猪退治
優里と混浴した俺だったが、それ以上手を出すようなことはしなかった。
変なことをして大声を出されれば、屋敷中に聞こえてしまう。
それ以前に、彼女に嫌われたくないという感情が芽生えてしまっていたのだ。
俺は先に湯船から上がり、服を着て風呂場の外で彼女を待った。
すぐに彼女も、浴衣を着て頬を桜色に染めて出て来た。
それが長風呂でちょっとのぼせたからなのか、あるいは俺と混浴したことを恥ずかしがったからなのか判別はできなかったが、いずれにせよものすごく可愛らしく、俺の目には映った。
その夜、泊っていくことも勧められたが、さすがに無断外泊は出来ない。
また明日来るとだけ告げ、ゲートをくぐり、俺は自分の部屋へと戻ったのだった。
「おかえりニャ。どうだったニャ?」
……こいつがいるの忘れてた。
いや、この自称『神の化身』のおかげで、非常に充実した一日を遅れたのだ、決して雑な扱いはできない。
俺は今日一日起こったことを全て話し、礼を言った。
「……ニャるほど、もう女の子と混浴するところまでいったのかニャ。ボクの予想を超えているニャ。ま、気に入ってくれたのなら、ボクも嬉しいニャ」
「……エル、これって何か、裏があるのか?」
「な、なにがニャ?」
「なんか、上手くいきすぎているような気がして……」
「……『裏』って、なんニャ? 起きていることが全てニャ」
「そうか……そうだよな」
「ただ、あえて言うならば、君が一番活躍できそうな環境にゲートを作ったニャ。どうするかは君次第。ボクは手出しできないニャ」
「なるほど……やっぱりエルが舞台を調えてくれたっていうことだな。ありがとう、頑張るよ」
「うん、大丈夫そうだニャ。また明日も頑張るんだニャ」
エルはそう言い残して、その姿をかき消した。
「……いきなり消えた、か……やっぱタダのネコじゃないな……」
普通のネコじゃないと分かっていたことだが、ちょっと衝撃的だった。
そしてその夜は、初めて年頃の女の子と混浴した事による悶々とした気持ちと、淡い恋心、そして時空間移動したことの興奮で、しばらく寝付けなかったのだった。
翌日、ロードワークを済ませた俺は、シャワーを浴びた後、着替えてまたゲートを潜った。
三百年前の世界も、快晴。
季節は同じく夏、しかしながらこちらはコンクリートやアスファルトの照り返しがないためか、あるいは温室効果が起こる前だからなのか、比較的涼しいように感じた。
剛田部邸を訪れると、俺は大歓迎された。
なんでだろう、と思っていると、主人である銀治郎さんの体調が、大分良くなっているのだという。
脚気はビタミンさえきちんと取れば、すぐに良くなる。
早速訪ねてみると、まだちゃんと歩けるほどではないが、大分四肢のしびれがとれてきているということだった。
そしてこの日は、前日に波美から依頼を受けていた『大イノシシ』の被害状況を確認しに行く事にした。
最近よく狙われているのは、里芋畑なのだという。
そこに案内されたのだが……結構広い。
『一町』と言うことなので、約一ヘクタール。大体百メートル四方ぐらいだ。
イノシシは本来警戒心が強い動物なので、人間が見張っていれば近づかないものなのだが、その『山嵐』と呼ばれる個体は平気で近寄ってきて荒らすのだいう。
しかも、月が出ていない夜に限って出現してくるので、暗くてその姿がはっきり見えず、仕留め損なっているのだ。
波美の案内で畑を一目見て、うーん、と俺はうなった。
『山嵐』はかなり大型ということなので、体重は八十キロ以上あると思った方がいい。
罠を仕掛けるとしても、箱形の罠は大きすぎて、ゲートを通すことができない。
落とし穴も、相当大きい物を作る必要があるし、出来たら出来たで人、特に子供が落ちそうで危険だ。
里芋の葉っぱ部分は、そんなに背が高くもないが、低くもない。
畑の畝に沿ってイノシシが歩いた場合、ギリギリ背中が隠れず、見えるぐらいだろう。
しかしそれは、明るい環境での話だ。
これだけの広さがあると、行灯の光なんて到底届かない。
何か対策を考えねば……。
一応、他の畑も案内されたのだが、その時に使用人のおじさんが耕しているのを目撃した。
使用しているのは、木の板の先端に金属を取り付けたタイプの鍬だ。
形状は普通の平桑なので、効率が悪そうだ。
江戸時代の文化をある程度勉強していた俺は、
「そうか、この時代はまだ備中鍬はなかったんだ」
と気付いた。
そこで一旦現代に帰り、ホームセンターで備中鍬を購入。
