1.借金100万円
渋谷駅から神宮通りを歩いて徒歩5分。
埼京線の下をくぐった先にある雑居ビルを見上げた。
「ここか……」
俺はスマホでウェブ広告にあった地図を再度確認する。
お家で簡単作業、日給最大10万円。やはり、ここがバイトの面接場所らしい。
一度、大通りの方に目を向ける。引き返すのなら今しかない。
「いや」
拳を強く握りビルの階段を登っていく。
6階まで上がるとガタイのいい男が1人タバコを吸いながら立っていた。
やはり間違っていたかと内心ホッとしながら下へ引き返そうとした俺にその男は「あーバイトの面接ならここだけど」と気怠げに声をかけてきた。
立ち止まり、振り返る。
男の足元で山になったタバコの吸い殻が見えた。
『有限会社エンジェルサン』
比較的新しいガラスの扉に白いテープで社名が書かれていた。
扉を抜けて廊下を進む。ペダル式の水飲み場があった。
「かあーー。うめぇ!」
冷えた水を口内へと流し込んだ。濡れた口元を腕で拭い、ポケットに突っ込んでいた缶コーヒーを飲み干し空いた缶に水を注ぎ入れる。
それから水を手で掬って顔を洗い髪を濡らして引っ張り上げた。
「よしっ」
ビシッと締まった気分で振り返る。
いつの間にか廊下に数人並んでいた。俺に向ける目の奥に警戒の色が滲んでいる。
「バイト仲間になるかもしれねぇのによ」
そうぼやきながら彼らの後ろに並んだ。
最終的にバイトの面接は予定より少し遅れて始まった。俺の後ろにも10名以上は並んでいる。応募者はかなり集まったみたいだ。
長机と丸椅子の置かれた会場へ俺たちは進んでいく。
「えー皆さまには新しく発表されたVRMMO『ファンタジーオブシン』の攻略をしてもらいます」
司会を務める男性は台本片手に棒読みで仕事の内容をツラツラと垂れ流した。
どうやらゲームの攻略をして金がもらえる仕事らしい。なんだそれ、と思わなくもないがシンという名前には聞き覚えがあった。確かスマホアプリを手掛ける社長の名前であり、シンというブランドで服や電子決済まで扱う大企業だ。
「それでは書類にサインしていただいた方から別室の方へご案内していきます」
やっとあのうざったい声から解放される。
伸びをしたい気分だが流石に控え、代わりに配られた書類へすぐさま名前を書いた。
『西加賀詩 浪井』
年齢26歳、高校中退、現在無職。
幸い名前と判を押すだけの書類であり、そんなことを書かなくてすんだ。
後は、とポケットに手を入れハンコを探す。
「これっ詐欺ですよ!」
突然隣のやつが立ち上がり言った。
ハンコを握りしめたまま俺はポカンと口を開けて隣を見上げる。その若い男性は正義感に燃える目で司会を睨んでいた。
「日給10万円なんて誇大広告ですよね。こんな内容じゃ一生無理じゃないですか」
紙を叩き糾弾する。俺と違いちゃんと書かれた内容を読んでいたらしい。
偉いことだ、と俺は肩をすくめ書類に向けてハンコを伸ばす。
「ちょっと!?」
俺は手を押さえられた。
「え?」
眉間にシワを寄せ彼の手と顔を交互に見る。
慌てた様子で会場のスタッフが「すいません。ちょっとそういうのはトラブルになるので、別室でお聞きしますので」と彼に駆け寄った。
「まあ俺はやるよ」
書類にギュッと判を押す。
彼の顔から血の気が引いていく。
「なんで」
「金がない生活はしんどいから?」
お前も分かるだろ、と問うように言う。
至極当然の答えだ。
「そりゃお腹は空くでしょうけど何も、こんな所で……」
俺は首を横に振った。
金が無いということは──家のチャイムが嫌になる。スマホにかかる電話が嫌になる。人に会うのが嫌になる。
何よりダメなことが頭をよぎっちまう。
コンビニATMから離れるおばあちゃんを目で追って、
(金、持ってんのかな……)
なんて考えている自分が嫌になりため息をつく。缶コーヒーを買う。
それから少し歩いて雑居ビルを見上げ、ここの6階が面接会場か、と思う。
そして──
「次はもう逃げないって来る前に決めてたから」
彼は俺に向けた目を白黒させながらスタッフに連れられ別室に移動となった。その後は知らない。
彼に続くようにして数名は辞退をしたがそれでも部屋には10人以上が残っていた。
「では、お名前書かれた方から手続きを進めていきましょうか」
その後、2枚ほど書類にサインをして体の寸法を聞かれた。
詳しいことはゲーム内で教えられるらしい。
スタッフらしき人が何やら機材を運んできた。
「こちら持ち出し全て不可となっておりますので、お気をつけください」
はあ、と首だけ下げて頷く。
白いリング状の機材を手足につける。
「じゃあこれがちょうど良いサイズだと思うので」
スタッフが持ってきた一際大きな白いリング状の機材を頭から被った。ゴーグルのようなところに目を当てる。ヘッドフォンのようなところに耳を当てしっかりと固定した。機材は意外と軽い。
「キャラクターの名前は……」
『西加賀詩 浪井』
よしっ登録。
キャラクターを作成して、ローディングの画面を挟み、広場のようなところに俺は降り立った。
「えっ……」
頬に冷たい風を感じた。
周囲から人々の話し声が聞こえ、風と共に視界の上部で前髪が揺れている。
それでも確かに世界全てがアニメ調で、ファンタジーな街並みが広がっている。まさに異世界。
