8 ダンジョン開放と初めての現地調査
ダンジョン作成を実行するのと同時に、ウィンドウの端に表示されているDPの残り数字がものすごい勢いで減っていく。これだけのDPを消費するのは階層と疑似太陽を作って以来のこと。相変わらず心臓がきゅーっと縮み上がりそうになる光景だ。心臓に持病でも抱えてたら今頃倒れてるんじゃないだろうか。
消費するポイントの量が多かったせいか、今回は数字が停止するまでに十秒以上の時間がかかる。止まった時は本当にほっとしたよ。そのあとで残ったポイント数のあまりの減り具合に思わずため息が出そうになったけど。
わかってたけど……わかってたけどね! 使えば減るのはDPだって銀行の預金残高だってまったく一緒だ!!
数字の減少が止まればダンジョンはもう完成……のはず。例のごとく派手なエフェクトなどないので、この目で確認する方法はないけど。いや、一つだけ方法があった。開きっぱなしのウィンドウを操作してダンジョンマップを表示する。
マップに斜め上からの透視図法で表示されたのは、たった今完成したばかりのダンジョンの全体図だ。
地上一層の真ん中にできた入口から伸びる階段とその先の小ホール。
小ホールの下には地下一層があるため、地下一層の下に作ったまったく同じ大きさの部屋と空間接続で繋いである。空間接続は同じ部屋を二つ作る必要があるけど、離れた場所にある二つの部屋を同じ空間という扱いにして繋げることができるのだ。
接続されたその部屋からはらせん状の廊下が下に向かって伸びていき、一定のところで上に向かって伸びる一回り半径の小さならせん状の廊下に変わる。上まで戻ってきたらゆるやかな弧を描いて大きな円盤状の部屋に接続。
その奥の扉の向こうにはまっすぐな階段があり、上りきったところで地下一層にある部屋に入る。部屋の扉を開ければ、ダンジョンコアのある部屋までは残り1キロメートルの距離しかない。開けられれば、の話だけど。
とりあえず設計通りに廊下や部屋が配置されているのを確かめて安堵の息を吐き、最後の仕上げに取りかかる。全部一度にやってもよかったんだけど、どのみち基本のルートが完成してからでないとできない作業があったので後回しにしておいたのだ。
まず、小屋の隣に隣接する形で部屋を一つ設置。入口に鍵の掛かる扉を一つ付ける。
扉の鍵には『ダンジョンマスター』を指定して、さらに『ダンジョンマスターがダンジョン内にいない時は扉として機能しない』という特殊条件を付与。その上で扉を付けた部屋と入口の部屋を空間接続で繋ぐ。
これでダンジョンマスターにしか開けることのできない、入口の部屋に直結する扉ができたわけだ。
そうそう、入口の部屋から見た扉を外装オブジェクトで壁に擬装しておくことも忘れない。テーマパークの関係者通路じゃあるまいし、入口を入ってすぐ丸見えのドアがあったら不自然もいいところだ。
ついでに入口の部屋の外側も、外装オブジェクトを使って岩山っぽくしておく。地下一層にある出口の部屋はいかにも怪しそうな塔の外見に。
と、いきなり地平線の向こうに天まで届くような塔が現れましたよ! なんだあれ!? あ、もしかして高さの指定をしていなかったから、階層の高さ無効が適用されたのか!?
