第五十七話 アーシャ、予測不能の事態に襲われる
多分急な出来事だったのに、王様が待っている大広間には、たくさんの貴族の人が詰めかけていた。
こんなにたくさんの人が来るという事は、王様から何か発表があるんだっぺか?
それ位しか予測が出来ないおいらと同じように、ディアノン様も怪訝そうな顔だ。
だってそんな大きな事が、あるなんて誰も言っていないのだから。
しかし貴族の人たちも、こうして呼び出された理由が、分からない様子だった。
それはざわめきからも明らかで、彼らは一様に、どうして呼ばれたのだろう、という事ばかり喋っていた。
そんな風に、王様に呼ばれた人たちがざわざわしていると、満を持して、といった感じで、王様が現れた。
王様の後ろには、勝ち誇った顔の王妃様、ボルドニオ殿下、と続いている。
「思ったよりも早かったな、ディアノン」
「陛下のおよびでしたから」
父親と言えども目上の人、公式の場では、父上と呼ばないのだろう。
おいらはそんな事を暢気に考えていたのだが、王様がざわめく人々に向って、声を発してからは、それどころじゃなくなった。
「静粛に。このたびは、皆にめでたい知らせをするために、こうして集まってもらったのだ。ディアノン、こちらへ」
怪訝そうな顔を隠したディアノン様が、王様の前に進み出る。
「イエルツェル公爵令嬢、こちらへ」
イエルツェル公爵令嬢、と呼ばれて、しずしずと歩を進めてやってきたのは、おいらをみすぼらしいと言ったスカーレット嬢だった。
いったい何なんだ?
おいらがそんな風に思いながら見守っていると、王様が厳かな声で告げたのだ。
「この善き日に、二人の婚約をここに発表したい。これはとてもめでたい事である! 皆の者、この婚約を祝ってくれ!」
皆さんが戸惑っているのがよくわかる。しかし、誰かサクラでもいたのだろうか、まばらな拍手が始まると、なんとなく、皆拍手をし始めたのだ。
それについていけないのは、おいらやディアノン様だった。
ディアノン様は信じがたいというように口を開閉させていて、顔色も悪く、土気色に近くなっていた。
まさかこんなだまし討ちがあるなんて、思ってもみなかったのだろう。
おいらも思わなかったっぺ。
さてそんな風に始まった、ディアノン様の心をないがしろにした婚約発表の場は、まだ続くのである。
「ディアノンから、イエルツェル公爵令嬢への婚約の贈り物である」
どうやら婚約したら贈り物をするのが、海の国の流儀らしい。誰もそれに対して戸惑っていないのだから、そんなものなのだろう。
だがディアノン様は、そんなもの全く用意していないのに……誰が用意したんだ?
おいらはそんな事を思ったのだが、現れた従僕が、乙女のための宝石、とまで呼ばれている真珠と金剛石のネックレスを、黒い天鵞絨の箱に入れて捧げ持ってきた。
そのきらびやかなネックレスを見て、スカーレット嬢が頬を赤らめる。
だがおいらは言いたい、そのネックレスはディアノン様が用意したものじゃない。
だってそんな物を用意していたら、スーズさんとかおいらとか、身近に彼の用事を行っている人間が、気付くはずなのだ。
そして用意した覚えのないディアノン様の顔は険しかった。
「贈り物を、イエルツェル公爵令嬢につけてあげなさい」
勝ち誇った顔の王妃様が、ディアノン様に言う。
土気色の顔のディアノン様は、周囲を見回し、この馬鹿げただまし討ちから何とか脱出するすべを探していたのだが、見つからなかったらしい。
しかし、自分の手のひらを見て、何か思いついた様子だ。
大変に申し訳ない、といった顔をして、ディアノン様がこう言った。
「公務の途中で来てしまったので、手がインクで汚れているので、申し訳ありません。あなたも贈り物も、汚すわけにはいきませんから……」
手がインクで黒く指先を汚している事に気が付いたのだろう。とっさの事にしてはなかなかよくできた言い訳だったから、おいらは馬鹿な田舎者の演技をして、間に入らずに済んだ。
申し訳なさそうな顔の王子様の指は、確かに、何度も書き物をしていたからか、インクで青黒かったのだった。
「ええ、お気遣いいただきありがとうございます」
こう言った断り方なら、誰も傷つけないから、スカーレット嬢も同じだった様子だ。
こうして何とか、贈り物をつけてあげるという事から脱した殿下だが、まだ災難は続いたのだ。
それを見守っていた王様がこう言ったのだから。
「婚姻式は、明日行う。そして婚姻式の後、ディアノンとイエルツェル公爵令嬢には、西の国に旅立ってもらう事になっている」
……まさか、連れて行かないと言ったから、こうしてかなり強引な事をして、連れて行くように仕向けたのか?
おいらは疑いのまなざしを王妃様に向けたのだが、王妃様は誇らしげな顔をしていて、よく分からなかった。
しかし、ディアノン様は大きく息を吸い込んだ。
「婚約の機関も設けられない事が……ひどく残念に思えて仕方がありません」
堅い声だった。スカーレット嬢を拒絶した声だったが、それは彼女にとってどうでもいい事だったらしい。
「これで殿下を西の国でもお助けする事が出来ますわ!」
と微笑んでいたのだから。




