第五十九話 道具にはならない
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
「コンラート・ハルトに書類を渡したそうだな」
ダリウスが応接室に入りながら言った。
前回の柔らかさが消えていた。「兄弟として心配している」というトーンが薄い。従者の数が前回より増えている。それをエルドリックが廊下で確認して、クルトに短く伝えていた。
「そうです」とクルトが答えた。
今日、応接室にはヴィオラが同席していた。記録係として正式に。手帳と羽ペンを持って、クルトの隣に座っている。
「……第三者の前で話すのか」とダリウスが不快感を示した。
「記録します。あなたも同意してください」
ダリウスが一瞬、ヴィオラを見た。手帳と羽ペン。机の上の整理された書類。全てが記録される、という状況を理解した顔になった。
ダリウスが椅子に腰を下ろした。
「あの書類が何を引き起こすか、分かっているか」
「分かっています」
「ヴァイス家全体に影響が出る。父上にも、カール兄上にも。お前だけの問題じゃない」
「そのリスクはあなたが作りました。俺じゃない」
ダリウスが口を開きかけて、止めた。そのわずかな間を、クルトは待った。
──────
「手帳のことか」ダリウスが静かに言った。
「フォーゲル管理官への通達に『三男の扱いは予定通り』と書いてあった」
「あれは……俺はお前のことを守るために記録していた。万が一の時の材料として——」
「フォーゲル管理官への通達に『三男の扱いは予定通り』と書いてあった」クルトが繰り返した。「あれも俺を守るためですか」
沈黙が落ちた。
ヴィオラが手帳に何かを書き留める音だけが聞こえた。
「……そうじゃない」ダリウスが初めて言い訳を諦めた。
「わかりました」
クルトが少し間を置いた。声を荒げるつもりはなかった。前世でも、怒鳴っても何も変わらないことを身をもって学んでいた。成果を横取りした上司に怒鳴り続けた同僚を、クルトは何人も見てきた。それで何かが変わったことは一度もなかった。
「俺の仕事は俺のものだ」
クルトが言った。静かに、しかし明確に。
「俺が作ったものは、俺だけのものじゃなく、ここの人たちのものだ。それを誰かの梯子にするつもりはない」
ダリウスが動かなかった。
「ヴァイス家の功績にするために道路を作ったわけじゃない。ノルトクロイツの人間が冬を越せるように、農産物を売れるように、魔物に殺されないように作った。あなたがその仕事を横取りして王都での昇進材料にしようとした——それが事実です」
ダリウスが「……」と息をついた。
──────
「お前は本当に変わったな」と、ダリウスが小声で言った。「以前のお前なら、こんな話し方はしなかった」
「変わりましたよ。ここに来てから」
クルトが答えた時、内心で思っていた。(ここの人たちが変えてくれた)
フリッツが「領主様、俺にもやらせてください」と最初に声をかけてきた日。ランベルトが初めて「なるほどな」と言った日。エルドリックが「侮っていた」と言った日。ヴィオラが泣きそうな顔で記録を守り続けていたあの夜。
それぞれの日が、クルトを変えていた。「仕事のプライドのために建てる」から「ここの人たちのために建てる」へ。その変化はゆっくりと、しかし確実に起きていた。
「カール兄上は——」とダリウスが言いかけた。
「カール兄上の話は、カール兄上と直接します」
「父上も動いている」
「わかりました」
ダリウスが立ち上がった。椅子を引く音が静かな室内に響いた。
「これは終わっていない」
ダリウスがそう言い残して、扉に向かった。廊下でエルドリックの気配がした。「お気をつけて」という冷静な声が聞こえた。
馬蹄の音が庭に出て、遠ざかっていった。
──────
ヴィオラが手帳を閉じた。
「記録しました」
「ありがとう」
クルトが窓の外を見た。「これは終わっていない」という言葉が残っている。強がりでもある。本心でもある。ダリウスがこれで引き下がるとは思っていない。
(でもやるべきことはやった)
言葉にした。ずっと飲み込んでいたことを、初めて口にした。それが正しかったかどうかは、まだわからない。しかし「兄を完全に敵に変えた」という重さは、確かにある。
扉が激しくノックされた。フリッツが飛び込んできた。
「領主様! エーデル川沿いの荷台試験走行、やってみました! ブレスラウ子爵から預かった石材、ちゃんと運べました!」
興奮した顔だ。息が切れている。
クルトが窓から川沿いの道を見た。荷台が動いている。夕日を受けて、川面が光っている。その光の中を、荷馬車が通っていく。
「交易路が……動いた」
「はい! ちゃんと動きました! 橋も全然大丈夫でした!」
ヴィオラが傍らで「完成まで、もう少しです」と言った。
クルトが荷台を目で追った。建設者の話が、また前景に戻ってきた。
ダリウスのことは、続く。しかし荷台も、続いていく。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




