07:人ならざる者達
それは、分厚い鎧を身に纏った六人だった。
流麗な装飾が施された、純白に近い光沢を放つ鎧。全身を余すことなく覆い、ずしずしと重そうな足音を響かせて向かってくる、異様な雰囲気を放つ。
徐々に近づいてくるその六人を、アザミは荷物とシェラを抱きかかえたまま物陰から覗き、じっと息を潜めていた。
「……あのひとたちは、だれ?」
「憲兵……国の治安を守る、って名目で、国の中で怪しい事してる奴らを片っ端から捕まえてる連中だよ。…正直、あたし達は正規の許可を得て商売してないから、奴らにとっては格好の獲物なんだよ」
自分が発した一言で起きたこの状況。シェラはアザミと同じように声を押さえ、自分を抱きしめるように隠している彼女に問う。
アザミは通りの方に細心の注意を払いながら、こめかみから一筋汗を垂らし、緊張した様子で答えた。
「ちあんをまもる…? いいひと? じゃあ…アザミのほうがわるいひと?」
「…だったらよかったんだけどね」
聞く分には、こうもみんなで恐れて身を隠すほど恐ろしい者達には思えないと、シェラは不思議そうにアザミを見つめる。一方で、問われたアザミは眉間にしわを寄せ、もう目と鼻の先にまで近づいている憲兵達を見やる。
異様な緊張感があちこちの物陰から立ち込め始めた時、アザミ達の前を通り過ぎようとした彼らの内の一人がが、不意に口を開いた。
「いませんねぇ……不許可の物売り連中。抜き打ちで来たから不意を突けると思ってたのに、当てが外れましたかね?」
「黙って探せ。必ずどこかに身を潜めているはずだ」
「面倒臭いなぁ…」
六人のうち、最後尾を歩いていた一人―――茶髪に気の抜けた表情をした優男が、後頭部で手を組みながら気だるげに呟き、ため息をつく。
軽薄そうな態度が容易にわかる、明らかにやる気がなさそうな彼に、最前を歩いていた者が咎める声を放つ。よく見れば、最前にいる彼の鎧は少しだけ豪華な装飾が施されていて、彼の地位が他の五人より高いことを示していた。
「表の大通りに奴らは店を出せん。裏の廃棄街を使う命知らずはそういない…ならばこの貧民街の通りにしか奴らは集まれん。そうだろう!?」
「確かにそうですけど……別にほっといてもいいんじゃないですか? ここらに来る奴らは、大した金もない奴らで、俺達には直接関わりがないですし」
「何を呑気なことを言っておるか!!」
ぶつぶつとぼやいていた部下に、最前の一人が怒鳴りつける。
その大きさに思わずビクッ!と身体を震わせるシェラに気付くことはなく、最前にいた隊長らしき男が足を止め、最後尾の一人の方にずんずんと詰め寄る。
「誉高き我ら憲兵団が、国に仇為す亜人共を捕らえられないでどうする! 奴らは生きているだけでも罪だというのに、まるで癌のように我が国に巣食い、毒素を撒き散らしているのだぞ! もっと真剣にやらんか!」
「隊長の言う通りだ。あの腐臭がする人間擬きが近くにいるというだけで、俺は吐き気がするんだ。この手で駆除しなければ気が済まん」
「真面目ですねぇ……まぁ、そのやる気に水を差す気はないですけど」
体調のすぐ後ろにいた男が吐き捨てるように呟くと、他の三人も同じ意見なのか頷きを見せる。
優男は、隊長達の怒気にも全く動じた様子はなく、相変わらず面倒くさそうに肩を竦め、気だるげなため息をつく。他の五人に比べて、彼だけこの役目に積極的でない様子が明らかだった。
その態度は、隊長達にとっては気に入らないものらしく、さらに彼らの怒りが上がったように見えた。
「お前はいつもそうだ! せっかく陛下より害虫駆除の任務を仰せつかったというのに、そう言ってやる気のない態度ばかり! 少しは陛下のお心遣いに感謝するという気概はないのか!?」
「って、言われましてもねぇ…」
五人一斉に詰め寄られ、追い詰められて見える最後尾の男。
