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第1章 第3話 善意の優等生は、元魔王を逃がさない

 文化祭実行委員の初会合は、放課後の被服室で行われた。各クラスから二名ずつ集められたその場で、黒崎湊人は開始三分で帰りたくなっていた。


 資料が多い。確認事項が細かい。しかも教師は「とりあえず代表者で調整しておいてくれる?」とだけ言って去っていく。あまりにも雑だ。統治機構として未熟である。

「黒崎、まずは日程の確認」隣で神谷修司が当然の顔で紙束を寄越してくる。「設営日、予算提出、ポスター締切、企画書修正期限。今日のうちに決めるべきこと、けっこうあるから」「多いな」「文化祭だからな」「祭りごとに事務が多すぎるのは設計が悪い」「それを回す側に選ばれたんだよ」

 修司の口調は穏やかだが、逃がす気配がない。湊人は舌打ちしたくなった。昨日までは、民衆に自分の有能さが認められた結果だと快く受け止めていた。だが今日になって分かる。実行委員とは、中心に立つ者が最後に面倒を見る制度である。


 会合が始まると、すぐに話は詰まった。廊下使用申請の締切を知らないクラスがあり、ポスター掲示の場所取りでも意見が割れる。説明を最後まで聞かない者。途中で他クラスと私語を始める者。最初から「まあ何とかなるでしょ」と構えている者。魔界なら、一度玉座の間へ呼びつけて沈黙の意味を叩き込むところだ。


「そこ、順番に言ってくれ」修司が声を上げた。「一個ずつ整理しないと進まない」

 すると場は一応静まる。だが完全ではない。静かになっただけで、全員が同じ方向を向いたわけではない。まだ数人は資料の端で手遊びをし、別のクラスの委員は「それうち関係ある?」という顔を隠しきれていない。人の善意は秩序の基礎になるが、切れ味は鈍い。湊人は修司の横顔を見た。声を荒げず、相手を見捨てず、しかし逃がしもしない。厄介な男だ、と改めて思う。しかも厄介なのは、そのやり方で実際に場が一歩ずつ進むことだった。


 その直後、被服室の後ろで椅子が大きく鳴った。別のクラスの男子が、長引く議論に露骨に飽きて立ち上がったのだ。空気がまた散りかける。湊人は五秒を掴み、机の角にかかっていたクリアファイル一枚の滑りだけを変える。次の瞬間、そのファイルが床へ落ち、修司が反射で拾う。「悪い、ここ配布順違う」 話題がそこで切り替わり、立ち上がりかけた男子も座り直した。派手ではない。だが、散りかけた意識を戻すには十分だった。

「黒崎、何かあるか」修司に振られ、湊人は資料を机へ置いた。「全体の動線が甘い。各クラスが好き勝手に掲示場所を取れば、混雑箇所が偏る。先に流れを作れ」「流れ?」「人間は通れる所を通る。見える物へ寄る。そこを制御すれば、争いの八割は起きる前に消える」

 何人かが「たしかに」と小さく頷いた。修司がすぐ板書へ移す。その流れに乗って、被服室の隅でだらけていた二年の委員まで「それなら先に配置図いるか」と口を挟んだ。場が動く。誰か一人を黙らせたからではなく、全員が“その方が面倒が減る”と理解した方向へ揃うからだ。湊人はそれを見て、少し気分を戻した。愚民どもは扱いづらいが、設計そのものは通じる。


 会合の帰り、修司は廊下を並んで歩きながら言った。

「助かった。さっきの整理」「当然だ」「でも、黒崎がいると不思議と進むのは本当だよ」「支配が機能している証拠だ」「そういう言い方をやめれば、もっと素直に褒められるんだけどな」

 湊人は鼻を鳴らした。だが直後、修司の声が少し改まる。

「たださ。委員になった以上、途中で面倒になって投げるのはなしだ」「俺が逃げると?」「逃げたい顔してる」「観察が雑だな」「雑じゃない。黒崎は、やる前は偉そうなのに、細かい実務になると一瞬だけ目が死ぬ」

 図星だった。湊人は不機嫌そうに前を向く。修司は笑わないまま続けた。

「お前ならできる、って言ったのは本気だよ。でも、できる奴ほど途中で“自分がいなくてもいいだろ”って引く時がある」「それは合理判断だ」「今回はだめだ。引くな」

 その言葉だけが、やけにまっすぐ胸へ入ってきた。支配者に命令するな、と反発するべきなのに、修司の声には押し返しづらい強さがあった。能力でも権威でもない。責任を自分も背負うと決めている者の強さだ。


 翌日、クラスでは文化祭の担当分けが始まった。大道具、宣伝、問題制作、受付、誘導。希望は偏る。人は目立つ役へ寄り、地味な役から目を逸らす。浅い。湊人は名簿を見ながら、人員配置を頭の中で組み直した。

「黒崎、この辺どう思う?」修司が問う。

「作問は集中力が要る。雑談の多い者を置くな。受付は表情が読める者。力仕事は体力より継続性を見ろ」「継続性?」「初日だけ張り切る者は兵として下だ」「兵って」

 ひかりが小さく笑った。「でも言ってることは分かるかも。


 その時、窓際の机で資料が一枚足りないと騒ぎになった。配布数が合わず、誰かが持っていったのではないかという空気になる。責任の矛先が弱い方へ向きかけた。しかも悪いことに、疑われかけたのは発言の少ない女子だった。反論のタイミングを取れず、ただ困った顔で名簿を見下ろしている。

