第一部 総集編
こちらは第一部完結までの総集編です。
ネタバレになりますので、未読の方はご注意ください。
――凍てついた月光と、永遠の番――
婚約者であるはずのレインハルト様に、いつからか避けられるようになりました。
王国最強の魔導師。
誰に対しても穏やかで優しい、完璧な貴公子。
けれど、わたしに向けられる黄金の瞳だけは、凍りついたように冷たい。
舞踏会への誘いさえ、たった一行の手紙で拒絶されたのです。
***
理由を知りたくて問い詰めても、彼は目を合わせてくださいません。
耐えきれず、その唇に口づけると、レインハルト様は一瞬だけ激しく応えて――直後、わたしを突き放しました。
「夕暮れが近づくほど強くなる、その甘い香りはなんなんだ」
香りなど、わたしには分かりません。
ただ、胸の奥で膨らみ続ける熱だけが、日に日にわたしを苦しめていました。
***
学園では、レインハルト様が華々しい歓声を浴びていました。
婚約者なのに、誰よりも遠い人。
彼の隣には、優秀な魔導師クラリス様の方がふさわしい。
そう思い知らされ、わたしは婚約を解消しようと決めました。
彼の人生から消えることが、最後にできる愛なのだと。
ところが、絶望のまま迷い込んだ夜の路地裏で、身体から溢れた甘い霧が周囲の男たちを狂わせました。
逃げ場を失ったわたしの前に、金色の閃光とともにレインハルト様が現れます。
彼は男たちを退け、そして、古い魔導書から見つけた真実を告げたのです。
わたしは、かつて一国を滅ぼした淫魔リリスの末裔。
人の理性を奪う誘惑の香りを放ち、強大な魔力を持つ者の生命力を糧とする存在でした。
一方、ヴァルテンベルク家は代々、魔を討つ使命を負う血筋。
「本来なら、君を殺さなくてはならない」
その言葉に、わたしは目を閉じました。
けれど彼の手は、わたしを傷つけませんでした。
震える腕で抱き締め、切なげに肩へ顔を埋めたのです。
レインハルト様がわたしを避けていたのは、嫌っていたからではありません。
誰よりも強く想っていたから。
香りに理性を奪われ、わたしを壊してしまうことを恐れていたからでした。
***
やがて彼は、魔導師としての使命より、わたしの命を選びました。
互いの想いを確かめ合った夜、わたしは彼の膨大な魔力を受け取り、淫魔の成体へと覚醒しました。
長く伸びた薄紫の髪。
瑞々しく変化した身体。
代償に、レインハルト様は立つことさえ難しいほど衰弱していました。
それでも彼は微笑みます。
「君を生かしたい。そのためなら、世界を敵に回しても構わない」
翌日から、彼の冷淡さは消え去りました。
人目も憚らず手を取り、成長した身体をマントで覆い、誰にも渡さないと示すようにわたしを抱き寄せる。
けれど、蜜の香りは完全には制御できません。
暴走するたび、彼は自らの魔力と生命力を差し出し、わたしを鎮めました。
その異変に気づいたクラリス様の告発により、わたしたちは学園長室へ召喚されます。
国宝級の鑑定鏡が、わたしの正体を暴こうとしました。
映し出されたのは、淫魔の禍々しい闇ではありません。
わたしの魂も身体も隙間なく包み込む、レインハルト様の黄金の魔力でした。
それは支配であり、守護であり、彼が己のすべてを捧げた愛の証明。
***
しかし今度は、王宮がわたしの力を国益として利用しようと動き始めます。
レインハルト様は王族を前にしても一歩も退かず、わたしを研究材料にも兵器にもさせないと言い放ちました。
その頃、わたしのお腹には小さな命が宿っていました。
宿敵同士であるはずの、淫魔と魔導師の子。
討伐や浄化の大義名分は、もはや消え去りました。
半年後。
かつて断られた舞踏会の夜、わたしはようやくレインハルト様の腕に抱かれて踊りました。
月光の差すバルコニーで、彼はわたしの前に跪き、自らの魔力を宿した黄金の指輪を差し出します。
「正式に、僕と結婚してほしい」
それは親同士が決めた婚約ではなく、彼自身の意思で選び直してくれた未来でした。
やがて生まれた男の子は、リオンと名づけられました。
蜜の香りは消え、わたしの中にあった空虚は、小さな命の温もりによって満たされていました。
レインハルト様は、わたしと息子を腕の中へ包み込みます。
彼が作った檻は、逃げ道のない黄金の檻。
けれど、閉じ込められているのはわたしだけではありません。
鍵をかけた彼自身もまた、愛する家族から永遠に逃れられないのです。
かつて宿敵だった二つの血は、新しい命によって結ばれました。
そして三人で迎えた最初の夜。
レインハルト様は、眠るわたしたちに静かに囁きました。
「明日からは、もっと騒がしく、もっと美しい未来が始まるよ」
その声に守られながら、わたしはようやく知ったのです。
彼の腕の中こそが、わたしの望んだ幸福なのだと。