階層の高さは本来なら部屋と同じ10メートルなので、普通に部屋を配置した場合は階層と部屋の天井は同じ高さになる。外装オブジェクトを部屋に設置した場合も同じ。で、高さが無効になっている階層で、高さを指定せず部屋に外装オブジェクトを使用すると……
うん、たまげたなぁ。これまで部屋に外装オブジェクトを使うことはなかったし、それだと普通に10メートルの高さに見えてたから気がつかなかった。
でもまぁ、怪しげという点では申し分ないからそのままにしておく。カ○ンの塔っぽくて面白いし。
塔のインパクトで忘れそうになったけど、入口に繋がる扉を設置した部屋も外見を納屋風に変えておく。小屋と並んで建つ大きめの納屋。まるで最初からセットで建っていたかのように違和感のない風景だ。
その小屋の中に戻ると、念のために地下の入口にぴったりはまる大きさの木枠のついた籠を作成。入口の一部を変形させて扉を閉めても邪魔にならない位置に出っ張りを作り、籠をはめ込んだら床下収納庫の完成だ。
まさかこの下にダンジョンコアの部屋があるなどとは誰も思うまい、などと思いながら籠にリンゴやジャガイモを適当に放り込む。
いや、擬装だからね! 別にせっかく作ったのだから、有効活用しないとなんて思ってないから!
そんなこんなでダンジョンの作成を終え、ふと気づいてカウントダウンの数字を見てみると『00:00:02:41』となっていた……ただし数字は増える方向で。
気がつかないうちに、タイムリミットを過ぎていたようだ。ゼロになったら表示は消えるんじゃないかとも思ってたけど、そうではなかったようで幸い。これからも時計代わりに活用させてもらおう。
なお、今回のダンジョン作成でかかったDPはというと、
ダンジョンの階層(地上一階):10000p
部屋(入口):1p(外装オブジェクト:40p)
階段(50m):5p
小ホール(20×20m):4p(空間接続(部屋含む):44p)
オブジェクト(花崗岩のモニュメント:246p)
ダンジョンの廊下(1000㎞):10000p
大部屋(100×100×20m):200p
オブジェクト(1000枚の六角パネル):41p
扉1(鍵:花崗岩のモニュメント):940p(魔法無効・ランク7:500p)
ギミック1(大部屋に人が入るとパネルが一枚のみ外れる):100p
ギミック2(パネルがもとの場所に戻されると別のパネルが一枚外れる):10p
特殊条件1(パネルは扉1の先の階段及び部屋までしか持ち出せない):50p
特殊条件2(1000枚のパネルが外れるまで一度外れたパネルは外れなくなる):50p
階段(1㎞):100p
部屋(出口):1p(外装オブジェクト:40p)
扉2(鍵:大部屋の1000枚のパネル):2540p(魔法無効・ランク12:1450p)
部屋(入口との空間接続用):1p(外装オブジェクト:40p)
扉3(鍵:ダンジョンマスター):940p
特殊条件(ダンジョンマスターがダンジョンに不在の時、扉3は機能しなくなる):50p
籠(木枠付き):1p
以上、しめて27394ポイントだ。うん、予定よりも2000ポイント以上オーバーしてる……でも安全のためには仕方ない。これでも削れるだけ削ったんだよ!
扉なんてくっそ高いけど限定条件付けて難易度を下げなかったら、文字通りケタが違って手の出せないお値段だったんだよ!!
魔法無効も高かったけど……もしこの世界に解錠の魔法なんてあったりしたら、一発で開けられてしまうのだから付けないわけにもいかない。
あと非常出入口の扉を最後に設置したのは、通常ルートの一つではなくあくまでも非常口という扱いにしておかないと、必要DPが跳ね上がるから。
一緒に作成するかあとで作成するかの違いだけなのに。でもDPの消費が安く抑えられるのなら、ちょっと作成に手間をかける時間なんて惜しいとは思いません。特殊条件を付けたのも同じ理由だ。
にしても……ダンジョンを解放した割にあまり実感はないなぁ。マップで地上部も監視しているけど、ダンジョンに入ってくる生物は今のところいない。
というか、思った以上に生物が多いなここ。生物(というか侵入者)は白い光点で表示されているのだけど、地上部分はほとんど光点で埋め尽くされている。まさか生物って虫とかバクテリアまで含まれているわけじゃあるまいな?
