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旅立ち(1)

 そして、その日はやってきた。

 八月一日、日曜日。順一は朝から、テラとフロウの出発前最後のメンテナンスに追われていた。なので日曜にもかかわらず、朝食は理奈一人で食べる。いつもならフロウがいてくれたはずだが、先述のメンテナンスのため今はあの白いプレハブの中だ。

 この日のことはなるべく考えないようにしていた。考えればあの日の海斗にやはり怒りが湧いてくるだけだし、理奈一人ではこの現実を動かすことなど到底できないと思い知って凹むばかりだからだ。しかしいざこのときになってみると、いくつもの後悔がよぎるものだった。もっと何か二人のためにできることがあったのではないか。何か行動を起こしていれば、変えられることもあったのではないか。

 今日を最後に、しばらく食べることのできないフロウのご飯。せめてしっかり噛みしめたいと思うのに、喉を通しても味わうことはできなかった。

 皿を流しへ片付けているとき、玄関のほうからブロロロ……という大仰なエンジン音が聞こえてきた。それはこの夏の初めに理奈をここへ運んだ、あの装甲車のものだった。今はテラとフロウを迎えに来たのだ。

「こんな早く来なくてもいいのに」

 一人のキッチンで低く呟いた。その声を聞きとがめる者はいない。

 エンジン音を聞きつけたのか、プレハブからテラとフロウが出てきた。その後に順一が続く。何やらそれぞれ重そうな荷物を抱えている。それらは現地で簡易のメンテナンスをおこなうためのキットだ。順一がいつもおこなうような精度にはならないが、情報の吸出しなどでテラやフロウの負荷をある程度減らすことができるというもの。それらを運んでいるうちに玄関の引き戸がガラリ、と開けられた。海斗だ。

 海斗と顔を合わせるのはあの日以来だが、お互い気まずそうに目を逸らすだけで挨拶もしなかった。理奈はただ苦虫を噛み潰したような顔で、たたきの上からテラたちの様子を見守る。海斗は一見なんでもないという風にテラたちに指示を出している。

「荷物はそのまま後ろに積んでおけば大丈夫だ。車ごと自衛艦に乗り込むからな」

 そんな海斗に応えるのはもっぱらテラだ。あの日と同じで、いつもより上機嫌に見える。

「ここからY国まで船で移動?」

「ちょうど今派遣中の船がメンテナンスをかねて帰国する。お前たちが乗った船がそのまままるっと交代要員ってわけだ。飛行機に荷物扱いで押し込まれるよりマシだろ」

「まぁね。電源落としておいてもらえば俺らにとってはあっという間だから。その場合、着いたら起動してくれる人が必要だけど」

「その辺はちゃんと引き継ぐから安心しろ」

「海斗は頼もしいな。任せるよ」

 あまりにも日常会話のように喋る二人が急に遠い存在に感じられた。船で何日もかかるような遠い国へ、しかも戦場へ派遣されるというのに、深刻さは露ほども感じられない。これが彼らの日常だというのだろうか。それを異常だと感じる理奈のほうがおかしいのだろうか。

 泣きたい気分で彼らを見守りながら、理奈は昨夜テラと交わした会話を思い返した。

「それってそんなに重要なことか?」

 居間に響くテレビの音が、急にかすんだような気がした。思わずテラを見ると、その横顔はいつものものだった。フロウの前ではあんなに感情表現が豊かになるのに、理奈や順一の前では意外なほどぶっきらぼうなテラ。

 「今の外の社会を知るため」などと言って、昨夜テラは急に一緒になってテレビを見だした。ちゃぶ台の前に隣り合って座る。テレビの音があるとはいえ沈黙は気まずかったので、何か話題がないかとさがしたが特に思いつかず、結局はぽつぽつと理奈の身の上などを話した。

 ここへ来たきっかけである母、光とのケンカ。その原因が、将来をうまく考えられないことにあるということ。自分が生きる意味や価値を見出せないということ。そんなことを語っていたときに、その台詞を言われた。