 湊人は五秒を掴み、机の端から落ちかけていたプリント一枚の向きだけを変える。次の瞬間、その紙は風でめくれて別冊の下から半分だけ顔を出した。

「あ、あった」「なんだ、誰も持ってってないじゃん」「疑って悪かった」

 小さな騒ぎはそれで終わった。大したことではない。だが修司はその流れを見て、ふっと息を吐く。

「……やっぱり、お前がいると変な方向へ行く前に戻るな」「俺が戻しているからだ」「それを今後もやれ、って言ってる」

 修司の善意は、どうしてこうも逃げ道がないのか 配下にする価値はある。間違いなくある。だが同時に、この男は自分の側へ来るのではなく、自分を責任の側へ引きずり込んでくる。


 放課後、教室を出ようとした湊人へ、修司が最後に言った。

「黒崎」「何だ」「逃げるなよ」

 短い一言だった。脅しでも命令でもない。ただ真っ直ぐで、それだけに厄介だった。湊人は振り返らず、鼻で笑う。

「支配者は撤退の時期を見極めるものだ」「今回は撤退じゃなくて逃走だろ」「減らず口だな」「そういうのいいから。明日も来い」

 教室の後ろで、そのやり取りを聞いていた九条礼司が小さく笑った。

「黒崎って、思ったより逃げないんだな」

 軽い声だったが、観察の色があった。礼司の視線がこちらへ向いたのを感じ、湊人はようやく理解する。 文化祭準備という小さな戦場で、自分はすでに修司だけでなく礼司にも見られ始めている。


 会合が完全に終わったあと、修司は資料を抱え直しながら小さく息を吐いた。「助かった。ああいう空気、放っておくと妙なわだかまりになるから」「だから最初から流れを作れと言っている」「うん。でも、さっきのは流れだけじゃなくて、誰が沈むかも見てたろ」図星だった。湊人は答えずに名簿を閉じる。修司はそれを追及しなかった。ただ、分かっているとだけ言いたげに短く笑った。


 帰り道、昇降口の脇でひかりが待っていた。

「修司くん、強かったね」「厄介だった」「でも、ちょっと嬉しそうだった」「どこがだ」「ちゃんと逃がしてもらえないの、黒崎くん嫌いじゃなさそうだから」

 即座に否定しようとして、言葉が一拍遅れた。ひかりはその遅れごと見て、小さく笑う。

「明日も来る?」「当然だ」「よかった」

 そう言って去っていく背中は軽い。修司の善意。ひかりの観測。礼司の興味。面倒だ。 だが、悪くない。

 そして何より厄介なのは、修司の「逃がさない」が、命令ではなく期待として胸へ残ることだった。 期待される側に立つなど、前世ではほとんどなかった。命じる側で足りたからだ。なのに今は、引くなと言われたことが、妙に重い。


 翌朝、教室へ入るなり修司は当然の顔で言った。「黒崎、昨日の被服室の要点、先生に出す用で三行にまとめてくれ」「命令するな」「依頼だ」「違いが曖昧だな」「黒崎なら三分でできる」それが最も厄介だった。雑務を押しつけているのではなく、できると知った上で任せてくる。しかも逃げ道を塞ぐ言い方が自然だ。湊人は不満げに紙を受け取りながらも、結局その場で要点を書き出した。締切、導線、掲示場所。情報を三行へ圧縮して返すと、修司は当然のように頷く。「やっぱり早いな」「支配者の処理能力だ」「そういうことにしとく」軽く流されるのもまた不本意だった。だが同時に、修司のこの遠慮のなさが、妙に心地よくもある。優秀だから使う。信頼しているから任せる。その順番が、善意の顔をしたまま一切ぶれない。黒崎湊人はそこでようやく理解した。修司の「逃がさない」は拘束ではない。盤面の内側へ、こちらを当然のように数え入れる行為なのだ。


 その日の夜、机に向かった湊人は文化祭の配置案を広げながら思う。クラス征服は順調に進んでいる。だが最近、その成功の条件に「自分以外の手」が入り始めている。それを失敗と呼ぶべきか、拡張と呼ぶべきかは、まだ決めない。

 ただ一つ確かなのは、九条礼司がもうこちらを見ているということだ。笑顔で流れを握る男が、自分を盤面の相手として認識し始めた。ならば次は、ただ場を整えるだけでは足りない。修司の善意へどう向き合うか。礼司のやり方をどう見るか。ひかりの観測をどこまで許すか。この教室は、思っていたよりずっと多層の盤面だった。

 黒崎湊人は静かに目を細める。この学校には、思っていたより面倒で、思っていたより価値のある人間が多い。そして、その筆頭が修司であることだけは、もう認めるしかなかった。

 さらに翌日の昼、修司は提出用の要点整理を受け取ってから、当然のようにそれを担任へ持っていった。戻ってきた時の第一声は「助かった」でも「便利だな」でもない。「黒崎、次から最初からお前込みで考えるから」だった。湊人は思わず眉を寄せる。使えるから使う、ではない。最初から戦力として数え入れる宣言だ。期待は命令より厄介だ。断った瞬間、自分が外へ降りる側になると分かってしまうからだ。

 しかも修司は、その期待を押しつけの形で言わない。「黒崎ならできる」と言って終えるだけで、相手に断る理由を探させない。礼司が視線の行き先を握るなら、修司は責任の置き場所を握る。種類は違うが、どちらも盤面の流れを変える術だった。そう考えると、この教室はもはや単純な支配実験場ではない。

 善意、観測、笑顔、違和感。その全部が、それぞれ別のやり方で流れを動かしている。

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