官兵衛の苦労
「これは難問だな」
城の傍の川を眺め、官兵衛が呟く。
開発をどう進めるのか、その計画を立てる事を隆景に頼まれたが、いざ現地に赴いた所、自分達に待ち受ける困難さが容易に知れた。
それと言うのも横たわる問題が一目瞭然だったからだ。
「治水の治の字もない!」
藤堂高虎(36)が叫ぶ。
官兵衛、清正と共に築城の名手である高虎は、今回の計画立案に際して官兵衛の助手役を任されている。
因みに清正は未だ探索から戻ってはいないので、開発計画立案班からは除外された。
高虎が悲鳴を上げたのも無理はなく、それこそが官兵衛の感じた、この地の開発を進める上での難しさである。
「まさか堤防もないとはな……」
呆然として眺める事しか出来ない。
目の前を流れる川には洪水を防ぐ為の堤防、土塁の類が一切なかった。
平らな土地を歩いていたら突然足元に水が流れていた、そんな印象だ。
城の辺りは高台になっているが、少し歩けば川面と川辺が同じ高さにある。
※道路の隣を流れるベラクルスの川
「この辺りの雨の具合は分からないが、草木の育ち方から見て相当程度にあると見た方がいいのだろう」
「成る程」
川辺には丈の長い草が密集し、木々も広がっている。
高虎は官兵衛の見立てに納得した。
そうであれば当然、次の危険が予想される。
「増水時の氾濫を考えねばなるまい」
「そうですな」
二人は一致した。
「しかし、ここまで何もしていない川なんて初めて見ましたぞ」
「それはこの地の人々の考え方かもしれぬ」
「と言いますと?」
どういう事かと高虎が問うた。
「川の傍に無理して田畑を作る必要がないという事だ。土地が広ければ安全な所に作れば良い」
「成る程。言われてみれば確かにその通りですね」
周りを見れば家は全く見えない。
「とは言え人がいなさ過ぎな気がしますが……」
川沿いの高台にも人はいなかった。
増水の危険はあっても、肥沃な土地を放っておく意味が分からない。
「ここの者達も放置していた訳ではないようだ」
「と言うと?」
官兵衛の推測を伺う。
「この辺りは耕されていた形跡がある」
「そうなのですか?」
高虎にはただの荒れ地に見える。
「大きく育った木々には規則性が見えるので、土地の境界であったのだと思う」
「そう言えば!」
官兵衛が指さす場所には直線を引いたように並ぶ木々があった。
もしかしたら道沿いの並木だったのかもしれない。
「辺りには廃墟となった集落跡もあると聞く。昔は人々が住んでいたのだろう」
「川に囲まれた土地を捨てるとは、一体何があったのでしょうね……」
河口には上流から運ばれてきた土砂が堆積し易く、肥沃な大地を形成する事が多い。
川は生活用水の供給源となり、川の周りは町を作るのに都合が良かった。
その地を放棄する事は考えられない。
「兎にも角にも、我々は我々のやるべき事をやるだけだ」
「そうですね」
農業をするのに絶好の地から人がいなくなった理由は気になるが、今は寧ろ好都合である。
無人の地であれば開発に反対する者がいないからだ。
「とは言え、一から堤防を作らねばならぬとはな……」
「大変な事業となりそうですね……」
台風でも来れば洪水となるのは確実な日本である。
どんな小さな川でも治水が行われ、堤防が築かれているのが常だ。
「我が国も昔はこのような川ばかりであったのだろうな……」
「川の自然な姿という訳ですね」
そうなのかもしれないと高虎は思った。
「ご先祖の重ねてきた苦労を我々も体験するという訳だ」
「うっ! 正直勘弁してもらいたいです……」
予想される苦労を思い、高虎は渋い顔をした。
一方、村では直茂が秀包に向かい、怒鳴っていた。
「貴様は帰れ!」
「どうして?!」
秀包による指示が終わり、後は看病に専念という段になっての事だ。
言われた秀包は訳が分からず、戸惑う。
「気を付けねばならぬ事は分かった。それとも、我らには任せられんと言いたいのか?」
「そんな事はないよ!」
直茂の言葉を否定するが、正直に言えば心外である。
不満げな秀包に直茂は続けた。
「人手も物資も足りておる! 貴様はここにいるよりも城に戻れ!」
そう言って名護屋城を指さした。
町からイスパニア人が来た事は聞いている。
「どうして村に何もしないのか、南蛮人共に問い質して来い!」
その言葉に秀包も彼の思いに気がついた。
「もしかして怒ってるの?」
「五月蠅い!」
図星であった。
村人の話では、定期的に村々を回ってくるイスパニア人に収穫物の一部を納めているそうだ。
それは日本で言えば年貢に当たるのだろうし、イスパニア人が村を支配している事を意味する。
そうであれば村人の保護もせねばならない筈だが、今の所その気配はない。
確かめた所、病気の発生を町に伝えに行ったが、人が派遣される事もなく放置されているとの事。
牛痘を知るまでは自分達も何も出来なかった身ではあるが、村の行き来を禁じて病気の封じ込めを図るくらいはしていた。
統治者として、領民にとり非情な決定を下す事もあったが、全ては国を守る為であり、他に方法がないので仕方がない。
逆に国を守る為、上に立つ者を廃する決定も下され得た。
