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海斗(1)

 この日は珍しく、祖父の順一も一緒に朝食を食べた。いつもは早くに自衛隊の研究所に出勤しているので、だいたい理奈が起きてくる頃には家にいなかった。今日は日曜日でそちらの仕事は休みのため、家のほうでテラとフロウのメンテナンスをするのだという。

 そういうわけで、珍しく順一、テラ、フロウがみんないるというのに、理奈は居間に一人ぽつんと取り残された。メンテナンスはあの白いプレハブ小屋で行われるからだ。

 理奈は自分のボストンバックを引っぱってきて、その中から高校の宿題を取り出す。家出と言いながらそれを放置することはできなかった気弱な理奈。

 ぱらぱらと問題集をめくるとため息が出る。もう高校生だというのに、一体何をやっているのだろう。

――理奈はもうちょっと大人にならんとな。

 ここへ来た日、順一に言われた言葉がちくりと胸を刺す。本当にそうだ。でもどうすれば大人になれるのか。何をもって大人になったといえるのか。

 高校での理奈の成績は良くも悪くもない。進学校というわけではないので、卒業後は就職する生徒や専門学校に進む生徒も多い。そんな中、これからの進路を決めかねているのが今の理奈だ。本決定はまだ先だとしても、少なくとも就職なのか進学なのかぐらいは今から決めておかなければならない。その二つの分かれ道は結構大きいからだ。後から選び直すとなれば相応の苦渋は覚悟しなければならない。

 今回の家出のきっかけとなった母とのケンカも進路についてのことだった。母の光は今も保険の外交員として働くキャリアウーマンだ。自分がそうだからなのか、女とはいえ定職に就くほうがいいという考えを持っている。いわく、自分で身を立てられるだけの収入を得ることが幸せに暮らすための第一の条件であると。一方の父、康介は鷹揚に構えていて、「好きな道を選びなさい」と言っている。そんな二人の間でここまで何も決めずに来てしまった。一学期の終わりの三者面談に至ってもまだはっきりせず、ついに光とケンカにまで発展してしまったのだ。今までにいわゆる「親子ゲンカ」のようなものをしたことがなかった理奈は、ちょっと途方に暮れてしまった。こういうときにどうしたらいいかわからず、挙句家を飛び出してしまった。

 思い出したらまた気分が沈んでしまった。浮かない気持ちのまま、理奈は問題集を解き始めた。


「うっ……?」

 一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。夢の中でまた光とケンカしていたのだ。二人とも終わりの見えない言い争いに疲れていて、ふ、と気が緩んだ瞬間に目が覚めた。ちゃぶ台の上には開きっぱなしの問題集。どうやら解いている最中に寝てしまったようだ。慌てて柱時計に目をやる。もう昼に近い時間だ。問題集はさほど進んでいない。

「あーあ……」

 午後からは音楽でも聴きながらやろうと思った。遠くで鳴く蝉の声や柱時計が一定のリズムで時を刻むのを聞いていては嫌でも眠くなってくる。音楽を聴くためには電源を切りっぱなしの携帯を起動させる必要があって少々気が重いが、この調子ではずっと睡魔に勝てないような気がする。背に腹は代えられない。

 そんなことをつらつらと考えていると、ふと何かが聞こえることに気づいた。それはどうやら人の話し声のようだ。

「……?」

 その声は家の奥のほう、もっと言えば、庭のほうから聞こえてくる。疑問に思ったのは、その声が順一のものでもなければ、テラやフロウのものでもないからだ。理奈の知らない、若い男の声。それも穏やかならない、言い争っているような声。

 なんだろう。まさか強盗とか……?自分の頭にそんな最悪の事態が浮かんで、恐ろしさで身がすくんだ。だがもし本当にそうなら順一が危ない。理奈は勝手に震えだす足を励ましてそろりと廊下へ出る。

「そんなこと言ったって仕方ねぇだろ。別に俺が決めたこっちゃねぇんだし」

「お前が決めたことでないことぐらいわかっとるわ。筋が違うのでないかと、そのことを言っとるんだ」

「知らねぇよ。俺に言うなよ」

「お前がわしに言いに来たんだから、お前にしか言えんじゃろうが」

 とりあえず、順一も元気に応戦しているようなので安心する。しかしさっきから舌を巻き気味に順一と舌戦している男は誰なのか。だいたいあの優しい順一にここまで不機嫌な声を出されるなど、一体何の話をしているのだろう。

 縁側の脇から雨戸に隠れて庭のほうを見る。あのプレハブの前で、順一と男が対峙している。テラやフロウが着ていたのと同じ迷彩服を暑そうに腕まくりし、同じ色合いのキャップを肩に引っ掛けている。その身なりから鑑みるに、おそらくこの男も自衛官なのだろう。

