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怪物は月に哭く  作者: 氏 抹茶
二章 崩壊 Sudden Change
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崩壊.8

 軽快な足音、静かに戸を閉める音。シーナを見送ると、ブランカはすがるような瞳で、悲しげな表情をしている父を見上げた。


「ねえ、お父さん。あの――」

「大丈夫、大丈夫だよ」


 クリフォードはブランカの前にしゃがみ、そっとその頬をなでた。彼には娘のいわんとしていることがわかっていた。何も心配はない。クリフォードはやさしくつぶやいた。だが、内心は焦りに満ちていた。


 クリフォードは昼間、シーナたちと別れてから、怪物の犠牲者たちの検死をおこなった。とはいえ、死因はわかっていた。今朝あったことが夢なのか確かめたかったのだ。だが、現実だった。彼らは朝に見た死体と同じだった。クリフォードは頭が真っ白になった。


 クリフォードはエルディンを説得しようか考えたが、彼が見逃してくれる保証はない、あまりに危険すぎると思い至った。彼は()()()()()だ。決して容赦はしないと思った方がいい。


 クリフォードはブランカに悟られぬよう、顔を伏せながら唇を噛んだ。唇に血がにじんた。だがその痛みさえ、クリフォードの心を静めるには不十分だった。


 気がつけば陽がだいぶ落ちていた。空は深海のように暗くなってゆく。客間の明かりがクリフォードの背中を照らし、ベッドに腰かけているブランカの顔に大きな影がかかっている。


 また夜がくる。クリフォードは視点も定まらぬままに立ち上がった。


 ――


 シーナは酒場に戻ってエルディンの姿を探した。酒場は昨日とは打って変わってひとりも客がいなかった。恐らく、死者の弔いの準備をしているからだろう。シーナは古くさいテーブルが並んだ酒場を見まわした。だが、エルディンははどこにもいなかった。ベッドのところにもいない。シーナはカウンターで肘をついている小間使いの女にエルディンが来たか訊いてみたが、女は首を横に振るだけだった。


 それから一時間ほど経った。シーナが釈然としないままそわそわと足を組んだりしていると、突然、酒場の扉が開き、険しい顔のエルディンが入ってきた。シーナの顔がぱっと明るくなった。


「エルディン、どこに行ってたの?」

「ちょっとな」


 エルディンは椅子を引き、仰々しく腰をおろした。そしてカウンターへ向くと、


「エールをひとつ。キノコのグリーンソースとパンをふたつずつ。それと塩漬け肉を炙ってくれ。ああ、あと俺のは味つけ濃い目で頼む」


 といった。懐が温かくなったので、久々に肉を食べようという腹だろう。


「客がいないと落ちつけるな」


 と、エルディンが足を広げてくつろぐと、シーナは心配していたのが馬鹿らしくなった。


「で、どこで何をやってたの?」

「……死体があった森の近くで、例の人狼がくないか見張っていた。結局無駄足だったがな。死体が見つかったことで場所を変えたんだろう。なかなか警戒心の強い奴だ」

「ふーん、なるほどね」シーナはいった。「じゃあ、人狼がくてたらその場で戦うつもりだったの?」

「いや、顔を見るだけだ。人間の時に捕まえる方が楽だからな。それに人狼は手ごわい。何の対策もなしに挑めば、ネコの不正をあばいたネズミみたいに頭から食われちまう」


 シーナは人狼がよだれを垂らしながらうなっている姿を想像して身震いした。


 釘のように尖った牙! 


 あの牙で喉を食い破られたら、人間などあっという間に絶命してしまうだろう。百戦錬磨で、それでいて怪物を激しく憎んでいるエルディンですら恐れているのだ。たしかに、人間の時に捕らえる方がいいに違いない。


 小間使いの女がエールを運んできた。エルディンはそれをひと口あおった。


 シーナはそれを見つめながら訊いた。


「張りこみして駄目だったてことは、別の方法で探さないといけないんじゃない?」

「そうだな。人狼を見破る方法はいくつかある。ひとつはトリカブトを食わせるというものだが――まあ論外だな。普通の人間が食っても死ぬだろうし、はずしたら大変なことになる」

「銀を触らせるというのは?」

「多くの怪物と違って、人狼に銀はあまり効かない。何もないよりはましだろうが」

「じゃあほかは?」

「体が獣くさくなるが、相手は利口な奴だ、対策はされているだろう。となると、あとは占いくらいか」

「占い?」


 と、シーナはすっとんきょうな声を上げた。


「ああ、占いだ。真面目に聞きこみをしてもいいが、朝にやらかしたせいで村人は口をきいてくれんだろうしな」


 ああ、そういえば。シーナは呆れた。今朝はもう少し穏便にことを運んでほしかった。


「この村に住んでる物乞いのばあさんが、むかし占い師だったそうだ。明日、そのばあさんに当たってみるとするか」


 その時、シーナの頭に疑問がうかんだ。


「そういえば、どうして人狼の呪いにかかるんだっけ?」

「さあな、原因はいまだに解明されてない。魔女に呪いをかけられたとか、落ちてるベルトをつけたら突然変身したとか、人を食ったり獣を生で食ったらそうなるって説もある。あとは狂犬病に関係があるとかな。

 聞いた話じゃ、エルフの魔法に関係があるっている学者もいるらしい。なんでも、エルフの伝承に狂戦士(ベルセルク)ってのがいるんだが、こいつは熊に変身して戦うそうだ。で、人狼はその狂戦士の一種というわけだな」


 そうこうしているうちに、テーブルに料理が運ばれてきた。キノコにかかったほうれん草とミルクのソースが食欲をそそった。炙った肉から香ばしい脂のにおいがただよっている。


 だが、シーナは肉を食べようとせずに木のスプーンでいじり回すだけだった。


「ねえ、エルディン」


 そして、思いついたようにシーナはいった。


「本当に、人狼を殺すんだよね?」

「ああ」

「わたし、思ったことがあるの。人狼って夜は怪物になるけど、昼は普通の人間として暮らしているんだよね? その人にも家族がいる、ってことだよね? やっぱり、殺すのってなんだか違うと思うの。何か別のやり方が――」

「なぜだ? 人狼はふたりも殺したんだ。そいつらにだって家族がいるんだぞ? 放っておけば同じように被害が増えるだけだ」


 エルディンは声を荒げた。


「それはわかってる、わかってるけど……」


 シーナはいい返せなくなった。正論なのはわかっている。だが、彼女の中にはわだかまりがあった。それに、母親が旅に出ていって、唯一の親といえる祖父を殺されたシーナにとって、家族というものはある種の憧れでもあった。


 そもそも――と、シーナは考えた。エルディンの怒りの原因は知っている。エルディンはむかし、家族を怪物に殺されたのだ。彼の住んでいた村は一夜にして廃墟となった。前にそう聞いたことがある。だからエルディンの怒りは理解できる。でも――


 家族。簡単な問題じゃないし、割り切れるものでもない。シーナはやりきれなくなり、黙ってうつむいてしまった。そして、亡くなった祖父のことを思い出した。――おじいちゃんなら、こんな時なんていうんだろう。


 エルディンは皿に残ったきのこを綺麗に平らげた。そして、エールを一気に飲み干すと、勢いよく立ち上がった。


「もう休む。お前も余計な事は考えずに、さっさと寝ろ」

「うん……」


 シーナはもそもそとパンをかじった。何をしたいのか自分でもわからなくなっていた。もう一口パンをかじる。固い。シーナは無心で食事をした。


 結局、シーナは肉を食べなかった。なので、食べ残しをエルディンに持っていくと、彼はそれを喜んで食べた。




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