21_審判の部屋
その日の朝は、妙に空が高く、学園の尖塔がいつもより遠く見えました。
風は冷たいのに、胸の奥だけが落ち着かない。
理由の分からないざわめきが、制服の襟元から忍び込んでくる。
「シャル、大丈夫だ。そんなに怯えなくていい」
わたしたちは今、学園長室へと呼び出されていました。
隣を歩くレインハルト様の声は、低く、絶対的な安心感を伴ってわたしの鼓膜を揺らします。
彼の黄金の瞳には、かつての冷淡さなど微塵もありません。
あるのは、恋人を慈しみ、自分の色に染め上げた満足感と、他者を寄せ付けない凄まじいまでの独占欲だけでした。
「万が一のことがあったとしても、僕がなんとかする。…心配しないで」
「は、はい…」
数日前から、学園内には不穏な空気が流れていました。
なんでも、「原因不明の魔力波形の乱れ」が観測され、それが学園の安全管理上の問題となっている……というのです。
わたしはその「乱れ」の正体が、この身体から溢れ出す甘い「蜜の香り」であることを自覚していました。
レインハルト様に欲情してしまうたび、本能が勝手に暴走し、見えない霧となって近くの異性の理性をじわじわと侵食していく……。
レインハルト様が、クラリス・ヴァレンティーヌ様から届いた「脅迫状」を、あの日、無造作に指先一つで灰にしてしまっていたことを、わたしは知りませんでした。
彼にとっては、クラリス様の忠告も、学園の秩序も、わたしの首筋に顔を埋めてその香りを堪能する喜びに比べれば、塵あくたのようなものだったのでしょう。
けれど、無視されたクラリス様の執念は、わたしの想像を絶するものでした。
重厚な学園長室の扉が開くと、そこには重苦しい沈黙が堆積していました。
部屋の中央には、学園長である大魔導師モーリスと、安全管理委員会の数名の教授たちが厳しい顔で並んでいる。
そして、その傍らには、勝利を確信したような冷たい笑みを浮かべたクラリス・ヴァレンティーヌ様が立っていました。
「失礼いたします。学園長、お呼びでしょうか」
レインハルト様の声が響くと、室内の魔圧がぴしりと弾けました。
彼は、わたしを背後に隠すようにして一歩前に出る。
その立ち振る舞いは、罪を問われる者ではなく、愚かな者たちを裁きに来た支配者のそれでした。
「レインハルト・イル・ヴァルテンベルク研究士官生。そして、シャルロット・エリュシオン。……君たちを呼んだ理由は、説明するまでもないだろう」
学園長が、分厚い眼鏡の奥からわたしを凝視しました。
その鋭い視線が、わたしの異常なまでの成長――あるいは変容を舐めるように観察します。
わたしは恐怖で指先を震わせ、無意識にブラウスの襟元を掴みました。
「ここ最近、学園の研究棟を中心に、わずかではあるが空間を歪めるほどの異質な魔力波形が観測されている。それは対象の情緒を不安定にさせるような、極めて危険な性質の……いわば『精神汚染』に近い魔力だ。……ヴァレンティーヌ君が、その源流を仮特定した。それは、エリュシオン嬢、君から発せられているというのだ」
「学園長、わたくしの報告は正確ですわ」
クラリス様が一歩前に出ました。
彼女の目は、わたしへの激しい嫉妬と嫌悪で煮え立っていました。
「わたくしは、以前からレインハルト様に学術的にサポートしていただいていました。そのわたくしが、直感したのです。この波形は自然なものではない、と。エリュシオン嬢……貴女、一体どんな禁忌の黒魔術をその身体に仕込んだのですか? あるいは、悪魔と契約し、その美貌と肉体を手に入れたのではないですか?」
「な、……そんな、違います……っ!」
わたしは必死に声を振り絞りました。
でも、「禁忌」という言葉の響きは、今のわたしの状態をあまりにも的確に指しているようで、胸が締め付けられました。
リリスの血、淫魔の末裔。
代々その血に封印されてきたであろう、一国を滅ぼしかねないほどの「女としての毒」。
それをレインハルト様が、その強大な魔力で無理やり捻じ伏せ、今のわたしを作り上げたのです。
これこそが禁忌でなくて、何だというのでしょう。
「見てください、この姿を!」
クラリス様がわたしの身体を指差します。
「数週間前まで、彼女はこれほどまでの魔力も、そして……この不埒な、男を惑わすような身体も持っていませんでした! これは生命の真理を捻じ曲げる外法です! 学園長、今すぐ鑑定の魔道具を使い、彼女の正体を暴くべきですわ!」