「とにかくこれは決定事項だ。俺は伝えに来ただけだからな」

「まったく、奴らは何を考えとるんだ。まずわしに話を通すのが筋じゃろうに」

 近頃の若い奴は仕事のやり方がなっとらん、などとぶつぶつ呟きながらプレハブに戻ろうとしたとき、振り向きざまにその目が理奈の姿を捉える。

「おう、理奈。そんなところで何しとるんじゃ」

「あ、いや。話し声が聞こえたから、様子を見に」

 こそこそ覗いていたのが恥ずかしいが、別に悪いことをしていたわけではないのでそのまま言った。

 順一が声をかけてきたのと同時に、隣にいた男もまた理奈を見た。その目は一瞬驚いたように見開かれ、今は理奈を射るように睨んでいる。

「誰だ、お前」

 誰何する声までとげとげしい。ケンカ腰はこの男のデフォルトなのだろうか。こちらも負けずに睨み返す。

「はぁ?あんたこそ誰?こっちが訊きたいんだけど」

 男は相手を順一に変え、やはりいらいらした口調で問う。

「何でガキがこんなところにいるんだよ。じいちゃんが引き込んだのか」

「ガキぃ?」

 こちらを無視した上、ガキ呼ばわりされたことで理奈は完全に怒った。

「これ二人とも。……理奈はお前の従妹じゃ、カイト。覚えとらんか」

「知らねぇ」

 順一は理奈のほうへ歩いてきた。困り果てた顔をしている。

「理奈、こいつはお前の従兄の海斗だ。昔会ったことがあるはずだ。まぁまだ小さかったから覚えとらんかのう」

 順一に言われて、微かに記憶がよみがえった。確かにこの家で、その従兄らしい男の子と一緒にいたことがある。ただ顔も名前も覚えておらず、それが今目の前にいる男と同一人物と言われてもピンと来ないが。ということは、この男も順一の孫ということか。そういえばさっき順一を「じいちゃん」と呼称していた。

「とにかく二人ともそうつんけんするんじゃない。理奈、悪いが茶を入れてくれんか。わしは疲れた」

「あ、うん……」

 順一が本当に疲れた様子だったので、腑に落ちない気分のまま理奈は一人キッチンに向かった。その寸前、きっちり海斗を睨みつけるのも忘れなかった。

 水出しをする時間はないので、一旦湯を沸かして急須で入れた緑茶を、氷で満たした耐熱ポットに移した。普段グラスは二つしか使わないので、奥の戸棚からもうひとつ取り出して盆に載せる。

 三人分のお茶を入れて居間に戻ると、順一と海斗が既にちゃぶ台を挟んで座っていた。理奈はそのちゃぶ台に広げたままになっている自分の問題集を見て、慌ててかき集めると部屋の隅にどかした。

 海斗と順一は黙ってグラスに注がれたお茶を飲む。沈黙が重くて理奈は辟易した。仕方なく二人と同様にグラスを傾ける。冷たい緑茶が喉から胃へ落ちると、体が暑さを思い出したかのように汗が吹き出てきた。

「博士?ここにいたのね。海斗も」

 三者三様の面持ちで睨み合っていたところにひょっこりとフロウが顔を覗かせた。メンテナンスを中断して海斗と出て行ってしまった順一の様子を見にきたのだ。海斗がいる部隊はテラも所属しているところなので、フロウも面識があるのだという。

「そうだ。せっかくだから海斗もお昼ご飯食べていけばいいじゃない。もうそろそろ準備するし」

「……いや、俺はいい。もう戻らないと」

「だって今日は休みでしょ?」

「休みでもやることはあるんだよ。で、戻る前に。フロウ、テラを呼んできてくれ。二人に話がある」

「うん?わかった」

 フロウとは意外なほど穏やかに話す海斗に、理奈は少し呆れた気分だった。お互いを知っている気兼ねしない関係ということなのだろう。そういう話し方ができるのならば、ほぼ初対面の理奈に対しての態度も考え直せと言ってやりたい。順一が先に口を開いたので言えなかったが。

「あいつらに直接言うつもりか」

 やはり順一の声は険しい。それに対して海斗は疲れたのか、先ほどよりは声を落として応じる。

「それが一番話が早いし、自覚を促すという意味でも本人たちは早く知っていたほうがいい。あいつらにとっては情報が何よりの武器なんだから。さっきから何度も言ってるが、これは決定事項で、それを決めたのは上層部だ」

 話を途中からしか聞いていない理奈には何のことなのかよくわからなかった。ただ、今海斗がテラとフロウを呼んだということは、二人に関わることなのだろう。

 そのうちにフロウがテラを連れて戻ってきた。海斗の姿に「おう」と気さくに声をかけるテラ。彼らの関係性が端的に表れた場面だった。海斗がちゃぶ台を離れ、テラとフロウに向き合う。

「話というのは、今回本部で決まったお前たちの処遇のことだ。テラ。フロウ。試験的な運用だが、お前たちの実戦起用が決定した。来月以降の適用で、おそらく最初の派遣先はY国になる」