対象を指定しようかとも思ったけど、外にどんな生物がいるかもわからないので少し様子を見てからにする。人体に有害なバクテリアとか、特殊能力を持ったものすごい危険な虫とかがいないという保証はない。火星ゴ○ブリみたいな。いや、あれは人型か。
あと、作成してからちらっと頭をよぎった大量の水やマグマがダンジョンに流れ込んでくる可能性は、地上部分の生物の動きを見た限り幸いにも否定されたもようです。
……否定されたよね? マグマの中でも平気で動き回れる生物がうじゃうじゃ生息してたりしないよね、この世界!? 実は液体窒素の海の底だったりしないよね!?
今日はひとまずダンジョン内外の様子を見ることにして、ギンたちの戦闘訓練もお休みすることに。別に訓練してたっていいんだけど、ダンジョンを解放したわけだしなにか起こらないとも限らない……というか私の気持ちが落ち着かないので、今日一日はギンとヤシチにぴったし貼り付いていてもらう予定だ。
ギンとヤシチの訓練が休みなら、当然ながらトンボ君たちの訓練も休み。ダンジョン作成の間なぜか近隣に集合していたトンボ君たちに解散を告げると、放課後の鐘を聞いた瞬間の小学生みたいに一斉に飛び立っていく。
元気だなぁ、と思いながらトンボ君たちを見送って、ギンを背もたれ代わりに草の上に座り込む。まだ日も高いし、なんとなく空の下にいたい気分。
ウィンドウで縮尺を調整しながら、マップに表示される生物の動きを観察する。拡大すると光点の密度はいくらか下がり、ぽつぽつと見える光点がしきりに動き回っているものとその場から動かないものに分かれているのがわかる。
縮尺から判断して、光点の大半が虫という私の予想は当たっていそうだ。
動かない光点は寝てでもいるのか。まだ昼だし夜行性の生物という可能性も……ああいや、よく考えたら植物だって生物に含まれるか! 植物だったらさすがにマークを外してもよさそうだけど、正体が判明するまではひとまず保留しておこう。
にしても、マップで確認できるのが位置情報だけというのは意外と不便な気もする。せめて種類だけでも特定できればなぁ。
なんて考えていると、次第に胸の中で大きく膨れ上がってくるのは〈鑑定〉のスキルを取りたいという誘惑だ。
マップや〈視野借用〉のスキルを介して使えるのかはわからないので取らないでいたけど、もし使えるなら情報収集において大きな戦力になるのは間違いない。
……しばらく迷った結果、取りました! 仮にマップに適用できなかったとしても、この先いつ必要になるかわからないし、今すぐは無理でも使い続けることでスキルが成長すれば将来的にマップや〈視野借用〉のスキル越しでも使えるようになるかもしれない。なにより異世界ものでは必須ともいえるスキルだ!
正直、今日はもう27000ポイント以上使ってるんだし、というヤケクソじみた意識が働いてなかったといえば嘘になるけど。まぁいつかは取っていたスキルだ。ちょっと予定が早まっただけと思おう。
で、さっそくマップを見ながら〈鑑定〉スキルを使ってみたわけですが……浮かんだ文字は『ウィンドウ:ダンジョンマスターの作業を視覚的に補助する』でした。知ってるよ!
思わず全力で突っ込んでから、光点に意識を集中してもう一度〈鑑定〉を使用。気の抜けるボケはもういらないから! 真面目に表示をプリーズ!!
そうすると光点に変化が……単に色が変わっただけだけどな! 白一色だった光点に黄色や明るい緑色をしたものが混ざって見える。それでも白が大半だけど……どういう分類だこれ、と思った途端文字がポップアップして強さで色分けしてることがわかりました。
色が付いてるほうが強くて、緑に近づけば近づくほど力が上という表示らしい。
……うん、期待してたのとはちょっと違うけど、それなりに効果があったんだからまだいいか。近隣の生物の強さってのは重要な情報だし。具体的にどれくらいの強さなのかがわかればなおよかったんですが! 求むレベル表示!
