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第1章 第10話 元魔王は、一人では支配できないと知る

 文化祭直前になると、五秒では拾い切れないことが増える。黒崎湊人は、その事実をようやく認めざるを得なくなっていた。


 ヒント用紙の印刷ミス、来場者導線の再確認、他クラスとの時間調整、受付練習、教師からの急な指示変更。どれも一つずつなら対処できる。だが同時に三つ、四つと起きると、五秒の一点介入では間に合わない。教室の前方では道具箱が開けっぱなしで、後方では台本の最終確認が止まり、廊下では他クラスの呼び込み練習が始まっている。視界へ入る情報量が多い。湊人は苛立ちながらも、その苛立ちを整理の方向へ押し込んだ。

「黒崎、これ見て」修司が新しい連絡事項を持ってくる。「中庭側のルート、急きょ片側通行になった」「遅い」「先生に言ってくれ」「あとこっち」礼司が別の紙を差し出す。「二年のクラス、うちの近くで呼び込みやるって。音がぶつかる」「ひどいな」ひかりが顔をしかめた。「静かな謎解きにしたかったのに」「はい、そして転入生から追加です」ルカが手を挙げる。「購買前で生徒会が巡回強化。呼び込みの立ち位置、たぶん変えた方がいいですよ」


 多い。 湊人は内心で額を押さえたくなった。世界征服の初手としては、あまりにも雑務が多い。

 その時、教室前方で脚立が軋む音がした。別班の男子が無理な体勢で装飾を結ぼうとしている。視界に入る。軽い。五秒でいける。だが同時に修司が外部連絡の返答を待ち、礼司が他クラスとの交渉タイミングを見計らい、ひかりが作問の最後の齟齬へ気づいていた。一つは止められる。全部は無理だ。


 黒崎湊人は、そこでようやく理解する。いま自分が見ている盤面は、もう教室ひとつではない。校内の導線、他クラスとの兼ね合い、教師や生徒会の判断まで絡む。五秒の一点改変が強いのは変わらない。だが、その強さだけで全域を覆えるほど、祭り当日は狭くない。

「修司」 湊人は短く呼んだ。「脚立」「了解」 修司は即座にそちらへ走る。「礼司、二年の件、今行け」「行く」「ひかり、その問題文、赤線だけ先に直せ」「分かった」「ルカ」「はい?」「生徒会の巡回位置を見てこい」「命令形になってきましたね」「急げ」「はいはい」

 口にした瞬間、自分でも少しだけ驚いた。頼ったのではない。指示したのだ。そう言い換えることはできる。だが実際には、自分一人では全部を握れないと認めた上で、他人の手を使った。屈辱であるはずだった。なのに、場はその方が早く整った。


「脚立こっち下ろした!」修司の声。「二年の呼び込み、少しずらしてもらえた」礼司の声。「問題文、修正終わった」ひかりの声。「生徒会、十分後に動きます」ルカの声。

 四方向から返ってくる報告を受け、湊人は短く息を吐く。場が回る。自分以外の手でも、場は回る。 それを認めるのは不快ではないかもしれない、とほんの少しだけ思ってしまったのが悔しい。

 修司は責任で盤面を支え、礼司は対人の摩擦を減らし、ひかりは言葉と細部を整え、ルカは外の気配を拾う。自分はそこへ五秒を差し込む。役割の違う者が同じ方向へ動くことで、ようやく回る規模になっていた。


 以前なら、自分以外の判断が盤面へ入ることをノイズと見なしただろう。だが今は違う。修司の責任感も、礼司の対人感覚も、ひかりの細部への目も、ルカの外側の視点も、全部が別々の強みとして見えている。面倒だが、便利でもある。しかも便利というだけでは足りない。修司は修司にしか見えない責任の線を持ち、礼司は礼司にしか切れない対人の角を切る。ひかりは誰が言えなくなったかを拾い、ルカは盤面の外側の気配を持ち込む。自分と同じ者はいない。だから使い分ける価値がある。その認識にたどり着いた自分が、少しだけ可笑しかった。


 しばらくして、礼司が戻ってきた。「二年の件、片づいた。ついでに向こうの担任にも言っといた」「早いな」「黒崎の顔が珍しく本気で険しかったから」「軽口を叩くな」「でも、あれ見たら急いだ方がいいって分かった」

 礼司は机へ手をつき、少しだけ真顔になる。

「なあ、黒崎」「何だ」「前までは、お前、自分だけで全部やる気だったよな」「当然だ」「だと思った。でも今日は違う」

 言葉が続かない。礼司の視線は、揶揄ではなく確認に近かった。

「その方が強いよ」礼司が言う。「一人で全部握るより、向いてるやつをちゃんと動かす方が」「それは支配の放棄ではないのか」「逆じゃない?」礼司は肩をすくめる。「盤面ごと回すなら、その方がよっぽど王様っぽい」


 王様、という軽い言葉が妙に残った。魔王ではなく、王様。人間らしい響きだ。だがその軽さの中に、こちらを認める色がある。

 修司も、書類を整えながら口を挟んだ。「俺は黒崎が人を使い始めてくれて助かったよ」「使う、ではない」「呼んだ、でもいい。どっちにしても、一人で抱え込まれるよりずっといい」「抱え込んでいない」「抱え込む顔だった」

 図星を二方向から刺されると不愉快だ。だが反論しきれないのはもっと不愉快だった。

 ひかりが、修正した問題文を抱えたまま小さく笑う。「でも、ちょっと安心した」「何がだ」「黒崎くんが、必要ならちゃんと人に言えるって分かったから」「支配者の命令だ」「うん、そういうことにしておく」

