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異界喫茶  作者: 昏片逢瀬


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第二章 記憶の本 第十話


「お久しぶりです。李川くん」

「は?胡蝶?どうしてここに……」


 その日の夜。雪の降り始める薄暗い夜の中に、明るく澄んだ秋の空のような薄青色の髪を見つけて、そっと近付く。遠方の仲間と無線で連絡を取り合っているらしく、胡蝶の接近には気付かない。元々胡蝶は存在感がぼんやりとしていて薄いと言われがちなので、本人がこっそり近付こうと意識すればほぼ気配を消すことができた。

 付近の警戒に当たっていた渉夢でも、流石にこれは気付くのが遅れた。声を掛けられてようやく胡蝶の接近を知った渉夢は、竜胆の花のような薄い青紫色の瞳に驚きの感情を浮かべて、来るはずのない来訪者を振り返る。


「お前はまた気配を消して……いやそんなことより、捜査協力の依頼はしてないはずだろう」

「はい。なので、私服で散歩をしていたら、たまたまここに李川くんがいたんです」


 昔、胡蝶は一度だけこうして気配を消して渉夢に近付いたことがあった。あの時は隣に細もいたが、今は一人だけ。細にも愛瑛佳にも黙って、こっそり出てきたのだ。

 こう見えて胡蝶は顔が広い。ここに来るまでの間にたくさんの人に渉夢の特徴を伝えて目撃証言を集め、居場所を突き止めた。けれど、今日ここで何をしているのかまでは知らなかった。


「今は、ピエロの捜査中ですか」

「ピエロっていうと、元々胡蝶たちが追ってた件か。あれは咲間(さくま)先輩の担当になったから俺は捜査に当たってないんだ」

「そうなんですね。ピエロが関係する事件を一課のファイルで調べた細が、随分前から資料があるのに苦戦するなんて不自然だって気にしていたので、李川くんなら何か分かるかと思ったんですが」


 恐らくこの時の細は誰かに話し掛けたわけではなく、ただの独り言だったのだろう。資料に目を落としながらぶつぶつと呟く細の言葉に胡蝶が返事を返さなくても気にした様子はなかった。そもそも、胡蝶が資料室に入ってきたことさえ気付いてはいなかったのかもしれない。

 だから胡蝶もこのことを誰にも言わずに、一人で渉夢に確認をしに来たのだ。

 特に細は最近我慢をして、知りたいこともやりたいことも教えてくれなくなったから。今まではその気持ちに頷いて背中を押したり、時には一緒に行動に移したりしていたのに。

 きっと今回のことだって、知りたいかと聞いてもはぐらかされるだけ。けれど愛瑛佳は知りたがっていた。それなら聞きに行こうと、胡蝶は今ここにいる。


「まぁそれくらいなら……」


 胡蝶のそういう性質を高校からの付き合いで知っている渉夢は、捜査に影響しない範囲で答えた方が早く終わると即座に判断した。どこまでなら教えても問題ないかを考えながら口を開く。


「怪異は人に語られることで存在する。だからこそ、その存在は不変じゃない。人が語る以上どうしても物語はブレるから。そうしてブレた物語に新しい名前がついて新しい怪異になることもあれば、元々あった物語を喰って一つの怪異に収束することもある。そして今回のピエロは前者だ」


 これまでも人を連れ去るピエロは存在していた。けれどそのピエロは風船を配らず、招待状を渡す。「落としましたよ」と声を掛けて。


「怪異って話すんですね」

「必要があればな」


 そのピエロから渡された見覚えのない封筒を確認すると、中に入っているのがどこかへの招待状だという。当然、渡された人間は自分のではないと伝えようと顔を上げる。その時には既に今までの風景は消え去り、目の前に怪しげな廃遊園地が広がっている。

 招待状はその遊園地のチケットで、ピエロに案内されるまま園に足を踏み入れた後はただただ楽しく過ごしていたと、帰ってきた人が語っていた。

 この怪異の名前は“遊園地の招待状”。こんなうっかりどこででも聞く可能性のある言葉が名前になっていたせいで、この怪異による行方不明者の数は今回の比ではなかった。まだ“遊園地のチケット”ではなかっただけ良かったのかもしれないが、当時は大騒ぎだったらしい。

 それを無事に解決した後は、噂話も次第に下火になっていった。未だにふと思い出したように語られては廃遊園地に連れて行かれる人もいるが、頻度は格段に減っている。

 すると不思議なことに、“連れて行かれる”という結末はそのままに部分的な要素を切ったり足したりした怪異譚がいつの間にか現れるのだ。連れて行くのがピエロではなく天狗になったり、行き先が廃遊園地ではなく古民家になったり、きっかけとなる招待状が手渡されずにポストに入っていたりする。

 こうしたバリエーション豊かな怪異譚に名前がつけば新しい怪異になるし、あまり語られなければそのまま消えていく。場合によっては元の怪異と合体して元々の名前のまま現象に変化が起こることもあるし、元の怪異を喰って恰も新しい怪異譚が最初からその名前で存在していたかのような状況になることもある。


「例のピエロも同じように、“遊園地の招待状”をベースにして成長したものだろうと咲間先輩は推測しているみたいだ。ただ廃遊園地も招待状も怪異譚の要素として残ってないから、名前は掠りもしないだろうけど」

「今まで解決したピエロの事件と、今回のピエロは全く別物、ということですね」

「そういうことだ。満足したら早めに……」


 不自然に言葉が途切れたのは、インカムから仲間の声が聞こえたからだろう。思ったよりも大掛かりな案件を任されているらしい。細と愛瑛佳が協力して捜査をしたがっていたのはピエロの件なので、このまま留まっていても渉夢の邪魔をしてしまうだけで意味はない。

 聞きたいことを聞くことはできたし、これ以上困らせる前に退散しよう。


「では、僕はもう帰りますね」

「待て胡蝶。注意事項がある。今、あそこのホールでコンサートが行われていて、もうすぐ天井が開く。そうしたら中の歌声は外に響くが、ある程度の距離まで離れれば聞こえない。とにかく走って、歌が聞こえない場所まで移動しろ。間に合わなければ耳を塞いで、絶対に聞くな」


 やり取りを終えた渉夢に簡単な挨拶をして立ち去ろうとした胡蝶を引き留め、心なしか早口に注意事項が伝えられる。要するに胡蝶に求められる行動は一つ、歌を聞くな。

 コンサート会場。歌。その二つの要素で思い浮かぶのは、今朝の報告書。

 理由も、条件も未だ不明。けれど、その歌を聞いた人間のうち何人かが必ず不審な死を遂げている。原因は心臓麻痺などの急死であったり自殺であったりとバラバラで、それも全員ではないことから法則や条件があるはずだと考え捜査を続けているが、解明できず。それでも歌い手の目星はついたというのが最新の捜査報告だった。


「まだ分からないことだらけだけど、俺の勘だ。お前は聞いたらマズい」


 当たろうが外れようが、嫌な感覚を伴う勘は信じるに限る。

 両者とも一致するその認識のもとに、渉夢に強く背を押された胡蝶は走り出した。


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