そのあとも〈鑑定〉を使ってあれこれ試し、最終的にわかったのはマップ越しに〈鑑定〉を使った場合は、マップの機能を向上させるような役割を果たすということだった。
マップ越しに対象を〈鑑定〉するのはやはり不可能らしい。ただ、マップの機能が向上したおかげか、光点の形で植物と動物の判別は付くようになった。三角が植物、丸いのが動物といった具合だ。この調子で機能を充実させていけば、もっと細かな識別もできるようになるかもしれない。
なんてやってたらもう夕方で、さすがに今日はもう引き上げ時かと思って立ち上がる。目の使いすぎで頭と首筋が痛くなってきてるし。ああ、ゆっくりお風呂に入って休みたい。
ずっとマップで地上の様子を確認してたけど、ダンジョンに入ってくる生物はおろか入口に近づいてくる生物もいない。普通に考えるなら警戒していると思うところだけど、この世界の生物の行動様式もわからないから原因は不明だ。
とりあえずダンジョン解放と同時に大事件に見舞われるような、開幕クライマックスの危機が避けられたことを素直に喜ぼう。
っと、こんなことを考えたら立てたくもないフラグが立ちそうだから、あえて別のフラグを立てておく。そう、今日はやけに風が強いな、とか国の家族はみんな元気でやっているかな、とか明日の朝ご飯はなににしよう、とか。
風はいつもと同じ気持ちのいいそよ風だし、家族の安否を知る術はないし、明日の朝ご飯もジャガイモの塩ゆでにする予定だけど。
む、いや……リンゴがあるからジャガイモのパンケーキも捨てがたいな。ああでもおろし金がない! 小麦粉もだ! なんという絶望、なんという悲しみ……くそう、DPが入るようになったら調理器具と食材をもっと充実させてやる!
阿呆なことをつらつらと考えながら小屋に戻り、皮を剥いて細く刻んだジャガイモを多めに油をひいたフライパンでこんがり焼き上げる。
パンケーキならぬジャガイモのガレットだ。大きめに焼いたので半分は布に包んで食料庫へ。残りは適当な大きさに切って皿に盛る。おろし金がないのでリンゴのソースは作れず、味付けは塩だけ。まぁ、色々足りてない割には食べられる味になったと思う。
もちろん、ギンとヤシチにも晩ご飯は用意してある。大事な仲間のご飯をそっちのけにして自分が食べたいものだけ作るなんて許しがたい悪行です! そもそも肉を切り分けるだけなので、ガレットを焼いたあとにでもささっと準備できるし。
もはや肉を切り分ける速度だけなら、本職(肉屋もしくは動物園の飼育員)にも負けないという自信がある。
夕食が済んだらマップでちらちら地上部の光点を監視しつつ、偵察部隊の行動計画表の最終チェックを行う。このまま何事もなければ、明日の朝にはダンジョン外へ偵察部隊を派遣する予定だ。
正直、不安でいっぱいだけどね。非常口から出た途端に近辺の生物に襲われてしまうんじゃないかとか、それ以前に外の環境に適応できないじゃないかとか、非常口から外の生物が乱入してくるんじゃないだろうかとか。そんなことばかりぐるぐる頭の中を巡り続ける。
いっそ外の調査なんか放棄して、ダンジョンの中に立てこもっていればいいんじゃないかという後ろ向きの考えまで浮かんでくる始末だ。
そればかり考え続けているとどんどん思考が暗くなってきそうなので、この先取ったほうがよさそうなスキルの選定をしたり、ギンとヤシチのこれからの育成計画を立てたり。そうしているうちに眠くなってきたので、適当なところで切り上げてパジャマ姿でベッドに入る。
もそもそと隣に横たわるギンの温かさを感じながら目を閉じると、一、二、三と数える間もなくすこんと意識は闇に落ちた。
翌朝目を覚ますのと同時に行ったのは、ウィンドウを開いてダンジョンに侵入してきている生物がいないか確かめることでした。
いや、ちょっと夢見が悪くて……ダンジョン中が腐海に住んでいそうな虫に占拠されててですね? その中から現れた火星ゴキ○リっぽい人型の生き物が黙々と大部屋のパネルを運んでるんですよ。ひたすら黙々と。
うわああああ扉が開かれるどうしよう、って思ってるところで目が覚めましたよ!
