22_救世主、リオネルの察し
(彼女は……勘付いているの?)
(男性にしか感じられないはずの、わたしの『誘惑の香り』に……?)
今のところ、この香りのトリガーは、レインハルト様へのわたしの「欲情」であることは分かっています。
けれど、クラリス様は女学生の中でも群を抜いて敏感な水魔法の使い手。
香りを「匂い」としてではなく、大気を震わせる「異質な魔力波形」として感知しているのかもしれません。
「……まさか、エリュシオン嬢。貴女、何か『禁忌の術』でもお使いではなくて? レインハルト様の思考を奪うような、不浄な何かを」
「そ、そんなことは……っ!」
「いい加減にするんだ、ヴァレンティーヌ。僕が研究しているのは彼女の存在そのものだ。……他者が口を出す領域ではない」
レインハルト様がわたしの前に立ち、鉄壁の守護を見せます。
けれど、クラリス様の視線が部屋の奥にある豪奢な「錬成寝台」を捉えました。
その瞳が驚愕に見開かれ、次いで、冷ややかな確信へと変わります。
「……研究、ですって?……そのような錬成寝台が必要な研究でしょうか。……それに、この部屋を満たす異常な魔力の揺らぎ。原因は分かりませんが、レインハルト様、貴方は今、ご自身の魔力制御すら十全ではない状態なのではなくて?」
「…………ふう……、ヴァレンティーヌ。もともと僕と彼女は婚約者だろう。なんの不思議があるというんだ」
その声には、氷のような怒りが滲みはじめていました。
レインハルト様の周囲に金色の光が渦巻きはじめ、金粉のような粒子が舞い上がります。
彼の前髪がふわりと浮いたかと思うと、部屋中の空気が重く鳴動し始めました。
ゴトゴト…ガタガタ………。
それだけではありません。
空間そのものがひしゃげるような異音が響き、窓ガラスに微細な亀裂が走ります。
王都の安全を担保する学園の防護結界すら、彼が放つ怒りと情欲の入り混じった無意識の魔力圧によって軋み、悲鳴を上げ始めていました。
もしこのまま彼が感情を爆発させれば、本当に学園の結界が内側から崩壊してしまいそうです。
王国の守護者としての最強魔導師はもはや、わたし個人の守護者へと成り代わり、国家級の危険性を持ち始めていたのです。
「ひっ……!?」
「レインハルト様!? お止めになって…!!」
わたしが必死で止めようとしたその時、廊下からバタバタと騒がしい足音が近づいてきました。
「――姉貴ッ!! やっぱりここにいたのかよ! イザベラ嬢が俺のとこまで来て…ッ」
現れたのはクラリス様の弟、リオネルでした。
彼は息を切らしながら室内を見渡し、一瞬で状況を把握しました。
……いえ、把握しすぎて、その場に固まりました。
「…………。おい、姉貴」
「何かしら、リオネル。今わたくしは、魔導の正義についてお話ししているのよ」
「正義もクソもねーよ。……あそこに錬成されたベッドが見えねーのか?」
リオネルは研究室にはあまりに不釣り合いな豪華な寝台を一瞥し、天を仰ぎました。
そして、冷や汗を流しながら、依然として戦闘態勢の姉の腕を掴みました。
「いいか、姉貴。察してやれよ。……今のレインハルト様は『最強の魔導師』じゃねぇ。『最強に盛った婚約者』なんだよ。ここに居座るのは、火薬庫の中で火遊びするより危ねーぜ」
「何を……っ、失礼なことを! レインハルト様がそんな……!」
しかし、結界が軋む異常なプレッシャーを肌で感じ取ったクラリス様は、一歩後ずさりました。
「いいから来いって! シャルロットも、変なことされる前に逃げろ……って、もう遅そうだな。レインハルト様、目がマジだもんな……」
「……ッリオネル!!」
リオネルに腕を引かれながら、クラリス様は最後に鋭い視線をわたしに向けました。
「エリュシオン嬢。貴女のその不可解な力が学園の結界を歪めているのなら……わたくしは、決してこのまま見過ごしませんわ」
クラリス様は強い警告の言葉を残し、リオネルは青ざめながら、二人は去っていきました。
再び訪れた、重苦しいほどの静寂。
レインハルト様は扉に鍵をかけ、防音の結界を張り直すと、再びわたしの方へと向き直りました。
「……邪魔が入ったが。むしろ、今の騒動で君の鼓動はさらに速くなったようだ。……香りが立ち上がりはじめている」
彼はわたしの頬、唇とを撫でるようになぞり、ブラウスのボタンに手をかけます。
「あ……っ、レインハルト様……」
「研究はまだ始まったばかりだ。……さあ、続きをしよう。今度は、誰にも邪魔させない」
黄金の瞳が夕闇の中で禍々しく、けれど愛おしく光ります。
一歩間違えれば学園を崩壊させかねない、この狂おしいほどの熱。
かつてのわたしなら、ただ怯えて流されるだけだったでしょう。
けれど、わたしは彼の首に腕を回し、その熱をしっかりと受け止めました。
「……逃げませんわ」
「え……?」
「わたしが選んだことですもの。あなたの研究のためにも……最後まで、お付き合いいたしますわ」
わたしの言葉に彼の黄金の瞳が驚きに見開かれ、次いで、ひどく甘く歪みました。
わたしは再び錬成された寝台の上で、確かな覚悟と共に、最強魔導師による「徹底的な調査」を受け入れるのでした。
レインハルトが徐々に壊れていった第三幕、これにて終幕となります。
次回、第四幕の幕開け、ついにシャルロットがクラリスによって告発されてしまいます――、秘め事は守られるのか?そして新しい命の芽吹き……お楽しみに。