先ほどから目の前で言い争いが続き、一向に立ち去らない彼らを観察していたアザミは、全く仲がよろしく見えない六人ににやりと笑みを浮かべる。
「何だ、仲間割れか? いい気味だ…いいぞもっとやれ」
さっさとどこかに行ってほしい、という気持ちが半分顔に表れ、同時にこの見苦しいやり取りを見ていたいという気持ちがもう半分に見えている。
意地の悪い笑みを浮かべた彼女を見上げるシェラは、言い合いを続けている鎧の六人に目を移し、不安気に身を震わせ、アザミに縋りついた。
「あのひとたち……なに? がいちゅうって、どういうこと?」
「…あたし達の事だよ。猿人…あいつらが言うところの人間以外の種族、猫人とか犬人は勿論、森人とか土人とか、見た目の特徴が大きく違う連中を排除しようとしてるのさ」
「はいじょ……」
詳しい言葉の意味はわからなくとも、良くないものなのだということだけはわかり、シェラはブルッと背筋を震わせる。
自分が足音に気付かなければ、アザミに手を引かれて此処に隠れなければ、あの者達に何か酷いことをされていたのだろうか、とシェラはごくりと息を呑む。
アザミは震える妹分を宥めながら、訝しげな視線を鎧の男達に―――のらりくらりと隊長の怒号を躱す優男に向けた。
「でも、あいつはもしかして違うのかな? ああいうのがこの国にもいるんだったら、まだ救われるんだけどね…」
二人の視線が向けられているのにも気づかず、優男はヘラヘラと笑みを浮かべ、隊長の怒鳴り声を受け流す。次第に、相手が真面に聞いていない事が分かった隊長が頬を痙攣させ、優男の襟首をガッと掴んで引き寄せた。
「貴様、なぜそうも連中の肩を持つ! まさか貴様、連中と仲良くしたいなどと戯言を抜かすあの愚者共と同類ではないだろうな!?」
「やだなぁ……そんなわけないじゃないっすか」
凄まじい怒りの形相で睨みつけてくる隊長に、優男は軽薄な態度を崩さないまま、大きくため息をこぼして肩を竦める。
そんな彼の視線が、不意に別の方へ移る。隊長の肩越しに見えた、狭い通りをコソコソと通り抜けようとしている小さな人影を視界にとらえ、スッと細められる。
優男の雰囲気が変化したことに、シェラが気付いた時。
ヒュンッ、と目の前を何かが通り過ぎ、続いてどすッと何かが肉に突き刺さる音が響いた。
「ギャッ――!」
いきなりの事で、アザミとシェラは目を見開いて固まり、聞こえてきた悲鳴にハッと我に返る。
ギョッとしたまま振り向くと、通りに横たわる汚い布の塊が一つ。その中に姿を隠す、犬に似た耳を生やした幼い男児が、肩からナイフを生やして倒れている姿が視界に映った。
「―――!?」
「…! 声出しちゃダメ…!」
思わず悲鳴を漏らしかけたシェラの口を、アザミが間一髪塞ぎ、喉奥に留めさせる。
ぶわっと体中から噴き出す冷や汗と、背筋から広がる震え。互いに抱いた恐怖を紛らわせるように、アザミとシェラはきつく抱きしめ合い、目の前で起こった悲劇を凝視する。
「俺、手が汚れるの嫌なんですよ。仕事だから仕方ないですけど、できるなら自分で手を下すんじゃなくて、他の誰かが処理してるところを見てる方が気持ちいいんですよね…わかります? この気持ち」
「む、ぅ…」
絶句する二人の少女達の事などつゆ知らず、優男は慄いた様子の隊長に手を離させ、倒れた少年の方へと歩み寄っていく。
その際、くるくると手の上で弄ばれている、少年の肩に刺さったものと同じナイフが、彼がその凶行を行った犯人であることを示している。ニヤニヤと口元に浮かんだ笑みも、それを裏付けていた。
「でもまぁ…亜人の雄はともかく、雌にはまだ使い道がありますからね。ゴミでもまだ使えるものと使えないもの、分別する必要はあるでしょ?」
「そう、だな……見た目のいい雌の亜人ならまだ商品として買い手もつく。役には立つが…」