悪夢を追い払うように首を振ってからベッドを下り、ざぶざぶ乱暴に顔を洗う。ああ本当に怖い夢だった。昨日ちらっと考えてしまったのがよくなかったんだろうけど、なにが怖いって実現の可能性が決してゼロではないってことですよ!
早いとこダンジョンの外の生物の姿を確認しないと、怖い想像ばかりがどんどん膨れ上がってしまいそうだ。それこそ某敵対的地球外起源種とか……うう、やめとこう。また夢に見たら困る。
ベッドの上であくびをしてるギンにほんのり癒されながら、窓を開けて手早く朝食を作る。夕食の残りのガレットをフライパンで軽く温め、皮を剥いて切った林檎と一緒に皿へ。ギンとヤシチの分の生肉はちょうどストックが切れていたので、新しく作って切り分ける。
え、リンゴの皮は剥かない主義じゃないのかって? これはデザートではなく付け合わせだからノーカンです、ノーカン。そのつもりで半分しか切ってないし。
残りの半分はデザートにする予定なので、皮を剥かずに切っただけだ。
いただきます、の声と一緒に始まる朝食。最近はヤシチが声に合わせて首を上下するようになって、ちょっと見ていて面白い。ギンは相変わらずスタート直前の短距離選手のように皿をじっと見つめてるけど。
声と同時に猛然と皿に顔を突っ込む速度は、ウ○イン・ボ○トも真っ青の勢いだ。
朝食を終えたら服装を変え、ギンとヤシチをお供に小屋の外へと出ていく。地下一層の空は今日も快晴。雨が降ることなんてあるんだろうかと思いながら大きく伸びをして、〈伝達〉を使ってトンボ君たちを呼び集める。
間もなく草原のあちこちからやってきたトンボ君たち、なんの指示もないのにすかさず二列横隊を作るのはさすがだ。びしっと縦二列に並んだトンボ君たちを見下ろし、腹に力を入れて声を出す。
「総員傾聴! 本日はかねてより予定していたダンジョン外の偵察任務を執り行う! 非常に危険な任務となることをここにあらかじめ告げておく! しかし、このダンジョンの先行きを決定する非常に重要な任務であることもまた忘れてはならない事実である!」
トンボ君たちを相手にすると、なぜか言動が軍隊調になるのが我ながら不思議だ。別に意識してやってるつもりはないんだけど。ノリって怖い。
ともあれ、トンボ君たちは身じろぎ一つせずに黙って話を聞いている。トンボの表情を読むようなスキルも特殊技能も持ってないし、そもそもトンボの耳がどこにあるのかもわからないけれど、少なくとも態度だけはこの上もなく真面目だ。
「偵察任務は方面別に三体一チームをもって行う! まず北方面に第一小隊! 次いで東方面に第二小隊! 南方面に第三小隊! 西方面に第四小隊の順となる!」
言い終わるのと同時にトンボ君たちが真ん中から二つに分かれて、三体ずつのチームを四つ作る。うん、ここまで来るともはや芸術的だ。このトンボ君たちだったら、わざわざ教え込まなくても某体育大ばりの集団行動を見せてくれるような気がする。
「では左手前列より第一小隊、第二小隊、右手前列より第三小隊、第四小隊とこれより呼称を変更する! 第一小隊、前へ!」
ずいっと前へ歩み出る三体のトンボ君。その顔、というか朝の光を反射して輝くグリーンの目を見つめ、見てくれだけは毅然とした態度で声をかける。
「第一小隊には先遣隊としてダンジョン周辺の偵察も行ってもらう。他隊以上に危険な任務を受け持つことになるが、諸君ならばやり遂げてもらえるものと信じる!」
