第18話 ストーカーの嘘・終幕
俺とセツナ、そして首から小さなランタンを提げたゴーマが村へ戻ると、待ち構えていたかのようにオズワルドが納屋の陰から飛び出してきた。
その顔には、狂おしいまでの執着と、どこか底知れない恐怖の色が張り付いていた。
「どうだった……! あの野郎を殺してきたのか!? 俺の妻を奪ったあのクズを、どう処罰したんだ!」
オズワルドはすがりつくように俺の外套の裾を掴もうとしたが、冷徹な視線に気圧されてその手を引っ込めた。
俺は無言のままオズワルドを見据え、それからトタンの剥がれかけた納屋の壁へと視線を向けた。
「ジュリアンから話は聞いた。……北の石橋で、変異体に襲われたそうだな」
その一言で、オズワルドの顔から血の気が完全に引いた。
「なっ……何を……? あいつが嘘を……!」
「嘘をついていたのは、お前の方だ、オズワルド」
俺の声は低く、乾いた空気の中に冷たく響いた。
「お前はジュリアンが妻をたぶらかして連れ去ったと喚いていたな。だが、あれは誘拐なんかじゃない。お前の暴力から逃れるための、マーサ自身の意志だった」
「ち、違う……! 俺はあいつを養ってやったんだ! 感謝こそされ、逃げられる謂れなんてない!」
オズワルドは声を荒らげ、震える拳を握りしめた。
「村の人間も見て見ぬふりをしていたが、お前が日常的にマーサを殴っていたことは隣家の人間も知っている。お前は妻を愛していたつもりかもしれないが、やっていたのは支配と暴力だ。だから彼女は耐えかねて、ジュリアンに縋った」
「違う……違うんだ……ッ!」
オズワルドは両手で頭を抱え、赤土の地面に崩れ落ちた。
「俺は……俺はただ、あいつに逃げられたのが許せなかった……! 村の奴らに笑われるのが怖かった……! あいつが俺を捨てて別の男と逃げたって事実が、俺の誇りを踏みにじったんだ……!」
醜い本音が、泥まみれの土埃の中に吐き出される。
オズワルドは妻の死そのものを悲しんでいたのではない。自分が妻を追い詰め、見捨てられたという「事実」と、男としてのプライドが傷つけられた恐怖から逃れるために、「被害者の夫」という物語を自分で作り上げ、ジュリアンを悪党に仕立て上げていただけだった。
だが、そのジュリアンもまた、いざ変異体に襲われたときには恐怖のあまりマーサを置いて逃げたのだ。
どちらも、自分の保身のために他者を踏みつけ、現実から目を背けた卑怯者にすぎない。
勝者などいない。誰も救われない。
ただそこにあるのは、人間の底知れない業の泥沼だけだった。
泣き崩れ、どうしようもなく打ちひしがれているオズワルドを見下ろしながら、セツナは静かに一歩前に出た。
黒い瞳を細め、責め立てるでもなく、ただ冷徹な事実を告げるように、彼女はぽつりと言った。
「あなたは奥さんを愛していたのかもしれないね。でも、大切に思っていたことと、大切にできていたことは、同じじゃないんだよ」
オズワルドがびくりと肩を震わせ、顔を上げた。
「誰かを大切に思いながら、自分の恐怖や保身でその人を傷つけてしまうことはある。けれどね――大切に思っていたからといって、傷つけた責任が消えるわけじゃないのさ」
セツナの言葉には、300年の時間を生きてきた者だけが持つ、痛烈なまでの重みがあった。
オズワルドはもう何も言い返せず、ただ乾いた地面に額を擦り付け、子供のように声を上げて泣きじゃくった。復讐の熱も、誇りも、すべてが音を立てて崩れ去っていた。
――静寂が戻った農園で、俺は腰の『クラウゼ』に軽く触れた。
銃の故障を直すための資金。それをこの男から巻き上げることは、もはやできなかった。金貨を払うだけの気力すら、今のオズワルドには残っていない。
だが、ここで無一文で引き下がるわけにもいかない。
俺は冷めきった声で、崩れ伏す男に告げた。
「……依頼は遂行した。だが、お前たちの汚い私怨の尻拭いにつきあわされた手間賃だ。金はいらない」
オズワルドが怯えたように顔を上げる。
「その代わり――この先の峠を越え、大町へ抜けるための『隠された抜け道の知識』を置いていけ」
男はしばらく呆然としたが、やがて震える声で、街道の裏道や変異体の巣を避けるための詳細なルートをぽつりぽつりと語り始めた。
必要な情報は得た。
これ以上、この腐臭の漂う場所に長居する理由はなかった。
「行くぞ、セツナ、ゴーマ」
俺は背筋を伸ばし、振り返ることなく歩き出した。
足元では、ランタンの灯りが小さく揺れ、ゴーマが静かにそれに続く。
背後でオズワルドの啜り泣く声が聞こえていたが、それはすぐに乾いた風の中に掻き消されていった。
俺たちの旅は続く。
壊れかけた銃を抱え、誰も救われない荒野の道を、ただ前へと進むしかなかった。
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