異世界だ。

 神がそう言った。

 日本とは無関係の世界。

 なら、俺が知っている戦国時代と似ているはずがない。

「……気のせいだ」

 そう呟いた。

 だが。

 その時の俺はまだ知らなかった。

 この世界には、

 アルヴェイン大公国があり。

 東方にはグランヴァルト大公国があり。

 北にはノルディア王国があり。

 西にはヴァルデン大公国がある。

 そして、この世界の歴史は――。

 俺が知っている日本の戦国時代と、

 あまりにもよく似た道を辿ることになる。

 俺はその時、

 ただ生き延びたいと思っていた。

 天下など欲しくない。

 歴史を変えようなどとも考えていない。

 ましてや、自分が歴史の中心に立つなど、

 夢にも思っていなかった。

 ただ一つ。

 この世界で生きていくために。

 俺は、自分の知っている知識を使うことにした。

 それが後に、

 数多の国を巻き込み。

 数え切れないほどの人間を殺し。

 そして、

 俺自身からすべてを奪うことになるとは知らずに。

 十五歳の俺は、

 初めて見る異世界の空を見上げていた。

突然の死と、見知らぬ世界への転生。

アレクとして新たな人生を歩み始めた主人公は、まだこの世界のことを何も知らない。


ただ一つ確かなのは、神から与えられた知識と才能が、この先の人生を大きく左右するということ。


そして、何気なく目にした地図や国の仕組みの中に、少しずつ「何かがおかしい」という違和感が芽生え始める。

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