第20話 すれ違う再会
「ふふふーん♪ ねえアリーナ、もうすぐかしら」
「お嬢さま、まだ、早いです。集合時間は、8時ですから」
何度も同じやり取りをしているのに、聖堂の鐘が鳴るのを待ちきれない。
もし鳴らなかったらどうしよう——そんな不安が消えない。
なのにアリーナは、2人分の着替えを詰めたカバンを玄関へ運びながら、のんきに私を見て苦笑する。
どうしてそんなに平気でいられるのかしら。少しでも遅れたら、私たちだけお祭りに行けなくなるのに。
昨日、ケイミー先生が「遅れないように」と言っていたのを、本当にちゃんと聞いていたのかしら、と私は思った。
「馬車が私たちを置いていったらどうするの?」
「……ふふ」
私が言うと、アリーナは昇り始めた朝日をちらりと見て、私にケープを着せてくれた。
「ね、早く中庭に行こう?」
「は、はい」
私がアリーナを追い抜いて玄関へ向かうと、彼女も少し早歩きでついてくる。
胸にロザリオがあることを確認し、靴を履こうとかがんだ時だった。
コンコンコン——
扉を叩く音がした。
——ほら、やっぱり。
「はい!」
返事をして扉を開けると、外にはマザーマリアが立っていた。
ケイミー先生だと思っていたから少し驚いたけれど、修道院の外へ出るのだから、と納得した。
「今、中庭に向かうところでしたっ」
「えっと……ああ、そう……ですね。そうね、今日は……」
マザーマリアは一瞬不思議そうに私を見て、納得したように頷き、少し大きくため息をついて微笑んだ。
「ごめんなさい、ルチェルタ。あなたはモンバルディ教会での奉仕活動に参加できません。今日は別の用があって来たのです」
耳を疑って、思わず呆然とマザーマリアを見上げた。
その顔が申し訳なさそうに困っているのを見て、本当なんだと思った。
「わ、私、何か悪いことをしましたか」
昨日は詩編もちゃんと歌えたし、掃除も、お祈りもちゃんとしたはずなのに。
「いいえ、そうではないのです。決して悪いことでは……だからルチェルタ、落ち着きなさい……」
「私だけ行けないのは嫌です、お願いです、行かせてください……」
私だけがみんなと違って行けないことが、なぜかすごく悲しかった。
「あ、あの、お嬢さま……わ、私も行きませんから、だから」
アリーナの心配そうな顔を見ても、悲しみは少しも晴れなかった。
たとえアリーナが私のために残ってくれたとしても、この気持ちは変わらないだろう。
寂しさとも、怒りとも違う、どうしようもない悲しみ。
それをどうすればいいのか分からなくて、目の前が真っ暗になったようだった。
するとマザーマリアは、私と視線を合わせるようにその場に膝をつき、両手を広げて私を抱き寄せた。
「違いますよ、ルチェルタ……あなたにしか、頼めないことなのです」
「なんでですか?」
私はマザーマリアのぬくもりに縋るような気持ちで聞いた。
「それは……」
それなのに、マザーマリアは急に口ごもった。
「マザーなんて知らないっ!絶対聞かないっ!」
裏切られた気持ちが許せなくて腕を振りほどこうとすると、マザーマリアは慌てたように首を振った。
「ルチェルタ、落ち着きなさい! 本当に、本当に大事な頼みごとなのです。『白星』に値するくらいに大事なお願いなのです」
「本当ですか?」
「ええ、もちろん本当です」
焦る姿を見て、本当に嘘じゃないかもしれないと思った。
それに、白星をもらえたら——自分の胸元に垂れ下がるロザリオに、ひとつ、真珠の玉が紐に通される様を想像した。
「ルチェルタ、私からの頼みごとを聞いてくれますか?」
「はい!」
嬉しくて、アリーナへ思わず振り返った。
「行ってくるね!」
言いながら、頭の隅でアリーナの泣き顔が一瞬チラついた。
けど、今はいつもみたいに私に微笑んでいる。
「お嬢さま、いってらっしゃい」
マザーマリアに手を引かれ、歩き出す。
アリーナと私の間で、部屋の扉がパタンと閉じた。
もうアリーナは見えなくなった。
それからマザーマリアの執務室に連れて行かれると、そこには補務の修道女たちが2人いた。
彼女たちはまるで侍女のように私の髪や服装を整えてくれた。
私の身支度が整うとすぐ、急かすように私を連れ出した。
私はただ、マザーマリアの後ろについていった。
居住棟を出た後、西の正門の前にやってくると、懐から取り出したカギを使って正門を開けた。
マザーマリアと一緒に正門から出ると、そのまま修道院の入口にある応接室につれてこられた。
応接室に入ったとき、あのソファにヘンリーが座っていたな、と一瞬、感傷に似た懐かしさがよぎった。
そして、なぜか今、ようやく私はお祭りに行けなくなったんだ、と気が付いた。
私がいない間、アリーナは何を思うのかなと来た道を振り返った時、応接室のそばに一台の馬車が止まった。
「ルチェルタ、こちらへ」
「どこへ行くのですか?」
「全部馬車の中で話しますから」
マザーマリアは、有無を言わせず私の手を引く。
一瞬、本当に付いていっていいのかなと考えた。
