第21話 聖女オーレリアの呟き
銀髪の少女は失望したようにため息をつくと、私から視線を外した。
——なんで?
——初めて会ったのに、どうして私を知っているの?
——どうして私のこと悪者扱いして怒るの?
たくさん言いたいことがあったけど、棘だらけの態度が胸に刺さり、思わず声が震えた。
「どうしてそんなに怒っているの……?」
「今のあなたに言っても意味がありません」
オーレリアは私に背を向けると、椅子に戻って何かを考えだした。
すると横に立っていた騎士の人も、黙って壁際へ下がる。
どうすればいいんだろう。
助けを求めてマザーマリアを見上げたけれど、彼女も私とオーレリアを交互に見るばかりで、困惑しているようだった。
誰も何も言わない。
その沈黙に耐えきれなくなり、私はもう一度口を開いた。
「私は、どうすればいいですか」
最初は無視されたかと思った。けれど、重ねて声をかけようとした瞬間、彼女の瞳が私を射抜いた。
「ルチェルタ・セレヌス・ヴァルクロワ。私とともにロムセリカ聖国に来なさい」
私は言葉を失った。あまりに唐突で、あまりに予想外だったから。
するとオーレリアは、黙り込む私を見て「いいよ」という返事を受け取ったとでもいうように、勝手にひとつ頷いている。
その様子を見て、本当に連れていかれちゃうんじゃないかと思った。
その瞬間、本当に怖くなった。
「どうしたのですか?」
私の表情を見て、オーレリアが怪訝そうな顔をする。
強張ったまま、私が声にならない声を発した瞬間、オーレリアは立ち上がった。
「何を悩むことがあるのです!」
詰め寄ってくる。まるで、焦って何かを追いかけるように。
私が思わず後ずさると、マザーマリアが庇うように私の前に立ってくれた。
「オーレリア様。申し訳ございませんが、この場ですぐに決めることはできません。ルチェルタがロムセリカ聖国に行くかどうか、ご家庭の意向も伺わなければなりませんん」
その言葉に少しホッとしたのも束の間、オーレリアの視線が私を捉えた。
彼女はマザーマリアの横をすり抜け、私の手を無理やり掴むと、そのまま部屋の外へ連れて行こうとする。
「それは今から父から伝えてもらいます。ついてきてください」
——このままついていったら、私はどうなるの?
この世界から私ひとりだけ消えてしまうような光景が脳裏をよぎる。
それが怖くて、思わずオーレリアの手を振り払った。
彼女は驚いたように振り返り、瞬く間に眉を吊り上げる。
「なぜ、手を振り払ったのですか?」
私は泣きそうになりながら、首を横に振った。
「行きたくない」
するとオーレリアは私の手を放し、ひとりで部屋を出ていこうとする。
「父は今、謁見の間にいますか?」
「はっ!左様にございます!」
扉の前にいた騎士に尋ねると、オーレリアはそのまま足早に去っていく。
待って、行かないで、「やめて」って言わなきゃ。
そう思って慌てて追いかけたけれど、彼女を守る騎士が邪魔で近づけない。
「やめて」と叫んでもオーレリアは止まらなかった。
やがて大きな扉の前まで来ると、彼女は強くノックをした。
無理やり止めようとした私は、騎士にぶつかって尻もちをついてしまった。
「お父さま、オーレリアでございます。お話があり伺いました。」
「入りなさい」
中から聞こえた重々しい声に応じ、騎士の手によって扉がゆっくりと開かれる。
隙間から見えたのは、大きなマホガニーのデスクと、そこで密談を交わす二人の姿だった。
デスクの奥で深紅の法衣を纏っているのは、鋭い眼光を放つ初老の男。
その手前には、対照的に黒い法衣を着た、太った中年の男が座っていた。
「オーレリア様、ご機嫌麗しゅうございます」
中年の男はオーレリアを見るなり椅子から立ち上がり、その体型には似合わない丁寧な所作で頭を下げた。
そして二人の視線を遮らないよう脇へ退き、深紅の法衣の男に一礼してみせる。
「オーレリア、話しなさい」
彼女は静かに頭をさげると、物怖じすることなく、はっきりとした声で言った。
「お父さま。ルチェルタをロムセリカ聖国に連れていきたいのです」
「ルチェルタ?」
尻もちをついたまま廊下から見ていた私へ、その視線が向く。
瞳の奥には何ひとつ感情が見えない。
しかしそんな目とは裏腹に、表情だけは妙に優しかった。
「カエルム猊下、申し遅れました。マリア・エレノーラにございます。」
背後からマザーマリアの手が伸びてくる。
彼女は私をそっと抱き起こすと、手本を見せるようにその場で片膝をつき、深々と頭を下げた。