たった今決まったばかりのメンバーだけど、信じてるっていうのは嘘じゃない。少なくともトンボ君たちの偵察部隊としての能力と教えたこと……どころかそれ以上のことまで実行する有能さは十分信用に値する。
これで仮に偵察が不首尾に終わったとしても、それはトンボ君たちのせいではなく私の判断ミスが原因だ。
内心で気合いを入れ直し、力強い足取りで小屋の隣にある納屋の前へと向かう。閉じた扉の向こうにあるのは農具や収穫物ではなく、このダンジョンの入口だ。
扉を開ければそこはもうダンジョンの外の世界。いや、正確に言えば地上部もダンジョンの一部ではあるけど、今まで接することのなかったこの世界と初めて対面することになるのは間違いない。
……せめて人間が生存できる環境であることを祈ろう。いくらなんでも適応不可能な世界でダンジョンマスターをやれとか、そこまで鬼のような話ではないと思いたい。
この期に及んでぐだぐだと不安要素を並べ立てる自分を懸命になだめながら、非常口の扉に手を伸ばす。ギンもヤシチもトンボ君たちだって見ている前で怖じ気づくような醜態をさらすわけにはいかない。
そう、大丈夫だ。私がどんな理由で誰にここへ呼ばれたのかはわからないけど、仮にもこの世界でダンジョンマスターをやらせるつもりなら、世界そのものに適応できないような身体のままにしておくはずがない。
そうでなければ、最初からここが地球人類が生存適応できるような世界であるかのどっちかだ。改造人間の可能性はできれば否定したいから、後者であることを強く願うけど。
ひそかに覚悟を固めて、いかにもな納屋風に擬装された非常口の扉に触れる。ウィンドウを立ち上げて入口周辺の生物反応を確認。入口の近くにはぽつぽつと光点が見えているが中まで入り込んでいる光点はない。出るんだったら今がチャンスだ。
「入口内部に生物反応なし! 第一小隊出撃準備! 扉の開放後すぐに入口より出て空中にて待機! 追って指示を待て!」
言い放つのと同時に、扉の取っ手を掴んで開け放つ。
扉が全面開放された瞬間に第一小隊のトンボ君たちが飛び込んでいくのが見え、その姿を確認することもなく扉を閉める。
心拍数がどっと跳ね上がるのを感じながらも、意識を集中して〈伝達〉と〈視野借用〉のスキルを同時に使う。このままへたり込みたい気分だけど休んでいる暇などない。むしろ偵察はここからが本番なのだ。
頭の中にトンボ君たちの目に映っている光景が浮かび、立ち上げたままのウィンドウにその映像を転送する。画面は三つ。一つのウィンドウの中だと小さくて見づらい、と思った途端にウィンドウは三つに分かれてそれぞれの映像を表示する。
トンボ君たちが見ているダンジョン外の風景は、木や草が生い茂った深い森の中というべきものだった。
木々はそれほど密集してはいないらしく明るさに不自由はないが、その分下草や低木が密生していてまったく地面が見えない。人の手が入った形跡などどこにも感じられない自然林を思わせる光景だ。
トンボカメラを操作して入口のほうを見ると、森のただ中にぼこっと現れた岩山とその下に開いた穴が見える。外からだとこう見えるのか……長々と観察しても意味はなさそうなので、入口を中心に円を描くようにゆっくり飛んでもらう。
入口周辺に今のところ生物の姿は見えない。反応はあるけど見えないということは、隠れているか虫くらいのサイズなのかのどちらかなんだろう。あまり強い生物の反応じゃないし……と思ったらいた! いました!
