第十話 現在時刻は夜中の三時だ、起きるんじゃない
「ママ、トイレいきたい」
夜中の三時、耳元で聞こえたその声に、私は重い体を起こした。オレンジ色の常夜灯をつければ、さっきまで寝ていたとは思えないほど、おめめがパッチリと開いている。
と、そこで寝ていた長男もムクリと起きて、そのまま反対側に寝直した。セーフ、これはただの寝返りだ。
妹を抱えて静かにトイレへ連れて行った。便座に座っている間も、妹はシャキッとした様子で、用を足していた。よし、これできちんと寝室に戻れるぞ。
――そう思ったのは一瞬だった。
「……ママ、だっこ」
用を足し終えて床に足をつけた途端、妹の電池が切れた。
抱き上げると、待ってましたとばかりに私の首筋に顔をうずめてきた。やわらかい天パの髪が頬をくすぐり、幼い子特有の甘い匂いが鼻腔を満たす。
さっきのシャキッとした姿はどこへやら、完全にすべての体重を私に預け、クタッとした体全体の柔らかさが腕に伝わってくる。私の首筋にぴったりとくっついた頬は、湿っていて驚くほど熱い。
首に回された小さな手からはすっかり力が抜けているのに、それでも決して離そうとはしなかった。
耳元で、規則正しい吐息が静かに刻まれ始める。
この腕の中にいるのは、私に全幅の信頼を投げ渡している、小さな生命体だ。
なんだ、母ちゃんが大好きということか。
愛おしさが胸いっぱいに広がって、私は起こさない程度にぎゅっと抱きしめ直した。
静まり返った寝室に戻り、隣でスースーと健やかな寝息を立てている長男を見る。彼も昔は、こんな風に夜中に起きていたな、と思う。今はほとんど夜間覚醒も無くなり、穏やかな夜をくれるようになった。
三歳児の妹は、未だに夜中に二、三回は起きる。まあ、すぐ寝るから何も問題は無いんだが。
けれど、長男が三歳だった頃、いや、特に二歳だった頃の夜間覚醒は、こんな可愛いものではなかった。
週に三、四回ものペースで、夜中の一時きっかりに目を覚まし、そのまま朝の五時まで寝ないという地獄の生活サイクル。
そうなると当然、母ちゃんは一睡もできない。
暗闇の中、隣でゴソゴソ、ぴょんぴょん。私の耳元で容赦なく響く「アハハハ!」という無邪気な笑い声。時にベッドから落ちたらしいゴンッという音。
いつだって、うつらうつらとした浅い睡眠しか許されなかった。
あの時も大変だったけど、こうして大きくなったんだな……。
そうしみじみ感じながら、妹をそっとベッドへ着地させる。
さあ、私も寝よう。
「ウフフフ」
……嫌な笑い声がした。
薄明かりの中で長男の方を見れば、きらめく瞳がこちらを見ていた。
こいつ、起きてやがる。
「オウチ、カエルヨ!」
日中、外で遊んでいたときに私がかけた言葉だ。
どうやら、しっかり覚えていたらしい。だが、ここは布団の上だ。外じゃねぇ。
「長男、まだ夜だから寝ようね」
「アハッ!キャハハ!」
なぜ爆笑している。
とりあえず部屋を真っ暗にして様子を見るも、一向に笑いが収まらない。
私は音源に向けて暗闇へ手を伸ばした。もじゃもじゃ頭がヒット。容赦なく鷲掴みにして、布団へタッチダウンを決める。
だが、それすらも長男にとっては「遊んでもらえた!」と喜びに変換されてしまったようだ。クスクスという忍び笑いが、なおも闇に響いている。
ねえ、母ちゃん明日仕事なんだけど。
あ、もう今日ですね、はっはっは。
あきらめよう。
そうして楽しそうな長男を暗闇に放置し、私は布団を頭から被って、久しぶりの浅い眠りにつくのだった。
一ヶ月に一回のペースに落ちたとはいえ、定期で来る夜間覚醒はなんとかならないかなぁ。
ならんか。
おぼぁ。




