第七十六話 アーシャ、移動時間短縮方法を知る
床に落ちていた書類とかを、一つずつ確認して、まとめ直していた大神官さんの動きが、止まった。
それから何か考えるそぶりを見せた後、彼女はなんというか、迷いがちな唇になった後に言い出した。
「それがよく分かっていないのですよ」
「わかってない? それは何故?」
大神官さんは、選別があると断言したのに、それが一体何だか、分からないのだろうか。
ディアノン様が、書類を一緒に拾い上げながら、困惑した声をあげる。
「ええ、そうなんです。詳しい事が一切わかっていないのですよ、ただわかっているのが、北の魔の山が、入る人間を選別するという事だけなんです」
「それだけ? 選ばれる人間の特徴とか、わからないんだっぺか?」
「そこがなかなか難しいんですよ、何しろ北の魔の山に入るためには、王宮か神殿の許可が必要でしょう。まずはそこからなので、調べられるほどの人数を、北の魔の山に入れられないのです」
「それは北の魔の山が、強靭な魔物の巣窟だからだろうか?」
「ええ、それもありますが……許可を出して、入れた人間がいたとしても、かなりの数が、北の魔の山から逃げ帰って来るんです」
逃げ帰って来る? なんか怖い目にでもあったんだろうか、それとも命からがら、魔物から逃げて来るのだろうか。
どっちにしても、彼等が逃げてきた時、なんて言っていたかによりそうだっぺ。
おいらがそんな事を考えていると、大神官さんが書類を拾う手を留めないまま、世間話のように言う。
「逃げ帰ってきた人間に話を聞くと、大半が魔物が強くて山に登れないと言い、残った少数派……彼等はかなりの腕利きだったのですが……に聞くと、あの山は恐ろしい力を持っている、だから人が入ってはいけない場所なんだ、というのです。それはどういう意味か聞いても、答えにならない事ばかり言ってくるので、判断が難しいんですよ。まあ、北の魔の山は単なる、魔物の巣窟というわけではありませんから、それもさもあり何と言った感じなんですがね」
「ただの山ではない、とはどういう事だろうか?」
ディアノン様の言葉に、大神官さんが言う。
「考えてもみてくださいよ、美の女神の泉の水という、とてつもなく貴重な、神々の力を持つ泉がある山ですよ? 魔物が多いので神域とは呼ばれていませんが、神の力が働いているという意味では、神域に近い。そんな場所に、軽々しく入れるわけもないのです」
つまり、大神官さんからしてみれば、あの山は恐ろしい力を持っているから、入ってはいけない、という人たちの言葉も、具体性はないものの納得、という事なんだっぺな。
でもそんな、神域に近い場所に、おいら達は行っていいんだろうか。
この疑問を解決するべく、おいらは口を開いた。
「そんなすごい場所に、おいら達は行ってもいいんだっぺか?」
「本物の勇者、あなただから入れる可能性が高いのですよ」
勇者だから入れるだろう、という事だろうか。
「あなたは、一度、神々の選別を受けているのです。あなたはおそらく神に招かれる事でしょう、だから私たちは、あなたに、美の女神の泉の水を持ってきてもらい、あなたが本物の勇者だと、広く知らしめたいのです」
それは、おいらが勇者だと、神の託宣を受けたからだろうか。
おいらが知らない所で、いろんな事が回っていて、決まってるんだっぺな……
「魔王と殺し合うのではなく、戦い、西の国と友好的な関係を築くために一役買ったあなただから、出来ると思っているわけです」
大神官さんはそう言って、床にばらまかれた書類の、最後の一枚を、拾い上げた。
「さて、王宮では、アンドレ王子が、あなたが生ける死体だと喚いている頃でしょう、色々な面倒を避けるために、あなたは出発した方がいいかもしれません」
「いきなりで大丈夫だっぺか?」
「幸いなことに、今の季節なら、極寒というわけではありませんし」
「でも、北の魔の山の位置ってここからかなり遠いっぺよ?」
「そこで、魔物を利用するわけです」
にこやかに笑った大神官さんを見て、おいらはなんだか嫌な予感がした。
「北の魔の山から、毎日、数羽の大きな鳥の姿の魔物が、このあたりを飛び回ります。理由は定かではありませんが、おそらくこのあたりを縄張りとしているのだろう、という事で、神殿では意見が一致しています」
大神官さんは、大きな牛の塊肉を、大神殿の一番高い屋上に置くように、下級神官さんたちに指示を出す。
「そしてやってくるこの魔物を、神殿は、神々の鳥として大切にもてなす事になっております」
「その鳥肉食だっぺか」
「ええ、肉食ですね」
屋上に置かれた牛の肉の塊は、牛の体半分くらいの大きさだ。つまりかなり大きい
そんな塊を毎日ここに置くのだろうか、と思いつつも、これが神殿流のもてなしなのだろう。
「その鳥は、ここまでやってきたら、肉を持って飛び立ちます」
「うん、この流れで大体おいら、何が起きるかわかったっぺよ」
おいらは話の流れが読めてきたから、ため息交じりに言うしかなかった。
「鳥が飛び立つ時に、その肉につかまって、北の魔の山まで運んでもらえって言いたいっぺな?」
「ええ、その通りです。これなら、徒歩では十日はかかるだろう距離を、半日で済ませられますからね」
「それは落ちたら死ぬのでは?」
「そのために、あなたたちに止め具付きの縄を結んでいるのでしょう」
おいら達は、下級神官さんたちに、止め具付きの紐を体に結ばれている。
つまりこれは命綱であった。
「それに……」
大神官さんが、おいらとディアノン様に手を当てて、何か唱えた。
「落ちても死なないように、今、保護の術をかけました。これで落ちても、体が死ぬほど痛いだけになりますよ
「痛いのは痛いのか……」
ディアノン様が何とも言えない顔になったけれども、大神官さんは大真面目だった。
「それに、この方法は、アンドレ王子が死んでも嫌だと拒否した方法です。彼は同じ方法を使って追いかけてきませんから、十日は軽く邪魔が入らないですよ」
「大神官様、そろそろお時間が来ます」
中級の神官さんが、時計を見て知らせて来る。
「では、あなたたちに幸運を祈りますよ」
「おいら達が落っこちない事を、ぜひ祈っておいてほしいっぺ……」
「ええもちろん」
彼等が、鳥を刺激しないように隠れる。
おいら達も、肉の陰に隠れて、その時を待った。