木製の柄の先に、贅沢にも全て金属で出来た三本の爪が付くこの農具に、波美も農夫も目を見張った。
そして実際に使ってみると、金属部分の適度な重さと、その形状により深くまで耕せることに驚きの声を上げていた。
波美にもっと用意することはできないかと言われたが、俺は貧乏だからそんなに用意出来ないというと、彼女はその備中鍬を綺麗に洗って、屋敷に持ち込み、父親である銀治郎さんに見せた。
その数分後には、彼女は小判を一枚持って俺のところに来た。
この金で買えるだけ買ってくれ、と言われたらしいのだ。
しかもその小判、現代で価値の高い元禄小判であり、売れば百万円以上になる事を俺は知っていた。
内心では狂喜乱舞だが、もちろん顔に出すことはない。
この当時の小判一枚は一両、現代に換算して十万円ほどだが、農具もまた高価だったこの時代、普通に買えば先程の先端だけが金属の鍬でも一万円(日本円換算)ほどするらしい。
全て金属となれば、一両でも良くて二、三本しか買えないと思ったのだろう。
しかし現代にて元禄小判を売れば、ホームセンターで一本二千円のこの備中鍬、五百本は買えてしまう。
とりあえず俺は十本だけ買って渡し、後は別に必要な物が出来たときに取っておくと告げた。
さすがにおつりを全部着服することは、俺にはできなかった。
それでも波美は、目を丸くして驚き、そして喜んでいたが。
この日もエルが現れ、何度も荷物を持ってゲートを潜る俺を、
「やっぱり君を見ていると飽きないニャ」
と、面白そうに観察していた。
ホームセンターでは、ついでにとある仕掛けを購入していた。
その仕掛けの設置に、ほぼ丸一日費やしてしまった。
この作業には、波美の他、優里、葉菜も協力してくれた。
そして仙界の技術の高さに、本当に驚き、感心していた。
やがて日が暮れ、夜になった。
この日は、俺は一旦自宅に帰って食事、入浴を済ませ、夜中にこっそりと時空間移動した。
例の里芋畑に行ってみると、既に波美が準備していた。
手には弓を構えている。
上空には雲がかかっており、月は出ていない。
小さな行灯で足元を照らしているが、畑の中はほとんど何も見えないほど暗い。
他にも数人、農夫が見張りを手伝っているということで、いくつか行灯の明かりが見える。
しかしこの厳重な包囲網をも、『山嵐』は抜けてくるのだという。
そのまま、一時間ほど待機していると、突如、畑の一角がパッと明るくなった。
俺が仕掛けていた、十二セットの電池式人感センサー+ライトの一つが反応したのだ。
「あそこだっ! 結構近い!」
俺は声に出すと、その箇所を強力な高輝度LEDフラッシュライトで照らし出した。
いた――とびきり巨大なイノシシがっ!
「ああ、間違いない、『山嵐』だ! アカの仇っ!」
波美は矢をつがえ、弓を全力で引き絞り、俺が照らし続ける大イノシシめがけて放った。
ヒュン、という風きり音を残し、闇を切り裂くように矢は走り、慌てて逃げようとした『山嵐』の背を見事に捉えた!
ブヒヒーンッ、という大きな鳴き声を残し、大イノシシは逃げ去った。
「……逃げられたのか?」
「いや……手応えはあった。かえしのある矢尻が刺さっているんだ、すぐ致命傷にならずとも徐々に体力は奪っていく……少なくとも、もうこの畑に近づくことはないだろう」
「そうか……なら、目的は果たせたんだな……」
「ああ……勇二殿、貴殿のおかげだ……」
「いや、設置にはみんなが手伝ってくれたからな……あと、君の弓の腕も凄かった」
「……お世辞だと知っていても嬉しいものだ、これでアカ(犬の名前)の仇を取れたな、作物の被害も減るだろうし。ありがとう……」
「い、いや……どういたしまして」
意外と素直に礼を言う彼女に、少しどきっとした。
「……うん、鍬の件も含めて、これだけ世話になったんだ。私にも是非、礼をさせてくれ」
「礼って?」
「優里と同じように……私も、風呂で勇二殿の背中を流したいんだ……」
えっ、と俺は声を上げた。
「……私だと、嫌か?」
「そ、そんなことは無い。嬉しいよ」
「じゃあ、決まりだな。今日は遅いから、明日、な……」
「あ、ああ……よろしく……」
……なんか最後、へんな挨拶になったけど、明日、俺は波美と混浴することになった。
波美……結構美人だし、スタイルも良さそうだし……ちょっと楽しみだ……って、いや、お礼として背中を流してもらうだけだからっ!
――この時、俺も波美も、『山嵐』という大イノシシの驚異的な生命力と凶暴さに、気付くことができないでいた――。




