表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/30

過去の住民の話


 伊藤は驚いて戸谷を見ると、まだ一歩も動かないままこちらを見つめている。


「え、と、戸谷さん……?」


「さっきかかってきた電話……伊藤さんが送ってくれた手紙の返事だったんです。前の住民、荒巻和重さんだったんです」






『もしもし』


『あ、もしもし? ……あの、荒巻と申します。九条さんのお電話でよかったですか?』


『荒巻さん? もしや、こちらがお送りした?』


『はい。手紙、届きました。正直突然あんな手紙が届いて驚いて……返事はどうしようか、と迷ったんですけど、嘘とは思えなかったし、何より今あの部屋に住んでいる方がいらっしゃるなら、警告しておきたい、と思ったんです』


 荒巻は落ち着いた印象の声だった。声からは真面目そうな男性をイメージさせる。やや迷いつつも、荒巻は丁寧に言葉を選んだ。


『単刀直入に言いますが、確かにあの部屋にいて気持ちが悪いな、と感じたことはありました。どこか苦しい感じがするというか……それで病院で診てもらったこともあります。でももちろん結果は何も異常はなかったので、疲れからかなあと思ってあまり深くは考えていませんでした』


『でもすぐに越されたということは、何か決定的な経験をされたのですか?』


『ええ。怪奇現象ではなく、隣人の女性が恐ろしくて』


 九条の言葉が一旦止まる。


『それはどういうことですか?』


『今現在、隣に住んでいるのは戸谷という女性ではないですか?』


『その通りです』


『気を付けてください。あの人は、普通じゃないですよ。初めは可愛らしいお隣さんだなあ、と好印象で、それなりに仲良くしてたんです。会えば挨拶をするし、世間話で自分のことを話したり……でも住み始めて一か月以上経ったころから、馴れ馴れしさが上がってきて。極めつけは、料理です』


『料理?』


『作りすぎたから、という理由でカレーを頂いたことがあるんです。ほら、お隣の可愛い女の子に料理を貰うって男性は憧れのシチュエーションで嬉しいじゃないですか。僕もそれで頂いて……あの、自分普段は調理師をしているんです。それに、昔から舌が敏感なところがあるというか、生まれ持った才能かもしれないんですけど鼻もよくてですね……』


『……』


『一口食べて吐き出しました。あれは多分……』





 伊藤は頭から水を浴びたような衝撃に、もはや息すら忘れそうだった。


 彼も貰っていたのだ、手作りのカレーを。食べるつもりだったのだが、実は理由があって食べられなかった。


 もしかしてあれにも入っていたのだろうか? 得体のしれない何かが。


「鉄の匂い……と荒巻さんは言っていたので、恐らく……いや、これ以上いうのは止めて置きましょう」


 九条は口にも出したくない、というように顔を歪めた。そして同時に、思い出したように言う。


「思えば、荒巻さんに手紙を書くときに不思議には思ったんです。賃貸のマンションに一人暮らしをしているのに、隣の家の住民のフルネームを知っているのは珍しいな、と。それも、荒巻さんは二か月で越したのに。普通、苗字止まりじゃないですか?」


 言われてみれば、と伊藤は納得した。自分自身も、戸谷の下の名前は知らない。引っ越しの挨拶などでフルネームを名乗ることもあるかもしれないが、苗字のみを名乗る方が多いだろう。


 そういえば九条は宛名を書いた手紙を見て、少し引っ掛かるような顔をしていた。あの時点で、この違和感に気付いていたのだろうか。


 恐る恐る戸谷の方を見る。すると、彼女は据わった目で伊藤を見て、女性とは思えない低い声を出した。


「なんで……カレー、食べなかったの」


 その声を聞いて伊藤の全身に寒気が走る。伊藤がカレーを食べなかったということを、なぜ戸谷は知っているのか?


 夜、綾子の出現により、戸谷のカレーを食べるのが躊躇われたのだ。戸谷に罪はないと分かっていたが、さすがの伊藤も綾子に何をされるか分からない、という理由から、心を痛めつつも破棄していた。それを、彼女は知っていたのだ。


 その疑問に答えるように九条が言う。


「伊藤さん、カレーを貰った次の日はゴミの日でしたね」


「……え、まさか」


「いいですか。彼女はあなたの捨てたごみも回収するほどの執着ぶりなんです。そこで、自分がせっかくあげたカレーが捨てられたことに気付いた。そこで、今までずっとあなたに抱いていた愛が怒りに変わったんです。だから、出社後にマーキングが消えた」


 確かに、カレーを貰った次の日はゴミの日で、伊藤はしっかり出していた。勿論、食べる予定のないカレーも。外からは見えないように袋に包んでいたので、故意にゴミ袋から出して調べないと分からないはずだ。


 収まらない鳥肌を押さえる気さえも起きず、伊藤は震える声で尋ねる。


「つまり……円城寺綾子の霊が戸谷さんに憑いていて、だから彼女はこんなに」


「いいですか伊藤さん。生きている人間と霊にも相性があります。波長の合う・合わないは必ずある。これだけの人数が住んでいるマンションであえて彼女に取り憑き続ける理由はただ一つ。『取り憑かれたから執着性が増した』ではなく、『執着性があったから取り憑かれた』のですよ」


 つまり、戸谷と円城寺綾子は本質的に似ていた? だから、綾子も取り憑いていた?


 九条は鋭い目で戸谷を見つめる。


「似たもの同士である二人。綾子の性格や特性も影響が全くなかった、というわけではないでしょう。矢部義雄が隣の家に住んでいた、ということから、戸谷さんも隣に住む男性に執着するようになったのかもしれません。初めに住んでいた男性も、彼女の異様さに怯えていなくなったんでしょう。この首につけられるマーキングを取る方法は、『戸谷さんの恋の気持ちが収まる・もしくは他の男性に興味が移る』ことだったんです。荒巻さんは結局、一口食べてカレーを捨てたしそのあとすぐ越してますよね。多分、戸谷さんはそれで荒巻さんに抱いていた恋がなくなったんでしょうね。伊藤さんのように」


 伊藤は、そういえば九条の首に髪が出現したのは、戸谷と会った後だと思い出す。さらに、伊藤がカレーを食べずに捨てたことで関心が完全に九条に移ったということも。九条もカレーを食べなかったのだが、恐らくカレーを受け取ったのは伊藤なので、伊藤にのみ怒りの矛先が向かったのかもしれない。


 戸谷の中には二人の人格が混じっている。隣に住む男を好きになるのは綾子の影響だろうが、九条に一目ぼれしたのは戸谷自身の好みだったのだろうか。


 なんにせよ、このマーキングを受ける条件はあの部屋に住むことじゃない。戸谷に恋をされる、それがすべての原因だった。九条は付け足すように言う。


「ちなみに、綾子が戸谷さんの作ったカレーに嫉妬している、と私たちは考えていましたが、あれはまるで見当はずれでしたね。そのままの意味で、『私のカレーを食べて』というアピールだったわけです。『普通ではない』カレーを」


「……頭が、追いつかないんですが」


 伊藤は両手で頭を抱えつつそう言った。戸谷からそんなに好意を持たれていたことも知らなかったし、ストーカー行為をされていたことにも気づかなかった。自分は霊感以外でも鈍い人間なのだろうか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