私も慌ててその真似をすると、マザーマリアは安心させるように、わずかに頷いてくれた。
「久しいですね。母が世話になりました。」
「もったいなきお言葉にございます」
すかさずグレヴィノール神父が前に出て、うやうやしく私の方を手で示した。
「カエルム猊下。こちらがセラフィーヌ家の御息女でございます。我がモンバルディ教会の王立修道院にてお預かりしております」
「そうですか」
カエルム猊下が興味を失ったように視線を外すと、神父は一瞬引きつった笑みを浮かべ、逃げるように後退りする。
「グレヴィノール神父」
その背中に、マザーマリアが低い声で問いかける。
「なぜあなたがここにいるのですか? サルヴァン卿はどちらにいらっしゃるの?」
「それを本日、猊下にお伝えしに伺ったのですよ」
グレヴィノール神父は意味ありげにそう言うと、カエルム猊下に一礼し、マザーマリアにもわざとらしいほど丁寧に頭を下げて、部屋を出ていった。
その後ろ姿を目で追っていると、カエルム猊下が厳しい顔つきでオーレリアを睨んだ。
「オーレリア。セリカ教が原点へと立ち返るこの大事な時期に、他でもないお前が欲望に振り回されるとはどういうことですか。それに、セラフィーヌ家の意向を聞く必要があることを、なぜ理解できない。母の後を継ぐ者として、自覚を持ちなさい」
「申し訳ありません」
オーレリアは人形のように頭を下げたまま、凍りついたように動かない。
そんな彼女を、カエルム猊下は冷たい声で突き放した。
「出ていきなさい」
廊下を歩くオーレリアの背中は小さく、足取りも重い。
かける言葉も見つからなくて、ただその後ろを黙ってついていった。
すると不意に、彼女が足を止める。
そして何か思いついたように、勢いよくこちらを振り返り、私の顔を覗き込んだ。
「ルチェルタ、今日一日だけでも一緒に過ごすことはできますか?」
勢いに押されて、私は慌てて「はい」と答えた。
オーレリアは何度か深く頷くと、今度は足早に歩き出し、私たちが最初に会った部屋へと戻ってきた。
「そこに座ってください」
オーレリアはワインレッドの上質な椅子を示し、自分は向かい側の椅子に腰掛けた。
——何を話すのかな。
そんな思いで顔を窺っていると、オーレリアは部屋の隅に控える騎士や、マザーマリアを一瞥した。
「私とルチェルタ以外の者は、この部屋から退出してください。2人で話したいのです」「し、しかし」
「分かっています。だから5分だけで構いません」
オーレリアにそう言われ、騎士は少し迷った末、マザーマリアへ出るよう促した。
マザーマリアは私を心配そうに見て、その場を動こうとしない。
「マリア様、退出してくださいませんか」
けれどオーレリアに強く促されると、彼女は最後に私をじっと見て、諦めたように部屋を出ていった。
みんながいなくなって数秒、オーレリアは黙っていた。
やがて、おもむろに懐からロザリオを取り出すと机の上に置いた。
「見ていなさい。決して、声を出さずに」
オーレリアは、ティーセットの横に置かれた小さなデザートナイフを手に取った。 そして、ロザリオの上で、自分の指先にナイフの刃を当てた。
「な、何をしてるの?」
意味が分からなくて怖くなり、オーレリアの顔を見る。
彼女は静かな瞳を私に向けて、「見ていなさい」とだけ告げた。
視線を戻すと、傷ついた指先から一滴の血が垂れ、ロザリオに落ちた。
次の瞬間、青白い光がロザリオから溢れ出す。
「ひゃっ……」
驚いて声を上げたとき、オーレリアが身を乗り出し、私の口を手で塞いだ。
見ると、声を出したことに少し怒った様子で私を睨んでいる。
「あなたも同じように、ここに血を垂らしてください。そうすれば、今日の無礼をすべて許します」
私は悪くないのに、と一瞬思ったけれど、有無を言わさぬ迫力に押され、オーレリアからナイフを受け取った。
恐る恐るオーレリアの真似をして、指先から一滴の血をロザリオに垂らす。
すると、再び青白い光がロザリオから解き放たれた。
私は呆然とオーレリアを見つめた。
すると彼女は真剣な眼差して、私を見つめ返してくる。
「この青白い光はあなたの血が神器と共鳴している証拠……」
その言葉の意味を捉えかねて、次の言葉を待った。
「あなたは私と同じ運命を背負った、二人目の聖女なのです」
その一言はあまりに現実味がなくて、頭の中でふわふわと浮いているようだった。
けれど——
「やっと、ここまで来た……」
オーレリアが吐息のように漏らした、その呟きを聞いた瞬間——
浮ついていた言葉は急速に熱を帯び、私の世界を一変させる現実となって押し寄せた。




