最終話:なんか面白そう
「さようなら、奏介」
夏子が、笑ってた。
縛られたまま、俺を見上げて、いつもの顔で。
「大好きよ」
……何言ってんだ、こいつ。
「……何言ってんだ? 俺も行くぞ?」
夏子の笑顔が、そのまま固まった。
「……え?」
口が半開きになってる。こいつのこんな顔、初めて見たかもしれない。
俺は、白い中の、姿の見えない声の方に向き直った。
膝は、まだ笑ってた。手も震えてた。でも、立ってた。
「俺も一緒に行って、こいつの寿命まで守っていいですかね?」
声が、少しだけ間を置いた。
『貴様は、残ってもよいのだぞ』
淡々とした声だった。
『力も、そのままにしてやる。この世界で好きに生きればよい』
……そうか。
残ってもいいのか。
頭の中に、工場の中庭が浮かんだ。雪だるまが三つ並んでて、洗濯物が干してあって、若菜が一番前で手を振ってる。
「春がいますけどね」
口から出てた。
「あいつはもう、自分の居場所作ってるんで。子どもらもいるし。俺がいなくても、ちゃんとやってけますよ、あいつは」
それから、夏子を見た。
「俺の居場所は、こいつの隣なんですわ」
夏子の目から、ぼろっと涙が落ちた。
「一人で行かせたら、俺が納得できないんで」
「……バカじゃないの」
夏子が言いかけて、最後の方は声になってなかった。
そうだよ。バカなんだよ、俺は。今さら知ったのかよ。
「あ、そうだ」
思い出した。
「収納の中身、全部春のとこに置いてってもらえます? あいつ、子ども抱えてるんで」
一拍、間があった。
「……あと、その苦痛ってやつ、半分こってできます?」
声が、笑い出した。
『フッ、フハハハハ!』
白い中に、笑い声が響き渡る。
『どこまでも面白い奴らよ。よかろう』
次の瞬間、来た。
体の中に、何かが流れ込んでくる。
熱い。いや、熱いなんてもんじゃない。
内側から焼かれてるみたいだった。
骨の中を、血の中を、何かが泣き喚きながら駆け回ってる。
生きたい、生きたい、生きたい。
何万、何億って声が、全部いっぺんに。
「ぐっ……あ、あああああっ!」
叫んでた。
腕の中で、夏子も叫んでた。俺の服に噛みついて、歯を食いしばって、体をがくがく震わせてる。
夏子を抱く腕に、力を込めた。
半分こだ。半分こなんだよ。
お前一人に、こんなもん背負わせてたまるか。
どれくらい続いたのか分からない。
ふっと、痛みが引いた。
体の奥で、何かが静かになってた。泣き声が、止んでた。まだ、いる。でも、もう泣いてない。
その時、声が、俺たちの頭の上を越えて、もっと遠くへ響いていくのが分かった。
あのキュオーンと同じだった。耳じゃなくて、魂に直接届くやつ。でも、今度のは叫びじゃなかった。
『聞け、人の子らよ』
低くて、重くて、でも、どこか静かな声だった。
『お前たちを苦しめた災禍は、もう無い』
白い中に、景色が映った。
洞爺のホテル。鎖に繋がれてたゾンビたちが、糸が切れたみたいに崩れ落ちて、どこか穏やかな顔で眠ってる。鉤の棒を握ってた自衛官が、棒を床に置いて、天井を見上げてた。
北区の病院の前。あの若い隊員が、動かなくなったゾンビの群れの中で、空を見上げて、ぼろぼろ泣いてた。
工場の中庭。突然現れたコンテナや食料の山の前で、春が子どもたちを抱き寄せて、空を見上げてた。若菜が、春の服の裾をぎゅっと握ってた。
……ちゃんと届いたな。頼んだぞ、春。
室蘭の、封鎖線の前。窓口の桜が、書類を抱えたまま、立ち尽くしてた。
世界中で、みんなが、同じ空を見上げてた。
『救った者たちのために』
声が、最後に言った。
『生きよ、人の子らよ』
景色が、消えた。
二人とも、ぜえぜえ言ってた。
汗だくで、涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、縛られたまま、互いにもたれかかってた。