「片っ端から処分するより、利用価値を見出すのも賢い人間のやり方ってもんでしょ。もうちょっと柔軟な考えでやっていきましょうよ」
優男は少年の側に近づくと、呻き声をあげる少年を見下ろし、何か考え込むように顎に手を当てる。
そしておもむろに、少年の肩に刺さったナイフの柄に足を乗せ、ぐりぐりと自身の体重をかけていき、より一層刃を肩に食い込ませていく。
ぶしゅっ!と鮮血が勢いよく飛び出し、少年は悶絶し声を張り上げた。
「あ…がぁあああ! ぃだい……いだぃいい!」
「んー…いい声出すね。最近壊れちゃったお気に入りの子にも負けない、ぞくぞくする声だ」
「やっ……やめろ! やめろよぉっ! かっ、かあさんっ! たすけてかあさんっ!」
どくどくと血を流し、真っ赤に濡れた自身の肩を押さえ、懐から転がっていく小瓶を―――アザミが売っていた薬の瓶を拾おうと手を伸ばす少年。
優男はそんな少年を興味深げに見つめ、転がっていく小瓶を足で抑え、ばきんと踏み潰す。硝子が割れ、こぼれていく中身を前に、泣き叫んでいた少年はピタリと声を途切れさせ、凍りついた。
「う~ん、此奴は雄だけど……顔が気に入ったかな。持って帰って俺の物にしたいですね。いいですよね、隊長」
「う、うむ…まぁ、街に出てこないならそれでもいいが」
「……お前、それをどうやって使うつもりだ?」
「え、そんなの決まってんじゃないですか」
静かになってしまった少年の髪を掴み、優男は満面の笑みを浮かべて持ち上げる。
やや引き攣った表情を返す隊長や同僚達に、優男は自身の両の目を―――どす黒く濁った、泥のような目を向け、愉しげに告げた。
「壊れるまで遊んでやるんですよ……僕の役に立てるんですから、この子も本望ですよね?」
にたりと耳まで裂けて見える笑みを前に、隊長達は嫌悪感に満ちた視線を優男に、そして少年には汚らわしいものを見る目を向ける。
呆然となっていた少年は、自分が引きずられていることに気付くと、慌てて暴れ、優男の手から逃れようともがき出す。だが少年の力では、倍近く背丈の異なる彼から逃れる事はできなかった。
「ぃ…いやだ! いやだ! たすけて……かぁさんっ!!」
「も~、うるさいなぁ」
ばたばたと手足をばたつかせ、離れようとする少年の抵抗が鬱陶しくなったのか、顔をしかめた優男が少年の首を掴み、ギリギリと締め上げていく。
気道をふさがれた少年は白目を剥き、顔を真っ青にして泡を吹き始める。やがて大人しくなった少年に、優男は満足した様子で笑みを浮かべ、隊長達のいる方へと戻っていく。
「じゃあ隊長、今日の収穫はこの子って事で。どうせこれ以上探っても、他の連中は出てこないでしょ?」
「……お前は、いや、確かにそうだな」
愉し気に告げる優男に、隊長は呆れた様子で却下しようとしたが、少し考えて諦めたように頷く。
彼の目は、髪を掴まれたままぐったりと引きずられる少年に向けられ、優男とそう変わらない嗜虐心に満ちた視線に変わる。そのほかの面々も、ほぼ同じような反応を見せていた。
「これくらいの餓鬼なら、ちょうどいい見せしめにはなる……まぁ、今後の役には立つだろう。連れて行っていいぞ」
「やった! ああ、楽しみだなぁ~」
上官から許しが降りた事で、優男はあからさまに喜んだ様子を見せ、軽い足取りで来た道を戻っていく。
隊長や他の四人はそれにため息交じりの苦笑をこぼし、やれやれと肩を竦めながら、彼の後を追うように踵を返す。最初の意欲はもう感じない、優男の狂気に気力を削がれたような、そんな雰囲気があった。
ふと、隊長が一度立ち止まり、振り向くと少年が潜んでいた辺りを見やる。
物音一つしない、しかしうっすらと気配を感じるその通りを見つめていた彼は、やがてフッと嘲笑を浮かべ、鎧を鳴らしながら立ち去っていった。