「生きてることに意味なんてなくたって、生きられるだろ?俺はアンドロイドだからよくわかんないけど、飯が食えて、眠れて、毎日充実してればそれでいいんじゃねぇの?」

「でも、充実してるっていう実感もないんだよ。ただ焦るっていうか、このままじゃだめっていうか」

「その実感が生きる意味ってやつ?」

「どうだろ。よくわかんない。わかんないからだめなんだと思う」

「人間って面倒くさいんだな」

 呆れたように言われて、理奈はちょっとショックだった。うつむいていると、微かなテラの声が聞こえた。

「俺はそんなものないほうが幸せだと思うけどな」

「えっ?」

 あまりにも小声で呟くので、ちゃんと聞き取れたか自信がない。訊き返しても、テラはそれ以上は何も語らなかった。

 今になって思う。社会を知る云々というのは口実で、テラは理奈といられる最後の時間を過ごしてくれたのだ。そして励ましてくれたのだ。ぶっきらぼうで伝わりにくいが、テラは優しい心の持ち主だった。

 心の動きや感情があまりにも自然だから、理奈はいつも錯覚してしまう。彼らが人間であるかのように。だが彼ら自身は決して忘れることがないのだ。自分たちがアンドロイドであるという事実を。こうして戦地で活用されるために生み出されたのだという現実を。

「なんて顔してんだよ」

 気がつくと、目の前にテラがいた。テラは勝気な笑みを浮かべてたたきの上にいる理奈を見上げている。何か言わなければと口を開きかけてやめた。今喋ったらきっと泣いてしまう。息を吸い込んで必死にその衝動を押さえ込む。

 そんなこちらの気を知ってか知らずか、テラは腕を伸ばして理奈の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

「別に今生の別れってわけじゃないぜ?また帰って来るんだし。な?」

 テラの声があまりにも優しくて、何も取り繕わず泣きじゃくりたい気分になった。今度は押さえきれず鼻がぐずぐずと音を立てる。子供じみていてみじめだったが、もうどうしようもなかった。

 玄関から出て行くテラを理奈も靴を履いて追いかけた。そこには今にも装甲車に乗り込もうとするフロウと海斗の姿があった。先に乗っていた順一がフロウを手助けする。順一はこのまま研究所へ向かって、テラとフロウのメンテナンスの引継ぎをするのだ。

 暗い装甲車の中に座ったフロウと、ふいに目が合った。その表情はやはり不安そうで、その様が目に焼きついた。ただ見送ることしかできない理奈。ひどく胸が苦しかった。

 これから彼らが向かうのは、戦場。感情を持つ彼らが不安でないはずがない。

 では順一は、なぜ彼らに感情を与えたのか。いつかこんな日が来るとわかっていながら……。

 ドアが閉められて、彼らの姿は見えなくなる。くすんだ迷彩の巨大な車は、カモフラージュという本来の役目を果たさないほど異様な存在感を放ちながら、砂埃と轟音をたてて走り去っていった。


 がらんとした祖父の家に、理奈は一人ぽつんと取り残された。玄関に立ち尽くしていると、ここへ来てからのことが濁流のようによみがえってきた。

 テラに連れられて、まったく想像しなかったシチュエーションで順一の家にたどり着いたあの日。フロウが作ったご飯を食べながら、他愛もないおしゃべりをした日々。平穏ではなかったものの、その時間が温かくてかけがえのないものだと感じるのは、彼らが紛れもない家族だったからだ。順一が認めなくても、フロウが求めた家族の絆は確かにあったのだと思う。

 居間に戻ると、理奈は自分のボストンバッグを引き寄せた。ひどく重いその中身は、理奈が捨てられない現実だ。夏休みの宿題。電源の落ちた携帯電話。何もかもをかなぐり捨てて飛び出すことはできない、中途半端な自分。このボストンはそれを象徴しているかのようだ。

 ジー、と音を立てて、ゆっくりとファスナーを開ける。一番上には何度も出しては解けずに戻した問題集が乗っている。受験のためには必要な勉強。だが就職を選ぶなら、もっと他のことに時間を割かなければならない。決めなければ、宙ぶらりんのままでは、何も進まない。だから進路を選ばなければならないのに、理奈にはその選ぶ糸口さえ見えない。何かひとつでも取り柄や趣味があればよかったのかもしれない。クラスメイトの中には好きなことを仕事にするため、今から努力している子もいる。では、理奈は?やりたいことの見つけられない理奈はどうしたらいいのだろう。それとも、そもそも今まで積極的にやりたいことを探してこなかったのがいけないのだろうか。

――理奈ったら可愛いなぁ。

 耳によみがえるフロウの声は、柔らかく温かい。温もりを持たないアンドロイドのはずなのに。

「私は可愛くなんかないよ」

 独りごちると、たがが外れたように涙が溢れた。一人で泣くのはいっそうみじめだった。


      *      *      *


 長い長い航海を経て、テラとフロウは今回任務に就くY国の港に到着した。とは言っても、船の中では電源を落とされていた二人が起動されたのは先ほどのことで、彼らの認識としてはあっという間の出来事だった。