横を通る馬車がガラガラと音を立てながら石畳に揺れる。足から僅かな振動を感じた。
「今のゲームってこんなことになってんのかよ」
はあー、と口を開けたまま周囲を見渡す。
背を逸らし見上げた空に目を細める。濁り一つない青が広がっていた。
子供の頃に携帯ゲーム機を少し触って以降、これまでゲームに触れてこなかったけれど今はこんな風になっているのか。「すげぇな」と呟き素直に感心した。
「で、ここからどうすんだ」
一先ず俺は広場から歩いて街の方に入った。
街並みはヨーロッパ風で、レンガ造りの家々が立ち並んでいる。
さらに進むと露店が並ぶ市場のような場所に出た。
100はある露店が並ぶ道に風が吹き一斉に露店の亜麻色をした屋根がはためく姿は壮観な眺めだった。
「ほお」
露店に並ぶ商品は多種多様でゲームの定番である薬草や回復薬。はたまたヤモリの尻尾などなんに使うのかも分からないようなものまで売られている。
それでもゆっくりと歩きながら見てしまうのは、
「寄った、寄ったー! 安いよ安いよー!」
「どうだいそこのお兄さん!」
手を叩き声を張り上げる商魂逞しい店主たちの姿が眩しかったからだ。
一国一城の主とまでは言わずとも自分で立って自分の領域を守ろうとする立場は憧れた。
ふと明確に使い道のわかるものが目に止まる。
鉄の細い片手の剣で日本で持っていれば銃刀法に引っかかる、そんな剣だった。
立ち止まり剣をよく見ると製作者の名前とロゴが表示された。
「これ、本当に誰かが作ってんだな」
もしかして今まで見てきた物も全て誰かが取ってきたものなのだろうか。
突如、画面いっぱいに『エンジェルサンスタッフ1』という名前と通話の呼び出しが表示された。
その画面に心臓がキュッと縮む。手が止まり短い呼吸を繰り返す。
「……ゲーム内で教えるとか言ってたか」
奥歯に力を入れて鼻から息を吐き、通話の呼び出しに応じた。
十数名の参加者がリモート会議の画面みたく分割されて表示される。現実の姿と似ていたり似ていなかったりと皆、様々だ。
「えーまず皆様には今日から一週間かけてダンジョンの3層までを攻略してもらいます。運営から3層攻略で1万マネーの報酬が配られているキャンペーン中ですので、それを達成出来た方のみ、この部署で引き続き採用とさせていただきます」
俺は瞬きを繰り返す。
マネーとは俺の持っている電子決済アプリ『シン』に使われるポイントの名前だ。
1万マネーとはそっくりそのまま現実の1万円を意味している。
正直、俺はまだ耳を疑っていた。
「えーもし1週間以内に攻略できなかった場合は皆様がご購入された100万円分の機材一式はこちらに売却してもらいます。中古品の買取となりますので返済しきれなかった差額の借金分、また別の仕事の方を紹介させていただく形となりますのでどうぞよろしくお願いいたします」
スタッフは微笑のまま頭を下げた。作られたキャラクター越しの表情からではその真意までは読み取れない。
背中に冷や汗が滲んでくる。
購入? 100万円? 借金?
ちょっと待ってくれ。なんの話だ。
「あの……」
参加者の一人が画面越しに手を上げた。
「100万円分の機材ってもう購入してるんですか」
「はい。ご購入されたものを皆様今つけていらっしゃるはずです」
「あっあの、そんなお金無くて。みなさんもすぐに100万円なんて用意できないと……」
「はあ、ですので事前に100万円分、金利年15パーセントでお貸ししております。1枚目の書類に全て書かれておりましたが」
質問した参加者はみるみるうちに泣き出しそうな顔になっていく。その動揺は他の参加者にも広がっていた。何名かは腕を組んだまま余裕そうな澄ました表情をしているが……
「はい」
俺は手を上げた。
「どうぞ」
「どうやって日給10万稼ぐんですか。3層クリアしても1万円ですよね。俺、借金じゃなく現金がいるんですけど」
「はい。その点はご安心を。皆様にはファンタジーオブシンの世界にある、とある機能を使っていただきます。実際、既に多くの方が日給10万円を達成し、テレビに出たりなど様々な活躍をしております」
「はあ……」
ファンタジーオブシンを仕事にしている人間など聞いたことがない。
巷で噂のプロゲーマーとやらだろうか。
「その機能で得た収入が歩合制で日給最大10万円の支給となります」
俺は「マジか」と口の端を僅かに上げる。
「はい。こちらも皆様がご活躍できるよう全力でサポートさせていただきます」
「そのサポートって具体的には」
税理士の紹介や税金手続きのお手伝い、また金銭面に関して相談の出来る我が社専属の弁護士──とスタッフが事前に用意していたかのようにスラスラと答えていた時だった。
「んなこたぁ! どうでも良いでしょ!」
参加者の1人が声を荒げながら説明に割り込んだ。
俺は目を閉じて鼻から息を吐く。切羽詰まった人間に関わると碌なことにならない。
「どうやって金を稼げるかって聞いてんだ。借金ばっかり増えてよ!」
確かに気になる。
俺はスタッフがどう答えるのか気になり片目を開けた。
スタッフはニコリと目を細めて笑う。
「事前の書類にもありましたが、その機能とは──
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