◆ ◇ ◆
それからのことを、シェラはあまり覚えていなかった。
憲兵達が立ち去り、元の静けさを取り戻した通りに、身を潜めていた商人達がぞろぞろと顔を覗かせるも、皆険しい表情で兵達が去った方を見やり、肩を落とすばかり。
ようやく動き出したかと思うと、荷物を抱えたままわき道に入り、さらに暗く入り組んだ奥へと姿を消していく。
アザミとシェラも例外ではなく、特にアザミは沈痛な表情で目を伏せ、フードを被って元来た道を引きかえしていった。
知らぬ間に陽も翳り、人の姿もまばらになってきた大通りを抜け、貧民街の入り口に戻るとまた襤褸布を纏い、不気味な住民達の間を通り抜ける。
抜け道を通り、国の塀の外に出た二人は無言のまま歩き、師の待つ森の奥へと戻る。
その最中、しんと黙り込んでいたアザミが不意に口を開いた。
「…ごめんね、恐いもの見せちゃって」
自身を責めるような、痛みを堪えた切なげな声で、アザミがこぼす。
俯いていたシェラは我に返り、重い足取りで家路につくアザミを見上げ、すぐにまた俯く。つい数十分前の出来事が思い出され、胸の奥に鋭い何かが突き刺さったような心地になっていた。
「あんなもの見せるために、君を連れてきたわけじゃないんだけどね……ほんとにただ、ちょっと稼いだら君の生活用品を買い揃えて、すぐに帰るだけのつもりだったんだ」
シェラに背を向けたまま、しかし決して手を離さないままアザミが告げると、シェラはぶんぶんと首を横に振る。
この間にも、シェラの脳裏には先程の光景が蘇る。幼い男児を傷つけ、愉悦に満ちた顔を見せていた男。彼が連れて行った男児の赤く濡れた姿に、シェラはまたぶるりと体を震わせる。
「あのこは……どうなるの?」
「わからない…ああいう心が腐った奴がいるってのは知ってたけど、実際にどんな目に遭わされるかまでは知らないんだ。でも…たぶん、真面な姿では戻って来ないと思う」
「……なんで、あんなことするの」
「……何でだろうね。見た目が違ったって、同じ生きてる人なのにね。説明されたってわかんないよね…」
シェラの不安に満ちた問いに、アザミも酷く落ち込んだ様子で返す。僅かに異なる見た目を持つだけで、悍ましい凶行を行う者達の存在がいまだに信じられず、二人の間には沈黙が降り始める。
もくもくと獣道を歩き続けていると、不意にアザミがまた口を開いた。
「…この世界はね、あたし達にすごく意地悪なんだ。他の人と違うところとか、同じにできない所を責めて、勝手に悪者扱いしてくるんだ。……ほんとだね、何でこんなひどい事できるんだろうね」
胸に手を当てながら、自身の黒髪を見つめながら、何かを思い出すように呟くアザミ。シェラはただ、いつもの快活さがない彼女を見つめ、困惑する他にない。
やがて、アザミは不意に立ち止まり、振り返ってシェラの前にしゃがみ込むと、じっと妹分の目を覗き込んだ。
「ごめんね…あたし、ちょっと甘く見てた。これまで大丈夫だったからって、あんたを守る事を軽く考えてた。もう、これからはあんな所に連れてったりしない。危険な所に連れていったりしない……だから、ごめんね。もう一回だけ、あたしのこと信じて」
アザミの目に映るのは、怯えた様子でアザミを見つめる少女の表情。最初に連れだした時とは真逆の、アザミに自身を任せることに不安を抱いている様子の姿。
また疑いを抱いてしまったシェラは、悲痛な表情を見せる彼女の真剣な眼差しに、少しずつ気持ちを落ち着け始めていく。発されていた警戒心が徐々に薄れていくのを見て、アザミはフッと笑みをこぼした。
「…帰ろうか。きっと、お師匠が待っててくれてる」
「…うん」
小さく頷くシェラの手を引き、アザミはまた歩き始める。
血のつながらない姉妹は、薄暗い森の獣道を二人だけで歩き、その奥へと姿を消していくのだった。