 一緒に乗船してきた海上自衛隊の交代要員を残し、テラたちは桟橋を使って装甲車ごと上陸した。海に面しているというのに、やたら埃っぽい風の吹く港だった。

 Y国は現在、政府軍と反政府組織が衝突し、市街地での戦闘が続いている。自衛隊は政府軍の後方支援と、戦闘に参加しない市民の保護を受け持っている。昔の法律ならこのような戦闘地域へ自衛隊の派遣はおこなわれなかったはずだが、今では日常となりつつある。

 テラの所属する陸上自衛隊の部隊は後方支援にまわる隊だ。一方フロウは救護班で、保護した市民や現地の兵士で負傷した者の救護や応急処置をする。後方支援部隊の詰め所は灰色の大きなプレハブ、救護班が働くのは野営地に張られた複数のテントの中でひときわ大きなもので、野営地の一番奥にある。二人はそれぞれの目的地へと道を分かった。

 テラがたどり着いたプレハブの中は司令室になっていて、各隊の情報を集約し、前線へと指示を送っている。この中のトップは政府軍の長官で、指令室長を務めている。軍の頭脳というところか。引継ぎのため帰還する部隊とテラたちの部隊が詰めた部屋の中は人いきれで蒸し蒸ししていた。

 その中でテラたちは任務の概要の説明を受けた。あくまで自衛隊は後方支援なのだが、今回はテラの実戦での適用度を量るという目的があるので、時には前線に合流することもありうるということだった。かなり危険な任務ではあるが、今は政府軍が優勢をとっているのでそう心配はないという状況だ。一通り説明を受けると、帰還する部隊を見送り、戦闘が起きている市街地へ向かうため、現地の軍用車に乗り込んだ。

 一方フロウは、救護班が詰めているテントに来ていた。そこは赤十字が描かれた白地のテントで、他が迷彩柄ということもありひどく目立った。中に入ると一緒に来た他の救護班の隊員が顔をしかめた。どうしたのか訊いてみると、薬品の匂いがきついのだという。確かにセンサーのひとつが匂いを感知してはいるが、危険という判定は出ていないのでそのまま進む。するとそこに広がっていた光景は想像をはるかに上回るものだった。

 テントの中には所狭しと傷病者が並べられていた。一人ひとりにあてがわれたスペースは身幅ギリギリといったところで、その間を縫うように救護隊員が行き来している。外から見ると大きく見えたそのテントは、いまや狭いと感じるほどだった。先の隊員が顔をしかめるわけだ。消毒液だけでどれだけ使っているかわからない。

 薄い毛布をかけられた傷病者たちはみな青い顔をしている。中には顔面までも傷でただれてしまっている者もいる。負傷して出血している上、物も食べられないために衰弱しているのだ。治療しようにも輸血も点滴もこの人数をカバーするほどはない。ここでできるのは止血と、傷口からの感染を防ぐことくらいだ。それもこの状況では満足にはいかないだろう。兵士だった者も一般市民も関係なく鮨詰めにされた傷ついた者たち。

 フロウは心の奥がしんと冷えていくような感覚を覚えた。これが、Y国の現実。

 この頃、Y国の戦闘は激化の一途をたどっていた。反政府組織のクーデターは日毎に見境のない攻撃へと変わってきている。政府軍が優勢であることに変わりはないが、その分反政府側はかえって捨て身で向かってくるようになってきている。どうも裏で武器を供給している輩がいるらしく、鎮圧にはまだ時間がかかりそうな情勢だ。

 日本を発つ前に漠然と感じていた不安が今、目の前に実体となって横たわっている。できることなら目を背けてしまいたいと思うような現実。だがここへ来てしまった以上、向き合わざるを得ない。フロウはできるだけ平静を保つよう努めた。むしろ少しでも明るく振舞うようにする。それは、〈対〉の機能を熟知しているからだ。

 テラとフロウは、お互いの感情がバランスをとるようにできている。どちらか一方が悲観的になれば、もう一方が楽観的になって相互作用するのだ。今は離れて任務に当たっているのでそれがどれほど作用するかはわからないが、あまり悲観的にならないほうがいいような気がする。フロウはただひたすらテラを思い、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせ続けた。


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