夏子が、ふと、俺の足元を見た。
それから、泣き笑いの顔で揶揄うように言う。
「……奏介、漏らしてる」
「いや、お前も足元びちゃびちゃじゃん」
夏子が、自分の足元を見た。
一瞬の沈黙。
それから、二人で吹き出した。
泣きながら、笑った。縛られて、ずぶ濡れで、みっともなくて、それでも笑いが止まらなかった。
笑いながら、ふと、気づいた。
「……そういや、さっきからずっと呼び捨てだな、お前」
夏子の顔が、みるみる真っ赤になった。
「さ、最後だと思ったんだもん」
「最後じゃなくなったな」
「……今さら、戻せないでしょ」
「戻さなくていいよ」
夏子が、俺の胸に顔を埋めた。耳まで真っ赤だった。
『望む世界を言え』
声が、静かに言った。
夏子が顔を上げた。
二人で、顔を見合わせた。
言わなくても、分かってた。
「パンデミックも、世界の秩序の崩壊も無い」
「俺たちだけが、居ない世界」
声が、揃った。
夏子が、ぐしゃぐしゃの顔で、俺を見上げた。
「……バッカ野郎」
ああ、知ってるよ。
「良いじゃん」
笑って、夏子の口癖を借りた。
「なんか面白そうで」
二人を縛ってたロープが、はらりとほどけた。
白い光が、二人を包んでいった。
♦
冬の朝だった。
真駒内駐屯地の周りを、陸上自衛隊、宮郷小雪二尉は、いつものように走っていた。
日課のランニングだ。吐く息が白い。背筋はまっすぐ伸びている。何も変わらない、いつも通りの朝だった。
塀の角を曲がったところで、道の脇に、一台のランクルが停まっているのが目に入った。
車体に背中を預けて、サングラスをかけた男が、空を見上げていた。三十過ぎくらいの、どこか飄々とした雰囲気の男だった。
その隣に、女がいた。
にこにこしながら、男の脇腹を指でつついている。何かからかっているらしい。男は上を向いたまま、うるさそうに手で払っている。
太陽みたいな笑顔の人だ、と小雪は思った。
女と、目が合った。
女は一瞬だけ、目を見開いた。
それから、ぱっと笑って、小雪に向かって大きく手を振った。
知らない人だった。
それでも小雪は、走りながら、小さく会釈を返した。
男は、上を向いたまま動かなかった。
サングラスの下で、唇を固く結んでいる。まるで、涙をこらえているみたいに見えた。
まさかね、と小雪は思った。
ランクルの横を、走り過ぎる。
その瞬間、男がぼそっと呟くのが聞こえた。
「……相変わらず、背筋伸びてんなあ」
隣の女が、鼻をすすりながら答えた。
「伸びてますね」
何のことだろう、と小雪は思った。
分からなかった。でも、なぜか、その言葉だけが耳に残った。
角を曲がる。ランクルが見えなくなる。
しばらく走ったところで、小雪は、頬が濡れているのに気づいた。
汗じゃなかった。
拭っても、拭っても、止まらなかった。
どうして泣いているのか、自分でも分からなかった。胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられるみたいに痛くて、それなのに、なぜか、少しだけあったかかった。
小雪は、立ち止まらなかった。
涙を拭いながら、そのまま走り続ける。
見上げた冬の空は、抜けるように青く、とても綺麗だった。
『ゾンビパンデミックですが、正直他人事です』 完
これにて閉幕です。
パラレルワールドで緩く暮らす話のはずが、2話で自衛隊出したがためにどうにかしなければならず、
苦し紛れにゾンビを出した挙句に、殆どゾンビ殺さずに、なぜか人を殺しまくる主人公(笑)
まあ、でもエタらず綺麗に追われたと思います。
ゾンビ物って結構手じまいが難しいのか、投げっぱなしで終わりですしね。
ここまでお付き合いしていただき、ありがとうございます




