第36話 女子会 後編 凛SIDE——
凛SIDE——
『なーくんに振られた』
そう告げてどこか悲しげな空気を笑顔に宿した橘先輩に、胸がざわつく。
驚きが遅れて押し寄せ、疑問が波みたいに重なって私は思わず口走っていた。
「えっ……振られたって……どういう事ですか……?」
「そのまんまの意味だよ……私、なーくん告白したんだ。そしたら……ね……」
「あっ……飛鳥くんが断ったんですか!?何で!?飛鳥くん、橘先輩の事を好きだったんじゃ……周りからもそんな噂を聞いてましたし……」
「わたしもそう思ってたんだけどねぇ。なんでだろね?……たぶん、わたしがなーくんを待たせすぎちゃったのかな?」
「待たせすぎた……?」
その一言が妙に引っかかって、思わず聞き返す。
考えてみれば、あっくんと橘先輩の関係の話なんて噂で聞いていたくらいで、こうして本人の口から聞くのは初めてだった。
「そう。わたしね、夏休みの時になーくんに告白されてたんだ……でもその時、わたし今はまだ付き合えないって言っちゃったの……“まだ”って……」
次々と出てくる話題に、私は驚きっぱなしだ。
夏休みにあっくんは橘先輩に告白して、しかも……先輩は振っていた?それなら、なぜ今度は先輩から告白をしたの?
全てが全く繋がらない。そんな中、先輩は淡々と続けてゆく。それこそ愚痴みたいに。
「でね。最近色々あって、やっぱりなーくんへの気持ちが抑えられなくて……だからわたしからもう一度告白したの……そしたら振られちゃった……わたしの自業自得だよね。馬鹿みたい。告白された時、付き合えばよかったのに……」
「……橘先輩……」
橘先輩の笑いは軽いのに、言葉はとても重い。
私はなんて声をかけていいかわからず、胸の内側が複雑に絡まって息の仕方まで忘れそうになっていた。
先輩はふぅと一息吐くと、仕切り直すようにこちらに視線を送りながら、ゆっくりと刃を抜く。
「ねぇ凛ちゃん……単刀直入に聞いてもいい?」
「……はい……」
言葉の後、先輩の瞳に鋭さが宿る。
刹那、冷静な声が私の鼓膜を揺らした。
「凛ちゃんさ……なーくんの事、好きでしょ?」
「……………………っ……!?」
好き。
その一言に胸の痛みがぶり返す。
心臓が飛び出そうなほど跳ねて、喉の奥に熱が溜まる。否定できない。なのに、認めるのは怖い。
「だってさ、風紀員会議室でふたりでお弁当食べて、しかもなーくんにあーんとかしてたら……そうなのかなって?」
「……………………」
黙ってしまった私の沈黙が答えだった。
見抜かれたという事実が皮膚の内側から広がってゆき、恥ずかしさより怖さが先に来る。
橘先輩は普段ふわふわしているのに、まさかこんな鋭い指摘をされるなんて思ってもみなかった。
黙り込んだ私に、先輩は勢いを緩めず話を繋いでゆく。
「いいんだよ、隠さなくて……だってなーくんて、すっごく魅力的な人だからね。わたしだって彼の事好きになっちゃったし……だからそんな恋敵の凛ちゃんに私からの大事なアドバイスを一つだけ伝えておきたくて……」
そう前置きして先輩はカップを置き、少しだけ背筋を伸ばした。
その姿が妙に大人びて見えて私は息を呑んだ。
「まだ付き合ってない時ってさ、好きだって気持ちが保てる期限みたいのがあるんだよ。で、それを過ぎると例え両想いでも上手くいかない……だから好きだって思った時に、その気持ちを伝えないとすっごく後悔することになるよ?……今の私みたいにね……」
「……でも……」
橘先輩の一言は、自虐的であまりにも重かった。
好きな期間……もしそれがあるなら私は今がまさにそれだ。
だけど、その気持ちより先に言い訳が浮かんでしまう自分がいる。
私には資格がない。あっくんに嘘をついて傷つけた。
泳ぎそうになる私の目を、先輩の真剣な眼差しが逃さないように捉えたまま、次の言葉の打ち込んでくる。
「凛ちゃん。もう一回聞くけど、なーくんの事……好き?」
「………………はい……」
震えた声で私は答えた。
頷いた瞬間、胸の奥にしまい込んでいた小さな扉が少しだけ開いてしまった。
そこから感情が漏れ出してきて、涙がすぐそこまで上がってくる。
「どれくらい好き……?」
「……………………」
答えられない。
これ以上言ったら感情が溢れてしまう。そんな気がして私は口を閉ざすしかなかった。
「凛ちゃんはさ……わたしよりなーくんの事、好きって言える……?」
その問いが胸を貫いた。
好きに決まっている……私の気持ちも知らないで……。
先輩は笑っているのに、その笑みの奥にあるものが見えた気がして、私はもう止まれなかった。
「…………そっ、そんなの当たり前じゃないですかっ!好きだから……大好きだからずっと我慢してたのにっ……なんでそんな事聞くんですかっ!?」
声が割れて喉が熱くなる。涙が勝手に溢れて頬を伝う。
私は二人の事を応援するために一歩引いたのに。なのに、なんで今更……。
「そっか……よかった、凛ちゃん本当の気持ちが聴けて……私なんかよりずっと好きならさ、その気持ち、ちゃんと伝えないとこの後すっごく辛くなるよ?」
橘先輩の声は優しかった。まるで私に寄り添うみたいに。
辛くなる。そんな事、わかってる。
わかっているのに……私はあっくんに向き合おうとするたびに逃げてきた。
検証という建前にしがみついて、本音を見せないようにして。
だからこそ、口から溢れてしまった。
「でも……でもっ……私にはあっくんに気持ちを伝える資格なんてないんですっ……彼をずっと騙してきた私にはっ!」
自分でも驚くほどの声だった。
吐き出した瞬間、胸の奥が少し軽くなって、同時に崩れる音がした。
なのに、そんな私を見つめる先輩の表情は優しいままだった。
その優しさが私の心の堤防をさらに崩していく。
「私はっ……あっくんの邪魔にならないように、あっくんが橘先輩の事好きだって知ってたからっ……あっくんには幸せになってほしくてっ……だからっ……だからっ!……ううっ……私はっ……」
言葉がまとまらない。
涙が止まらない。
胸が苦しくて、息を吸うたびに喉が震える。
私は何をしたかったんだろう。
幸せになってほしいって言いながら、思い出だけは手放せなくて。ズルい方法で、自分の気持ちを満たそうとして……。
考えてみれば、私はあっくんと真っ直ぐ向き合った事なんてなかった。
自分のこの気持ちを断られるのが怖くて……橘先輩のせいにして言い訳ばかりして、自分の気持ちとさえも、向き合えてなかったんだ。
「凛ちゃん。ふたりの間に何があったのか、それは私にはわからないけど……けどね、気持ちを伝えちゃいけないなんてこと、絶対ないと思う。なにかあるならちゃんと仲直りして、それで気持ちをちゃんと伝えるべきだよ……たぶん、わたしが凛ちゃんの気持ちを邪魔してたんだよね?凛ちゃん優しいから……でも、もうそんなの気にしなくていいんだよ?だから、なーくんにちゃんと気持ちを伝えてあげて。わたしの代わりに……彼の側にいてあげて……」
その言葉が、私の最後の支えを折った。
胸の奥に張り付いていたなにかが、音を立てて崩れていく。
既に私をせき止めるものなんてなかった。
涙とともに、全部の気持ちが溢れ出していた——