けれど、この馬車に乗れば白星が貰える。
白星が貰えたら、ちゃんと具の入ったスープや柔らかいパンが食べられるし、毛布だってもらえる。そうすれば、セリスが言っていたような『善い人』になれる気がした。
そんなことを考えながらふと顔を上げると、御者席に座る騎士と、馬車の前にステップを置くもう一人の騎士が見えた。
マザーマリアとともに車内に乗り込むと、まもなく馬車は走り始めた。
どこに行くのだろうと窓の外を眺めると、馬車は街の中央へ向かっているようだった。
「ルチェルタ、お話しをします。よく聞いてください」
マザーマリアは私の手を優しく包み込んだ。
「私たちはこれから、聖槍騎士団の本部へと向かいます。巡礼祭のためにロムセリカ聖国より来訪された枢機卿のご息女のお相手を、ルチェルタにはしてほしいのです。」
マザーマリアの表情は暗く、その話が、とても重たいものだって、私にも分かった。
「どうして、わたしなんですか?」
「それは……」
困ったように言葉を探した後、彼女は静かに口を開いた。
「ご息女が、ルチェルタを指名したからです」
どうして私を選んだの? そう聞こうとしてマザーマリアを見ると、彼女は首を振った。
「ごめんなさい、ルチェルタ。私にも理由は分からないのです。」
それきり、私は何を聞けばいいのか分からなくなって黙った。
私が黙っている間、マザーマリアはずっと、どんなふうに振る舞わなければならないかを言い聞かせるように話した。
それに頷くたび、だんだんと怖くなった。
そんな私の不安をよそに馬車は進み続け、数十分ほどで窓の外に大きな城門が現れた。
長年の風雨に耐えた歴史を物語るような、深い色合いの重厚な石造りの門だ。
甲冑を着た騎士が私たちの馬車に敬礼するのを窓から眺めていると、馬車は城門をくぐり、聖槍騎士団本部の敷地へと入った。
すぐに目の前を遮るように大きな建屋の白い壁が立ちはだかって、石畳の道は左右へ分かれた。
馬車は左に曲がると、建物の外周に沿ってぐるりと回り込むように進んでいく。
やがて、馬車は静かに止まった。
騎士が置いたステップを降りると、正面に白い石の大階段が続いていた。
私たちが地面に立つと、馬車はそのまま案内役の騎士を一人残して、円形の庭を半周して去っていった。
マザーマリアに手を引かれて階段を上りきると、そこには、オーク材を重ねた重厚な玄関扉がそびえていた。
表面には、槍と盾を組み合わせた紋章が深く刻まれている。
先導する騎士が手をかけると、扉は重く軋むような音を立ててゆっくりと開いた。
足を踏み入れると、まず目を引いたのはホール全体を照らす巨大な鉄製のシャンデリアだ。
視線を下ろせば、中央には傷だらけの古い甲冑が飾られ、壁には歴代騎士団長の肖像画がずらりと並んでいる。
「こちらへ」
騎士の案内に従ってさらに階段を上り、三階へ向かう。
やがて私たちはある部屋の前で足を止めた。
扉の前には護衛の騎士が二人立っている。
案内役の騎士が彼らに近づき、短く言葉を交わしてから、私たちの方へ向き直った。
「どうぞ中へお入りください」
扉が開くと、中には私よりも小さい、三歳くらいの少女が静かに椅子に座っていた。
濃緑色やワインレッドの上質なベルベット張りのアームチェアが対になって置かれ、その間には光沢のある木製のローテーブルがある。
テーブルの上には白磁のティーセットが用意され、部屋中にお茶の香りが漂っていた。
少女は、まるで人形のようだった。お人形のように白くて、無表情で。
波打つ銀色の髪や空色の瞳は、汚れなんて知らないみたいに清らかだった。
「お初にお目にかかります、オーレリア様」
マザーマリアが静かに両手を組んで跪いた。すると少女は椅子から降りて、テクテクと歩み寄ってきた。
そして私を見上げるように見つめると、ほんの少し口角を上げて口を開いた。
「お久しぶりですね。ルチェルタ・セレヌス・ヴァルクロワ」
その小さな喉から、私の名前のような、だけど違う名前が呼ばれた時、一瞬見覚えがあるような気がして、でもすぐに分からなくなって、私は思わず一歩後ずさった。
「えっと、あの、誰……ですか?」
その瞬間、オーレリアの目が見開かれ、無表情の冷たい顔で私をじっと睨むように見つめた。
「オーレリア様、申し訳ございませんッ」
マザーマリアは、グレイスに向けた時と同じような怒った顔で私を見て、すぐに私の頭を左手で下げさせた。
「謝罪なさい、ルチェルタ」
「は、はい……ごめんなさい」
言われるままに謝って顔を上げた。顔を上げると、さっきまで後ろに控えていたはずの騎士が私の前にいた。
そして彼が私をひどく冷たい目で見ていることに気づいて、ようやく自分が何をしてしまったのかを理解した。
「私を、忘れたのですか」
私は、ロザリオに通される真珠の玉が無くなって、代わりに黒色の鉛玉が通される様を想像した。
そして、泣きそうな気持ちになりながら、怒ったように私を見る少女を見つめ返した。




