12_禁忌の契り
わたしの中に流れているのは、国を滅ぼし、歴史を塗り替えるほどの「害悪」としての血。
信じられない想いで、わたしは必死に彼に縋りつきました。
「殺さないで……お願い……っ」
「はぁ、……く、そ……っ。なんて濃厚な匂いを……ッ!!」
彼は顔を背け、前髪を乱暴に掻きむしりながら奥歯を噛みしめます。
その、苦しみに歪む端正な顔が。
黄金の瞳の光が揺れ、今にも暗い何かに飲まれそうになっています。
(怖い)
(でも――離れたくない)
相反する感情が胸を裂き、わたしは震えました。
「わたしを……愛しては、いただけないのですか……?」
頬を伝う涙は命乞いなのか、それとも彼を地獄へ誘うための蜜なのか。
本能が、彼という強大な存在を求めて抗いようもなく肌を寄せてしまう。
この最強の魔導師のすべてが欲しい。
わたしの中に溜まる空虚な渇きを、満たしてほしい。
「……はぁ、はぁ、はぁ……。僕の負けだと、言っただろう……ッ!!」
レインハルト様の声が、怒りと激しい渇望で震えました。
彼が乱暴にわたしの肩を引き寄せ、顔が近づきます。
――けれど。
唇が触れ合うほんの数ミリ手前で、彼の動きがピタリと止まりました。
荒い呼吸が混ざり合い、お互いの睫毛の震えまで伝わるほどの距離。
沈黙が降りた路地の奥で、彼が最後の理性の淵に立ち、ギリギリで踏みとどまっているのが分かりました。
「レインハルト、様……」
「……シャルロット」
名前を呼び合う声は、擦れていて、悲鳴のようでした。
彼はギリッと奥歯を噛み締め、黄金の瞳に確かな「意志」の炎を宿して、低く告げました。
「たとえこの身がどうなろうと、……僕はもう、君を手放せない」
それは、本能に流されたのではない彼自身が明確に禁忌を踏み越える、決断の言葉でした。
「あ……ぁ……っ、レ、イ……っ!」
言葉を最後まで紡ぐことはできませんでした。
荒々しく口付けられ、呼吸さえも彼のものへと塗り替えられていきます。
火花が散るような衝撃に、わたしはただ、陶酔の渦の中へと沈んでいきました。
どのくらいそうしていたでしょうか。
レインハルト様はふと、わたしの手首を掴み、唇を離し、わずかに距離をとります。
「は、……はぁ……、シャル……僕を殺す気なのか……?」
口付けの合間、切なげに、苦しげにレインハルト様がこぼしました。
吐息が唇に触れ、熱くなります。
「……わたしが、あなたを、なぜ……?」
「はぁ、はぁ、……ふ……そうか。……無自覚なのだな。今この瞬間にも、……僕の精気を、魔力を、魂さえ吸い上げそうなほど……君は……」
「え……」
彼が何を言っているのか、混濁した頭では理解できませんでした。
けれど、彼がわたしを求める熱量だけは、痛いほどに伝わってきます。
(わたしが、彼を壊してしまう……?)
一瞬、身を引こうとした思考を、わたしは自ら打ち消しました。
嫌です。
もう、絶対に離れたくありません。
彼がわたしを選んでくれたのなら、たとえ地獄に堕ちようとも、わたしは逃げずにこの運命を受け入れる。
そう、心の中で強く肯定しました。
「……いや、もうそれすらも、どうでも良くなった。こんな不浄な場所に…いつまでも君を置いてはおけない」
彼はそう低く呟くと、わたしの膝裏と背中に腕を回し、軽々と抱き上げました。
その腕に込められた力には、決して逃がさないという執念が宿っています。
「レインハルト様……?」
わたしが問いかける間もなく、彼の周囲に爆発的な魔力の波動が渦巻きました。
ドッ、と足元の空気が爆ぜ、重力から解き放たれます。
「――きゃああぁっ!」
思わず彼の首に腕を回し、胸元に顔を埋めました。
次の瞬間、わたしたちは夜の闇のなか垂直に空へと舞い上がりました。
下町の淀んだ空気は瞬く間に遠ざかり、代わりに冷たく澄んだ夜風が頬を叩きます。
下を見れば、街の灯りが宝石をぶちまけたように小さく光っていました。
けれど、空の上は驚くほどに静かです。
「離さないで、シャルロット。……君が僕を求めたんだ。……もう、後悔しても遅い」
耳元で囁かれる彼の声は、風の音に混じって甘く、けれど逃げ場のない宣告のように響きます。
雲を突き抜け、月光を浴びて飛ぶその姿は、まるで夜の支配者のようでした。
彼の腕の中から伝わる、力強く、速い鼓動。
それがわたしのためだけに打たれているのだと思うと胸の奥が熱く、甘く締め付けられました。
どれほどの時間が経ったでしょうか。
やがて、眼下に広大な森に囲まれた壮麗な屋敷――ヴァルテンベルク公爵邸が見えてきました。
彼は迷うことなく、最も高い尖塔にある自身の私室のバルコニーへと着地しました。
吸い込まれるように薄暗い室内へと足を踏み入れます。
そこは、街の喧騒も、一族のしがらみも届かない、二人だけの閉ざされた聖域。
厚い絨毯が音を吸い込み、月明かりだけが寝台を青白く照らしています。
レインハルト様はわたしを降ろすと、逃げ道を塞ぐように壁に手をつきました。
暗闇の中でも彼の黄金の瞳だけが憂いを帯びて光っています。
彼はわたしの髪に指を絡め、再び熱い吐息とともに、今度は逃れようのない深い口付けを求めてきました。
「……あぁ。……これで、もう戻れないよ……、シャルロット」
それはわたしに言っているようにも、自分自身に向けて自嘲しているようでもありました。
(ええ。もう戻れなくても、それでいいのです)
わたしは彼の背中に腕を回し、その身を自ら強く引き寄せました。
――その夜、わたしたちはもう、引き返せなくなりました。
それが、彼の理性が完全に崩れ落ちる、はじまりだったのです。