非常に見慣れた感じのする蜘蛛の姿がありました! トンボ君たちを狙っている気もするので、すぐにその場を離れてもらう。
……ということは、だ。ダンジョンの機能で作成が可能となっているモンスターは、普通にこの世界に生息している生物であるという可能性が非常に高い。
少なくとも私には教官以外の蜘蛛を作った覚えはないし、教官は地下一層の自室で悠々引退生活を送っているはず。まさか第二の人生を求めて逃亡なんて……してないね、今マップで確認した。
けれど、だったらこの世界の情報を手に入れるのはそこまで難しくないかもしれない。物理法則もダンジョンの中と同じみたいだし、生物の情報も作成可能モンスターのデータを見ればある程度は把握できる。
レベルが上がれば強さも変わるから必ずしもデータ通りのスペックとは限らないけど、基本となるデータがあるのとないのとじゃけっこう違う。
うん、ちょっと光明が見えてきた。まだ確信を持てたわけじゃないから気は抜かないけど。でもこのダンジョンを構成する要素と、この世界に存在する要素が紛れもない同一のものなら侵入者の戦力分析も、対抗策の構築もそこまで難しくはなくなる。
というか、ちょっと警戒の度がすぎたのかもしれない……わざわざその世界とまったく法則性の違うダンジョンなんて普通は作ったりしないよね。どう考えても普通とは言いがたい状況で、しかも現地情報がゼロなんて事態に見舞われて完全に想像が暴走してたけど。
まぁ、状況を甘く見積もって手に負えない事態になるよりずっとマシだし。
基本的に最悪の状況を常に想定しておきたい性格なのだ。たとえ可愛げがないと言われようと、非常時の避難ルートとか防災用品とかしっかり確認ないと気が済まないんですよ!
……あ、そういえば蜘蛛の姿を見た時に〈鑑定〉を使ってみるのをすっかり忘れてた。反射的に逃げることしか考えてなかったからなぁ……次に会ったら、逃げる前に使おう。スキルを使ってる間に襲われないくらいの時間と距離があればの話だが。
そんなことを考えている間に、トンボ君たちはダンジョンの入口から大分離れていた。
もう入口を擬装してる岩山も見えない。あたりは相変わらず深い森の中で、見通しが悪いのでちょっと上昇して木々の梢の上に出てもらう。
見下ろした高さはだいたい20メートルくらいだろうか。
下が一面の森なのでいまいちはっきりしない。ただ、森が途切れることなくどこまでも続いていることはわかった。富士の樹海どころかアマゾン川流域レベルのとてつもない広さの森林だ。地平線まで続く緑の向こうに、かろうじて山らしきものの稜線がうっすら見える。
……現地調査が楽になりそうだなどと思ってごめんなさい。純粋に距離的な問題でけっこう大変だよ、これ。
マップで方角を確認して、第一小隊のトンボ君たちには北に向かってもらう。近場の調査も大事だけど、できる限り広範囲の調査も進めておきたい。
うっすら山の見えている方向がちょうど北なので、山を目指して進むよう指示。
速度は巡航速度を維持してもらう。そうすれば飛んでいる時間を測定することでだいたいの距離を割り出すこともできる。マップの範囲から出てしまえば、まっすぐ飛んでいるかを判断することはできないので本当にだいたいの距離でしかないけど。
ひたすら飛び続けて、気がつくと一時間。トンボ君たちの様子に異常はなく、周囲の風景も相変わらず空と森だけが広がっている。
空にはトンボ君たち以外飛んでいる生物の姿は見当たらない。どうやら空は地上に比べると安全みたいで、空を偵察ルートに選んだ自分の判断力にひそかに喝采を送っておく。
飛行距離は時間から見て80キロメートルくらいか。まだまだ少ない、と感じてしまうのはダンジョンの1000キロ廊下と比較してしまうからだろうか?
いやでも80キロくらいなら自転車でも一日あれば余裕で走れるし。本格的なロードバイクだったら二、三時間でもいけるくらいだ。
――なんて、ちょっと気がゆるみ始めていたのが悪かったのか。
まったく気配も感じさせずに頭上から襲いかかった影が、三機編隊で飛んでいるトンボ君のうちの一体をくわえて瞬時に真下へと消え去った。