第七十話 次は……もっと大きいやつだ
ここまで読んでくれてありがとうございます。
節目の回です。物語と領地の両方が一段進みます。
ノルトクロイツに帰ってきた朝、クルトは一人で街を歩いた。
道路は、整っていた。
四年前、初めてここに来た馬車の中から見たあの道路——膝まで轍が沈んで、排水溝が泥と落ち葉で塞がっていた、あの道路とは別の道のように見えた。石を丁寧に並べた路盤。側溝の勾配。十年後にもこの状態を維持できるように計算した厚みの舗装。
全部、俺が設計した。
だが、全部——誰かが作った。フリッツが石を運んで、ランベルトが工具を打ち直して、エルドリックの兵士たちが土を掘った。そして領民たちが毎朝、その道を歩いて仕事に行く。
橋を通った。エーデル川に架かる橋。流失した橋の代わりに設計した、あの橋だ。欄干の石が朝の光を受けていた。渡る時、足の裏から伝わってくる振動がない。均等に荷重が分散しているからだ。
水路を見た。稼動している。水が流れている。農地に水が行き渡っている。
城壁を遠くから確認した。まだ工事が続いているが、北側は完成している。昔の崩れた城壁とは別物だ。
(終わった、という感じではない)
歩きながら、クルトは思った。
(これは続いている)
──────
礎広場に差し掛かったところで、足が止まった。
完成していた。
石畳が中央に広がっていた。均一な目地、きれいな勾配、端の植樹スペースには若い木が一本立っていた。南の角に水飲み場が設けられて、水路から引いた水が細く流れている。子どもが安全に遊べる平らな空間。老人でも来やすい段差のない出入り口。
自分が地面に膝をついて枝で描いた設計図が、ここに立っていた。
ランベルトが石畳の目地を確認していた。腰を屈めて、指で目地の幅を確かめている。クルトが近づくと、顔を上げた。
「どうだ、文句があるか」
「……完璧だ」
「当たり前だ」
ランベルトが立ち上がった。腰を伸ばしながら、ぶっきらぼうに言った。
「……お前が設計したから、俺も手が抜けなかった」
それがランベルトの最大の賛辞だと、クルトは知っていた。
エルドリックが広場の端に立って腕を組んでいた。
「随分と立派になりましたな、この街が」
「お前のおかげでもある」
「……剣より、設計図の方が強かった」エルドリックが静かに言った。「あなたが正しかった」
それだけで十分だった。
フリッツが走ってきた。
「領主様お帰りなさい!」
大きな声だった。しかしもう子どもの声ではなかった。目には大人の誇りがあった。
──────
領民たちが集まってきた。
名前を呼ばれた。「クルト様」と呼ぶ声があった。「よかった、戻ってきてくれた」という声があった。「王都の式典はどうでしたか」という声があった。
クルトは答えながら、ゆっくりと広場の中央に立った。
石畳を踏んだ。
前世で俺が作った道は、誰にも感謝されなかった。
国道でも市道でも、車が通るのが当たり前になったら誰も作った人間のことを考えない。設計書は倉庫に眠って、施工記録は廃棄される。道路に「高城誠が設計しました」という板は立たない。それでいいと思っていた。インフラとはそういうものだって。
礎広場にも、「クルト・ヴァイス作」という銘板はない。作らなかった。インフラに名前を残すものじゃない。
しかし——。
領民の一人が言った。「ここ、これからずっと使いますよ。俺の子どもも、その子どもも」
クルトは何も言わなかった。
でも——欲しかったんだ。誰かに、覚えていてほしかった。前世の50年間、そう思っていたのかもしれない。思っていたということに、気づかないまま働いて、倒れた。
ここは違った。
領民たちは、俺のことを覚えていてくれる。
前世の俺への答えは、こういう形で来るんだな。
子どもが走ってきた。腕にしがみついてきた。
「領主様!」
クルトは少しの間、固まった。こういう時、どうすればいいのか、前世でも今世でも、ちゃんと知らない。しかし手が動いた。不器用に、その子どもの頭を撫でた。
子どもが笑った。
それで十分だった。
──────
夜、執務室に戻った。
机の上に設計図を広げた。馬車の中で描いた走り書きを、正式な図面に起こし始める。山脈の等高線。地質調査の仮定値。掘削の方向と深さ。長い、長いトンネルの断面図。
その下には別の図面が重なっていた。北方の草原地帯に設ける新しい拠点都市の構造図。街区の配置。インフラの幹線ルート。人口規模の試算。
ランプが燃えていた。窓から夜風が入ってきた。炎が揺れて、図面の上の線が光と影の中で踊った。
扉が叩かれた。
「入れ」
ヴィオラが入ってきた。書記セットを持っている。いつもの仕事の始まりだ。
「また何を作るつもりですか」
図面を覗き込んで、目が止まった。
「山脈……トンネル、ですか?」
「ああ」
「それとも」——もう一枚の図面を見た——「こちらは北方の都市計画、ですか」
「両方だ」
ヴィオラが少し黙った。それから羽ペンを持ち直した。
「……まず設計します。では記録をとります」
「頼む」
ヴィオラが向かい合わせに座った。記録帳を開いた。羽ペンに墨を含ませた。
いつもの仕事のルーティンが、始まった。
クルトは設計図から目を上げた。
「……直せる」
前世の口癖だ。いや——今世の口癖でもある。ノルトクロイツに来た最初の夜、暗闇の中に街の輪郭を見て呟いた言葉。その言葉が今も変わらずに出てくる。
「全部、直せる。根本から作り直す」
ヴィオラが小さく笑った。「では、始めましょうか」
クルトは設計図を見た。山脈のトンネル。北方の新都市。前世の俺が聞いたら驚くだろうな、と思った。あの頃の自分は、誰かに感謝されるとは思っていなかったから。誰かのために次を作ろうと、こんなに前向きに思うとは。
ヴィオラの目が、こちらを待っていた。
クルトは——初めて、本当に初めて、仕事の前に笑顔を見せた。
「ああ。次は……もっと大きいやつだ」
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第七章「最後の礎を置く」完
(全七十話 完結)
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