それがここでは全くの無策らしい。
開発を進める事なく放置している事と併せ、為政者として疑問と怒りが沸く。
面と向かえば辛辣な言葉の一つや二つは投げかけそうなので、今は自重して秀包を向かわせる事にした。
「この地を治める気があるのか確かめて参れ!」
秀包は直茂によって村を追い出され、そのまま城へと戻った。
「我らに戦を起こす意図がない事は理解してもらった。国へ帰る事を最優先に考えており、その協力を要請したのと、帰るまでの食料を確保する為、城周辺の開発を認めるよう頼んだ。後は向こうの返事を待つだけだ。まあ、返答がなくとも開発は進めるがな」
隆景が説明してくれた。
イスパニア人は既に帰っている。
「待つ間に町までの道でも作っておいてやろう」
ニヤッと笑ってみせた。
「町を攻める気は更々ないが、行きやすくはしておかんとな」
早速その日から藪を刈り払って立木を切り倒し、残った株を掘り起こして土を固めて道としていった。
切った木を乾かせば薪となり、葉っぱは畑の肥料になるので無駄はない。
人の数を頼りに次々と道を伸ばしていく。
現代でも驚かれる事の多い、日本の土木工事力がそこには展開されていた。
その頃ベラクルスでは、名護屋城より帰って来た者達からの報告に町全体が揺れていた。
突如として現れた建造物は町の高台からも見えていたので、住民達も何事が起きたのかと不安に思っていたのだ。
しかし、予想だにしない答えに愕然とする。
『ジパングとはあのジパングなのか?』
話だけは聞いた事があった。
『30万だと? 既に町が出来ているのか?!』
城下町その物が移ってきているとは思いもしない。
将兵20万、城下町の住民10万もの巨大な数であった。
そんな規模の町はヨーロッパでも大都市だ。
『ヌエバ・エスパーニャに攻めてきたのではないのか?』
それが一番の心配事である。
『攻めるつもりなら城など作らずに既に攻めているだろう!』
言われてみればその通りだ。
『20万もの軍勢を、太平洋を越えて送る事など不可能な事は皆も分かっていよう?』
それも頷かざるを得ない。
『彼らの話は本当だと信じるしかあるまい』
その結論にいきついた。
『しかし、あの辺りの土地は俺のモノだぞ!』
土地の持ち主が目の色を変えて訴える。
『お前だけじゃねぇ! 俺の土地もあの辺りだ!』
口々に抗議の声を上げた。
合わせれば十人くらいになろうか。
それぞれが名護屋城周辺の土地所有者である。
一定地域の住民を割り当てるエンコミエンダ制は既に廃され、イスパニア王国から土地を分け与えられるアシエンダ制となっていた。
町周辺の土地所有者は住居を町に置き、監督者を派遣するなどして土地を管理している。
王国より与えられたり、大金を払って借り受けた土地は大抵が大規模であり、後に大農場主を誕生させる事となる。
土地代のない先住民は、大規模農場の周りの細分化された零細地で、その日暮らしの貧しい生活を余儀なくされていた。
『お前達の訴えは当然であるが、向こうがその気になればこの町は終わるのだぞ!』
その一声に不平を口にしていた者らは押し黙る。
命あっての物種だという事は、その場にいる誰もが嫌という程分かっていた。
『自分の土地に他人が居座っているのだから不満はあろう。しかし彼らは帰ると言っているのだから、ここは大人しく帰ってもらうのを待つしかあるまい。もしも30万という人の数と鉄砲の所有数が本当ならば、こちらに歯向かう力はないのだからな』
それ以外に方法がなさそうだ。
そんな時、向こうの城から道が伸びているとの報告が入った。
城を見渡せる丘に登る。
『あの人の数と速さは何だ?!』
恐ろしい程の数が蠢いているように見えた。
30万人という報告が現実味を帯びる。
『クソっ! 圧力のつもりか?』
望む答えでなければ分かっているなという事だろう。
『メキシコ・シティにも本国にも遣いを出せ!』
援軍を求めた所で間に合う訳もないが、この火急の事態を伝えねばなるまい。
『時間稼ぎをするにしても限界がある。今は向こうの言う事を受け入れる以外にないな……』
下手に逆らえば町は滅びる。
幸い、町の統治に影響を与える願いは為されていない。
そうであれば好きにしてくれという思いであった。
使者を遣わし、3日後に町で交渉する事を伝えた。
ベラクルスはエルナン・コルテスが建設した、スペインのメキシコ支配における最古の町であり、町の周りの農業適地が放っておかれている筈はないと思われます。
住む者のいない荒れ地なのは物語の都合としてご了承下さい。
因みにベラクルスの気候は下記のサイトの通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%B9
ベラクルスの年間降雨量は1753mm(2011年)となっています。
日本の平均は1718mm(1971年から2000年までの平均)です。
途中の画像はベラクルスの町ですが、増水時はどうしているのでしょうね?
ちょっと信じられないと言うか・・・
4月25日、一部加筆しています。
ベラクルスの町の様子の中で、名護屋城周りの土地の所有者がいる事にしました。