 ひかりはそこで少しだけ真顔になる。「前は、黒崎くんが全部見ようとしてる感じだった」「見られるから見ていた」「でも、見えることと、全部一人で持つことは違うよ」 軽い声なのに、その言葉だけは妙に残った。

 その返し方がずるい。こちらの言葉を否定せず、けれど本心までは許してくれない。最近のひかりはそういう返しを覚え始めている。


 放課後、全員が帰り支度をしている時だった。ルカが窓際で外を見ながら、小さな声で言う。

「起き始めてますよ」「何がだ」「前の世界を知る気配が、あなた以外にも」

 修司たちには聞こえない声量だった。

「この学校じゃない。もっと外。でも、近いです」「……誰だ」「まだ分かりません。ただ、次に来るのは事故を起こす側じゃないかもしれない」 ルカはそこで振り向く。「もっと上品で、もっと面倒な相手です」

 湊人は目を細めた。前世を知る者。自分以外の転生者。しかも「上品で面倒」。思い当たる影は一つだけあったが、名を口にする気はない。そもそも前世で呼んだことがない。

「来るなら来ればいい」「強がり」「事実だ」

 ルカはそれ以上は言わず、ただ楽しそうに笑った。


 教室の窓へ映る自分の姿を見て、湊人は少しだけ考える。自分一人で握れない現実を、最近ようやく認め始めたところなのに、その外からまた別の因縁が近づいてくる。面倒だ。だが、それでもこの教室を起点とした盤面は、もう簡単には手放せないところまで来ていた。

 実際、その日の終盤にもう一度、湊人は失敗しかけた。印刷室から戻る途中、廊下の角で掲示用パネルが倒れかける。五秒を使えば止められる距離だった。だが同時に、教室では別班が最終確認を待っている。一つを救えば、一つが遅れる。ほんの一瞬だけ迷って、湊人は舌打ちした。「礼司、角のパネル」「了解」「修司、こっち先に回せ」「分かった」 言葉にした方が速かった。しかも、礼司はパネルを押さえながら近くの一年へ声をかけ、修司は教室の確認を止めずに回した。

 五秒を使わなくても、場は持ち直す。その事実は少し痛くて、同時に少しだけ救いでもあった。自分が万能でなくても、崩れない形を作れる。それは前世にはなかった発想で、だからこそ飲み込むのに時間がかかる。前世の玉座は、頂点が盤面の中心そのものだった。そこへ並ぶ臣下は、中心を補強するためにいた。

 だが今は違う。修司も、礼司も、ひかりも、ルカも、それぞれが別の中心を持っている。自分はそれを押し潰すのではなく、噛み合わせて回す側へ少しずつ移っている。それを敗北だと思わなかった自分に、湊人は一番驚いていた。


 帰り際、ひかりが机を拭きながら何気なく言う。

 教室の隅でその様子を見ていたルカが、珍しく茶化さずに言った。「今日の元魔王さま、ちゃんと“間に合う方”を選びましたね」「当然だ」「以前なら、自分の五秒で全部やろうとしてました」否定できないのが腹立たしかった。できることをやる、ではなく、全体が持ち直す方を選ぶ。その判断は、前世の自分より少しだけ人間的だ。そう言われた気がして、湊人は小さく舌打ちした。

「明日、たぶん一番大変だね」「当然だ」「でも、一人で全部やろうとしないでね」

 軽い言い方だった。だがそこには、今日こちらが他人を動かしたことをちゃんと見ていた響きがある。 湊人は一拍だけ黙り、やがて小さく鼻を鳴らした。

「必要なら使う」「人を?」「全部だ」ひかりは笑う。「そこはちょっと安心したかも」

 その言葉だけが、妙に静かに残った。


 前世の自分にとって、他人へ指示を出すことは支配の証明だった。従わせる側に立つという意味でしかなかった。だが今は違う。修司は責任を引き受けたまま走り、礼司は不満ごと柔らかく切り分け、ひかりは迷いなく不足を埋め、ルカでさえ茶化しながら必要な場所へ動く。頼ることは統治の敗北ではなく、自分の外側に機能を置いたまま全体を回す技術なのかもしれない。

 その理解だけが、黒崎湊人には少し痛かった。前世の支配は、頂点が強ければ成立した。今の統治は、頂点だけが強くても足りない。その差をようやく飲み込み始めた時、ルカの「もっと上品で、もっと面倒な相手」という言葉が、別の重みを持って胸へ戻ってきた。

 次に来るものは、たぶん事故では崩れない。正しさと善意で盤面ごと握る相手だ。 そう考えると、今日ここで他人へ手を伸ばしたことは、未来への備えでもあるのかもしれなかった。

 その変化を成長と呼ぶのは癪だったが、少なくとも後戻りはしないのだろうとも思った。

 それでもなお、一人で盤面を覆いきりたい欲は消えない。自分だけが全てを見て、自分だけが最適な一点を選べるのだという驕りは、前世から簡単には抜けない。だが今日の教室で本当に効いたのは、その驕りを抱えたままでも他人へ役割を渡した事実の方だった。

 任せるとは、弱さを晒すことでもある。そこまで含めて場を回すしかないのだと、湊人は不本意ながら学び始めていた。

 文化祭前日という極端な一日だったからこそ、その差ははっきりした。五秒で支えるのではなく、人の手を配置して全体を保たせる。それはもう、前世の玉座とは別種の統治だった。

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