 淡々と海斗の口から出てくる台詞には硬い単語が多すぎて、飲み込むのには時間がかかった。普段こんな業務命令のような言葉を聞き慣れない理奈には仕方のないことかもしれない。一方の当人たち、テラとフロウは一瞬で理解したようだ。どんなに見た目が人間だといっても、この二人はアンドロイドである。情報は脳の代わりであるコンピュータによって理解されるので、意味が明確な硬い単語のほうが認識しやすいのだ。

 先に口を開いたのはフロウだった。

「Y国って。いきなりそんな遠くに?」

「あくまで予定だ。今のところ自衛隊が派遣されている紛争地域はそれぐらいだからな。一番早く適用された場合はそうなるだろう。状況が変われば派遣地や時期はずれる可能性もある」

「ちょっと話が急すぎない?」

「俺に言うなって。さっきじいちゃんにも説明したが、決定するのは上層部の人間だ。俺たちの職務の関係上、こういうことは本決定されるまで下知されない。俺はただの伝達役だ」

 確かに先ほど順一と海斗はそのようなことを言い争っていた。あの様子では、順一にとっても寝耳に水だったのだろう。

 順一があそこまで機嫌を損ねた理由がわかった。テラとフロウの開発者である順一を抜きにして、彼らの派遣が一方的に決められたのだ。怒るのも無理のない話だ。

 海斗が話し始めてから、理奈はひどく不安な気分にさいなまれた。いつも明るくニコニコしているフロウが、明らかに表情を曇らせたからだ。まるで凶報を知らされたというように、心なしか肌まで青ざめて見える。フロウのそんな反応は、ここへ来てから初めて見る。海斗が伝えた「自衛隊上層部の決定」が不穏なものであると、その表情が語っているように思えてならない。順一はちゃぶ台に置いた空のグラスを凝視したまま口を真一文字に引き結んでいる。

 そんな不穏な沈黙を破ったのは、テラの普段どおりの声だった。

「わかったよ」

「テラ……?」

 あまりにも呆気なく諾の意を示したテラに、フロウは驚いた表情をした。その名を呼ぶ声は微かに震えている。しかし当のテラはいつもと変わらない様子、いやむしろ楽しげともいえるほど気負わぬ雰囲気だ。

「いつかは実戦で実力を試すときがくるんだ。それが今だって別におかしな話じゃないだろ?そろそろ擬似戦場も飽きた頃だし」

「……」

「別にそんな深刻な話じゃないだろ。派遣予定地がわかってるなら今から対策も立てられる」

「テラは話が早くて助かる。そのために俺が知らせに来たんだ。本通知は後日出るだろうが、早いほうがいいと思ったからな」

 テラが気軽に承諾したことで、海斗は安心したようだった。話は終わったと言いたげに腰を浮かせる。

「俺が伝えられるのはこのぐらいだ。詳細は本部で聞いてくれ」

「オッケー」

 テラは普段と何一つ変わらない態度で海斗に応じる。その二人だけがまるでただの雑談でもしているような雰囲気だ。

 次に理奈がとった行動は、なぜそんなことをしたのか自分でもよくわからなかった。無意識のうちに理奈は、そのまま玄関から出て行く海斗を追いかけていた。

「ちょっと」

 剣のある声で呼びかけると、海斗は面倒くさそうに振り返り立ち止まる。お互いに睨み合い、理奈は何か言わなければと言葉を探す。

「何勝手なこと言うだけ言ってそそくさと帰ろうとしてるのよ」

「はぁ?話聞いてなかったのかよ。俺は通知に来ただけだ。同じことを何度も言わせるな」

「こっちは納得してないでしょうが」

「少なくともテラは納得させたぞ。とにかく面倒だから突っかかってくんな」

 再び去っていこうとする海斗に、まだ言い足りないと焦る理奈。自分でもほとんど言いがかりだとわかるようなことを口にする。

「最初からわかってたんでしょ」

「はぁ?」

「テラは反対しないって、本当は最初からわかってたんでしょ?だからあんな話の振り方をした」

「知らねぇよ。あいつらの開発者は俺じゃなくてじいちゃんだ。どんな思考回路してんのかなんて説明されなきゃわかるわけねぇだろ」

「でもあなたの隊にテラも所属してるんでしょ」

 なおも食い下がる理奈に海斗は低い声で囁くように言う。

「あいつらに妙な感情を抱くのはよせ。いいか、これは忠告だ。あいつらは自衛隊の秘密兵器として開発された国家機密だ。もし仮にお前があの存在を外へ漏らすようなことがあれば、俺は容赦なくお前をぶっ殺す」

「……へ?」

 剣呑な言葉を聞いたわりに呆けたような声を出したのは、海斗が言った別の言葉が引っかかったからだ。

「秘密、兵器?」

 今はテラとフロウの話をしていたのではなかったか。なぜ兵器などという突拍子のない言葉を聞くことになったのか。静かに混乱する理奈に、海斗は「チッ、喋りすぎた」などとぶつぶつ言いながら、今度こそ本当に順一の家を後にした。

 取り残された理奈は、呆けてしまったようにしばらくその場に立ち尽くした。



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